2008年7月29日火曜日

”誰でもよかった”

 秋葉原の通り魔事件以来、類似事件があちこちで頻発しています。こうした事件の凶悪さ、結果の悲惨さに比べると、犯行動機がきわだって幼稚なのに驚かされます。

 一連の事件はおおざっぱにいって2つのタイプがあるように思えます。ひとつは事件を起こすことで自分の存在を周りの人にアピールするタイプ。 

「親がかまってくれなかった」、「世間に無視された」、「ネットに犯行予告を書いたのに誰も本気にしてくれなかった」など幼児が親の気を引こうとしてすねたりふてたりするのとそっくり。

 もうひとつは、厭世的になり自殺しようとしてもひとりではいやなので、見ず知らずの他人を道連れにしようというタイプ。

 JR平塚駅で女がナイフで通行人の男性7人をつぎつぎと刺した事件の動機は、「父親を殺したいと思ったが、それもできず、人を道連れにして死のうと思った」とのことです。

 死にたいのならひとりで青木ヶ原の樹海に行け、とでもいいたくなるような支離滅裂な供述です。

 しかし彼女の言葉には、家族間の葛藤が家庭内で解決できないとき、その暗い情熱が外に向かって流れ出し、見ず知らずの人を道連れに破滅に向かう”未熟成人”による犯罪の特徴がよく表れています。

 家庭が家族ひとりひとりを育ててゆくホームとして機能していないばかりか今や最大のストレスの温床であり、ときには家が戦場にさえなっている現代社会、この構造が変化しない限り”誰でもよかった”殺人事件が終息に向かうことはありえないと思います。

2008年7月16日水曜日

返品ポリシー 

 本格的なリセッションに突入し、日経平均は業種を問わずコンスタントに右肩下がりを続けています。

 そんな中、若者向け衣料品の開発・販売を手がけているファーストリテイリングの株価はここ2ヶ月間一貫して上昇。その秘密を探るべく倉敷のイオンモールにあるユニクロに行ってみました。

 メタボな中年おじさんとしてはいかにも店に入りにくい、でもショーウインドウに展示してあるハーフパンツが1990円ときては買わないわけにはいかない、と勇気を出して売場に突入。

 広い店内を一巡して、デパートやスーパーにはない独特のユニクロ商法の一端が見えました。

 商品の種類はきわめて限定的なのに対し、サイズやカラーバリーションが豊富であること。単品で1990円の商品が2つでは2990円と抱き合わせ効果が絶大であること、下着などは近所のスーパーよりも安いなどなど。

 ハーフパンツや襟付きのシャツなど数点購入したのですが、合計で1万円でおつりがきました。感激!

 しかしもっと感激することがありました。独特の交換、返品ポリシーです。

 「値札を取ってしまったらだめですよね」と私が言いかけると、「大丈夫です。着用して洗濯したものでも、ユニクロの商品であることを示す縫い込みタグさえ確認できれば交換、返品できます」とのことでした。

 レシートがなくても、いったん着たものでも返却してかまわないという発想をユニクロだけのものにしておくのはもったいない。

 私が返品したいもの。マニフェストを反古にする政党、スキャンダルしか聞こえてこない国会議員、買えば下がり、売れば上がる株。
     

2008年7月12日土曜日

「ぶって姫」騒動(2007年9.24号)



 岡山市西部の我が町は今「ぶって姫」こと姫井ゆみ子参議院議員のスキャンダルでにぎわっています。というのも彼女と「愛欲の6年」(それにしても下品な表現!)を過ごした元教師が勤めていた中高一貫校があるからです。

 色白で顔面蒼白、しかも分厚い眼鏡をかけ高校生にしてすでにメタボ症候群を発症しているような体型の生徒たち。地元の中学生がたくましく日焼けしているのと対照的に、力無く自転車をこぐスタイルを見ただけでここの生徒だと分かります。

 そんな勉強一筋、受験のことしか頭にないような学校の生徒にとって、硬派で剣道7段の先生がいきなりテレビであることないこと議員との写真を数百枚を提示しつつ赤裸々に語ったのだから、生徒や保護者、学校当局の驚きと狼狽はいかばかりだったか想像にかたくありません。

 でもこういう教師って卒業して何年も何十年も経つと一番記憶に残っているんですよね。人間とは理性ではなくもっとどろどろしたもので生きていることを身をもって示してくれた先生として。

 何だか岩井志麻子の小説に出てくる男女の愛憎破局物語みたいな今回の騒動。当の「ぶって姫」はスキャンダルをものともせず、「姫は姫でもやんちゃ姫にございます」などと芸者スタイルで即興劇にまで登場していますが、いったい頭の中はどうなっているのか、今はやりの「脳内メーカー」で見てみました。

 脳みその8割は「H」、残り2割は「欲」と「金」で埋め尽くされていました。   

岩井志麻子 (2005年2.1号)


 今、岡山生まれでもっともエネルギッシュな創作活動をしている人と言えば、ホラー作家「ぼっけえ、きょうてえ」を書いた岩井志麻子さんをおいて他にないと思います。

 旺盛な執筆活動に加え、新聞や雑誌社のインタビューに応じ、テレビにも積極的に出演。妖艶な口元から常に過激な発言が飛びだしてきます。

 先日、TBSの人気番組「金スマ波瀾万丈」で彼女の生い立ちから今日までを再現ドラマ仕立てでやっていました。

 まだ本格的にデビューする前、岡山で夜中ひっそりと小説を書いていたら、突然「夜食をもってきたので食べてください」といって風采のあがらない男(再現ドラマですが)がオムライスを置いていく。私はてっきりストーカーにまとわりつかれた話でも展開するのかと思ったら何と彼女はその男と結婚し、二人の子供までもうけるのです。

 番組ではTBSの安住アナウンサーとともにソウル、サイゴンを訪れ、岩井さんの男友達も紹介されていました。その男達というのが地元のセレブというわけではなく、ホテルの従業員やレストランのボーイとかなりお手軽。「エロいことを書いていても生きていくことができることが分かりましたわ」と番組を締め括っていました。

 岩井さんの虚栄心など入り込むすきのない、ナチュラルで才能豊かな生き方を見ていると、ふとマラソンの有森裕子のことが頭に浮かびました。

 「マラソン選手の地位を向上させるためには結果を出してみせる以外ない」といって、バルセロナとアトランタでともにメダルを取りその後の女子マラソン黄金時代を切り開いた有森のたくましさ。

 岡山の女性はほんとうにぼっけえ、きょうてえ。金持ちの御曹司と結婚して「勝ち犬」の仲間入りしたなどというレベルの低い話は岡山では通用しません。


 

1円は誰のもの?(2008年7.14号)

 6月末は零細株主にもささやかな配当金が届くうれしい季節です。親の介護のため定年前に退職せざるを得なかった私には株の配当金が唯一の収入でまさに雀の涙。

 そのわずかな額からも10%の税が源泉徴収されています。内訳は所得税が7%、住民税が3%で、税額を計算すると必ずしも整数になるとは限りません。

 分かりやすい例で示します。税込み配当額が90円の場合、手取り(9掛け)は81円のはず。一方、国税は6.3円(7%)、地方税は2.7円(3%)になります。ここで小数点以下は四捨五入するか切り捨てるべきか?

 3年前の確定申告の会場で、この疑問にぶつかりました。税務署の職員氏に尋ねてもはっきりとした指示はなく、私の出した結論は端数を四捨五入して、国が6円、地方が3円、私は損得なし。

 ところが今日届いたある会社の配当金領収書を見て認識をあらたにしました。どうやら小数点以下の税は国、地方とも”切り捨て”でよかったみたいです。そうなると私の手取りは82円になり、1円お得。

 税務署は太っ腹!・・・ではなくそんなみみっちい話につきあうだけの暇がないというのが実状のようです。それに配当金に課税された税金まで確定申告で取り返すような人はめったにいないので職員氏も端数の取り扱い方法など分からなかったのでしょう。

 でも私としては、いつも気になっていた1円の処理方法がはっきりして気持ちもすっきりです。
  

e-TAX確定申告2008 

 私にとって税務署は恐いところでも不親切な役所でもありません。それどころか実務にうといさまよえる老羊たちを優しく導き、手取り足取り「さあ、この金額をこちらの欄へ書き写しましょうね!」などとお手伝いしてくれ、さらには申告のご褒美として2ヶ月後には2,3千円の小遣いを銀行口座に振り込んでくれます。

 その税務署が鳴り物入りで普及させようとしているのがe-TAX。医療費控除のための領収書など添付書類を提出しなくても申告できるらしいと聞いて、半日かけて市役所で住基カードやら電子証明書なるものを作ってもらい、パソコンショップでICカードリーダーを購入。

 しかしこのシステムを利用するには「開始届書」なるものを提出しないといけないことが判明、さらに市役所がくれたCDから専用ドライバーを組み込んで・・・となるとなかなかめんどくさそうで、結局例年どおり親切な職員が待ちかまえている申告会場へ行きました。

 申告初心者らしい年金世代のジイサン、バアサンを尻目に提出コーナーに直行。まずは親父の申告書を提出しました。「親父、けっこう税金取られてるなあ」と思いつつ、ふと、「私は親の介護で無収入、父の扶養親族になれますか」と職員に声をかけたらあっさり「いいですよ!」とのお返事が。

 60歳の息子が90のジイサンに扶養されるというのは沽券にかかわるなあ・・・などときれいごとを言ってる場合じゃない、さっそく税務署ご自慢のe-TAXパソコンの前に座わりご指導を待っていたら、お付きの職員氏がこうアドバイスしてくれました。「手書きの方が早いですよ」。

 e-TAX、何やら国鉄民営化のときに生まれてすぐに消えた”E電”(JR線)という呼び名を思い出しました。

たまには映画を:エクソシスト 


 ホラー映画の古典というべき「エクソシスト」(1973)。悪魔(その名もパズズ)に取り憑かれた12歳の少女の首が360度回ったり、緑色の反吐を吐きかけたりするシーンに思わず目を背けた記憶がある人も多いのではないでしょうか。 

 しかしこの映画は人間の深層心理をえぐったドラマとして見ごたえがあり私は大好きです。ちなみに古代の悪魔パズズの姿は1万円札の裏側に描かれている鳳凰そっくり。

 少女に取り憑いた悪魔はいろんな声色を使い分けて新米のカラス神父を混乱させます。それに対して長老のメリン神父はカラス神父に「悪魔が複数いるのではない、あくまで悪魔は1人、惑わされるな」と指導。どんなに複雑に入り組んだ問題も本質を突き止めれば解決の糸口が見えるという意味で含蓄のあるセリフです。

 さて、悪魔払いの儀式のハイライトは小瓶に入った聖水を悪魔に振りかけながら「キリストの名において汝を罰する」と繰り返し唱えるシーン。しかし悪魔もなかなか手強いのです。

 キリストが生まれるはるか何千年も前、チグリス・ユーフラテス文明の時代にすでに存在した悪魔パズズがそんな呪文ごときでは簡単にダウンしません。

 キリスト(の霊的パワー)にしても全人類を救うという大仕事を今も託されているというのに、20世紀のワシントンで起きた奇妙な憑依事件の解決になど本腰を入れるとは思えず、その結果、メリン神父は心臓発作で死に、カラス神父は自分の命と引き替えに少女を救出します。

 そんな凶悪な悪魔もDVDを繰り返し見ていると何となく愛嬌があることに気づきました。口元が案外かわいいのです。2000年に発売されたディレクターズカット版がおすすめです。

カクレガニ


 スーパーでパック入りのアサリを買って帰りました。パックを破ってアサリをボールに取ろうとしたら何か小さな生き物がアサリの間を動いていました。

 よく見たら体長2ミリくらいの小さなカニでしたが、アサリの味噌汁の中によくいるやつのようです。

 困った。私はこういう生き物の命を奪うことにめっぽう弱いのです。旅館の豪勢な夕食に出てくる伊勢エビやアワビの残酷焼きなど目をそむけないないではいられません。

 アワビが灼熱の陶版から逃げようと身をよじっているのを見ると食欲も吹っ飛んでしまいます。けれども数分後、目に入るのはアワビやエビの焼死体ではなくぜいたくなごちそうではあるのですが・・・ 

 さて、アサリを五右衛門風呂のようなナベに放り込むのにもやや抵抗があるのですが、きょうのカニのような食用ではない生物の場合は特に悩みます。無用な殺生は罰当たり、小さなカニはやはり海に返すべきではないか?

 しかし海は遠いし、ひまもなし。いっそ瞬時にひねりつぶしてやる方がいいと思って、指でつぶそうとしたのですが、小さくても意外に頑丈でつぶれません。

 下水に流しても生きていけるわけではないし、結局このカニはアサリと運命をともにしてもらうことにしました。食べてやることが供養になるという理屈をつけて。小さくてもカニの味がしました。

 ところでこのカニにも名前がありました。「カクレガニ」、名前のとおり安全な二枚貝の中に隠れ棲んでいる利口者ですが、へたをすれば宿主のアサリといっしょに味噌汁にされてしまうところまで知恵が回らないのが悲しいです。

岡山空港に瓦せんべいを

 昭和39年に同じ中学校を卒業した我々「16期組」はことのほか仲がよく、いろいろ理由を見つけてはしょっちゅう会っています。今年はみんな還暦を迎えるのでひとつ”卒業旅行”なるものを敢行しようということになりました。行き先はアドリア海に面する風光明媚なクロアチア。

 彼の地で大使としてがんばっている男の慰問を兼ねての旅、一回りしか違わない恩師夫妻も含め総勢19名からなる大旅行団ができました。

 味噌、醤油が不足しているらしい現地事情を考えて参加者全員がそんなものを持って出かけたところも戦後の修学旅行そのままです。

 さて、旅に参加できなかった私もおみやげには頭をひねりました。吉備団子や大手饅頭などはきっと岡山から行く人はみんなもっていっていくに違いなく面白みに欠けます。

 そこで思いついたのがお隣、高松の瓦せんべい。それも特大のもの。歯の折れそうな堅いお菓子がヨーロッパにもあるのかどうか知りませんが、とにかく珍奇なみやげには違いありません。賞味期限が3ヶ月と長いのもおみやげにぴったり。

 ところが高松名物のこのせんべい、岡山では入手が困難です。あちこち電話した結果、岡山駅のサンステで売っていることが分かりましたが、肝心の岡山空港には置いていません。

 あらためて空港のみやげものショップの商品構成をみてみると見事なまでに岡山県産品に特化しています。県外の名物といえばわずかに広島の「もみじ饅頭」があるのみ。

 近接する岡山、広島、高松の3空港は行き先や時間帯の構成から相互補完の関係にあります。私も以前沖縄に行ったとき座席の関係で行きは高松便、帰りは岡山便に乗りました。

 このように三位一体として使われている空港のショップが県産品にこだわるあまり他県のものはほとんど置いていないというのは考えもの。岡山空港に瓦せんべいを、高松空港には吉備団子をぜひ置いてください。

国保改革私案

 国民皆保険制度のないアメリカでは医療を受けられない人が6千万人もいるとか。医学のレベルは世界一でも国全体の医療レベルはとても先進国とはいえません。

 それに比べ日本はだれでも最高の医療を受けられる幸せな国だと信じてきたのにここにきて急に雲行きが怪しくなってきました。とりわけ不評をかっているのが後期高齢者医療制度ですが、若者でも国民皆保険の網からもれている人が激増していて、私の知り合いの病院長も入院費を払わず夜逃げしてしまう輩に頭を悩ましています。

 そもそも国民健康保険は無収入の人からも保険料を情け容赦なく取り立てることになっていて、これは同じ公租公課でも所得税の場合、一定額以下の年収に対しては非課税措置がとられているのとずいぶん趣が違います。

 一方、所得税の上限は青天井なのに国保の最高額はせいぜい数十万円。つまり低所得者に非常に厳しい負担を求める反面、高額所得層にとって保険料は限定的です。

 そこで私からの提案です。

 1.国保、年金財源の確保のため消費税を上げる。消費税が15%程度になるのは先進国として仕方ない。

 2.国保負担金の最高額を今の10倍、年額にして500万円にする一方、国民年金満額以下の収入しかない人からは免除。

 3.年額500万円も国保料を払ってくれる人にはもれなく褒章を授け、総理大臣自ら謝意を表する。さらに、10年以上最高額を支払ってくれた人には勲章なり園遊会招待なりのごほうびをあげる。

 単に政府高官を務めただけの連中にお手盛り叙勲することなど即刻廃止すべし。毎年500万円も他人の健康のためにお金を負担してくれた人こそ天皇から勲章をいただくだけの値打ちがあると思います。

河口メロン園


 岡山市西部、福田小学校にほど近いところに静岡メロンをしのぐ絶品メロンを栽培している河口(こうぐち)メロン園があります。テレビにもよく登場するのでご存知の方も多いと思います。

 園主の河口和夫さんのキャラのおもしろさとウンチクを垂れる”オヤジ度”の高さが人気の秘密のようです。

 2001年4月、親の介護に専念するために故郷に帰ってきて、最初に再会したのが小学校時代のクラスメートだったこの河口君。

  小学生の河口君は色白でおとなしく控えめな性格だったように記憶していたので、目の前の日に焼けた元気のいいオジサンがあの河口少年の50年後の姿だとはにわかには信じがたい気持ちでした。(まあ、容姿の激変については他人のことは言えませんが)

 河口君が先祖代々の稲作をやめてメロン一本にしぼったのは大変な知恵と勇気のたまものだと思います。アメリカやカナダの大規模農家が地平線のかなたまで耕して得られる所得をわずか3棟か4棟のメロンハウスで稼ぎ出すのですから。

 さて私も早々、名だたるメロンを求めて河口君の家を訪ねました。父が日ごろお世話になっている方へのあいさつ代わりにしようと思ったのです。

 「コウちゃん、ノシはどねんする?」と河口君。快気祝いでもないし、お中元でもない、ただ「いつも気にかけてくれてありがとう」という気持ちが控えめに伝わればいい・・・などと考えた末に「粗品にしてん」と言ったら、にわかに河口君の顔が歪みました。

 自慢の一品を”粗品”だなんて失礼!結局何と書いてもらったか、それは忘れてしまいました。

鼻の手術

 中学2年の夏休み、現在、日銀岡山支店が建っている場所にあった日赤病院で副鼻腔炎の手術を受けました。上の唇をひっぺがす野蛮な手術の恐怖は半世紀経っても忘れられるものではありません。

 手術を受けた日の深夜、私は病室で突然洗面器一杯ぐらいの大量の血を吐いてしまいました。鼻から出ていた血をすべて呑み込んでいたのです。病室の床は血の海と化し手もつけられない惨状でした。

 付き添っていた母がおおあわてで看護師を呼んだり吐瀉物の後片付けをしていたら、中庭を挟んだ向かいの病棟の人が「主人が危篤で安静にしていないといけないのに、なにを夜中に灯りをつけて大騒ぎしているのか」と文句をつけてきました。

 母はそのときの屈辱を生涯忘れたことはなく、いつも思い出しては怒っていました。「うちの子こそ大量の血を吐いて死にかけていたのに・・・」。 私自身は胃が空になったらすっきりして、気分もよくなったのですが、母には日赤病院そのものがトラウマになってしまったと同時に私にはますます甘い母親になりました。

 2学期になって中間試験のあと父兄面談があって、母は担任から「息子さんにはもう少し本気で勉強に取り組むよう親御さんから指導してください」と言われたらしい。

 母は、「お言葉ですが、息子は大病をやっと乗り越えた身、生きていてくれさえすればそれでいい、成績の善し悪しなど問題外です、と申し上げたら先生呆れていたわ」といかにも楽しそうに語ってきかせてくれました。

 子供のころ成績がよかった兄には「東大以外、大学ではない」などとプレッシャーをかけていた母も私にはこうるさいことはいっさいなし。血の海と化した鼻の手術のおかげです。
 

地球最期の日

 洞爺湖サミットの期間中、テレビは繰り返し氷原を失った北極熊や崩落する氷河の映像を流していました。うち続く天変地異といい「誰でもよかった」殺人の流行といい、時代感覚はまさに終末思想そのものです。

 小学校の図書室で読んだ絵本の恐怖を今でもよく覚えています。何億年かの未来、太陽が年を取って巨大化し、地球上のすべてのものを焼き尽くしていくようすが描かれていました。

 焦熱地獄よりはるかに怖かったのは、近づいた太陽の引力によって自動車や人間が空中に舞い上がりやがて太陽に吸い込まれるイラスト。

 子供の私は、太陽の引力で体が浮きそうになったらすぐに校庭のプラタナスの大木にしがみつこう、地中深く根を張った木が一番頼りになるはず、などと対策を考えたものです。 でも少し後になって考えてみると、絵本のイラストも私の対策も誤っていることに気づきました。

 本当にそんな日が来たら、人や自動車どころか地球そのものが太陽に呑み込まれるので大木にしがみついたところで無意味。第一、人類が何億年後も存在していること自体ありえない・・・それなら何も心配することはないかというと今度は新たな恐怖に取り付かれてしまいました。

 遠い未来人類が滅亡したら、いったいだれがかつて地球に生命があったことを認識するのか、認識主体そのものがなくなることの恐怖!校庭のプラタナスに抱きついてもこの実存的恐怖からのがれることはできませんでした。

 それにしても人類最期の日はいったいいつなのか、仏教はずいぶん楽観的な数値を出しています。弥勒菩薩が下生(出現)するのは56億7千万年後だそうですが、そのころまで生命が存続しているとはとても思えません。

クレジットカードのたそがれ

 携帯電話に心当たりのない番号が着信記録されていて気色悪いなと思っていたら、その後も1日1回微妙に時間帯をずらしてかけてきました。

 大阪の市外局番であるところをみるとさてはナニワのその筋、それとも借金取り?などと不安がつのります。しかし借金など1円もないし裏社会から狙われるほどの人間でもないし、私を怯えさせるのはいったい誰?

  4回目、ついに勇気を出して電話にでてみたらクレジットカード会社からでした。ちょっとほっとしたものの用件を聞いて少し憂鬱になりました。私のVISAカードがアメリカで不正使用されたというのです。

 問い合わせがあった買い物には心当たりがない旨を告げると、その場でカードを無効にしてくれ、私も被害をまぬかれたのですが、改めてカードのセキュリティの脆弱さを思い知らされました。

 なるほどネットでの取引にはいろいろセキュリティ対策がなされている、といっても基本はカード番号と有効期限というカード本体に明示してある情報だけで決済が完了するという大変な”ざる”であることには違いありません。

 これに対し、カード会社はカード所持者の利用パターンを常時モニターすることで対抗。モニターと言えば聞こえがいいけれど要するにコンピュータで顧客の消費行動パターンを監視しているわけです。

 モニタリングのおかげで不正利用がいち早く見つかるのは事実ですが、それはとりもなおさず、会員ひとりひとりがどんな商品に興味をもっているかがデータベース化されていることを意味し、あまり気持ちがいいものではありません。

 50年ほど全盛期が続いたクレジットカードもそろそろ退場の時期を迎えていないでしょうか。安全便利、すべての人が使え、しかもプライバシーが徹底的に守られる21世紀にふさわしい決済手段が1日も早く考案されることを期待しています。

”私鉄”という誤解 

 国鉄が民営化されて20年以上になります。民営化されたのだからJRも”私鉄”かと思ったらそうでもないらしく、もともと民営だった近鉄や阪急などとは区別されています。

 さてこの”私鉄”という言葉、英語ではprivate lineと表現されていることが多いのですが、和英辞典を参考に直訳したようなこの言い方では、私鉄など存在しない国の人には思いもよらない誤解を与えるものだという経験をしたことがありますのでご披露します。

 1982年の夏、知人を訪ねて戒厳令下のポーランドにへ行ったときのこと、大阪府庁が作成した大阪の地政学、産業、文化等を紹介する英文パンフをポーランド人に見せました。

 しばらくパンフを見ていたそのポーランド人は突然「日本にはとてつもない大金持ちがいるんですね」と驚きとも溜息ともつかない声をあげました。

 パンフレットのどこを見てそんなことを言い出すのかと思ったのですが、謎が解けてみるとまるで笑い話でした。近畿地方の略図に描かれた国鉄(当時)の路線はTokaido Line などと個別路線名を記載して あったのに対し、私鉄はどれも細い字でprivate line としか書かれてなく、このprivate の一言が誤解の元でした。

 private line を民営鉄道ではなく、文字通りプライベートな鉄道と思ったらしいのです。確かに、奈良公園に向かうprivate lineは奈良を統治する大富豪一族専用列車と解釈できなく もない!

 私は「プライベート(民営)と言ってもパブリック(公共)の鉄道ですよ」と説明してポーランド人の誤解を解きました。

 では、パンフレットで私鉄をどのように表現していたらよかったのかというと、具体的にKintetsu Line, Hankyu Line などと路線名を挙げておけば妙な誤解をされずに 済んだのではないかと思った次第です。
 

2008年7月10日木曜日

”モンスーンの庭”


 デパート好きの私が一番苦手なフロアーは1階のブランド品売場。売場に用はなくてもデパートの中を裏口まで突っ切りたいとき、あの気まずい売場を駆け抜けなければなりません。反対側の出口にたどり着いたとき寿命が最低3日は縮んでいるはずです。 

おしゃれに無縁な中年のおっさんとしては、ばっちりメイクを決めた生けるマヌカンの視線が耐えられないのです(だれも貧乏くさいおやじことなど見ていないって?) 

 それなのに先日、岡山駅前のデパートのブランドショップに足を踏み入れました。エルメスが新作のオードトワレ、”モンスーンの庭”を5月に発売したという記事を雑誌で読んでたまらなく買いたくなったのです。

 エルメスの調香師によると、インド南部、アラビア海に面した町ケララで着想した香りであるとか。雨期が終わった直後のひととき、乾き始めた大地が放つ一瞬の香りを閉じこめたという。きっと日本でいう梅雨明けのさわやかな匂いのことだろうかと想像が膨らみました。

 家に帰りさっそくスプレーしてみると抑制のきいたフレッシュなにおいが広がってきました。ジンジャーの香りがただよう南インド、スリランカをゆっくり旅したい、そんな気分にさせてくれます。

 エルメスの”庭シリーズ”には先行の”地中海の庭”と”ナイルの庭”が発売中です。すぐにでもあのブランドショップで全部そろえたい! しかし待てよ、とここでブレーキがかります。やはり貧乏臭いおっさんは歓迎されてなかったんじゃないか、中年のひがみかもしれないけれどどうもそんな気がします。

 というのも、食品売場でしつこく聞かれる「当店のカードお持ちですか?」の一言がなかったから・・・ ブランド品の購入はインターネットの通販に限ります。