2007年12月25日火曜日

惻隠の情

 昔の職場の後輩K君を誘って年末に上海に行ってきました。空前の好景気に活気づく上海はクリスマス商戦で大にぎわい。夕方の混雑した地下鉄は老若男女みんなケータイに夢中で、その喧(かまびす)しいこと中国パワー炸裂です。

 そんな車内で気になる声が聞こえてきました。「ママパパマパマー、ママパパマパマー」と私の耳には聞こえたのですが、意味不明の言葉を繰り返しながら、少女が乗客ひとりひとりに声をかけ小銭を求めて巡回してきます。見ると頭髪の半分がなく両手の指にも重度の障害があり、しかもその手を差し出してきます。

 乗客の反応はというと完全無視。リアリストである中国人の国民性なのか、それともこういう物乞いにはもう慣れっこになっているのか、ともかく彼女がこの車両に入ってきてからの収穫はゼロでした。

 彼女が接近するにつれ私はどぎまぎしたのですが、同行の若者はさっとポケットから10元札を取り出して渡しました。10元といえば1日食いつなげる額です。ところが少女はお礼の言葉ひとつ言わずまた「ママパパ、、、」とつぶやきながら去っていきました。

 あとでK君に「君は小金をケチケチ貯めて今や大富豪なのは知っているけれどなかなかいいところあるじゃない」と言っておちょくってやったら、「いや、彼女はプロですよ。5メートル後ろから母親がちゃんと娘がいくら稼いだかチェックしていたのに気づきませんでした?」と情況を説明してくれました。

 一見哀れな親子にも計算づくのプロ根性があることを見抜いていながら、それでも心を動かしちゃんと10元渡してやるなんて! ”惻隠の情”が日本人から失われてしまったとお嘆きの藤原正彦先生(国家の品格)に教えてあげたい気分でした

2007年12月16日日曜日

還暦

 年が改まり平成の世もはや20年。私にとっては還暦の年でもあります。いつまでも若いと自分に言い聞かせてみても、20世紀前半生まれの人間はもう十分骨董品です。

 ふと気がつくと、どんな会合に出てもそこにいる人々の中で自分は高齢者グループに分類されてしまいます。かろうじてまだ若い部類に入れてもらえそうなのはお年寄りに人気がある岡山市立せのお病院の待合い室にいるときぐらい。

 そんな還暦の自分に何ができるのか、何をしたいのか、何をすれば満足感が得られるのか、考えてみれば人助けとか世のためなどと殊勝なことはできそうにもありません。

 では快楽追求は?そう!、これこそ体力に限界があると言いつつもまだまだそこそこできそうな気がします。何といっても人は楽しみなくして生きることはできず、生きていくエネルギーの100パーセントは快楽追求がもたらすものです。90歳を過ぎ腰痛で椅子から立つのもやっとの父でも私がこっそり2階の軒先に吊している干し柿を取るためなら杖の助けも借りずにトントンと階段を登れます。

 息子の私も食欲が老いの坂の希望の灯になってくれることを信じています。中華料理の奥深い世界などほとんど知らないし、フレンチでもしみじみ美味な料理には今まで数えるくらいしか出会ったことがありません。還暦をもって美食元年にしようと思います。

 そしていつの日か訪れる最期の日の楽しみは、昨秋来杳として行方が分からない愛猫ムサシに再会すること。あの世で最初に迎えにきてくれるのはいっしょに暮らしたペットだといいますから。
    

2007年12月5日水曜日

このまま潰れるなJR(未定稿)

 「金刀比羅宮書院の美」という展覧会が開かれています。応挙・若冲の絵を間近に見るチャンスとばかり、詳しい情報を確かめもせず本日、出かけました。

http://www.konpira.or.jp/museum/main/index.html
 残念なことに、今は前期展示が終わり、後期は下旬から。それは自分のミスなので仕方ないのですが、行き帰りともJRを利用してとんだ料金トラブルが発生しました。

 妹尾からJr琴平まで1140円。

 琴平到着後に前期の展示が2日までだったことを知りがっかり。とりあえずうどんを食べたものの、高松へでも行ってみようと思い、自動券売機に1万円札を入れ「高松」というボタンを押したら「高松」と印刷された切符と特急券、お釣りが出てきました。

 「あれっ、何か変」高松までは次に来る各駅停車の方が早いし、特急に乗るつもりもなかったのに、、、と改めてその自動券売機を見たら、特急切符専用の券売機だったのです。そこで窓口のお姉さんに普通で行くので特急券を返します、と言ったら特急券分の510円を全額返金してくれました。

 そして駅の売店で文庫本を見ていたら渡辺淳一の「幻覚」(中公文庫)がおもしろそうだったので購入。高松行き鈍行で読み始めたらおもしろくてもう高松へ行くのは中止し、坂出で岡山行きマリンライナーに乗り換えて帰宅することにしました。そして妹尾駅に着いたところで不条理なやりとりがおきました。

 琴平ー高松は830円だったので、精算額は1140-830=310 円と思っていたのにJR西日本の駅員のお嬢さんは、行き先変更料金として950円いただきます、というのでびっくり。彼女の説明では琴平-高松の切符のうち有効だったのは琴平-多度津までであとはあなたが前途を放棄。多度津-妹尾間の950円を払えということでした。そこで行きと帰りとまったく同じ距離しか乗っていないし途中下車してないのにそれはおかしいと抗議。(細かい話ですが、坂出経由は多度津直行と同額とみなすというルールあり)

 すると、お嬢さんは「ではこの琴平-高松の切符はいったん払い戻して改めて琴平-妹尾間の切符を買ったということにする。払い戻し手数料315円とあわせ625円いただきます。という。そこで、しつこく、琴平駅で特急券を払い戻したときは手数料なんか取らなかった、おかしい、と食い下がり。

 すると、お嬢さんの言葉がふるっていました。「それはJR四国が勝手にしたことで西日本はルール通り払っていただきます!」私がますます全然納得できません(怒)というと、上司と相談したのかどうか知りませんが、今度出てきたときはあっさり、「差額の310円いただくことで納得でしょうか?」となりました。

 「はい、はい十分納得ですよ」と駅を後にしました。話がこうもややこしくなった原因は特急券専用券売機で買った切符の券面に金額ではなく、行き先の「高松」が明記してあったことのようです。だから行き先変更、払い戻し、、、と彼女が主張したのです。

 もうひとつ彼女が言っていたのは100km以上の切符は行き先変更できるけれど、100km未満の距離の切符は払い戻しでなく前途放棄しかない、、、

不条理です。でもきょうは粘り勝ちでよかったです。

(私の願い)郵政は国営に戻し、JRは体裁だけの株式会社から本当の民間企業になってもらいたいと思います。このまま潰れるなJR!

干し柿づくり

 実家の門先に大きな渋柿の木があり毎年たくさんの実をつけます。今年も晩秋の晴天に渋柿を干しました。

 でも今時干し柿を喜んで食べる人もなく、2階の空き部屋には去年の干し柿がミイラとなってぶらさがっています。

 腎臓が悪い父にはカリウムが多い柿は毒ですし、種が多い我が家の干し柿は正月前スーパーに出回るような立派なものでもありません。つくるだけ手間・・・

 ある年、通りすがりの老夫婦が「渋柿を取らないのならもらってもいいですか?」と声をかけてきました。老夫婦は木を丸裸にして立ち去り翌年もまた実をとりにきました。

 このあたりが自分でもかなりせこいなと思うところですが、我が家では不要なものとはいえ、あれだけ大量の渋柿をタダでもっていって菓子折のひとつも持ってこないとは、という気持ちになり、よし、来年は意地悪して断ってやろう!と待ちかまえていました。

 するとこういう気持ちは伝わるのか老夫婦は2度と来ませんでした。ひょっとして、あの夫婦は神様が人の気持ちを確かめるために老人に化身して現れていたのではないか?などとしばらくは柿が実るたびに思い起こされたものです。

 以来、樹上の渋柿は1月ごろ霜に当たって熟したところを野鳥の大群が襲って食べ尽くすにまかせてきました。柿の木の下にとめてある父の車の屋根には大量の糞と食べ散らかした柿の残骸がこびりついて塗装が痛み車の掃除も大変です。

 結局は食べるあてもない干し柿づくりを再開しました。気がかりな老夫婦のことに心を痛めつつ、また鳥たちにも申し訳ないので「木守り」の実をたくさん残して。

2007年11月29日木曜日

ブサメン

 ブサメンとは若者言葉でブサイクな面構えの人の意味。イケメンの対として4-5年前に誕生した俗語らしいのですが、私がこの言葉を最初に目にしたのは守屋前防衛省事務次官のスキャンダルが話題になりだした初秋のころのことでした。

 ゴルフ接待、料亭接待、「防衛省の天皇」と呼ばれ権力と利権をほしいままにして私腹を肥やしていたなどと、彼の疑惑や行状を見てみるといまどきそんな古典的な汚職に没頭する人間がいるのだろうか?にわかには信じがたい気がします。ブサメン・コンプレックスが守屋氏をここまで増長させたのでしょうか?

 守屋夫妻が逮捕された同じ日、もうひとつ大きなニュースが流れました。お隣香川県坂出市で起きたミステリアスな殺人事件の犯人が逮捕され、供述にしたがって遺体が出てきました。

 逮捕された犯人の顔写真を見るとずいぶん若いときの写真みたいで風間杜夫ばりのイケメン。これに対し被害者である幼子たちの父親ははっきり言ってかなりのブサメンで饒舌なのに滑舌が悪いのです。

 「ばあちゃん」が1日13時間もきつい立ち仕事をして孫たちの面倒を見ていたというのに、仕事もせず車を乗り回して、、、と評判は悪く、そこのところをマスコミによって色眼鏡で見られ、かなりの偏見と先入観をともなった報道がなされてきました。

 もし被害者の父親が色白でシューッとした風間杜夫風の男だったらマスコミの姿勢もずいぶん違っていたはず。 「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」とはエイブラハム・リンカーンの言葉だそうですが、年とともにブサメン街道一直線の私にとってリンカーンの言葉が痛いです。

2007年11月23日金曜日

スローライフ=午後4時の窓辺から(2004年1.1号)

 午後4時。昼と言うには遅すぎるし、夕方というには早すぎる時間。私は中島みゆきの名曲「時代」を初めて聞いたとき、メロディーの美しさに酔うとともに歌詞のマジックに驚かされました。「回る、回るよ、時代は回る」これが私の耳には、「回る、回る、4時台は回る」と聞こえたのです。

 子供のころ両親とも教師で鍵っ子のハシリでした。5時を回らないと帰ってこない母を待って不安な4時台を一人寂しく過ごしていました。中島みゆきはそんな4時台の不安、やるせなさを詩にしたのだと勝手に思っていました。

 しかしながら、この真昼でもないし夕方でもない時間帯は本を読んだり、だれにもじゃまされないで音楽に聞き入ったりすることができる時間でもありました。その後の私の情操や価値観の中枢を形作った大切な時間だったように思えます。

 今私は55歳。年老いた両親の介護のために長年務めた大学を辞めふる里の岡山に帰ってきました。人生の真昼は過ぎてしまったけれど、夕闇が訪れるにはまだ多少時間があります。まさに人生の4時台です。介護にも自分自身の生き方も「肩肘はらず、もっとスローに」をモットーに生きていこうと思います。やがて実り豊かな夕べが訪れることを信じて。

ダ・ヴィンチ・コード(2006年5.29号)

 話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見ました。イエス・キリストがマグダラのマリアとのあいだに子供をもうけ、その血脈が今もヨーロッパに続いているというのが主たるストーリー。

 観客は主人公たちとともに謎解きに誘われ、観光旅行で見慣れたルーブル美術館やパリの街角が深夜には昼間とまったく別の様相を見せることに引き込まれます。

 たしかに石畳のパリの街には”秘密、悪意、陰謀、暗殺”などが渦巻いている気がします。イギリスのダイアナ妃がリッツホテルで夕食を食べたあと、セーヌ河畔の橋脚に激突して謎の死をとげたのはついこのあいだのことだし、事件の真相はいまだ闇の中です。

 でも王族でもなければ、キリスト教徒でもない我々日本人観光客がパリで気をつけなければならないのは、子供たちによる集団スリ。

 自分は大丈夫と思っていた私ですが、数年前ルーブル駅から乗車した地下鉄車内で子供たちが妙に体を寄せて来るな、と思ったら財布を抜き取られていました

 すぐ「おかしい!」と気付き子供たちをにらみつけたら、スリ集団の中にも気の弱いやつがいたとみえて、「あんたの財布、そこに落ちてるよ」と座席の下を指さすのです。

 日本円を含めお札は抜き取られていましたがカード類が無事だったので被害も限定的だったものの、外務省の海外安全情報でいつも警告が出ているルーブルでスリ被害に遭ってしまったのは腹立たしい限りです。

 ダ・ヴィンチ・コードを見てパリに行かれるかた、くれぐれもご用心!
 

武力衝突(2007年2.19号)

 1月末、上海から列車で1時間ほど内陸に入ったところにある世界遺産の町、蘇州を訪ねました。

 駅前から市バスに乗って、中国版ピサの斜塔ともいうべき雲岩寺塔がある虎丘(こきゅう)に向かいましたが、しっとりとした古都にあってバスの運転の荒っぽいこと上海以上です。

 車道を走る自転車やバイクには絶え間なくクラクションをお見舞い、しかし警笛ごときではびくともしない自転車軍団に業を煮やしたバスは対向路線にまではみ出して走ります。

 対向路線も同じ状況なのであわやと思われることもしょっちゅう。しかし中国流ではブレーキを踏んだ方が負けです。もしどちらも譲らなかったどうなるか?武力衝突です。

 狭い道が渋滞しているので何事かと思って窓の外を見ると、観光三輪車が横転し、バイクも転倒していました。

 激しく罵りあう運転手たちの横には日本人らしき観光客が呆然と立ちつくしています。見ていると、運転手たちは怒鳴りあいながらもいっしょに三輪車を起こしたので、コトは収まるのかと思ったけれどさにあらず。怒りが再燃した三輪車の運転手は外れたチェーンを振り上げてバイクの持ち主に殴りかかっていきました。

 どうも紛争が起きたときすぐに警察にお願いするようなまどろっこしいやり方は中国人の好みには合わないようです。粗野と言えば粗野、しかし生きること、自分を守ることになりふりかまわずエネルギーをそそぎ込む彼らの情熱は感激ものでした。

 現在、東シナ海では尖閣諸島をめぐって日中の”攻防戦”が続いています。海上保安庁の警笛などなんのその、「先にブレーキを踏んだら負け」中国当局はそう思っているに違いありません。  

困りもの気象庁 (2007年4.2号)

 ひと昔まえの人は古くなった食べ物を食べるとき「測候所、測候所」と呪文を唱えて食べたそうです。そのココロは「当たらない」。

 これは今でも十分通用することだと最近、気象庁が発表する各種予報や予想を見て実感するところです。

 その1は桜の開花予想。暖冬異変で桜が咲くのが例年になく早まりそうなのはシロウトでも想像がつくこと。それを気象庁が3度に渡っておごそかに予想した結果はどうでしょう。3月7日に発表した第1回目の予想では高松で3月17日だったのがその後プログラムミスが発覚して26日と訂正。

 気象庁は記者会見まで開いてお詫びしていましたが、そもそも桜の開花予想など国費を使って気象庁が発表しなければならない種類の仕事でしょうか。

 春の訪れは神のみぞ知る。ボッチチェリの名画”春”にも描かれているプリマヴェーラ(春の女神)の機嫌など分かるはずがありません。

 その2は昨年北海道で起きた竜巻。家や車が吹き飛ばれ死者も出た記憶がありますが、当初マスコミは”竜巻”とカッコ付きで報道。翌日気象庁が「昨日の突風は竜巻であった」と認定してやっとカッコがとれました。

 おかしなことです。気象庁の権威主義とそれに盲従するマスコミ。記者の常識と感性で最初から竜巻と報道して何が悪いのかと思います。

 その3は津波警報。これは実態とかけ離れた大げさな警報に沿岸住民も慣れっこになって避難する人は2割にも満たないとか。気象庁もさすがにこれはまずいと気が付いたらしく改良するようです。

はたきがけ(2007年1.29号)

 ”はたき”と聞いて何のこと?とお思いの方も多いと思います。昔の掃除道具の定番アイテム。今では古本屋のオヤジが立ち読み客を追い払うときぐらいしか出番がありません。

 母が退院し半年ぶりの自宅での療養生活が始まりました。病院ではもうろうとしていたのに60年間見つめてきた6畳間の天井をながめて母はかすかに微笑んだような気がしました。

 私がまだ幼児だったころ、風呂上がりの私をひざの上に乗せて寝間着を着せてくれた母の記憶が鮮明に残っている部屋。母は教師だったので朝はとても忙しかったはずなのに、真冬でも部屋を開け放しガラス障子の桟をはたきではたいていました。

 寝坊の私はせっかくの部屋の温もりをいっぺんに追い出してまでなぜ毎日パタパタ無駄なことをするのか、いつも母に抗議。でも決して聞き入れてはもらえませんでした。 50年が過ぎた今また母とこの部屋で過ごすことになり、気管切開している母の健康のためにも掃除には気合いが入ります。ただし閉め切った部屋ではたきを使うとホコリを舞いたたせるだけなので、障子の桟はちまちまと雑巾で拭っていきます。

 胃瘻を介して”朝食”を食べてもらい、痰を取ったり、おしめを交換、部屋の掃除が終わるころにはまた昼食の用意と、あっという間に時間が過ぎていきます。

 でもそんな作業が大変かというとそうでもありません。主客は逆転したものの何だか子供のころに帰ったような”あまーい”懐かしさでいっぱい。

 母はなぜ毎朝パタパタやっていたのか?愛されていたからです。 

イカナゴのクギ煮(2006年3.20号)

 毎年3月の声をきくと関西ローカルではイカナゴのクギ煮がきまって新聞やテレビで取り上げられます。 私のところにも加古川の友人の奥さん手作りのクギ煮が2パック届きます。ひとつは私に、もうひとつは私の両親にという心遣いです。

 しかしそもそもイカナゴとはいったい何という魚なのか?いやいや”イカナゴ”という名前そのものが「いかなる魚の子なりや」という由来をもつらしい。

 ちょっと調べてみると何かほかの大きな魚の子ではなくれっきとしたスズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科の魚で成魚になっても20センチぐらい、名前はカマスゴとかカナギに変わります。

 もともと兵庫県播磨地方特産のクギ煮ですが年々全国区化が進み今では大阪でも岡山でもスーパーに「クギ煮コーナー」が出現し、生のイカナゴと専用の煮汁、ショウガがセットで販売されています。

 こうして瀬戸内海沿岸の諸都市にクギ煮ブームが拡大してくるにつれ、資源が枯渇しやしないかという心配も出てきました。 クギ煮はたしかにおいしい。ご飯との相性が抜群によく食がすすみます。でもイカナゴを人間が一網打尽に取り尽くすとイカナゴを餌にしているほかの魚もとれなくなってしまいます。

 播磨名物はあくまで播磨名物ととしてそっとしておきたい、そんな気がします。     

「雪舟への旅」(2006年11.20号)

 今年は雪舟没後500年にあたり11月末日まで山口県立美術館において国宝6点を含む61作品が一挙に公開されています。

 岡山生まれの雪舟が大内氏の庇護のもと山口でその才能を思う存分開花させたのは岡山県人として少し悔しい気もしますが、洋の東西を問わず才能はよりよいパトロンを求めて移動していくものですね。

 さて、雪舟の全作品の中で最高峰のものが有名な「四季山水図巻」いわゆる「山水長巻」です。長さ16メートルの巻物に季節ごとのシーンが連続して描かれています。 垂直にそそり立つ山のあいだを隠者が道を求めてどこまでも孤独に歩いていく。行き着くところにはいったい何があるのだろう?と思って続きを見ると、意外にも広々とした湖のほとりにでます。

 湖には船が浮かび、水上生活者らしき人たちの楽しい日常。船には巨大な洗濯物が干してあったり、鉢植えの観葉植物が置かれていたり。

 さらに進むと秋の収穫を喜ぶ農民の祭りに遭遇し、家の中でくつろぐ家人の姿が窓越しに見えます。このあたりの描写になると筆のタッチががらりと変わり定規で平行線が何本も描かれていたりします。何やらデジタルな風景なのです。

 山水画というと古めかしく古代の老荘の世界を想像してしまいますが、時はすでに15世紀。雪舟の絵にはダ・ヴィンチやラファエロなどルネッサンスの天才たちに共通する近世の明晰さが感じられました。特別企画展「雪舟への旅」は30日までです。ぜひ。 

勝ち組み親子(2006年10.16号)

 10月初旬、沖縄県、西表島に行ってきました。連休前の平日というのに小学生連れがけっこう多い。いまどき、子どもの”皆勤賞”にこだわる親は少数派なのかもしれません。

 野生生物保護センターでイリオモテヤマネコを見たあと、島随一の高級ホテルのレストランに立ち寄ってみました。 私の背後には40代ぐらいの夫婦と、小学生の姉弟の一家4人が座っていて、メニューを見ながら品定め。微笑ましい家族の団らんです。 突然、男の子が小さな叫び声をあげました。「ランチ、2200円、安ッ!」「ウーム、これは小学校低学年のセリフじゃないよなあ。こいつはふだん何を食ってるんだろう?」思わず振り返ってその子を見ました。

 小太りの男の子はいかにも学校でイジメにあうタイプ。IT長者風のお父さんは娘と息子に「人生ここ一番という時は競争に競り勝たなければならないよ」などと人生訓を垂れているのが聞こえてきます。

 男の子は悪びれる様子もなく「パパ、会社設立一周年記念おめでとう、ママ、お誕生日おめでとう」と乾杯の音頭をとって食事が始まりました。 我々団塊の世代くらいまでは、本音は疑わしいけれど、「いつかは世の中の傘になれよ(おふくろさん、森進一)」と教えられて育ったものですが、ホリエモン世代はストレートに「競争に競り勝て!」と子どもの尻をたたいているんですね。

 日本が将来、安倍首相が望むような「美しい国」になることは期待薄です。

2007年11月21日水曜日

「カンテサンス」

 グルメ界でもっとも権威のあるミシュランガイドが初めて日本版を出すことになりこのたび全容が公開されました。

 本場パリでも三ツ星は10軒しかないのに和洋食合わせ8軒が認定された東京は世界でも最高のグルメ都市であることが証明されたことになり、マスコミもおおはしゃぎで報道していました。

 さてその中の1軒、白金台のフレンチ、「カンテサンス」は10月に上京したおりにランチを食べに寄った店で相当なインパクトがありました。若いシェフ、岸田さんが創り出す料理はどれもこれも手品みたいで繊細優美にしてなおかつ力があるのです。

 カンテサンスが店を出したのは昨年の3月のこと、オープン以来ずいぶん話題になったのでいきなりの三ツ星も東京のグルメたちには当然と思われていたようです。 田舎者の私としてはシロガネーゼらしきヤングセレブマダムたちに夾まれてまるで料理と雰囲気に対決しているような気分でした。

 カンテサンスのいったい何がこんなに力強く迫ってくるのか冷静に考えてみたところ、岸田さんの料理は知性によって創られているからに他ならないという気がしました。

 伝統、格式、こだわり・・・などと形容される料理とはいっさい無縁。若いシェフが織りなす料理は舌だけでなく大脳にも直接訴えかけてくる最高のパズルで3時間は十分遊べます。

 席に着いたときは緊張したものの600種あるというワインをお任せで注いでもらっているうちにすっかりうちとけてきました。たまにはこんな昼食もいいものです。

  最後にシェフ自ら私が街角に消えるまで見送ってくれました。好感度は↑↑↑ 、三ツ星ならぬ三矢でした。

2007年11月13日火曜日

御侍史

 「御侍史(おんじし)」という古めかしい敬称をこのごろよく見かけます。高齢の両親をあちこちの病院に連れていくとき、かかりつけの先生が紹介状を書いてくれるのですが、その表書きに添えられているのがこの「・・先生御侍史」です。

 「御侍史」、耳慣れないこの言葉の意味をさぐってみると、どうやら「直接あなたに手紙をお渡しするのはぶしつけなのでお側仕えの人を通して便りを差し上げます」と意味らしい。 「お側仕えの人」が大先生の秘書のことを意味している限りは、古い慣習が残っている医者の世界のこと、門外漢が文句をつける筋合いのことではないのかもしれません。

 しかし現実には、紹介状は患者あるいは患者の家族が紹介先に持参し、診察が終わると今度は紹介元の先生あてに所見などが書き込まれた手紙が託されます。表書きはやはり「・・先生御侍史」。

 よく考えてみると、紹介状を先生に渡すのは患者自身、ということは何のことはない、「侍史」あるいは「お側仕えの人」とは「患者様」であるはずの自分のことだったのか!とムカつきます。

 つい先日も父の目薬のことでA病院とB眼科クリニックのあいだを何度も紹介状をもって往復させられたことがあります。お側仕えどころか私は郵便配達夫か、と腹がたち、2往復目のとき看護師に「私も忙しいのに手紙を届けに何度もいったりきたりできません、なぜメールかファックスでやりとりしていただけないのですか?」と抗議したら即座に「プライバシーの問題がありますから」と言ってよこしました。

 「口は方便」とはよく言ったものです。

2007年11月10日土曜日

廃車/廃鶏/廃兵(未定稿)

関東は雨模様のようですが、岡山は快晴です。

 長年乗り続けている日産パルサー、23万キロ走ってなお酷使していたらついにエンジンルームから煙りが出てきて動かなくなりました。ラジェータに水を送るポンプが壊れたらしくもう廃車にしようと思いましたがポンプの交換を含め車検に出し、さきほど帰ってきました。「この車では遠出しないように」と車屋さんから言われました。ポンプやバッテリー交換も含めいっさいがっさいで135000円。良心的な修理屋さんです。

 修理屋さんの話では排ガスによる環境汚染に関して、私の車も新車もたいして変わらないそうです。でも自動車税は古い車には割り増し税をかけてきて納得がいきません。廃車にして新車を買うほうがよほど環境負荷が高いのに。

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 地鶏偽装問題で「廃鶏」という言葉が使われています。廃鶏といっても死んだ鳥ではなく、卵を毎日は産まなくなった鶏のことです。産卵率が悪くなると即食肉かペットフードにされてしまうのが鶏の運命。うちのニワトリたちは一番多いときで7羽いたのですが、今やたった一羽残るのみとなりました。もう卵も産まず庭で余生を猫相手に過ごしています。

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パリの観光名所にアンバリッドがあります。日本語で「廃兵院」という巨大ドーム型の建物で、ドームの真ん中にナポレオンの棺が鎮座しています。廃兵院!人権にうるさいはずのフランス人がすごい名前をつけるものだと20代のころ初めて廃兵院を訪れたとき感じました。廃兵とは戦場で傷ついた兵士のことで、廃人になってしまった兵が余生を過ごす場所が廃兵院。ただしあの壮麗にして豪華絢爛な建物に実際に廃兵が収容されたかどうか怪しい。高級将校クラスなら入れたかもしれません。

 前置きはともかく、廃兵(invalide) ということばは残酷。文字通り”価値のない人”という意味です。日本ならさしずめマスコミ禁止用語の筆頭になりそうな言葉ですが、この言葉はナポレオンの時代から200年も過ぎた今でも現役。パリの地下鉄の優先席の案内に使われています。曰く、この席は以下の順序で優先的に使用しなければならない。1位:廃兵 2位:妊婦 3位:赤ちゃんを連れたお母さん4位:年寄りみたいなことが明記されています。日本の「善意の席」だの「ゆずりあいの席」だのといった情緒的、なまぬるい表現とはまるで別世界の言葉です。

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 高い生産性や効率性を発揮する時期をすぎてしまったら、ニワトリでも車でも人間でもすべてはアンバリッド(英語:invalid)として扱われます。母の介護にかなりの犠牲を払ってがんばっていますが、肝心の医者が本質的には母を廃人としか見ていないのがつらいです。年寄りばかり診ている医師は生命を霊的な存在として認めることができなくなるのでしょうか。

2007年11月7日水曜日

連帯保証人

 大学生になって親元を離れる日、母から一言だけ注意をうながされました。「いかなる事情があっても連帯保証人になってはいけない」と。それは母自身、母の父親が寺の和尚にだまされて連帯保証人になったばかりに身代をつぶしてしまった苦い体験があったからです。

 さいわい人望のない私に連帯保証人になってくれというような話はこれまでの長い人生で皆無でした。ところが最近、若い人からマンションを借りるのに連帯保証人になって欲しいと言われおおいに当惑しているところです。

 そもそも公務員を辞めて無収入の人間が連帯保証人になどなれるわけもないのですが、それでも早くに両親を亡くした若い知人にとって保証人探しは大変だろうと同情します。

 ふりかえってこの連帯保証人の制度を調べてみるときわめて日本的な制度らしいことが分かりました。とりわけ不可解なのは保証人の責任が無限に大きい割には報酬が支払われることがまれなこと。

 頼む方は友人や親戚に泣きつかんばかりに哀願して保証人になってもらうくせに後は知らん顔。

 一方連帯保証人にされた人はいつも「甥っ子のヤツ、公金に手を出さないだろうな」とか「セクハラ事件なんか起こさなないだろうな」とときおりうずく虫歯のような不安をかかえて何十年も過ごさないといけません。

 まして金がからむとたちまち青木雄二の漫画「ナニワ金融道」の地獄に直行です。意味のない連帯保証人の制度は公序良俗に反する行為として民法から追放することはできないものでしょうか?

2007年10月31日水曜日

こーやん

 昭和30年代、小学校低学年のころ魚の行商のおじさんが毎日村の家々を巡ってきました。おじさんの名は「こーやん」。

 こーやんは魚が詰まった木箱を自転車に載せ、鐘をちりんちりん鳴らしながらやってきます。その箱には下津井ものの魚が氷詰めされていて、冷蔵庫がまだ無かった時代のこと、私は氷をもらっては口に入れるのが楽しみでした。

 こーやんが魚の頭を切り落として空めがけて投げると先ほどから上空を旋回しながらその瞬間を待っていたとんびが鮮やかにキャッチ。

 母は安月給の教師でいつも忙しく、町まで買い物に行くひまもお金もなかったのでしょう、鯖と鯨が日曜日ごと食卓にのぼっていました。癖のある鯨肉を母は上手に料理していました。「マリアナソース煮」という名前の一品でした。

 マリアナソースとはトマトケチャップとウスターソース、砂糖を混ぜて作るソースのことですが母がどこからそんなハイカラなレシピを仕入れてきたのか元気なうちに聞いておけばよかったと悔やまれます。

 昭和30年代の私の楽しい日々ははるかかなたに過ぎ去り、こーやんのことも夢のまた夢・・・。ところがです。40年ぶりに古里に帰ってみたらこーやんは相変わらず毎日村々を行商しているではありませんか。親とそっくり、背が低く、丸い小さな顔をしたジュニア・こーやんが行商を引き継いだのでしょう!

 自転車を軽トラックに変えているだけで何もかも昔のまま。新鮮な魚と家庭菜園でとれる野菜を使った料理はメタボの時代にあってはかなりのぜいたく。私も50年ぶりにこーやんに声をかけてみようと思います。

2007年10月24日水曜日

ラジオ中国語講座

 今年の4月からNHKのラジオ中国語講座を割合熱心に聞いています。ところが中国語はご存じのように子音がどれもこれもよく似ていて、例えばzi, ci とまったく別の発音記号(ピンイン)が ふられている音も私にはどらも「ツー」としか聞こえません。

 ふつうは「耳が悪いせい」にしてあきらめるところですが、「ちょっと待てよ、ラジオが悪いんじゃないか?」と思い、ついにMP3レコーダーを購入しました(商品名はTalkMasterⅡ)。

 iPod風の胸ポケットにすっぽり収まるトークマスターⅡはラジオ講座の放送スケジュールにあわせ、多彩な曜日パターンで録音設定できるようになっていて一週間分の講座が知らないうちにちゃんと記録されます。

 10月はラジオ講座の新学期、今度こそ無気音(zi)と有気音(ci)の違いを聞き分けるぞ、という意気込みも手伝ってか、録音済みの中国語講座をイヤホンで聞いてみたら、いままでスピーカーで聞いていたときには区別できなかった発音が何となく違う音に聞こえるようになりました。

 今年も昨年同様12月に上海に行く予定ですが少しは通じるようになっているんじゃないかと期待しているところです。

 ちなみにNHKの外国語講座はいつごろ始まったのかよく知りませんが、1960年代私が大学生だったころにはすでにありました。学生時代、下宿でNHKのフランス語講座を熱心に聞いていたものです。

 本当に外国語をマスターしようと思えば”駅前留学”などよりNHKのラジオ講座の方がよほど近道であろうと思うのは今も昔も変わりありません。

2007年10月13日土曜日

デスクランプ

 神戸の大地震を経験した知り合いは震災から、すべて形のあるものは壊れることが身にしみて分かった、としみじみ言っていました。だからモノが壊れることに執着しなくなったという意味のようです。 しかし私はモノは最初の姿のままいつまでもそこにあってほしいという願望が強く、ささいなことでも原形が損なわれるとしばらくの間落ち込みます。

 先日、岡山市湊にデザイン事務所を構える友人を訪ねたとき、友人が昔アメリカで購入したというデスクスタンドが目に入りました。子どものように「それが欲しい、ちょうだい!」と言うと、これはダメと言いつつも、倉庫から自在アームの先端に20ワットのほのかなランプが灯る素敵なスタンドを出してきてくれました。かなりの年代物のようです。

 ところがアルミ製のシェードが少し動くのでネジをしっかり締めようとしたら「パキン」という音がして碍子でできた小さなソケットが割れてしまいました。 「今まで完璧な状態で倉庫に何十年も眠っていたスタンドなのに久しぶりに日の目を見たとたん壊れてしまった」と嘆く私に友人は「灯は点くので問題なし」と気にもとめていない様子。

 最近、オルセー美術館に侵入した少年がモネの名画「アルジャントゥイユの橋」を10cmほど切り裂いた事件についても友人は「人類の歴史7千年から見れば大したことはない、修復技術の向上にはいいチャンス」と涼しい顔をしていました。

 「完璧なものは全然魅力がない」とはさすがモノをつくっては壊すデザイナーらしい卓見です。またひとつ歴史を刻んだくだんのランプは母の枕元に置きました。明るい天井灯に代わって深夜、母の痰を取ってあげるときそっと母の喉元を照らしています。
 

2007年10月7日日曜日

ムサシの家出

雄猫ムサシが我が家にやってきたのは昨年の正月、松の内があけたころでした。庭でニャーと鳴いてすり寄ってきては家に入れてくれとせがむのです。

 何だかなれなれしいし、ちょうどそのときは捨て猫のミーシャを飼い始めたばかりだったので一応追い払ったのですが、夜になっても翌日になってもテコでも動きません。背中には大きな生傷がありました。

 よく見るとなかなかハンサムな猫。さぞ飼い主は心配していることだろうと思い村中のゴミステーションに写真付きポスターを貼っってみたのですが、なしのつぶてでした。 

以来、ミーシャとともに私にとって2匹の猫は、楽しいときも悲しいときもいつもそばにいてくれるいわば人生のパートナー、永遠に家にいてくれるものとばかり信じていました。

 ところが安倍首相が政権を投げ出した日、いつものように「ムサシ、ドライブに行こう!」と闇夜に向かって呼びかけても出てきません。最初は明日朝にはご飯を食べに帰ってくるだろう、と大して気にもとめていませんでしたが、2日、3日、1週間と日が経つにつれムサシの家出は、家に来たときと同様堅い意志のもとでの決行だったとしか考えられないようになってきました。

 あまりにあっけないムサシとの楽しい日々の終焉。私のいつわりのない気持ちは「ムサシに捨てられてしまった、別れの言葉ひとつなく」です。猫を捨てる話はあっても猫に捨てられるなんて情けない。村中朝昼晩「ムサシ、ムサシ」と空しく探すのにも疲れてきました。

 お願いだから帰ってきておくれ、いつものように窓越しの塀の上から「おっちゃん、ドライブに行こう!」と誘っておくれ。

妖婆競演

 どうやら福田さんが首相になりそうな気配です。福田さんと言えば小泉政権時代、「官邸の妖婆」と呼ばれたお方。出典は「文藝春秋」2003年9月号に掲載された山村明義氏の”「官邸の妖婆」福田康夫研究”です。

 岸信介元首相が「昭和の妖怪」と呼ばれたのに対し、なぜ福田さんは「妖婆」なのか、改めて山村論文を確認してみたのですが、「妖婆」と断定した理由はよくわかりません。

 しかしながら、「妖婆」という表現はぴったりなんですよね。福田氏はたしかに頑固ジイサンというより小姑っぽい。でもまあこれは官房長官という役職だったからであり首相になれば男性性を遺憾なく発揮することでしょう。

 さて、今回の自民党総裁選の顛末を見ていると、保身に汲々としている男性陣を尻目に女性の暗躍(?)が目を引きます。

 "I shall return"のお寒い二番煎じ捨てぜりふを残して早々と泥船安倍丸から脱出した小池元防衛相。しばらくは孤閨をかこつのかと思ったら、はやくも渋谷駅前での立会演説会で福田さんに寄り添って愛想をふりまいていました。さすが”権力と添い寝する女”の名に恥じない感度の良さです。

 そしてもう一人は”チルドレン”の片山さつき氏。小泉さんを担ぎだすのが不調とみるや、翌日には立候補を表明した福田さんのそばでバンザイの音頭をとっているではありませんか!

 元祖”官邸の妖婆”福田さんもほんものの妖婆たちに背後霊のように取り憑かれて、そうでなくても長い鼻の下が一段と長くなっていました。

中華航空機炎上

 今回の中華航空機の爆発炎上事故ではあらためて問題のある航空会社の飛行機に乗ることの怖さを見せつけられた思いがしました。

 人的被害がなかったので、ちょっと醒めた気分で各紙の一面に掲載された炎上する中華航空機の写真を仔細に見てみました。というのもあのような非常事態に遭遇して乗客は機内持ち込みの手荷物をどうしたのか疑問が沸いたからです。

 おそらく航空会社の避難マニュアルでは脱出の際にはいっさいの手荷物は持たずに逃げるように、ということになっているはず。しかし新聞報道の写真をじっくり見ると、皆さん、炎上する飛行機からシューターで脱出するのに、手荷物はしっかり抱えていました。

 中にはキャリーバッグにショルダーバッグ、おまけに免税品が詰まっているだろう紙袋まで、持ち込んだ手荷物は一つ残らず抱えて逃げているおじさんもいました。こういうところに国民性が出ている、などと発言したら差し障りがあるかもしれませんが、さすがは台湾の皆様!と思いました。

 むかし、パリから大韓航空でソウル経由で帰国したことがあります。金浦空港着陸の最終アナウンスがあって着陸までの緊張の一瞬、大韓航空機内では信じられない光景が展開しました。 みんな我先に頭上の荷物入れから荷物を取り出し、ざわざわと通路に立って着陸の瞬間を待っているのです。客室乗務員も知らん顔。

 どんな状況でもしっかり自分の財産を守り、他人より一歩でも先んじて行動する我がアジアの同胞に乾杯、飛行機の安全マニュアルなどくそ食らえです。 
 

千の風になって

 少し前まで「おさかな天国」の軽快なリズムが流れていた近所のスーパーのBGMに異変が生じました。今や社会現象といってもいい「千の風になって」がついにスーパーにまで進出してきたのです。朗々としたテノールが店内に流れてくると、こころなしかにぎやかな売場におごそかな静寂がひろがってくるような気さえします。

 「千の風になって」は日本中に感動の風を吹き渡らせ、昨年末は紅白歌合戦にも登場。新聞の論評では繰り返し日本人の死生観とからめて論じられ、実際、投書欄にはいかに多くの人がこの歌によって心の平静さを取り戻すことができたか、感動の手記を寄せています。

  しかし、私はこの歌が苦手。「かなわんな!」という気持ちかな。老若男女を問わず人々の心にスッと入り込んでしまうところがまず気にいりません。端正でクラシックな顔立ちの秋川雅史のやや低音に傾くテノールも抵抗しがたいものがあってキライ。(実際の秋川氏は祭りが大好きなラテン気質の若者のようですが)

 二番目の「かなわん」は人間の死という絶対的な喪失を「風になって吹き渡る」などと軽く受け入れやすいイメージでカモフラージュしてしまい、死の意味を深刻に問う機会を奪っていること。早いはなし、自殺願望をもった若者たちに「さあ、風になって野原を自由に吹き渡れ」という誤ったメッセージを送ってはいないかと心配です。

 逆説的な言い方になりますが、「千の風になって」に慰められる人がこんなにも多いということは心安らかに故人を見送ることができなかった人がいかに多いかを示唆しているように感じます。願わくばこのような歌はスーパーの店頭で流したりせず、深夜人知れずそっとヘッドフォンで聞いてもらいたいと思います。

プリンスパークタワー

 昔からホテルのバスルームに対してずっと違和感を持ち続けてきました。なかでもなぜ便器がバスタブのすぐ横にあるのかという謎。おそらく日本人ならだれもが抱く違和感だと思います。

 日本では古来、便所のことを”ご不浄”と称したぐらい不潔なイメージでとらえてきました。それがよりによって”湯浴み”すべき清々しい場所に置かれているとは!

 イメージの問題に加え、風呂とトイレがいっしょでは1人が長風呂しているときに他の人がもよおしてきてもどうしようもありません。 外国のホテルならともかく、日本のホテルはなぜ日本人に使いやすい工夫をしないのかといつも不満に感じていたところ、今年になってやっと理想のホテルに出会いました。

 昨年、東京タワーの横にできたザ・プリンスパークタワー東京。このホテルの水回りはほんとうに快適です。まずトイレが独立しています。そしてバスルームには泡が吹き出す大きなバスタブがあり、独立したシャワーブースからは部屋によっては東京タワーが見えるとか(見られる危険もあり?)。

 余談ながら外国に多いシャワーヘッドが壁に固定してあるお風呂ではいったいどうやってバスタブの掃除をするのでしょう? ツインルームに友人などと泊まる際、垢がバスタブに付着しても洗い流せないので困惑します。しかしこの問題もこのホテルでは簡単に解消。掃除専用のシャワーがバスタブに付いていました。

 昨今のはやり言葉「おもてなしの心」とは精神論ではなく、まず値段に見合った快適な設備を整えることではないか。証券取引法違反で晩節を汚した堤義明氏ですが、理想のホテルをつくろうとした氏の思いは十分伝わってきます。 

「ぶって姫」騒動

 岡山市西部の我が町は今「ぶって姫」こと姫井ゆみ子参議院議員のスキャンダルでにぎわっています。というのも彼女と「愛欲の6年」(それにしても下品な表現!)を過ごした元教師が勤めていた中高一貫校があるからです。

 色白で顔面蒼白、しかも分厚い眼鏡をかけ高校生にしてすでにメタボ症候群を発症しているような体型の生徒たち。地元の中学生がたくましく日焼けしているのと対照的に、力無く自転車をこぐスタイルを見ただけでここの生徒だと分かります。

 そんな勉強一筋、受験のことしか頭にないような学校の生徒にとって、硬派で剣道7段の先生がいきなりテレビであることないこと議員との写真を数百枚を提示しつつ赤裸々に語ったのだから、生徒や保護者、学校当局の驚きと狼狽はいかばかりだったか想像にかたくありません。

 でもこういう教師って卒業して何年も何十年も経つと一番記憶に残っているんですよね。人間とは理性ではなくもっとどろどろしたもので生きていることを身をもって示してくれた先生として。

 何だか岩井志麻子の小説に出てくる男女の愛憎破局物語みたいな今回の騒動。当の「ぶって姫」はスキャンダルをものともせず、「姫は姫でもやんちゃ姫にございます」などと芸者スタイルで即興劇にまで登場していますが、いったい頭の中はどうなっているのか、今はやりの「脳内メーカー」で見てみました。

 脳みその8割は「H」、残り2割は「欲」と「金」で埋め尽くされていました。   

2007年7月26日木曜日

ヒューマン・ナビ

 知り合いの若者が、就職して初めて東京出張することになったが土地勘がなくホテル探しに困っている、というメールをよこしました。

 会合があるという会議場に近く、宿泊費は1万円以内、設備も整い、部屋は広めで清潔、こういう条件のホテルを探し出すのは困難なことながら私はなぜかこの手のリサーチには燃えるのです。

 さっそく西神田に昨年オープンしたばかりのVホテルに若者の名前で予約をとりました。すべての作業はパソコン上で行うので椅子から立ち上がることもありません。そして当日。

 夜遅く東京駅に到着した若者を無事ホテルまで届けなければなりません。ホテルに一番近い駅は地下鉄の神保町ですが、東京駅での地下鉄乗り換えは分かりにくいので”中央線”で水道橋まで行くようにケータイにメールを送りました。

 ところが水道橋駅はたしかに中央線が走っているけれどそこに止まる電車は総武線の電車であることを思い出して、お茶の水での乗り換えを指令。複雑怪奇です!首都圏の鉄道網は。ともかくも無事水道橋に到着。

 私はパソコンの画面に神田の詳細な地図を広げ、今度は電話で誘導。「マクドの角を右にまがって、そうそう、100メートルぐらい先にみずほ銀行の看板が見えてる?」などとあたかもその場にいるような調子でホテルまで道案内しました。

 こんなことをしていると、なんだか私もいっしょに旅しているような不思議な感覚におそわれました。画面には地図だけでなく実写風景も映し出されるのでますますリアリティがあります。

 カーナビの人間版、すなわちヒューマン・ナビ。ただしこのナビは人生の道案内は不得意です。

ピクチャーレール

 美術館で絵画を展示する方法として、額縁を壁面に固定せず、天井付近に設置されたピクチャーレールから垂れたワイヤーに吊すやり方が随所で流行しています。絵を壁に固定しないので展示替えが自由に行えるなどメリットもあるのでしょうが、天井に向かうワイヤーの存在が気になって絵の持つ雰囲気がぶち壊しです。

 高校生のころから好きだった東京のブリヂストン美術館。3年ほど前、上京した折りに寄ってみたら、そこでもピクチャーレールが導入されていました。そこでわざわざ学芸員に面会を求め、元の壁面固定方式に戻してもらえないかリクエストしたことがあります。

 先週、久しぶりに上京したのでブリヂストン美術館に寄ってみたら、なんとレールが撤去されているではありませんか!美術館内部でもあの不細工なワイヤーで吊すことへの反省があったのでしょう。

 若いころは作品そのものに集中できていたのに、年を取ってくると空調から漏れる雑音やまぶしすぎる照明、展示方法など作品とは直接関係ないことが何かと気になるようになりました。

 老化現象かもしれません。しかしながら気になることを率直に美術館スタッフに伝えることはそう恥ずかしいことではなく、むしろ何十年も一つ美術館を愛してきた人間の責務と考えることにしています。

 セザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」が白壁にぽっかり浮かんでいます。しあわせな時間が過ぎていきます。

ガスパン遊び

 仙台の中学生6人がガス爆発で大やけどを負った事件の詳細が分かるにつれ、子供の世界で今何が起きているのか、自分はまったく無知であることを思い知らされました。

 ライターや制汗スプレーのガスを吸引するらしい”ガスパン遊び”。この耳慣れない言葉はすでに平成9年の「警察白書」において少年非行の実例として報告されており、驚くべきことに平成8年だけでも16人の少年が死亡しています。死者まででているのに今回の件のようなハデな事故がおきるまで見逃されてきたことが残念です。

 それにしても、シンナーが規制されて入手しにくくなったので、今度はガスを吸ってみようというのは、いかにもありえる”工夫”です。カナダの奇才クローネンバーグ監督の映画「裸のランチ」にこんなシーンがあります。

 大戦直後のニューヨーク、インテリ作家がゴキブリ駆除のアルバイトをしているのですが、どうも殺虫剤がすぐなくなるので変だと思っていたら奥さんが横取りして自分の腕に注射していたのです。亭主は亭主で南米産の巨大ムカデの干物を乱用して、、、と話は限りなくアブナイ展開をたどります。

 映画は全編極端にグロテスクなイメージに満ち満ちていて、そこがまたこの作品の魅力でもあるわけですが、まさか現代の日本の中学生が「裸のランチ」以上のシュールな世界にはまりこんでいたとは!

 少年たちを現実に引き戻す方法はあるのか?、子供たち一人一人が心と体に負った傷のリアルな痛みに向かいあう以外だれもどうすることもできないのでは、と思います。

中3日の余裕 (2007.7.16)

 大学を出たてのころ、図書館でアルバイトをしたことがあります。利用者からやや込み入った内容の調査依頼を受けた私は、これなら明日中に回答できる、という見通しがあったので、電話で「明日までにお返事します」と答えました。

 すると、そのやりとりを横で聞いていた鬼上司が、「なぜ、明日と明言したのか」と怒りだしました。そしてこんな指導を受けました。明日までに片づくつもりでももしできなかったり、他に緊急の用件が入ったらどうするのか、そういうことも考えて中3日は余裕を持たせろ、と。なるほどこれが公務員の論理かと感心しました。

 月曜日、10年ぶりに旅券の申請をしました。窓口の係員の態度は昔と様変わりして親切この上ありません、しかし交付は来週の月曜日以降と言われたとき、昔の上司の「中3日」を思い出してしまいました。

 パスポートは重要な書類なので審査に慎重を期すのは当然のことですが、これとて戸籍抄本や過去の発給歴と照合する程度のことを機械的にやっているにすぎないでしょうから1日もあれば十分のはず。ではこのIT時代になぜ1週間もかかるのでしょう。

 申請書が市町村から県へ行くのに1日(岡山市以外は2日)、作成するのに1日、検査に1日、できあがったパスポートが県から市町村窓口に到着するのにまた1日(2日)、そして受け取りはその翌日からとひとつひとつの動作が時間単位でなく1日単位でしか進まないことに遅くなる理由があるようです。

 ある意味ではパスポートよりさらに重要な運転免許証ですら即日交付の時代に旅券発給だけ船旅時代のスローペースを守っているのはいかがなものでしょうか。

 せめて中3日で発給してくれたら月曜日の申請で週末の海外旅行に間に合うのですが。 

井戸塀政治家いまいずこ (2007.7.23)

 赤城農林水産大臣の政治団体が実体のない事務所費を計上していたのではないかとされる問題で、テレビに映し出される農相の実家の門構えを見て思わずのけぞりました。いつのまに、政治家を何代か続ければ途方もない資産やお城のような豪邸を残すことができるようになったのでしょうか。

 父がテレビを見ながら「代議士のことを昔は井戸塀(いどべい)と言ったものだが、、、」とつぶやいていました。政治家になると金がかかりすぎてかつて立派だった家屋敷も引退する頃には資産も底をついて井戸と塀を残すのみとなるという意味です。

 私が生まれた家の近所に秋山長造氏の家があります。社会党参議院議員として長年活躍され、最後は副議長職を努めて引退。戦後の日本社会党の盛衰と命運をともにした政治家です。

 秋山氏は父と同じ歳。90の坂を越え、生まれ在所で余生を過ごされていますが、お住まいはことばのあやでいえばまさに井戸塀状態、赤城農相の実家などとは比ぶべくもありません。
 それにしても
赤城農相をかばって「800円のことで首にしろと言うのですか」と景色ばんで見せる安倍首相の滑らかな口吻はかえって空しく、これが一国の首相の言葉かと耳を疑います。赤城農相も異様にゆっくりした口調で言い訳会見をしたあと逃げるようにヨーロッパに出かけました。

 茨城の田舎でひっそり暮らしていたであろう農相の両親が「ここは事務所ではありません」と正直にマスコミにしゃべったばかりに、おそらく息子にこっぴどく叱られたあげく苦しい言い訳をしている様子を見るにつけ、農相はとんでもない親不孝ものという気がします。

2007年7月25日水曜日

猫パニック


 5月にミーシャが産んだ5匹の子猫は順調に育ち、いまが一番かわいい時期です。生まれたときは90グラムほどだった体重もみんな1キロ近くなり餌も大人と同じものを食べています。

 そのくせいまだにお母さんのおっぱいも忘れられないのか大きな子猫5匹がいっせいにやせこけたミーシャのお乳に取り付いている光景はたまらなくビューティフル。

 親子の猫がいる平和な光景を時がたつのを忘れていつまでもうっとりながめていたい。しかし、現実は崖っぷち、目を細めて猫と遊んでいる場合じゃありません。9匹の猫が跋扈する我が家はりっぱな猫屋敷です。

 スーパーで買うキャットフード代はひょっとして人間様の食費を上回っているかもしれず、なるべく安いものでがまんしてもらおうと思うと、今度は獣医さんが、安物はダメ、尿路結石を起こさないようこれを与えなさいと奨めてくれるフランス製のキャットフードはキロ2千円の高級品。

 ああ、もうダメ! 猫のことを考えると思考回路は緊急停止。いったいどうしよう。曰く、せっかく命をつないだミーシャに避妊手術を受けさせるのはかわいそう、また曰く、生まれた子猫を兄弟バラバラに人にあげるのはかわいそう、、、とすべてを優柔不断にしてきた私に猫を飼う資格はないのかもしれません。

 避妊手術などという非人道的(?)な方法ではなく、もっとおだやかな避妊方法はないものかと、まだ年若い友人に相談しました。すると、「猫にパンツをはかせたらどうでしょう?」とまじめに提案してきました。

 けさ父のためにきてくれているヘルパーさんが、「子猫ちゃんたちがお腹が空いたといって私のズボンにさばりついてきて仕事にならないので勝手ながら餌をやりました」というので餌入れを見たら食パンの山が。

 飼い主だけでなく周囲の人も猫のことになると支離滅裂。
    

2007年7月24日火曜日

委任状

委任状
 3月。高齢で外出もままならない父に代わって郵便局までキャッシュカードの再発行の手続きにいきました。案の定、代理人では仕事にならず本人から委任状を取ってくるよう仰せつかりました。

 90になる父にとって委任状ひとつ書くのも大変な作業でなかなか進みません。見ていると住所欄に名前を書き、名前欄に住所を記入していましたが、ともかくそこまで書き終えた時点で「あとはぼくが書くから」と言って用紙を取り上げ、受任者欄に私の住所氏名を記入し父の印鑑を押して郵便局に提出、受理されました。

 4月。めでたくキャッシュカードが再発行され一件落着したかに思われたころ、郵便局から呼び出し状が届きました。委任状の筆跡が委任者と受任者とで違うので再提出してほしいということでした。すべてをやり直したときすでに初夏になっていました。

 7月。父あてに市県民税の督促状がきました。額をみるといままでの4倍に跳ね上がっています。定率減税の廃止、地方への税源移譲に加えて今年は父の確定申告をさぼっていたのが響いたに違いありません。

 遅ればせながら申告することにし、社会保険事務所に出かけ昨年の源泉徴収票の再発行を願い出たところ、やはり委任状が必要といいます。その足で確定申告を済ませたかった私が困惑していると、「筆跡までは・・・」と係員が水を向けてきました。

 郵便局の一件で賢くなった私は少しリグレット(遺憾)を感じつつも車の中で委任状を作り、今度は向かいの年金相談センターに提出しました。同じ事務所に5分後に顔をだすのはためらわれたからです。

 源泉徴収票はその場で再発行されましたが、本人自筆の証明までは要求されない委任状なんて何のためにあるのかという気がします。