2014年11月27日木曜日



中国の野心と衆院選

11月に北京で開かれたAPECでは主催国の習近平国家主席が安倍首相を散々コケにした映像が繰り返しテレビで流されました。客人を待たす、まともに目を合わせない、あいさつを無視、会見場に国旗を置かないなどまさに目に余る無礼なふるまいでした。

露骨な挑発に乗らない安倍さんには「お仕事ながらご苦労さま」とねぎらいの言葉を心の中でつぶやきました。今から思えば首相は衆議院の解散を念頭に淡々と国際会議での役目を果たしていたのでしょうが、中国との溝はいよいよ深まった感じがしました。

そもそも今回のAPECの主題と成果は何だったのか、改めて問われるとよく分かりません。しかしながらひとつだけはっきりしたことがあります。「中国は大国として太平洋の西半分を支配する権利がある」という厚かましい願望を世界に向けて公然と言い放ったことです。

以前から中国は奄美沖縄がある南西諸島を第1列島線と称し、伊豆、小笠原諸島からグアム、サイパンに至る海域を第2列島線と呼んでこの2つの列島線を突破するという野心を温めてきた経緯があります。

第1列島線を突破するためには尖閣諸島が決定的に重要な位置を占めているので中国に尖閣をあきらめさせることは非常に困難です。さらにAPECの最中、これ見よがしに八丈島、小笠原の領海やEEZ(排他的経済水域)で200隻ものサンゴ密漁船が中国国旗をなびかせていました。このおぞましい光景は私には密漁というより、中国による第2列島線の“実効支配”を印象づけるためのデモとしか思えませんでした。

今、年の瀬が迫るなか衆議院選挙戦の真っ最中です。大義なき選挙と言われるだけあって争点のよく分からない選挙戦です。しかし今本当に問われていることは消費税問題や景気問題などいわゆる当面の国民生活をどうするかよりも10年後、50年後、100年後の日本をどうデザインするかではないでしょうか?

ハワイから西の空と海が中国の支配下に陥った世界を想像したら寒気がします。国際問題が選挙イシューにならないのはよく分かりますが、我々が選挙で作る次期内閣が日本の命運を握っています。棄権や白票ではなく、これまでの実績を参考に、賢い選択をしたいと思います。

遺族年金の怪


 今年6月初めに父が96歳の生涯を閉じました。2歳年下の母は94歳にして未亡人になった訳ですが、家で寝たきりながら平穏な生活をしています。数年前からアルツハイマー病が最終ステージまで進行し、夫の死も自分が結婚していたことさえ幸か不幸か理解することなく未亡人(遺族)になりました。

役所の手続きのうち一番摩訶不思議だったのが遺族年金の手続きです。父も母も長年教師をしていたのでどちらも共済年金をもらっていました。年額の比率でいうと5対3ぐらいで父の方が多かったのですが、学校共済組合から送られてきた遺族年金制度の仕組みは複雑すぎて理解できないままギブアップしました。

母は自分の年金をもらい続けるのがいいのか、父の遺族年金をもらう方がいいのかよく分かりません。私は何が何だかよく分からないまま「よきに計らってください」との一文を備考欄に記入して提出。そして3ヶ月近く経過したころ遺族年金裁定書なるものが送られてきました。

そこには今後母が受け取る年金額などが記入してありましたが、いったい母のもともとの年金はどうなったのかなど依然として私には理解不能でした。結局10月の年金が銀行口座に振り込まれて初めて今後母が受け取ることになる年金の全体像が分かってきました。

回りくどく書いていますが、要するに父が生きていたころの父と母の年金の比率(5対3)でいうと母の年金は4になりました。とりあえず増えたのでよかった、よかった! 相変わらず物わかりの悪い私は、母の自分の年金3に遺族年金1が追加されて4になったのかと思ったのですが、実は母の年金は今までの半額1.5になりそこに遺族年金の2.5が足されて4になったようです。

その結果、つまり母本来の年金額が半減した結果、母の所得は半額になり所得税がゼロになりました。現実の所得は増えたのに……です。その訳は遺族年金は非課税の年金であるからということらしいです。

「よきに計らってください」と言ったらその通りになってよかったのですが、敵(政府)もさるもの!すでに法改正して私が考えたような(自分の年金を満額受給し、遺族年金を足す)仕組みになっているそうです。もちろんこの方が同じ受取額であっても所得税が取れるからです。

音楽: 音の楽しみ


 11月初めの日曜日、岡山シンフォニーホールで「華麗なるロシア音楽」キエフ国立交響楽団の演奏会があり、最前列で感動のひとときを過ごしました。さまざまな楽器が音を奏でるようすや演奏者の表情がすぐ近くに見えコンサートの始めからから終わりまで飽きることがありませんでした。

 目の前でスペクタクルが展開するオペラと違って純粋に聴覚に頼るオーケストラ曲はレコードとかCDで聞く方が音楽に集中できるので、私は今まであまりコンサートに出向くことをしてきませんでした。大きな間違いだった、と生演奏のすさまじさにびっくりし、感激し、すっかり興奮してしまいました。

 半世紀前、中学生になったとき数学の最初の授業で謹厳実直な教師が「これから君たちが勉強するのは算数ではありません。“数学”という学問です。他の科目で学問を表す“学(がく)”が付く教科はないでしょう!?」と誇らしく言われました。するといつもみんなを笑わせていたK君が手を挙げて「先生、音楽があります」と答えて謹厳な先生も思わず苦笑いされていました。

 そう、音楽の楽は学問の学ではなく文字通り「音を楽しむ」ものであることを今回のコンサートで改めて実感した次第です。チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番の圧倒的な迫力、力強さは驚異的でした。目の前で聞くとピアノの音が地鳴りか雷鳴のように聞こえます。CDやレコードでは有名な第1楽章が終わると残りの楽章は退屈なのに全然そんなことがなく最後まで楽しめました。

 ただ残念なこともありました。すぐ後ろの席(つまり2列目)の初老カップルが演奏の最中にずっとおしゃべりしているのです。演奏者にも聞こえていたのではないかと思うとたまりませんでした。

 また岡山シンフォニーホールは客席数2千の大ホールですがおよそ半分ぐらいの入りでした。日本人にもなじみの深いボロディンやチャイコフスキーを本場の演奏で聞く機会はめったにないのですが。

宣伝が下手なのか、(根がケチな)岡山という風土のなせるわざなのか? 音楽大学まである岡山県なのにお寒い光景でした。晩秋の日曜日の昼下がり、中高生や大学生の皆さんにも勉強やバイトをちょっと休んで聴きに来て欲しかったなあ。

2014年11月8日土曜日

なにわの霊媒師

 秋には3連休が何度かありますが、こういうときマネーの世界は要注意です。10月31日金曜日、文化の日の3連休を前に日銀の黒田総裁が追加金融緩和を発表しました。同じ日の夕方、独立行政法人のGPIFは年金基金の運用先として国内国外の株への投資を大幅に増やす方針を発表しました。

 黒田総裁の会見はまだ東京株式市場が開いているうちにあったのですぐに株価が大きく上がりました。私は血の気が引くのを感じました。実は10月に株価全体が急落していたとき私としては大胆(無謀)と思える数量の株を信用取引で買い立てていたのですが、思わくどおりには上がらないのにしびれをきらして1株残らず売ってしまっていたのです。黒田バズーカの2日前に。

 年初からチマチマ稼いだ株の収益全体に匹敵する利益を取り逃がしたショックに私の理性は吹っ飛びました。急騰した株は必ず反落するはずなので市場が閉まる前に相当数の株を空売りしました。ところが月曜日(祝日)東京市場が休みのあいだにシカゴ先物市場で日経平均がさらに上昇しています。お先真っ暗。火曜日には大損を抱えること必死です。

 1980年代末期バブル絶頂期のころ、なにわの料亭の女将で“尾上縫”という実業家・霊媒師・詐欺師がいました。彼女のもとへ長期信用銀行の行員が日参して彼女のご託宣を聞いては投資判断するというおよそ現代社会では信じがたい現象が現実にありました。どんな金融理論も占いには勝てないということです。

 尾上縫事件を思い出した私はなにわの友人に電話をかけました。株などに手を出すやつではなく堅実な地方公務員をしている若者ですが霊感があって当面の株価の動きをイメージする特技を持っているのです。しばらく沈黙の時間があったあと次のようなお告げがありました。

 「火曜日は上がります。しかし水曜日、木曜日と下げます」

 私は若き霊媒師の言葉に賭けてみました。爆上げしたまま火曜日をやり過ごし水曜日を待ちました。すると大きな含み損をほぼ解消するだけ株価が落ち、ただちに決済して黒田ショックの難を逃れることができました。なにわの霊媒師GJ。感謝!

 株で得するのはインサイダーだけです。究極のインサイダーとは安倍政権とGPIFではないでしょうか。

三つ子の魂百まで

 穏やかな10月の週末、中学校卒業後50周年のホームカミング・デイの催しがありました。約250名の卒業生のうち30余名が参加しました。50年の歳月を隔てて初めて会う幼なじみもいました。

昼間母校訪問と授業参観があり、夜は当時の恩師や現在の校長、副校長先生の臨席を仰いでパーティ、翌日はかつて臨海学校に行った香川県の豊島(てしま)再訪というなかなか凝ったイベントでした。後輩のために些少ながら寄付金目録を校長先生にお渡しするセレモニーもありましたが、やっと母校に少しは恩返しできたかなという気がしました。

50年の歳月が我々にもたらしたもののうち目につくものは外見のどうしようもない劣化です。では内面は劇的に変化したのかというと?

官僚として頂点を極めた人、大学教授、社長、所長、院長などと“長”がつく人もいっぱいいてそれなりにみんな努力を重ね自己研鑽に励んできた半世紀であったことは確かです。しかし性格とか癖、雰囲気というものは少しも変わらないものですね。どなたも中学生のときのままでした。

よくしゃべる人は今もよくしゃべる。気取ったやつは今もそのまま、気配りできる人は今でも気がききます。根性の悪いやつは今もその片鱗が残っている。数学ができなかった人は今も数字に弱い(私のこと)、音楽や美術が好きだった人は今も。

つまりは50年の歳月をもってしても人間の内面は変えられない、言い換えれば人格を磨くことなんか無理。もし人格や性格、気質が別人のように変わる性質のものならその方が怖い気がします。底意地の悪かったA君が寛容で思いやりのある人格者になっていたらそれはもはやなつかしいA君ではありません。「あいつ、相変わらずだなあ」とみんなに言わしめてこそ幼なじみというものでしょう。

人格の諸要素のうち総じてネガティブなものはいくつになってもそのままのようです。そうであれば家庭や学校で子どもをあれこれ叱ったりけなしたりしてもそれほど意味がありません。どうせ変わらないのならいい点を誉めるに限ります。

嫌いなことを克服するために過度の努力をするよりも好きなことを極める方がよほど理にかなっている……そんな感慨にひたったホームカミング・デイでした。

政治家の品格


 夏から秋へと切れ目なく続いた天変地異がやっと収まったこのごろにわかに政治バトルが活況を呈してきました。中央政界では安倍政権の目玉だった2人の女性閣僚が就任以来わずかな日数で仕事らしい仕事もせずに辞任しました。

きりっとした眼差しの小渕さんの場合は、疑念をもたれていることの重大さは別にして、「彼女は本当に何も知らないお姫様だったのだなあ」という感じですが、法務大臣だった松島みどり氏については安倍さんの女性観を疑います。よりによってどうしてこんな人を大臣に!

あのおばさん、品のかけらもない発言を就任直後から連発していました。とりわけ私が許し難いと思ったのは民主党の蓮舫議員から“うちわ”問題で追求されたことを「雑音」と切り捨てたことです。代議制民主主義のわが国では国会議員は政治を国民から負託されていて、蓮舫議員の国会議場での質問は主権者たる国民からの質問です。それを「雑音」とは国民をなめきっています。

一方、大阪では橋下大阪市長がある団体代表との間で吉本新喜劇顔負けのバトルを繰り広げていました。

代表「あんた」

市長「『あんた』じゃねぇだろ」

代表「『お前』でいいのか?」

市長「お前なぁ」

代表「『お前』って言うなよ」

市長「うるせぇな、お前」

橋下さんは会見の最後まで相手を「お前」で通していました。一度は取っ組み合い寸前までいって警護の警察官や職員が双方を引き離し着席させました。会見というのに2人の距離は数メートル離れて設定。異様な光景です。机の上のものを投げつけられても身を避けるだけの時間をかせぐためでしょうか?

 何か見てはいけないものを見てしまった感じですが、橋下さんをある意味見直しました。悪いものは悪いときちんと相手を諭していました。どなりまくる相手に同じレベルでどなり返すのは修羅場に慣れた人でないとなかなかできないことです。

 橋下さんはおそらく子ども時代からあの調子でたくましく生きてきたのでしょう。高校時代にラグビーで体を鍛えたのも無駄になっていません。威嚇する相手から絶対逃げない姿勢はさすが百戦錬磨の貫禄があり喧嘩上手です。品格には多少欠けていても胆力はすごいですね。