2007年12月25日火曜日

惻隠の情

 昔の職場の後輩K君を誘って年末に上海に行ってきました。空前の好景気に活気づく上海はクリスマス商戦で大にぎわい。夕方の混雑した地下鉄は老若男女みんなケータイに夢中で、その喧(かまびす)しいこと中国パワー炸裂です。

 そんな車内で気になる声が聞こえてきました。「ママパパマパマー、ママパパマパマー」と私の耳には聞こえたのですが、意味不明の言葉を繰り返しながら、少女が乗客ひとりひとりに声をかけ小銭を求めて巡回してきます。見ると頭髪の半分がなく両手の指にも重度の障害があり、しかもその手を差し出してきます。

 乗客の反応はというと完全無視。リアリストである中国人の国民性なのか、それともこういう物乞いにはもう慣れっこになっているのか、ともかく彼女がこの車両に入ってきてからの収穫はゼロでした。

 彼女が接近するにつれ私はどぎまぎしたのですが、同行の若者はさっとポケットから10元札を取り出して渡しました。10元といえば1日食いつなげる額です。ところが少女はお礼の言葉ひとつ言わずまた「ママパパ、、、」とつぶやきながら去っていきました。

 あとでK君に「君は小金をケチケチ貯めて今や大富豪なのは知っているけれどなかなかいいところあるじゃない」と言っておちょくってやったら、「いや、彼女はプロですよ。5メートル後ろから母親がちゃんと娘がいくら稼いだかチェックしていたのに気づきませんでした?」と情況を説明してくれました。

 一見哀れな親子にも計算づくのプロ根性があることを見抜いていながら、それでも心を動かしちゃんと10元渡してやるなんて! ”惻隠の情”が日本人から失われてしまったとお嘆きの藤原正彦先生(国家の品格)に教えてあげたい気分でした

2007年12月16日日曜日

還暦

 年が改まり平成の世もはや20年。私にとっては還暦の年でもあります。いつまでも若いと自分に言い聞かせてみても、20世紀前半生まれの人間はもう十分骨董品です。

 ふと気がつくと、どんな会合に出てもそこにいる人々の中で自分は高齢者グループに分類されてしまいます。かろうじてまだ若い部類に入れてもらえそうなのはお年寄りに人気がある岡山市立せのお病院の待合い室にいるときぐらい。

 そんな還暦の自分に何ができるのか、何をしたいのか、何をすれば満足感が得られるのか、考えてみれば人助けとか世のためなどと殊勝なことはできそうにもありません。

 では快楽追求は?そう!、これこそ体力に限界があると言いつつもまだまだそこそこできそうな気がします。何といっても人は楽しみなくして生きることはできず、生きていくエネルギーの100パーセントは快楽追求がもたらすものです。90歳を過ぎ腰痛で椅子から立つのもやっとの父でも私がこっそり2階の軒先に吊している干し柿を取るためなら杖の助けも借りずにトントンと階段を登れます。

 息子の私も食欲が老いの坂の希望の灯になってくれることを信じています。中華料理の奥深い世界などほとんど知らないし、フレンチでもしみじみ美味な料理には今まで数えるくらいしか出会ったことがありません。還暦をもって美食元年にしようと思います。

 そしていつの日か訪れる最期の日の楽しみは、昨秋来杳として行方が分からない愛猫ムサシに再会すること。あの世で最初に迎えにきてくれるのはいっしょに暮らしたペットだといいますから。
    

2007年12月5日水曜日

このまま潰れるなJR(未定稿)

 「金刀比羅宮書院の美」という展覧会が開かれています。応挙・若冲の絵を間近に見るチャンスとばかり、詳しい情報を確かめもせず本日、出かけました。

http://www.konpira.or.jp/museum/main/index.html
 残念なことに、今は前期展示が終わり、後期は下旬から。それは自分のミスなので仕方ないのですが、行き帰りともJRを利用してとんだ料金トラブルが発生しました。

 妹尾からJr琴平まで1140円。

 琴平到着後に前期の展示が2日までだったことを知りがっかり。とりあえずうどんを食べたものの、高松へでも行ってみようと思い、自動券売機に1万円札を入れ「高松」というボタンを押したら「高松」と印刷された切符と特急券、お釣りが出てきました。

 「あれっ、何か変」高松までは次に来る各駅停車の方が早いし、特急に乗るつもりもなかったのに、、、と改めてその自動券売機を見たら、特急切符専用の券売機だったのです。そこで窓口のお姉さんに普通で行くので特急券を返します、と言ったら特急券分の510円を全額返金してくれました。

 そして駅の売店で文庫本を見ていたら渡辺淳一の「幻覚」(中公文庫)がおもしろそうだったので購入。高松行き鈍行で読み始めたらおもしろくてもう高松へ行くのは中止し、坂出で岡山行きマリンライナーに乗り換えて帰宅することにしました。そして妹尾駅に着いたところで不条理なやりとりがおきました。

 琴平ー高松は830円だったので、精算額は1140-830=310 円と思っていたのにJR西日本の駅員のお嬢さんは、行き先変更料金として950円いただきます、というのでびっくり。彼女の説明では琴平-高松の切符のうち有効だったのは琴平-多度津までであとはあなたが前途を放棄。多度津-妹尾間の950円を払えということでした。そこで行きと帰りとまったく同じ距離しか乗っていないし途中下車してないのにそれはおかしいと抗議。(細かい話ですが、坂出経由は多度津直行と同額とみなすというルールあり)

 すると、お嬢さんは「ではこの琴平-高松の切符はいったん払い戻して改めて琴平-妹尾間の切符を買ったということにする。払い戻し手数料315円とあわせ625円いただきます。という。そこで、しつこく、琴平駅で特急券を払い戻したときは手数料なんか取らなかった、おかしい、と食い下がり。

 すると、お嬢さんの言葉がふるっていました。「それはJR四国が勝手にしたことで西日本はルール通り払っていただきます!」私がますます全然納得できません(怒)というと、上司と相談したのかどうか知りませんが、今度出てきたときはあっさり、「差額の310円いただくことで納得でしょうか?」となりました。

 「はい、はい十分納得ですよ」と駅を後にしました。話がこうもややこしくなった原因は特急券専用券売機で買った切符の券面に金額ではなく、行き先の「高松」が明記してあったことのようです。だから行き先変更、払い戻し、、、と彼女が主張したのです。

 もうひとつ彼女が言っていたのは100km以上の切符は行き先変更できるけれど、100km未満の距離の切符は払い戻しでなく前途放棄しかない、、、

不条理です。でもきょうは粘り勝ちでよかったです。

(私の願い)郵政は国営に戻し、JRは体裁だけの株式会社から本当の民間企業になってもらいたいと思います。このまま潰れるなJR!

干し柿づくり

 実家の門先に大きな渋柿の木があり毎年たくさんの実をつけます。今年も晩秋の晴天に渋柿を干しました。

 でも今時干し柿を喜んで食べる人もなく、2階の空き部屋には去年の干し柿がミイラとなってぶらさがっています。

 腎臓が悪い父にはカリウムが多い柿は毒ですし、種が多い我が家の干し柿は正月前スーパーに出回るような立派なものでもありません。つくるだけ手間・・・

 ある年、通りすがりの老夫婦が「渋柿を取らないのならもらってもいいですか?」と声をかけてきました。老夫婦は木を丸裸にして立ち去り翌年もまた実をとりにきました。

 このあたりが自分でもかなりせこいなと思うところですが、我が家では不要なものとはいえ、あれだけ大量の渋柿をタダでもっていって菓子折のひとつも持ってこないとは、という気持ちになり、よし、来年は意地悪して断ってやろう!と待ちかまえていました。

 するとこういう気持ちは伝わるのか老夫婦は2度と来ませんでした。ひょっとして、あの夫婦は神様が人の気持ちを確かめるために老人に化身して現れていたのではないか?などとしばらくは柿が実るたびに思い起こされたものです。

 以来、樹上の渋柿は1月ごろ霜に当たって熟したところを野鳥の大群が襲って食べ尽くすにまかせてきました。柿の木の下にとめてある父の車の屋根には大量の糞と食べ散らかした柿の残骸がこびりついて塗装が痛み車の掃除も大変です。

 結局は食べるあてもない干し柿づくりを再開しました。気がかりな老夫婦のことに心を痛めつつ、また鳥たちにも申し訳ないので「木守り」の実をたくさん残して。