2023年4月17日月曜日

バブルさながらの東京、大阪

東京や大阪のターミナル駅周辺の再開発ブームはいっこうに収まる気配もありません。歴史的建造物として価値がある郵便局やまだまだ現役で使えそうな10階建てのオフィスビルなどが次々取り壊され4,50階建てのビルに生まれ変わっています。

東京の新宿歌舞伎町と言えば1970年代、私の学生時代にはバーやキャバレー、風俗店がひしめきあい、私のような真面目な学生が近づけるような場所ではありませんでした。2000年ごろには中東系の怪しげな売人が路上で麻薬や危険ドラッグを誰彼かまわず売り付けて大きな社会問題になりました。

 それからさらに20年が経過し今や歌舞伎町にも超高層ビルが建ち、高級ホテルが入居し、何だかすごくバブリーな街に様変わり。大阪も負けてなく、東京の場合と同じような無機質な街へと変貌しています。

この空前の大繁栄が日本の企業によってもたらされ、そこから生じる莫大な利益が日本人の懐を潤しているのなら文句はありません。しかし超高層ビルの上層階にできるラグジュアリーなホテルは例外なく外資によるもので最低でも1泊10万円をはるかに超えます。豊かな訪日外国人をターゲットにした設備と価格設定に違いありません。

これは何のことはない、日本人が外国人観光客のサーバントになって、快適なサービスを提供し、山海の珍味を惜しげなく使った料理で彼らの胃袋と脳味噌を喜ばせているのです。そこで働いているのは結婚生活もあきらめざるを得ない低賃金日本人若年層。バブル崩壊後の30年間、日本は世界の発展から取り残され、しかも国内の貧富の差はかつてないレベルまで拡大してしまいました。

もちろん中国でも欧米でも貧富の差は日本以上に大きいものがあるのは事実です。でも日本が諸外国の社会の発展事情と大きく異なるのは、日本社会における貧富の差はほんの30年前ぐらい前まできわめて小さかったこと。国立大学の年間授業料はたったの12000円。家が貧しくても勉強を頑張れば医者にもなれたし、弁護士にもなれました。

今日の結婚も想定できない若者の群を見ていると、東京や大阪の空前の繁栄ぶりが空しく感じられます。あの都市を支えているのは日本の貧しい労働者と若者達、莫大な利益はすべて国外に流出していきます。

2023年4月14日金曜日

お茶が自生



庭にお茶の木が自生しました。来年には1回分ぐらい収穫できるかな? 

大阪カジノ

大阪IR計画を岸田政権が閣議決定した。大阪府、大阪市、政府はいったい何を考えているの?頭が湧いている。

貧困層の多い大阪がどれだけよりいっそう酷いことになるのか、よく分かっているはずなのに。モラル崩壊、生活破綻、破産者でいっぱいになる。大阪民は維新の恐ろしさにきづいていないみたい。

2023年4月12日水曜日

ダリダ「18歳の彼」

1970年代、20代の私はシャンソンやカンツォーネのレコードを聴くのが大好きでした。ダリダ(1933-1987)というフランスの歌手が人気絶頂で、彼女のイタリア語訛のフランス語はとても聞き取りやすく、私はそんな彼女の歌を繰り返し聴きながらフランス語やイタリア語を同時に覚えたものです。

ダリダのことはピンと来ない方も、アラン・ドロンとのデュエット「あまい囁き」の甘美なメロディーはご記憶にあるかもしれませんね。そんなダリダの数々のヒット曲の中でも、私自身日々老いを意識する今なお心に響き続ける歌があります。「18歳の彼」という曲です。今でいうアラフォーの女性に18歳になったばかりの恋人ができたというお話。

18歳の彼は子どものように美しく、大人の男のようにたくましい。彼を誘惑するためなら何をあげたって惜しくない……。アラフォー女性は恋愛において余裕を見せたくても、若い男にぞっこんで、なすすべもない。まだ子どものくせして「悪くはなかったよ」などと生意気な口をきく彼を自分のもとに引き留めておくすべはない。よく考えてみたら私は18歳の彼の2倍もの年を取っていたのだ……。

いかにもフランスらしい歌詞です。実際現在のマクロン・フランス大統領は高校時代16歳のとき出会った24歳年上の国語教師ブリジットと結婚しています。40歳の教師が16歳の少年と恋に落ちたなどと言うと日本では即刻辞表もの。マクロン大統領は今でもはるか年上の妻を大変愛しているようですが、これはいくらフランスでもやや例外的なことではないかと思います。ふつうはダリダの歌のようにアラフォー女性が18歳の若い男とハッピーに暮らすのは難しいでしょう。

私自身、ダリダのさらに倍もの年齢になって、恋愛とかそんな意味ではなくても、若い世代の人々とどうコミュニケーションを取ったらいいのかよく分からないです。昭和オヤジが嫌われる定番は説教、昔話、自慢話が三冠王だったような。はたまたカルト教祖のように妖術を使って若い女性を洗脳するタイプの爺さんはいつの時代にもいるものです。(千石イエス方舟事件,1979)。私は、そうではなく、ふつうにどの世代の人ともお互いに無理せず楽しく生きていけたらと思います。

痛ましい転覆事故、保津川下り

前号のこのコラムで、早春の嵐山・保津川下りをしたときのすばらしい体験をご紹介させていただいたばかりというのに、それからわずか10日後のこと、ようやく京都の桜も満開になった3月28日、保津川下りの観光船が転覆し、船頭さんお一人が死亡、お一人が行方不明、乗客数名がケガを負うという大惨事が発生しました。川下りの楽しかった余韻がまだ残っている私にはショッキングなニュースでした。

船を操る船頭さんは総勢で200名ぐらいいらっしゃるとお聞きしたのですが、亡くなられた方は51歳のベテランの船頭さんで、行方不明の方はまだ40歳の働き盛りということです。もしやあの日、私やカナダから観光に来ていた従姉妹たちを乗せてくれた船頭さんたちではなかったかととても心配です。もちろんどの船頭さんであってもこんな事故で命を失うことなど絶対あってはいけないことですが。

保津川上流の亀岡から嵐山・渡月橋前までの約16キロメートルもの渓谷を2時間前後の時間をかけて、船頭さんたちは船をあやつります。迫りくる巨大な岩を竹の棒で一瞬にして遠ざけ、流れが緩くなると渾身の力をこめて竹竿を川底に押し当てながら船を前へと進めます。

その一方、乗客に対しては、川下りの要点や歴史、まわりの自然について、あるいはいかに体力が必要な仕事であるか、新人を採用してもあまりの激務に翌日にはもう辞めてしまう子が続出する話などユーモアを交えながら語りかけてくれます。

保津川は渓谷に沿って何度も大きく湾曲しながら流れていきます。そういう場所では淵の深さが15メートルもあるという説明もされていました。比較的浅い川なのに今もひとりの船頭さんが行方不明であるというのはそういう淵に沈んでしまった可能性もあるような気がします。ご家族の気持ちを考えるといたたまれない気持ちでいっぱいです。

転覆による死亡事故をきっかけに当局の規制が強まり、この優雅でスリリングな遊びが我々から遠い存在にならなければいいが、と危惧します。客の命が全員助かったことが奇跡のように思われる無防備な遊びであることも事実ですが、それはどんなスポーツでも同じこと。100年以上続く京の風物詩は後世まで守り伝えてほしい、そのように思います。


保津川下り

 すばらしい体験、保津川下り

 カナダから来日中の親戚カップルを誘って京都・嵐山の保津川下りに生まれて初めて挑戦してみました。川下りをした感想は「素晴らしい!」のひと言。何故今までこの年になるまでこんな素敵なものを見過ごしてきたのか、返すがえすも残念。それほどGoodでした。

保津川下りは特に桜や紅葉シーズンには決まってニュースで取り上げられる日本を代表する観光アトラクションですが「観光客で混み合ってそう」とか「怖そう」と思って敬遠されてきた人は多いのではないかと思います。今回の観光アテンドで図らずもこんな楽しい遊びに遭遇できて大変ラッキーでした。

川下りの一般的なコースは嵯峨野トロッコ駅からゴトゴト川沿いに走るトロッコ列車に乗ってトロッコ亀岡駅まで25分かけて移動するところから始まります。亀岡でトロッコ列車を降りたら連絡バスが待っていて、保津川下りの船乗り場まで数分で運んでくれます。

乗船予約は不要。切符を買ってしばらく待っていると川べりの船乗り場まで案内されます。混んでいても相前後して何艘かの船が運航されるので長時間待たされることはありません。怖いようなワクワクするような川下りの始まりです。

小さな船は満員のお客を乗せて保津川を下り始めます。最初の数分は穏やかなところを進んでいきますがやがて落差がある場所に来ると船は大きな水しぶきを上げながらザブーンと船ごと落ちるように川下へ流れていきます。ときには船底が岩に激突し、ゴリゴリ岩を擦る音が足元に響いてきます。

岸辺の木々の高い枝先で日本猿の群れが木の新芽を食べている平和な光景にうっとり。川べりの泥土の上には鹿やイノシシの足跡が付いています。川の流れがゆっくりの場所では舳先の上に立っている屈強そうな漕ぎ手が竹竿を川底に押し当てながら船を前に進めます。大変な重労働であることは説明を聞くまでもなく伝わってきます。航行時間は1時間40分でした。大人一人の料金は4500円ですが、コスパ最高。

やがて渡月橋が見えてくると船旅も終盤です。するとどこからかイカ焼きやおでんなどを満載した船が現れ、私も緊張感がほぐれたせいもあって、思わずみたらし団子とお茶を買いました。最高の体験でした。

認知機能検査

 認知機能検査兼高齢者講習

この夏ついに私も後期高齢者の仲間入りです。ちょうど運転免許証の更新時期にぶつかり、誕生日まであと半年弱あるのですが、先日岡山県運転免許センターで認知機能検査と高齢者講習を受けてきました。

運転免許更新に係わる認知機能検査がいくら簡単なテストとはいえ、やはり試験となると緊張するものです。それに子どものころから興味のないことを写真にでも撮るように暗記するのはまったく不得手。このテストを受けたことがある人はご存知かと思いますが、一番大変だったのは16枚のイラストを4枚ずつ見せられ、それらをすべて覚えておいて後で解答用紙に書き出すものです。

具体的には大砲、オルガン、耳、ラジオ、テントウムシ、ライオン、タケノコ……等16枚の絵がプロジェクターによって白板に投影され、覚えておくように言われます。その後、まったく別種のテストがあり、再び先ほどの16枚のイラストを想起する問題に返ります。オルガン、スカート、ベッド、バラ、ペンチなどと10種類のイラストはすぐ思い浮かんだものの、そこから先頭が真っ白!あせっても全然出てきません。

その後、今度はヒント付きで思い出せるかどうかのテストがあり、これは簡単でした。昆虫は?テントウムシ、楽器はオルガン……と16種類のイラストの記憶が甦るのですから人間の脳とは不思議なものです。

この問題はおよそ世の中に存在する試験という試験の中でもっとも甘いものといえます。試験問題がそっくりそのまま公開されていて、ネットで簡単に検索できるので、だれでも事前に予行演習しておくことができます。ただ認知機能が衰えた人はあらかじめ練習しておいてもそれが試験会場で生かせないという意味でテストとしての役割を“最低限”果たせるのだと思います。しかしこのテストが後期高齢者による事故を未然に防ぐことに本当に役立っているかどうか、私はかなり懐疑的です。

それはともかく、この試験を受けた結果に関してやばいと思ったことがあります。それはヒントなしでは思い出せなかった6個のイラストがいったい何だったのか、16個のイラストを見ても“耳”と“ぶどう”を除いてあと4個が今でもどうしても思い出せません。これこそ本格的な認知症の始まりを示唆しているのではないか? 心配です。

春到来

毎年雛祭りのころになると早咲き桜の開花便りがテレビの朝の情報番組をにぎわします。寒い日の後に今日のようなほんわか暖かい日がやってくると心が弾みます。“Spring has come”

私が小学生のころ、こんな春めいた日には父が幼い息子たちを相手に英語の成句をふとつぶやくことがありました。父が育った時代は英語は敵性語として忌避され、熱心に勉強する必要もなかったようですが、師範学校で習ったのでしょう、ときおり子どもたちに学のあるところを披露していました。ときには、「レッスン オネ!」(Lesson one)などと言って息子たちをからかっていたものです。

後年、私が中学生になってからは、父はよく私に英語の教科書を読んで聞かせてくれとリクエストしていました。うざいと思いつつ、テキストを読むと、満足げな顔をしつつ必ず、「ついでに日本語に訳してくれ」と言っていました。父が息子たちに望んだことと言えば、英語の朗読などほんとうにささやかなものでしかなかったのに、私は「自分で読んで!」と突き放すことの方が多く、いやな子どもだったと今になって反省することしきりです。

9年ほど前に父を見送って、今は自分自身の“老後”に向き合う日々。もはや難解な本を読む気力も消え失せ、テレビで見る世界のニュース、戦乱や天変地異も半ば他人事のようにしか心に響いてこなくなりました。唯一ことあるごとに身に沁みて思われることは、なつかしい生前の父や母のことです。

 父や母が好きこのんでしていたことは、私の嗜好にもよく合っているし、逆に父や母が嫌っていたことは私も嫌っていることを事あるごとに思い知らされ苦笑します。たとえば父はNHKの「みんなのうた」で繰り返し放送されていた、やなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」(1962)について「わし、この歌きらい!」と言っていました。「まっかに流れるぼくの血潮……」、父に言われるまでもなく私もやなせの詞には背中がこそばゆく感じられたものです。

ベースにある感性や情緒が親子で似ていたからこそあらゆる場面で父に対し近親憎悪的な反応をしていたのもまた事実。この世ではままならないこともあるものです。“Spring has come”いい季節になりました。


マイナカード交付申請

政府がやっきになって導入を図っているマイナンバーカードですが、昨年11月末に総務省が発表した申請件数は11月27日時点で7568万件、人口に対する割合は60.1%になったとのことです。また実際に交付された枚数は6735万枚で交付率は53.5%にとどまるそうです。

カード取得者に対する最大2万円分のマイナポイントをもらうためにはこの2月末までの申請が必須とのことで、私もついに覚悟を決め、半年以上下駄箱の上に放置してあったマイナカード交付申請の封書を開けてみました。

「うわっ!申請書だけでなく、いろんな印刷物が入っていて一々広げて読むのも大変、自分で記入して写真を貼り付けるのはめんどう、どうせ写真のサイズが違う、書き方が違うと後で文句を言われるぐらいなら最初から役所に駆け込んで手取足取り教えてもらう方がいい」

しかし、区役所も申請人であふれかえっていて何時間も待たされるといううわさを小耳に挟み、これも断念。マイナポイントの2万円には未練があるけれど、もう間に合いそうもない、などとあきらめムードになっていたら、申請期限は2月末ながらマイナポイントの締め切りは5月末まで延長されました。

またまた気が変わり、「よしがんばってみよう」となり、今度は封筒の中身をちゃんとよく読んでみました。「何だ、自分でもできそうじゃないか!」要するに自分の写真を1枚スマホで撮るだけ、そこが最大の関門らしい。QRコードを読み込んだらあとは名前、生年月日、メールアドレス等記入の上、写真を添付して送信。実際これだけでした。

さて、あらためてマイナカードが届いたとして、ポイントをもらえる以外に具体的なメリットがあるのでしょうか。中国では国鉄の切符売り場で長距離列車の切符を買おうとすると、マイナカードのような身分証明書を機械に読み取らせる必要があります。切符の券面にも個人ID番号が印字され、どこの誰がどこへ旅行したという情報がすべて当局に把握される仕組みです。こういう強権的な国家にあってはマイナカードの保有は国民の義務。幸いなことに万事あいまいな日本、いかにも日本の役所が考え出しそうなゆるゆるマイナカードの効果(と弊害)はおのずと限定的なものになると思います。


同性婚導入、賛成64%

2月14日の山陽新聞朝刊の1面トップ記事は、共同通信社が実施した同性婚に対する国民の賛否を尋ねる全国緊急電話世論調査の結果を報じるものでした。驚くべき結果です。同性婚を認める方がよいとの回答が64.0%、認めない方がよいは24.9%だったそうです。

緊急アンケートが実施されたきっかけは同性婚をめぐる元首相秘書官の差別発言を受けてのことですが、結果は意外な感じがするぐらい国民の間でこの問題に関する理解が進んでいることを示すものでした。同性婚を巡る岸田首相の発言、すなわち「社会が変わってしまう」ことに対する抵抗感、恐怖感は保守政治家に共通する価値観を端的に表していると思います。

何かにつけ「変わること」に対するほとんど本能的と言っていい抵抗感は日本社会のあらゆる面で見られます。死刑制度、難民受入れ、選択的夫婦別姓、過酷な長時間労働慣行……等に対する国策。どれもが「日本文化と深く関わっているので西洋のまねはできない」という暗黙の了解があっての国際社会の中での孤立ぶりですが、それでもいざやってみたら、案外スムーズに受け入れられたこともあります。例えば喫煙の問題。

 私が就職した50年前の日本のオフィスでは執務時間中の喫煙は常識でした。向かいの席のヘビースモーカー先輩に「タバコの煙がこちらに流れてくるので仕事中のタバコはやめてもらえませんか?」とお願いでもしようものなら、「こいつ頭おかしい」という表情を返される、そんな時代でした。新幹線でも航空機でも、ときには映画館の中でも喫煙OKでした。ところがいったん国が禁煙に舵を切ったらそれを徹底して守るのも日本人です。

 LGBTQは性的マイノリティと定義されますが、果たして“少数者”問題でしょうか。日本の各種調査ではその比率は3~10%ですが、アメリカの若者を対象とした調査では5割というにわかには信じがたい数値も報告されています。これはもはや少数者とは呼べません。左利きの人の割合が日本では11%ですが、だれも左利きをマイノリティなどと差別しないのと同じように、LGBTQであることは「それで?」という感じに世間は近づいているのが実態ではないかと思います。岸田さん、世の中をよく見て政治をしてください。

かかりつけ医制度

 「かかりつけ医制度」に対する危惧

日本に住んでいて本当にありがたいと思うのは、国民皆保険のもといつでも患者が希望する医療を受けられることです。それがどれほどすばらしいことか、日本で暮らしてきた私たちにはピンときません。

しかしながらこの日本でも厚生労働省の旗振りで患者と大規模病院の間にずいぶん高い壁ができています。すなわち1993年に制度化された特定機能病院というさんの診療はお断りという仕組みです。2016年の4月以降は紹介状を持たない初診患者からは選定医療費として5千円以上の金額を徴収することが特定機能病院の義務となりました。

初診の定義については病院によって他科を受診中なら選定療養費が免除されたり運用に多少のばらつきがありますが、最近どんどん厳格化しているように感じます。厚労省のもくろみはいわゆる「かかりつけ医」制度を普及させ、かかりつけ医の判断で必要に応じて専門病院を紹介するシステムの構築にあります。

もしかかりつけ医制度の仕組みが徹底されたらいったいどうなるのか、ちょっと想像してみると暗い気持ちになります。政府が想定しているかかりつけ医の主体は町の内科のお医者さんたちでしょう。

たとえば目に異常を感じて専門医に診てもらいたいと思っている人もまず内科を受診しなくてはいけないのでしょうか。目だけではなく膝が痛い、味覚が変、アトピーが悪化したなどという人が紹介状を書いて下さいと内科の診療所に押し寄せたら、内科診療所の先生もたまったものではないと思います。

たまたま近所に眼科や耳鼻科のクリニックがあって、そこを訪れた人が医師の見立てに疑問を感じ、「大学病院で診てもらいたいので紹介状を書いてほしい」と思っても簡単に切り出せるでしょうか。私自身以前、近くの行くのが初めての耳鼻科クリニックを受診したものの治りが悪く、「治療効果が感じられない」と疑問を呈したらその医師から口汚く罵倒された苦い経験があります。

だれでも先進医療を受けられる日本人にとって大学病院や大規模総合病院こそ、一生を通じての本当の意味での「かかりつけ病院」です。大病院でしっかり検査して確定診断を下し、治療方針が固まった患者こそ、町の診療所へ逆に紹介してもらいたいものです。


凶悪事件多発

最近やたらと凶悪な犯罪が全国あちこちで発生しています。とりわけ戦慄を覚えたのは東京・狛江市に住む90歳の女性が殺害された事件。大規模な組織犯罪の一端ということですが、このグループは関東だけでなく広島や山口など西日本でも犯行を繰り返しているとのことです。

同様の事件は全国で少なくとも30件以上起きているとの報道があり、いずれもその手口の荒っぽさ、冷酷さが特徴的です。実行犯たちは「闇バイト」を通じて犯行グループに加わっているようです。

これまで日本で発生した凶悪事件には個人的な怨恨によるもの、例えば津山三十人殺し(1938)、反社会勢力グループ間の抗争、オウム真理教による組織犯罪(1980年代末期から1990年代中期)、あるいは永山則夫連続射殺事件(1968-1969)のように動機がよく分からない不条理な事件(本人は「貧困が無知を招き、それが犯罪に結びつく」と主張)など様々な背景がありました。

しかし今回の一連の事件においては集団組織による金目当ての冷酷無比な犯行であり、無差別強盗殺人であることで際だっています。いわばプロによる強盗殺人で、ターゲットにされたお年寄りなど弱者が身を守ることはきわめて困難です。

狛江市の事件で逮捕された実行犯容疑者は取材陣のカメラに対し、レンズをまっすぐ見すえ挑発的な笑みを浮かべる始末。いったん逮捕されたら当然のことながら厳罰が下されるのは明白で人生を棒に振ることは最初から分かっているはずですが、容疑者の若者には刑罰に対する恐れや、そもそも「人を殺す」ということに対する罪の意識は最初から欠如していたのでしょうか。

凶悪な面構えと言えば「博多ストーカー事件」の容疑者の写真にもぞっとしました。被害者の女性は頭、胸、腹など十数カ所刺され、死因は失血死、には言葉がありません。あの顔で襲われた被害者の恐怖はいかばかりだったか想像もできません。

1月28日、山陽新聞社さん太ホールにおいて、シンポジウム「死刑制度について考える」が岡山弁護士会によって開催されます。犯罪がますます凶悪化し、組織的、利潤追求型になるなかでの死刑制度について、賛否両論があるなか、シンポジウムに参加して自分なりの考えをまとめてみようと思います。

 

死刑制度について考える

 シンポジウム「死刑制度について考える」に参加して

 東京都狛江市で起きた強盗殺人事件はマニラの入管施設において拘束されている容疑者の日本への送致を巡って日本の警察当局とフィリピン当局の話し合いがまとまりそうな気配です。凶悪事件が日常化するなか先日、死刑制度に関するタイムリーなシンポジウムが岡山で開かれました。(岡山弁護士会主催、さん太ホール、2023年1月28日)

 第1部は芥川賞作家の平野啓一郎さんによる基調講演でした。京大法学部学生時代の平野さんは死刑存置派だったけれど、作家になってヨーロッパの作家仲間と親しく交流し、また犯罪によって身内の人を殺された被害者の方々への取材を通じて、現在は死刑廃止論者になったという心の変化を文学者ならではの説得力をもって語っておられました。

第2部は平野さんの他に刑法の専門家である甲南大学教授の笹倉香奈さん、京都弁護士会の辻孝司さんらによるパネルディスカッションでした。まだ娘さんのような若々しい雰囲気を保っておられる笹倉先生は、先進国の中で死刑制度を残している日本の特異な状況を論理的に説明されたことが特に印象に残りました。ともすれば情緒的、感情論的に死刑の問題を語ろうとする我々素人の考えとは大きく違っていました。

ヨーロッパではEUへの参加条件として死刑制度を廃止していること、アメリカには死刑制度が残っているとはいえ大多数の州で廃止または停止状態にあること、日本において死刑制度が自殺の手段として使われることがあること、えん罪による死刑執行事例があること、必ずしも被害者遺族が死刑を望んでいるわけではないこと、など専門家からの説明に一々うなずいてしまいました。

また、犯罪人引渡し条約が米国と韓国との間でしかない理由として日本の死刑制度の存在が関わっているとの説明がありました。容疑者を日本に引き渡すと死刑が執行されかねないので死刑廃止国は日本と関連条約を結ばない。そういう意味では、フィリピンの例のように楽しい拘置所生活を送りながら、日本での強盗殺人を指揮するタイプの犯罪がますます増えるのではないでしょうか。

とまれ、日本の死刑制度には感情論を超えたいろんな弊害もあることを学ぶことができた充実したシンポジウムでした。


猛烈寒波襲来

この冬は暖冬気味に推移していると感じていたのに、大寒になってからというもの、天気予報通り日本列島は猛烈寒波に襲われました。岡山県内では北部を中心に高速道路が閉鎖されただけでなく、備前市内の国道2号線までマヒし、20数キロもの大渋滞だそうです。

 家の中にいても水道の凍結が心配になります。ちょうど1年前のこと、台所で洗い物をするのにいつまで待ってもお湯が出てきません。おかしいなと思って家の外に設置してある電気給湯器を点検したところ、器械が破損しタンクの熱湯はすべて排水溝に流れてしまっていました。

 この突然の惨事にどのように対処したかというと、専用の電源を切り、水栓を閉めただけでそのまま今にいたるまで放置しています。いまどきお湯のない生活をしている世帯など数えるしかないと思います。今の時期、顔を洗うのも食事の用意、後かたづけをするのもすべて凍るような冷水で行っています。

知り合いにそんなお湯なし生活のことを話すと、まるで私のことを人格破綻者であるかのように非難するのですが、ひとことで言うと元の状態に復旧させるのがめんどうなのです。

老い先短い状況では高価な電気温水器ではなく、簡便なガス給湯器で済ませようと業者に聞いたら、半導体不足の影響で半年待ちとか。それに業者に来てもらうには家の内外を片づけて掃除もしないといけないし……。

結局、顔や食器を洗うときはやかんにお湯を沸かし、ほそぼそと。でも慣れるとどうということもありません。ウクライナの惨状を見ると水が出る生活ができているだけでも天国です。私が育った戦後間もないころは暖房なし、お湯なし、ガスなし、水道なしでした。電気だけはいつもありました。朝目覚めると母がたらいで絞った熱々のタオルで顔を拭いてくれたものです。

実家の風呂は私が高校生になるくらいまで薪で沸かしていました。そしてそのころ登場したのが夜間の安い電気を利用した電気温水器です。


去る者日々に疎し

コロナ禍で3年も人流がストップしていましたが、昨年の秋あたりから繁華街は訪日観光客でごった返すようになりました。私の身近でも年末にブロディとサラというカップルが来日。カナダの従姉の義理の孫になる若者たちです。日本の城に興味があるという彼らに国宝にして世界文化遺産でもある姫路城は外せません。姫路駅で落ち合い、遠目にも威風堂々の白鷺城に向かいました。

今時の若者は旅先で必要な情報は実にきめ細かく調べていて、あきらかに従姉(77歳)やその子ども世代(50代)とは違って、案内役などいなくてもスマホ片手にすいすいと旅を楽しんでいる様子でした。それに子どものころから日本のアニメや戦乱時代の武将ものゲームなどもあるのでしょう。私は日本史の細かいことを聞かれてたじたじでした。

姫路城の後は新幹線で岡山へ。定番の後楽園と新装なった岡山城や県立図書館を案内し、夕食後ホテルまで送りました。彼らは岡山の後は広島、福岡、長野と回り、成田から帰国する予定とのことでした。

さてここからの展開が外国人と日本人の気性というか習慣の違い、あるいは世代の違いなのか、何か変なのです。ホテルの入り口で「じゃあ気をつけて」、「ありがとう」の挨拶を最後に翌日になっても帰国間際になってもいっさいメール連絡がなく少々心配でした。カナダの親元にはどこかでわんこそばを100杯も平らげている楽しそうな写真が届いていて、それが転送されてきて、ああ元気に旅しているなと分かる始末。

こういう経験はカナダの若者に限らず、後楽園などで困っているヨーロッパからの観光客などを助けて感謝されメアドまで交換してもこちらからのメールに返信もくれない場合がほとんど。日本人ならほぼ間違いなく「先日は大変お世話になりました」みたいなお礼メールのひとつも送ってくるものですが……。 

そう言えばアメリカのTVドラマ、“Sex and the City”など見ていると車の中で濃厚なキスをしている男女でも車から降りたら彼女が名残惜しげに後を振り向くなどまったくありません。そういうものなのでしょうね。“Out of sight, out of mind”「去る者日々に疎し」どころか、別れた瞬間にもう気分の切り替えができてしまう彼らはやはり日本人とは違うなと率直に思います。

後期高齢者となる年の春を迎えて

一人暮らしは気ままなものですが大晦日を一人きりで過ごすのは侘びしく思われ、空港に行ってみました。JALのカウンターで混み具合を聞いたところ空席多数とのことでシニア料金で搭乗しました。大晦日の東京なんて学生時代以来数十年ぶりのこと、さぞかしにぎやかな年の瀬かと思いきや、新宿の繁華街でさえ閑散としていたのにはびっくりでした。

上京した際によく行く新宿の飲み屋に行ってみました。さすがは大都会、こういう場所には私のような行き場のない孤独な人が集まって、見ず知らずの人たち同士で盛り上がっていました。カラオケのテレビモニターには紅白歌合戦が映っていましたが、知っている歌手と言えば加山雄三ぐらいのもの、もうとっくの昔に消えてていい番組なのにまだNHKはこんなものに莫大な費用をかけているのですね。居酒屋で紅白歌合戦が終わるのを待つというのもつまらなく思われ「ゆく年くる年」を待たずホテルに引き上げました。

元旦は沖縄に住んでいる友人がちょうど上京中と聞いていたので、連絡してみたところ閑そうで、彼の娘さんを含め3人でファミレスに行きました。弁護士の友人は中学校時代のクラスメートですが、実際に会って話をすると仕事がらみのメールでは感じられない友の「老い」が見えてきます。でもその「老い」は悲惨なものではありません。ファミレスみたいなカジュアルな店で正月早々まったり話をしていると、我々もほのぼのいい爺さんになったものだ、人生の苦しみの多くはすでに経験済みで今生きていること自体が何となく楽しい、そんな気分になりました。

それでも近年同年代の友人たちとの交友関係は一人また一人と少なくなってきました。死別という場合が多いのは確かですが、多くの場合、なしつぶし的に、あるいはあからさまに「もう連絡して来ないで」と言われて交友が終わることもあります。かつてあれほど親しいと思っていた友人たちがある日去っていくのです。私の友人に対する接し方に問題があったのでしょう。若い頃はそれでもつきあってくれていたのが、残り時間が少なくなった今、みなさん自分の時間を大切にすることに正直になってきたせいかと想像します。

老いの道はかくのごとく孤独なものですがそれはそれ、若い世代の人々と仲良くしていきたいものです。