2011年2月26日土曜日

ジャスミン革命

チュニジアに端を発した長期独裁政権打倒の動きは瞬く間にエジプト、リビア、イエメンなどに飛び火し、ついには中国の民主化運動にまで火が着きそうな勢いになりました。私が1971年から72年にかけて約半年滞在したアルジェリアでもデモが起きています。

71年当時のアルジェリアはフランスから独立してまだ10年も経ってなく、悲惨な独立戦争を戦い抜いたものの片足を失った人や浮浪児などがたくさんいました。日本人の顔を見たら「1ディナール(70円)頂戴」と声をかけてくる子供達。そんな彼らに私が通訳として働いていた石油精製プラントの日本人エンジニアが説教を垂れました。

「アルジェリアは独立国だろう?独立国の国民は誇りを持たなくちゃ。他人にお金をねだるのは恥ずかしいことなんだよ」と。エンジニアは小さな男の子をやさしく諭していました。

「子供に、独立国の国民は誇りを持て、なんて言ったところでそもそも独立国って何のことかこの子には理解できないだろうな」、私は冷ややかにコトの成り行きを見ていたのですが、はたして少年はキョトンとした顔をして相変わらず「1ディナール頂戴」と手を出していました。

そんな子供たちとは対照的にプラントの発注者である国営炭化水素公社の幹部候補生たちは明治維新の官僚のようにみな若くフランスやイギリスの大学で身につけたエリート風を吹かしていました。人が話しかけてもニコリともしない人種。洋の東西を問わず高級官僚はだれもが同じ無表情の仮面をかぶっています。

2011年春、40年が経ちあの子供たちももう中年のおじさんになっているでしょう。たぶんずっと日の当たらない人生を送りながら。

私が働いていた建設中のプラントはいったん稼働しだしたら建設費は2、3年でペイすると当時教えられました。しかし巨大プラントが生み出す莫大なオイルマネーは底辺のアルジェリア人民を潤してはいません。だからこそ隣国のネット革命に人々が共鳴したのではないかと遙か遠い日本から心配しています。

 まもなく地中海沿岸の果てしない大地は赤、白、黄色の花で覆い尽くされます。中東全域のジャスミン革命がハッピーエンドに終わることを祈らずにはおられません。

2011年2月22日火曜日

爆笑暴力取り調べ

大阪府警の暴言取り調べの録音を聞いていて久しぶりに笑いました。警官の言葉をそのまま、あのアクセントのまま丸暗記したら吉本に入れるような気がします。パチパチパンチの島木ジョージが確か病気療養中なのであのTとかいう警察の男の再就職先は吉本新喜劇に決まりです。

私が特に気にいったセリフは、警官が、怒鳴るのをちょっと一休みして「赤ちゃんのような目をしやがって!こらぁ」と被疑者を愚弄するというか独りごちするところ。

これは府警の取り調べ裏マニュアルにもないT警部補のオリジナルだと思います。非常に胡散臭い被疑者の心理を一言で言い当てています。一見弱々しい被疑者男性の演技をプロの目で読みとっています。被疑者が赤ちゃんのようなイノセントな表情を作りそこに上手に隠したしたたかさとずる賢い計算がちゃんと読まれています。

標準語であれだけの罵詈雑言を浴びせられたら無実でも「はい。私がやりました」と言ってしまいそうですが、コテコテの大阪弁であんなふうにやられると自白の前に吹き出してしまいそうです。

被疑者が”録音しています”と言ったとたん態度を豹変させてなれなれしく「xxちゃん!、録音消してよ」とすり寄ってきたという名場面も見たいものです。(この被疑者、結局職場のパソコン窃盗で逮捕されたそうですが府警の仕返しも何だかみみっちい感じがします)


2011年2月18日金曜日

介護と生きがい

 高齢の両親を孤軍奮闘しながら在宅介護をしている私の様子がいかにも不可解なのか、毎週往診していただいているH先生が診察を終えての帰り際、「介護をしていてどんなときに幸福感や満足感がありますか?」と尋ねられました。

 意表を突く質問に一瞬とまどいつつも「どんなときというより常時しあわせだと感じています」とお答えしました。「これは野暮なことを聞きました。そうでなくては介護など長続きしないですよね」、先生はあきれたのか感心したのか笑いながら帰っていかれました。

 我ながら調子のいいことを言ってしまったと思いましたが、両親はこの世とのつながりが次第に薄れかかってきているうえに慢性病を抱えているとはいえ1日1日を自宅で安穏に過ごしていてくれることが本当にありがたく思われます。

 しかし一方では時間に束縛される日々に“自分のことが何もできない”、“ たった1日でいいからのんびりしたい”と焦燥感にかられ、今の生活に限界を感じているのも事実です。

 ところが2月中旬、父が体調をくずして入院、続いて母の様子が何かいつもと違うのが気になり病院で検査してもらったら肺炎を起こしていてダブル入院しました。わずかな体調の異変を見逃さず少々強引に病院に連れていったのがさいわいして今では両親とも快方に向かっています。

 このたびの両親の入院は私にとって思わぬ休息の日々になりました。今なら2泊3日ぐらいの旅行ならどこにでも行くことができます。夜行バスに乗って東京へ行こうか、暖かい台北に行こうか、それとも鹿児島まであてのないドライブをしてみるのも捨てがたい……

 しかし行動より先に日頃の疲れがどっと出てしまいました。何にもする気がおきません。昼過ぎまで寝てコンビニ弁当を食べる日々。

 人生って何だろう、人生ってこうもヒマだったのか、これって初老期の“ひきこもり”なのかなあ?定年退職した人がすることもなく家にいたら若者のひきこもりとまったく同じ状態になるのも無理ありません。

 こうしてみると両親を毎日24時間、週7日看ていることは思いのほか自分自身にとっても意義があることだと気付きました。少なくも人生ってヒマだなどと考えなくていいだけでもしあわせなことです。

2011年2月11日金曜日

遅れた公共交通政策


 山陽新聞の社会面(2011.2.3)に「路をつなぐ:生活交通白書」という囲み記事が掲載されていました。それによると過疎地だけでなく岡山市や倉敷市でも郊外団地によっては公共の足がなく車を運転できない人にとっては外出もままならない事態になってきているとのことです。

 その具体例として早島町の若宮団地が取り上げられていました。平日は町営のコミュニティーバスが1時間に1本あるが土日祝ともなるとそれも運休で高齢者にとって非常に住みにくい町になっているようです。

 いったいなぜこうも日本の公共交通政策はお寒いのか、住民が困り果てているというのになぜ行政は見て見ぬふりをするのか理解に苦しみます。とりわけ岡山市ではバスはすべてが民営で、採算が取れない路線は簡単に切り捨てられます。

 こうした日本の状況と対照的なのがタイの公共交通システムです。基幹交通システムとしては地下鉄と高架鉄道があります。しかし何と言ってもすごいのは充実したバス路線網で、次から次へとやってくるバスを乗りこなすのは外国人にとってはやっかいですが、便利なバスマップが何種類か売られていてそれを見ればどこでも自由自在に行けます。

 また、大通りからはソイと呼ばれる行き止まりの路地が延びていますがソイの奥に行くにはソイの入り口で常時待機しているバイタク(バイクタクシー)を拾います。ヘルメットをかぶり運転手にしっかり抱きついてふり落とされないようご用心!

 結局バンコクでせかせか歩いているのは日本人を含め外国人だけで、現地の人は100メートルの距離でも歩こうとしません。まるで歩く習慣がないかのようです。

 地方都市では小型トラックを改造したバス、ソンテウが大活躍です。これに乗るコツは黙って乗り込み降りがけに10バーツ(30円)渡すこと。しゃべったら日本人であることが分かり「はい、100バーツ!」。しかし便利な乗り物です。

 日本も戦後貧しかったころはバスが縦横に走っていました。妹尾駅から庭瀬を通って高松稲荷まで小さな中鉄バスが走っていたことがなつかしく思い出されます。岡山ではNPOのRACDAが精力的に公共交通問題に取り組んでいますが、市電の路線延長ひとつとっても遅々として進まないのがもどかしい限りです。

2011年2月2日水曜日

人口減少化時代

   国会中継を聞いていると日本の将来にとって最大のマイナス要因は急速に進む少子高齢化であるとの認識が与野党問わず共通のものになっているようです。

 その論拠は年金にしても介護にしても数年のうちに高齢化する団塊世代に支払うべき年金財政が破綻し、医療・介護は人手不足・財源不足でにっちもさっちもいかなくなる、何よりも国力が低下して日本は沈没するというものです。

 これに対し国は少子化対策担当大臣を置き、民主党政権はまがりなりにも子ども手当を実現する一方、菅首相は消費税アップをもくろみ、国民も福祉目的なら消費税アップもやむなしのムードに傾きつつあります。

    しかし私にはそもそも少子化は本当に問題なのか、むしろ歴史的には今こそ国民一人一人が尊重され、よりよい生活をするための条件が整ってきているのではないかという気がしてなりません。

    江戸時代の人口は約3千万人でしたが、江戸や京都、大阪などの大都市だけでなく地方も藩を中心に空前の繁栄を誇っていました。江戸は世界一の大都会として上水道が整備され、屎尿処理、ゴミ処理は徹底したリサイクルシステムによって環境に負荷をかけることなく近郊農村との共生関係が確立していました。

    ところが人口が江戸時代の4倍になった21世紀の現在、かつて藩の中心地だった町、例えば高梁(備中松山藩)でさえすぐ近くまで限界集落が迫っています。これはあきらかに明治以来の大都市中心のいびつな国家経営が失敗に帰し、国土の均衡ある発展が阻害されてきた結果です。

   それでは人口の高齢化問題はどうすればいいのか、ひとことで言うとレセフェール(なりゆきまかせ)でかまわないと思います。団塊世代の老後問題に国が金をつぎ込むのはほどほどにすべきであり、また少子化を無用に恐れたり無理矢理「生めよ増やせよ」などと号令をかけるよりも、むしろ人口減少化時代に即した国のあり方を真剣に考えるべきではないでしょうか。

   日本はたとえ人口が半減しても最先端テクノロジー、金融資産による収益、観光を三本柱としてより豊かな未来を思い描けるはずです。それには民度の高さを維持しつつ、遅れている教育改革には徹底的にメスを入れなければなりませんが。