2019年12月31日火曜日

上海の芥川龍之介

昨日NHKがやっていたドラマ、「上海の芥川龍之介」はNHKらしく、制作費を湯水の如く使っただけのことはある作品だと思いました。芥川の役を演じた松田龍平がいい味を出していましたね。100年前の東洋の魔都・上海はおそらくああいう感じだったのでしょう。阿片窟が至るところにあり、、、

私が最初に上海に行ったのは2005年くらいでした。上海駅周辺にはまだ少しあのような雰囲気が残っていましたが、あっという間に住民もろともブルドーザーで更地にされる様子が高層ホテルの窓から丸見えでした。その後の15年ほどの上海の激変ぶりにはまったく驚かされます。地下鉄は4路線から10数路線に増え、タン壺が設置されていたボロボロの市営バスはいつのまにかボルボの最新鋭バスに代わり、またニイハオトイレも多分都市部では絶滅したと思います。

この間、日本の衰退は著しく、不景気な話ばかり。2020年が明るく幸せな年になることを祈ります。

2019年12月29日日曜日

窓掃除

牛窓のてれやカフェに行ったらプロの人が窓拭きしていました。いろいろプロ用の掃除道具とテクニックを教えてもらったので、さっそくホームセンターで最低限の道具と洗剤を買いました。
アルカリ洗剤としては重曹、セスキあたりなら使いすぎても安全だそうです。酸性のものはクエン酸。プロは塩酸や強アルカリ洗剤を使うがそこまでしなくてもOKとか。
昔使っていたアメリカ製の窓拭きスクイーザーettoreを20年ぶりに使おうと思ったらゴムのブレードが劣化していました。アマゾンで検索してみると専用ブレードが見つかったので注文。ブレードゴム単体の値段が数百円、送料も同じぐらいで割高感あり。ホームセンターでは中国製のスクイーザーがひとつ250円ぐらいで売られていて、これはこれで買いました。自分は一体何をやってるのだろう?

2019年12月11日水曜日

令和2年

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、上皇陛下の決断によって令和という新しい時代を迎えることができました。思い起こせば昭和の終わり、約半年の長きにわたって国中に重苦しい空気が漂い、自粛ムードの末に唐突に平成時代が始まりました。あの時に比べ今回の皇位継承はとても晴れ晴れとしたものでした。
 昨年4月末日から51日にかけては上皇陛下の退位、新天皇の即位の儀式があり、同1022日には即位礼正殿の儀があり、同1114日から15日にかけて大嘗祭がつつがなく執り行われました。いずれの行事も我々一般国民はテレビ中継で垣間見ることしかかないませんでしたが、それでも千数百年の歴史と伝統に自分自身も連なっていることが実感され感慨深いものがありました。
 昨年11月末、大嘗祭のために造営された大嘗宮がしばらくのあいだ一般公開されていたので、生まれて初めて皇居に出かけてみました。江戸城本丸跡の広場に設営された大嘗宮は意外なほどシンプルなもので、またちらっと見えた宮殿もフランスのベルサイユ宮殿、ロシアの冬宮殿(エルミタージュ)などと比較するのも愚かなぐらい何の変哲もない“質素”なものでした。しかし21世紀の彼我の宮殿には決定的な違いがあります。こちらの宮殿には国民の象徴としての天皇陛下が()()すのに対し、ベルサイユもエルミタージュも今は主なき館にして壮大な博物館、美術館に過ぎません。おごれる人も久しからず。対する日本は質素さと祈りです。
自然とともにつつましく暮らし、毎日昇ってくる太陽に感謝し(冬場、太陽が昇らない国もあります)、春になれば山桜が近くの山、遠くの山に棚引いてうっとり。五月晴れの後は雨の情緒を楽しみ、汗を流し、夏の終わりにはふと忍び寄る秋にここちよい風を感じ、初めて採れたお米に感謝を捧げ、大豆を収穫し、味噌を仕込んでまた新年を迎えます。
現在、米中の2大超大国による“戦争”がじわじわ戦火を拡大しつつあり、日本の行方もはっきりしません。しかし日本史上いろいろあったにせよ、縄文時代以来1万年もの長い時を、幾多の自然災害をものともせず人々はたくましく生き抜いてきた事実を心の拠り所として、心穏やかに暮らしていきたいものです。

2019年12月8日日曜日

ゴッホの耳なし自画像のように

今日は天気もよく午前中、渋柿の大木に梯子をかけて曲芸のようなことをやりました。実が50個ほどついたずしりと重たい枝をノコギリで切っていたら、枝が私の頭の方向に倒れかかってきました。そのとき持っていたノコギリが柿の枝に押されて耳に食い込みました。鋭い痛みを覚えて手で触ると血は少し出ているものの耳がなくなるような大事にはならずにすみました。

ハイドロコロイド絆創膏を大きめに切って耳を保護したのですが、まるでゴッホの「包帯をしてパイプをくわえた自画像」です。

昔から柿の木から落ちて死ぬ人が多いので登ってはいけない、と父からよく言われていたのに、渋柿もアルコール度数47%の焼酎に浸して保温すると美味しい柿に変身するので、やっぱり毎秋、登ってしまいます。(台風接近時には、テレビがしつこく「田んぼを見に行くな、屋根に登るな」と忠告してくれるのにも関わらず、雨どい掃除に登ります)

こんなことを書きながら、太宰治の「人間失格」の主人公、葉蔵が少年時代、体操の授業で鉄棒の逆上がりをわざと失敗してクラスの笑いをとったところ、クラスメートの発達障害らしき竹一少年から「ワザ、ワザ」(わざと)と声をかけられ、道化の本性をよりによってあの竹一に見抜かれていたとは、と狼狽する大変有名な、ある意味、この小説のクライマックスのシーンに我が身を重ねてしまいます。

でも、ワザではないのです。まさか自分が切った柿の太枝がノコギリとともに私を襲撃してくるとは!

葉蔵が竹一にゴッホの絵を見せるシーンがあります。竹一はゴッホの自画像を見て「お化けの絵だ」と言います。私の横顔もそれに何ら変わらないので、耳だけトリミングしました。




2019年12月4日水曜日

「憮然」の意味

地元紙に五木寛之のエッセイが連載されています。今回の題は「すき焼きに歴史あり」です。文中に「憮然」という言葉がありますが、誤用で有名なやつ。いわく、本来憮然は「がっかりしたさま」をいうのに、今ではもっぱら「不機嫌なさま」と70%の日本人が思っていると。

このエッセイで五木寛之は「がっかり」したのか「不機嫌」になったのか、その答は後ろの父親の部分を読めば、「不機嫌」であることが読み取れます。何事につけ若者ぶっている五木寛之のこと、私の解釈で間違いはないと思います。


そんなことより、今どきの若者って五木寛之のような米寿が近い老人(87)と同じすき焼き鍋なんかに箸突っ込んで「うまかったっす」なんて言うのかなあ? 私も老人の範疇に入りますが、そんな鍋の中で煮えている肉なんかつつきたくありません!「フケツ!」、「キューポラのある街」の中で唐突に叫ぶ幼き日の吉永小百合のカマトトセリフが想起されます。その後、彼女は清純派女優のイメージを払拭すべく、次の句を残したと言われています。

(以下はNinelivesによる破礼句考)*ばれくこう

   松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり

しかしこれは俗説で吉永小百合の真作は次のような句であるらしい。

   松茸を喰らひつしゃぶりまた喰らひ

日本語の名詞には単数複数の概念がなく、例えば芭蕉の「古池や蛙飛び込む池の音」の句では、カエルが1匹飛び込んだのか4、5匹だったのか分からないので英訳するときとまどうといったことをドナルド・キーンがどこかで書いていたように思う。(キーンはカエル1匹と解釈)

The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
( tr. by Donald Keene)

ひるがえって吉永小百合の句の場合、前者から受ける印象では咥えた松茸は1本であり、真作と思われる後者は大小さまざま複数の松茸を喰らったのであろう、まるでインパクトが違う。彼女は自称体育会系、肉食系のエネルギッシュな女性であり、「喰らひつ~また喰らひ」という畳み掛ける表現に真作ならではのリアリティーがよく表れている。

ちなみにこの記事を書くまで、筆者が吉永小百合作と思っていたばれ句は次のようなバージョン。

   松茸は舐めてくわえてまた吸うもよし


2019年12月2日月曜日

初霜の日ミニトマトをすべて収穫

先日の霜でミニトマトが枯れてきたので未熟な実を全部収穫しました。これはこのまま室温で放置しておくと次第に赤く熟してきます。腐ることはなく来年の5月ごろまでには全部赤くなり種も充実してきます。その種をまたポットにまいて苗を作り上げます。

門先のサザンカが満開になり、塀に絡み付いた蔦もすっかり紅葉しました。花びらや蔦の葉が昨夜来の雨に濡れた道路に落ちて晩秋の情緒が漂ってるのですが、隣のクソババが「道の掃き掃除をしろ」と迫ってきます。父がよく「あのでしゃばりが、、、」とブツブツ言っていたのが昨日のことのように懐かしく思い出されます。