2008年11月27日木曜日

心の傷


 霞ヶ関の高級官僚やOB達を震え上がらせた元厚生省次官殺害事件は意外な展開を見せています。

 容疑者が語る犯行の動機は、当初想像された政治テロとか暗黒社会とのつながりというようなものではなく、「34年前保健所に殺された犬の敵討ち」というにわかには信じがたいものでした。

 そこで「保健所に殺された」と男が言っている出来事の経緯をあらためて整理してみました。

 容疑者が12歳の少年時代、家にやってきた迷い犬を大切に飼っていた。ところがこの犬が知らない人に激しく吠えるのに手を焼いた父親は少年が学校に行っている留守を狙って保健所に連れていってしまった。

 学校から帰って異変に気付いた少年は保健所に犬を取り返しに行き、職員から「犬は元気、明日返してあげる」という説明を聞いて安堵し喜んで帰宅。翌日保健所に行ったらすでに処分されていたと知り、大変なショックを受けた。

 ほんとうにひどい話です。父親の行為も保健所の対応も。 “34年も前の出来事をいまだに引きずっているのはおかしい”とテレビコメンテーター達は口をそろえて疑問を投げかけています。しかしすべての人間が心に受けた傷を歳月とともに忘れ、癒されていくかというとそんなことはなく、感受性が強い子供は時としてそういうトラウマを生涯養い育てていく場合があります。

 漠然と「心に受けた傷」などと書きましたが、極度のストレスは文字通り大脳に障害を残すことがあり、今度のケースはそういう側面からの審理も必要ではないかという気がします。

 とはいえ、不運にもこのような男を隣人に持ってしまったら...逃げ出すのが一番。

2008年11月15日土曜日

国会答弁珍国語


 三転四転する2兆円ばらまき案の陰で、麻生首相の漢字の読み間違いが新聞をにぎわしています。「頻繁」かつ「未曾有」の首相の失態。麻生さんはこれらを“はんざつ”、“みぞうゆう”と読んだり、「踏襲」を“ふしゅう”と読む。
 “ふしゅう”と聞くとほぼ100%の人は「腐臭」という字を思い浮かべるでしょう。首相が好きな漫画本ではこういう漢字にはちゃんとふりがなが振ってあるはずですが・・・ 麻生さんに限らず身近にも傑作読みをする人々がいます。ある人が“ほっさく、ほっさく”と繰り返すので一体何のことかと思ったら「掘削」でした。「掘る」のホとサクを勝手に湯桶読みしているところは麻生さんの“ふしゅう”といい勝負です。
 小学校6年のとき、漢字の読み方テストがありました。隣の席の子が「断る」という字に“なぐる”とかなを振っているのを横目で見たときは思わず笑ってしまったものです。 確かに「殴る」によく似ているし、人の頼みをうかつに断ると殴られることも。そういえば“若い”という字は“苦しい”字に似ているといった歌詞の流行歌もありました(悲しみは駆け足でやってくる)。
 私はこういう読み間違いや連想はむしろ漢字のもつイメージ喚起力のすごさであって、教養うんぬんの問題にしてしまうのはつまらないなと思います。
 とはいえ、国会答弁などでよく耳にする“ちょくさい(直截)”は正しく“ちょくせつ”と読んで欲しいし、舛添厚労大臣がよく使う「喫緊の課題」の“きっきん”などという目くらまし語は何とかならぬかという気がします。
 閑話休題。読み間違いを指摘された麻生総理、「あ、そう?」と気にもとめてないところがいかにも良家のぼっちゃんらしく憎めません。
 

2008年11月13日木曜日

牛窓・てれやカフェ 


2年ほど前、牛窓にあった創作陶器とコーヒーの店「青空」がオーナーの故郷、岩手県一関に引っ越してしまい牛窓が寂しくなったと思っていたら、そのあとに「てれやカフェ」という喫茶店が今年の春オープンしました。
 岡山市西部の私の家から牛窓まで車で小一時間かかるのにもかかわらず暇を見つけては「てれやカフェ」に出かけています。その訳はそこのケーキがびっくりするぐらいおいしいからです。
 ケーキを作っているのはマスターの奥さんのテレサさん。アメリカ生まれで本業は藍染め作家。洋梨のタルト、クランベリースコーン、キャラメルロールケーキ・・・と季節の移ろいにあわせて彼女が焼き上げるケーキはひとくちにおいしいというのではなく、味が深いのです。滋味というか、しみじみ心の隙間を埋めてくれる暖かさがあります。
 子供時代から今まで、いろんなケーキを食べてきて、それはそれでおいしいと思っていましたが、テレサさんのケーキを食べてみて、ショックでした。このナチュラルで奥深い味はいったいどこからくるのだろう?という疑問がわいてきます。おそらく幼少のころからバターや砂糖、卵、それにハーブやスパイスの扱いに慣れ親しんだ家庭環境の中で自然に舌が覚えた味なのでしょう。
 “奥深い味”などと言ってもそれを説明するのはとても難しいのでぜひ店で実物を味わっていただきたいと思います。最新作は“デプレッション・チョコケーキ”。大恐慌のときバターや卵が高騰したときにそういう素材を使わないで作られたレシピを再現したそうです。
 今また、日本も不景気で気分は限りなくデプレッション(鬱状態)。そういうときこそ「大恐慌ケーキ」を食べて元気を出さなくちゃ。
 いろいろな文化的催しを定期的に開いたり、しゃれた創作雑貨を販売しているのは「青空」時代と変わりありません。 

2008年11月10日月曜日

蛤女房2008


 きょうの親父の昼飯は何にしようかと考えた結果、サンマの塩焼きとアサリの味噌汁にすることにしました。大根おろし用の大根、ユズやネギは畑から取ってくればいいので安上がり。

 つまらなそうな顔をして昼飯を食べる親父。「食欲がなくなったらお仕舞いよ!」などとイヤミをいいつつ半分以上残した昼飯をかたづけ始めました。そしてキッチンカウンターに放置したままになっていたアサリが入っていたプラスチック製のパックを捨てようとしたとき、きょうの不幸が始まりました。

 何とアサリが1個、パックの隅っこに残っていたのです。アサリも20個ぐらいの集団だと食品としてナベに放り込むことができるのに、1個だけ残っているのを見たらとたんに絶滅危惧種の生物、いや別に絶滅しかかっている様子はないけど、とにかく生き物という存在感が大きい。いったんは電子レンジに入れたもののスイッチが押せません。かくて、このアサリは瀬戸内海に返すことにしました。

 夜9時に兄が母の介護の交代に来たので、それからアサリを1つ助手席に載せて海を目指して出発。車のヒーターを入れるのもためらわれ、寒さをがまんしながら児島経由で王子が岳の下の海岸を目指しました。夜中の道路は不気味です。行けども行けども「児島方面」という標識が逃げていき永久にたどり着けないのではという感じさえしました。

 でも国道430号線に入り、海を近くに感じ始めたらまもなく国民宿舎「王子が岳」前の駐車スペースに到着しました。国道を横切り波打ち際まで暗闇の階段を降りてしばしxx(体が冷えたのです)。目が闇に慣れてきたら階段の端と砂浜の間が岩場になっていることが分かりました。波がその辺りまできているので気をつけないといけないなと思いつつ砂の上に立ったら想定外のことが、、、、何と砂がズズッと沈んでいくではありませんか。あわてて岩に乗ろうとしたら足が岩の上でぬるっと滑り90キロの巨体はスローモーションで波打ち際に転倒。左足の膝小僧を思い切り岩にたたきつけ激痛が走ると同時にジーンズ越しに海水が浸水してきて意識が薄れていきました。

 ふと気がつくと、趣味のいいスカンジナビア製のモダーン・ファーニチャーが置いてある高級ホテルのような部屋に。ううーん!? 竜宮城は確か中国風のインテリアだから違うような気がする。21世紀の竜宮城はやはりスウェーデン製の家具なのか、などとバカなことを考えているうちに、お決まりの美女・・・ではなく、顔はいまいち、しかしスタイル抜群の大女房が。
「私はあなたに助けていただいた蛤です」
「それは何かの間違いでしょう。私が海に返したのはアサリでした」
「それはこうなのです。アサリは私の仮の仮の姿、本当は蛤でした」
「えっ?蛤女房の蛤さんですか?」
「まあ、そんなところです」
「???あなたはいったいあなたなのですか?それとも蛤女房?ではなくアサリ嬢?」

などと、コンニャク問答をしているうちに波がザア、ザア寄せては引いていく音が大きくなって夜の海辺にぶっ倒れている自分に気がついたのです。

 立ち上がれなかったら携帯で110番しよう、と思ったのですが携帯は車の中に置いてきたらしくポケットにはありませんでした。正解でした。携帯が海水に浸からずに済んだし、もしパトカーを呼んだら、「こんな夜中に渋川の海に何の用があったのか?」と尋問されることは確実。「スーパーで買ったアサリを海に返しにきました」などと言おうものなら、外科病院ではなく精神病院へ連行されていたでしょう。

 両手の指も岩で激しく擦って強い痛みがあったものの出血はしてなさそう、どこかに行ったサンダルの片割れを探しだして、浜辺から上がり砂を払い落として駐車場へ。帰りは30号線を通って帰宅しました。とんだナイトメア・イブニングでした。(一部フィクションあり)

2008年11月6日木曜日

姉弟愛


 10月末、フジ子・ヘミングのピアノコンサートを聞きに東京まで行ってきました。

 フジ子・ヘミングは父方がロシア・スウェーデン、母方が日本人というインターナショナルなバックグラウンドをもった生まれであり、あの北欧的な憂いを秘めつつも力強いピアノのタッチはそういうところから来ているのかもしれません。

 1曲弾き終えるごとに客席から拍手と歓声がわき起こります。ところがその中にひときわ大きな胴間声で“ブラボー”と叫ぶ“変な外人”風のおっさんがいて何となくコンサート会場に不協和音が広がりました。

 このおっさん、アンコール曲のラ・カンパネラ(リスト)が始まると今度は三脚に据えたカメラで写真まで取り始める始末。プロダクション関係者とも思えません。 演奏会が終わったあと会場の係員に“変な外人”のことを尋ねたら、何とフジ子さんの実弟で、「私たちも困っています」とのことでした。

 岡山に帰ってからフジ子さんのプロフィールを調べたところ、弟というのは俳優の大月ウルフであることが分かりました。「必殺仕掛人」、「大鉄人」など数多くの映画やテレビで“変な外人”や神父役で活躍した人のようです。

 そうだったのか!と思いました。フジ子さんは弟がコンサート会場に来るのを嫌がるどころか、多少のやんちゃは大目にみるよう主催者に因果を含めているのではないか、などと想像されました。

 フジ子・ウルフ姉弟は戦時下の日本で子供時代から大人になるまでずっとひどい差別やイジメにあってきたのでしょう。そんな中で姉弟がかばいあいながら生きてきた歴史があったと思います。

 美空ひばりが世間が何と言おうといつも弟に花を持たせていたことが思い起こされました。偉大なピアニスト、フジ子・ヘミングの人間としての魅力が一段と輝いてみえた夜でした。