2017年12月20日水曜日

12月の東京、富山、金沢

12月9日から2泊3日で静岡、東京、富山、金沢、大阪と周遊旅行をしてきました。
静岡では駅前の静岡市美術館で開催中の「ターナーからモネへ」展を見ました。ターナー、コンスタブルらイギリスの風景画がフランスの印象派に与えた影響をテーマにしていました。それにしても新幹線の「のぞみ」が停車しない都市へ行くのは大変です。名古屋で「ひかり」に乗り換えたのですが「ひかり」は1時間に1本。北陸新幹線も最速タイプの「かがやき」がこれも1時間に1本。岡山は便利な街であることを再認識しました。
東京では今年2月に結婚した甥に会いました。そのあとで学生時代の友人と歌舞伎座近くの料理屋で久しぶりに歓談。
翌11日(月)は歌舞伎鑑賞。11時からの公演。「実盛物語」愛之助、吉弥、笑三郎、片岡亀蔵。愛之助はスキャンダルだけの俳優かと思っていたのになかなかの役者であることを知りました。
「土蜘」叡山の僧智○実は土蜘の精:松緑、侍女胡蝶:梅枝、太刀持音若:左近など。
最前列中央かぶりつきで見ました。蜘の化け物が糸をシャーっと投げつけるシーンはぜひ至近距離から見たいと思っていたので最前列の席を予約して大正解。

夕刻、北陸新幹線で富山へ。富山はぼたん雪が降り、ホテルまでのわずかな距離も大変でした。
夜は飲み屋と料理屋をはしご。魚料理がとても美味。ホテル泊。

12日 富山県立美術館訪問。雪景色のなかにモダンな建築がよく似合っていました。
午後、北陸新幹線で金沢へ。富山と金沢がほんとうに近くなったと感じました。兼六園見物。シニア料金は無料。
夕方、サンダーバードで大阪へ。梅田でショッピングその他。午後10時半過ぎの新幹線で岡山へ。

日本の旅は楽しい!

韓国アイドルの遺書

韓国の男性アイドルグループになんて全然興味ありません。中身のない、歯の浮くような嘘臭い歌詞の羅列にすぎない。ところが最近練炭自殺した、SHINee(シネーではなくシャイニーと読むらしい)のメンバー、ジョンヒョンの遺書が公開されました。うつ病だったようですが、この遺書には心を打たれました。死に際して大変な才能を発揮したと思います。記憶にとどめるためにここに引用します。

*******************************************

SHINeeジョンヒョンさんの遺書全文

2017年12月19日10時13分
[ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版]
comment
17
share
mixi
写真拡大
SHINeeの故ジョンヒョンさん
  19日、4人組グループ「Dear Cloud(ディアクラウド)」のメンバー、ナインのインスタグラムを通じてジョンヒョンさんの遺書全文が公開された。

  <ジョンヒョンさんの遺書全文>

  僕は体の中から壊れてしまった。じわじわと僕を蝕んでいった憂鬱は結局、僕を飲み込み、僕はそれに勝てなかった。僕は自分を憎んだ。切れ切れになる記憶をつかんでいくら気を引き締めろと大声で叫んでみても答えはなかった。詰まった息を再び息できるようにすることができないなら、いっそ止めてしまったほうがいい。

  僕の責任を負えるのは誰なのか尋ねた。君だけだ。僕はたった一人だった。終わらせるという言葉は簡単だ。終わらせることは難しい。その難しさのために今まで生きてきた。逃げたいだろうと言った。その通りだ。僕は逃げたかった。僕から。君から。

  そこにいるのは誰かと尋ねた。僕だと言った。また、僕だと言った。そしてまた、僕だと言った。なぜそんなに記憶を失うのかと聞いた。性格のせいだという。そうなのか。結局、全部僕のせいなんだ。気づいてほしいと願っていたが、誰も気づかなかった。僕に会ったことがないのだから僕がいることに気づかないのも当然だ。

  なぜ生きているのかと尋ねた。ただ生きてる。ただ生きてる。みんなただ生きている。なぜ死ぬのかと聞かれれば疲れたからだと言うだろう。苦しみ、悩んだ。うんざりするような痛みを歓喜に変える方法は教えてもらったこともなかった。痛みはただの痛みだ。そうするなと僕を責めた。なぜ? 僕はなぜ僕の心のままに最期も迎えられないようにするの? なぜ痛いのかを探せと言った。すごくよく知っているさ。

  僕は自分のせいで痛い。すべて全部、僕のせいで、僕が悪いからだ。先生、この言葉が聞きたかったんですか? いいえ。僕は何も間違っていない。小さな声で自分の性格を責めている時、医者は実に軽く考えた。なぜこんなにまで痛いのか不思議なことだ。

  僕より辛い人たちもうまく生きたのに。僕より弱い人たちもうまく生きたのに。違うようだ。生きている人の中に、僕より辛い人はいなくて僕より弱い人はいない。それでも生きなさいと言った。なぜそうしなければならないのか数百回聞いても、僕のためにではない。君のためにだ。僕のためにしたかった。どうか分かりにくいことを言うのはやめてください。なぜ辛いのかを見つけろとは。何回も言ったじゃないか。なぜ僕が辛いのか。じゃあこれくらいの辛さではダメってことなのか? もっと具体的なドラマがなければならないのか? もう少し事情がないとだめなのか? もう言ったじゃないか。ひょっとして聞き流していたんじゃないのか? 打ち勝てることは、傷跡として残らない。

  世の中とぶつかることは僕の役割ではなかったようだ。世の中に知らされているのは僕の人生ではなかったようだ。全部、だから辛かったんだ。ぶつかって、知らされたから辛かった。なぜそれを選んだのだろうか。お笑いだ。今まで耐えていたのがえらい。これ以上、何の言葉を加える? そのままお疲れ様、と言って。これぐらいならよくやったと。よく頑張ったね、と言って。笑うことはできなくても、責めたまま死なせないでほしい。お疲れ様。本当に頑張った。さよなら。

2017年12月6日水曜日

イタリアへの旅(4)


 ヨーロッパに出かける楽しみのひとつにオペラ鑑賞があります。今回宿泊したテルミニ駅(ローマ中央駅)近くにはローマ歌劇場があり、私の滞在中は毎晩バレーの人気演目「ドンキホーテ」が上演されていました。できればバレーではなくオペラが見たいと思っていたら、歌劇場近くの教会でヴェルディの「椿姫」の公演があることが分かり旅の相棒を置いて一人で出かけてみました。
 超一流のメンバーによる公演ではないにしてもそこはイタリア、さすがです。しかも教会の祭壇を舞台にしつらえ観客は会衆席に。高級娼婦ヴィオレッタとうぶな青年アルフレードの二重唱を圧倒的な声量で聞く喜びは小会場ならではです。
 最前列に陣取った私の隣には日本人女性が座っていて、幕のあいだ少しお話ししました。以前はニューヨーク勤務だったそうで、そのときオペラを見る楽しみに目覚め、いつか本場のイタリアオペラを見たいと思っていたのが今日実現したと語っていました。
 不幸な役をやらせれば日本一と評判の女優、木村多江を思わすやや翳りのある美貌、知性がおのずとにじみ出ている立ち居振る舞いが気になりオペラに集中できません。終演後は思い切って「コーヒーでも」と声をかけよう!(まるで中学生です)、「いや客観的に見て、こんな知ったかぶりジジイとお茶するなんて自分でもノーサンキューだわ」と自問しているうちに「椿姫」は感動のフィナーレを迎えました。
 ここは2000年の都ローマ、しかも教会の祭壇の前、感動のオペラの余韻がまだ残っている! 私は思わず「コーヒー、いかがです?」とニューヨーク帰りの木村多江さんに声をかけていました。
 「もう遅いですし、友人が待っていますので……」それはそうでしょう。オペラが始まったのが夜の8時半で時刻はすでに11時を過ぎています。深夜のローマは物騒。しかし終演が早い日本と違いローマの夜はこれからです。食事にワイン、お開きになるのは深夜23時、ときには夜が白むまで彼らの楽しみは続きます。

 柄にもないあつかましい誘いを断られて、何だかほっとして、ホテルまでの数百メートルの道を、ちょっと残念と思いつつ、心は軽く、後輩君が待っている安宿へ引き上げました。楽しかった46日のローマ旅行もこうして無事終了しました。(了)