2013年11月4日月曜日

菅原道真あれこれ

“菅公学生服”(岡山市)は学生服のトップメーカーでその歴史は大正時代にさかのぼるそうです。私が中学生だったころ(昭和30年代)も“菅公”とか“カンコー”というロゴの看板をよく見かけました。「カンコーって何だろう? 変な名前だなあ」などとその摩訶不思議なブランド名をいぶかったものですが、それが菅原道真にあやかった名前だったことに気づいたのはずいぶん後年になってのことです。

 菅公すなわち学問の神様の名前を学生服のブランド名にしたのはなかなか気がきいています。政治家として、学者として、また詩人として才能がありすぎたために不遇な最後を遂げた悲劇の人。死した後いったんは怨霊として恐れられたもののその後一転神様に祭り上げられた日本史の中でも最大級の卓越した人物。

 天神様、菅原道真はおよそ上記のような経歴で知られ、ちょっと堅いイメージがあるのですが、道真が残した膨大な量の漢詩を読むととてもみずみずしい感性の持ち主で千年以上も昔の人とは思えません。『菅家文草』という漢詩集にこういう七言詩(部分)があります。

 紈質何為不勝衣
 謾言春色満腰囲 (春娃無気力)

紈(しらぎぬ)なす質(かたち)の何せんとてぞ衣(ころも)に勝(た)えざる
謾(いつわ)りて言えらく春の色の腰の囲りに満てりと

この2句の意味はおよそ次のようになります。

舞姫たちのすべすべ肌は薄衣さえ耐えられないように見えるのは何故?
春の気が彼女たちの腰のまわりにまとわりついているからだと? 嘘おっしゃい!

(つまり)
スケスケ衣装の舞姫たちがこの上なく色っぽいのは、春の陽気のせいですか? いいえ(彼女達が発散させるフェロモンのせいです)……などと超訳すると身も蓋もありませんが、平安時代初期、すでに道真は現代フランス象徴詩に匹敵する詩を大量に残していることはもっと知られていいと思います。

 話変わって、10年ほど前まで「とうりゃんせ……、天神様のお通りじゃ」の曲が大阪で盲人用信号に広く使われていました。私は当時の磯村大阪市長あてに「こんな暗くて脅迫的な短調の曲は盲人用信号に使うな、ピッポーにせよ」という主旨のメールを出しました。メールを出したことすら忘れたころ大阪の信号が「ピッポー、ピッポー」に変わりました。万歳!

* * *

道真のこの詩は唐の詩人、白居易の『長恨歌』の影響を受けているものと思われます。

 春寒賜浴華清池(chi)
 温泉水滑洗凝脂(zhi)
 侍兒扶起嬌無力(li)
 始是新承恩澤時(shi)

   春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。
 温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。
 侍女が助け起こすとなよやかで力ない。
 このとき初めて皇帝の寵愛を受けたのであった。

高等学校の漢文の授業で先生は次のように解説されました。
「楊貴妃がお湯からあがろうとしたときぐったりして力が入らなかったのは、何も温泉で湯当たりしてのぼせたからではないよ」(先生はその後国士舘大学教授になられた)

この華清にある温泉は今でもお湯が出ているそうです。西安には行ったことがないのですが、一度はその温泉や兵馬俑博物館を訪れてみたいと願っています。
(写真は華清宮。楊貴妃の像が史跡のイメージをぶっ壊しています)


0 件のコメント: