2015年3月29日日曜日

見たくない光景


 このごろ暗いニュースが多く、思わずテレビチャンネルを変えてしまうことがよくあります。

川崎市で起きた中学1年生殺害事件は事件の様を垣間見るたびに心が折れていきます。「反省したフリ、俺はチョー得意」という18歳少年は今回の事件でも「心で話した。謝った」などと供述したそうです。社会はこうした悪の天才というべき犯罪者にどう立ち向かえばいいのでしょうか。

1999年に起きた光市母子殺害事件の犯人Aも被害者遺族をあざ笑い、死刑の判決が出そうになると今度は突飛な言い訳を始めて遺族をいっそう苦しめました。A少年の場合は最高裁で死刑が確定しましたが、今回の川崎の件で極刑判決がでることはないでしょう。

裁判員裁判で厳罰の判決が出ても高裁、最高裁のプロたちが“相場”を勘案して死刑を回避することが潮流になっています。また先進国の多くの国で死刑そのものが廃止されているなかで日本がいつまでも死刑制度を存続させていていいのかという考えもあります。

死刑制度があろうがなかろうが更正することが期待できない絶対悪のような犯罪者はいつの世のなかにもいます。こんな社会で殺された中学生の魂に報いる方法は、同様な少年事件が起きることを未然に防ぐことしかないと思いますがそれは絶望的なくらい困難なことです。

「イスラム国」(IS)による古代文明の遺跡破壊行為の映像も見たくない光景のひとつです。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているという単純な理由で文化財をこっぱみじんに破壊しています。文明の黎明期から何千年もの間人類が大切に守ってきた遺跡や文化財を壊してしまうことにISの連中は畏れといった感情、感覚を持ち合わせていないのでしょうか。

日本でも明治維新のとき廃仏毀釈運動によって多数の寺院や仏像が破壊され、多くの仏像などが美術品として国外に流出してしまいました。ボストン美術館の日本部門を訪れたらそのコレクションのすばらしさに感嘆しますが、いずれも日本が自国の文化財に対する価値観を見失ったときに流出したものばかりです。

イラクやシリアの遺跡破壊を防ぐことができないところに人類の知恵の限界があります。後で嘆いてももはや取り返しはつきません。

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