2015年10月29日木曜日

大村先生のノーベル賞受賞を祝す


子どものころの悲しい思い出のひとつにクロという名の愛犬の死があります。終戦直後、私が生まれたころに両親がどこからかもらってきた雌の子犬でした。今のようにドッグフードなど存在しなかった時代、人間も食料難の時代、母は自分のご飯を残してみそ汁をかけたものをクロにやって育てたそうです。

クロも私も10歳になったころ、クロの腹に水が溜まるようになり、散歩に出て少し歩くとヒックヒック言うようになりました。恐ろしいフィラリア症に感染していたのです。いったん心臓にフィラリア線虫がわくと獣医も手の施しようがなく、クロは苦しさにあえいでいました。

そんな日々が何ヶ月か続いたあと、両親はついにクロの安楽死を決断しました。獣医さんが来た日、クロはその日に限ってヒックヒックしないで少し元気になったように思えました。私は泣きながら母に「クロは具合がよさそうだ。安楽死は待って欲しい」と訴えました。しかし母も泣きながら「もうクロを楽にさせてやろう」と私を抱きしめ、母と私の目の前で息を引き取りました。

それから数年が経過したころ、ちょうどアメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保に来るというので社会が騒然となっていたころのこと、一匹の野良犬が我が家にやってくるようになりついに我が家の飼い犬になりました。名前はエンタープライズから拝借して“エンプラ”。それでも長いので“プラ”と呼んでかわいがったものです。

しかしプラも晩年にはフィラリアにかかり、最後は散歩に行くこともできずお尻が糞尿で汚れるようになりました。ある日、私が水道のホースでお尻を洗い流してやっていたら突然瞳孔が開き、ドゥっと地面に倒れ、暖かいおしっこが流れ出ていきました。プラも私が抱きかかえるなか旅だっていきました。つい20年くらい前までフィラリアはこんなにも恐ろしい感染症だったのです。

でも今では毎年何億の人間と何十億の家畜がフィラリア症の恐怖から救われています。私は今までうかつにもその特効薬を開発したのが日本人の研究者であったとはまったく知りませんでした。ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智先生、おめでとうございます。数ある輝かしい日本人受賞歴の中でも、ひときわ賞賛に値するノーベル賞です。

0 件のコメント: