2017年6月28日水曜日

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(中)

西郷先生の業績の集大成ともいうべき「西郷竹彦・文芸教育全集」全36巻を出版した恒文社社長の池田恒雄氏(ベースボールマガジン、恒文社会長)が全集の巻頭言で次のように西郷先生の人となりを紹介しています。

「先生は、いまも、若き日のエネルギーを持って日本中を、駆け回っておられる。しかも、近著からもわかりますように、そのお仕事は何度目かのピークを迎えておられるように思います。内部に蓄えられたマグマの強さには、ほとほと感心せずにはいられません」(西郷竹彦著「わが人生を織りなせる人々」新読書社、p.92、下線は筆者)。

この池田氏のことばはそのまま先生のより私的な部分あるいはパーソナリティーの根幹をなす人格の中枢部分にもあてはまるのではないかと思います。ここではプライバシーに配慮しつつも池田氏の言葉からキーワードを取り出して、先生の最晩年を近くで見てきたものとして思い出をつづってみたいと思います。

「若き日のエネルギー」
100年近い生涯を通じて先生は常に若い女性から生きるエネルギーをもらっていました。複数回におよぶ結婚生活、多くの子どもさんに恵まれたこと自体が現今の草食動物化した若者世代には想像もつかない旺盛な動物的エネルギーの持ち主であったことを証明しています。
90歳を過ぎてから始められた我々地元民を受講者にしてのセミナーの参加者は中年以降のおっちゃん、おばちゃんが多かったのですがたまに文学に興味をもった女子高生なんかも混じっていました。
先生はおじんやおばんには目もくれず、若い生徒さんには実に懇切丁寧に勉強方法を伝授していました。「君、名前は何ていうの?文学を学ぶのにはまずこれこれの本を読むといい、今度持ってきてあげよう……」まるで高校か大学の文芸部の先輩が新入部員の女の子に語りかける口調。若き日のエネルギーは不滅です。

「日本中を駆け回る」
 文芸教育研究会主催者として先生は90歳を過ぎても全国大会に臨まれました。また遠距離の旅も一人で出かけることがありました。あるとき熊本出張の帰り、駅で転倒し、腎臓が損傷するという大事故に見回れたことがあります。即刻救急車で病院搬送しなければいけない状況です。(続く)

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