2011年11月19日土曜日

赤壁賦


中国古典のふるさと武漢にわずか4時間ほど滞在しただけですが、そこで得たインスピレーションは大きく、高校時代の漢文の教科書をひっぱりだして読み返しています。熟年になって昔訳もわからず習っていたことを読み返すのも楽しいものです。

高校時代に習った漢文に蘇軾の「赤壁賦」というのがありました。「前赤壁賦」、「後赤壁賦」と二つのパートに分かれていて、時期的には「前」が7月、「後」が三ヶ月後の10月に書かれています。ともに友人を誘って長江の赤壁(三国志の赤壁ではなく少し位置が違う)で徹夜で飲酒・船遊びをしたようすを賦(文章の形式)にしたものです。

漢文の時間に先生の解説を聞きながら、「この詩はすばらしい!」と感激に浸ったことが昨日のことのように思い出されます。とりわけ気にいったのは、前赤壁賦ではここの部分、

客に洞簫を吹く者有り。

歌に倚って之に和す。

其の声嗚嗚然として、怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴うるが如し。

余音嫋嫋として、絶えざること縷の如し。

幽壑の潜蛟を舞わしめ、孤舟の婦を泣かしむ。
                                        りふ
蘇子 愀然として襟を正し、危坐して客に問うて曰く、何為れぞ其れ然るや。
(蘇子愀然正襟、危坐而問客曰、「何為其然也。」)

(以下省略)

一番最後の行の、「何為其然也。」(なんすれぞ、それしかるや)という言葉の使い方が非常に凝っているというか哲学的でさすがは中国という気がし、40数年間頭の奥にこびりつくように記憶していました。

日本語に直訳すると、「どうしてそうなのですか?」になり、アリストテレスの「本質」to ti en einai (それは元来、何であったのか、ということ)を彷彿とさせます。内容的にも前赤壁賦では、月は満ちたり欠けたりするが月そのものがなくなることはない、などとアリストテレス的世界観そっくりです。

この難解な表現「何為其然也。」は前赤壁賦の文脈に沿って言えば、客の笛の音が「怨むがごとく、慕うがごとく、泣くがごとく、訴うるが如く、余韻嫋々(じょうじょう)として、絶えざること糸のようだ」であることに対し「どうしてそんなにも悲しい音色で奏でられるのか!」と感嘆の声を上げているような意味だと思います。

***

「後赤壁賦」は「前赤壁賦」の形而上学的雰囲気から一転し、深夜、切り立つ崖を蘇子ひとりロッククライミングしたようなことが書かれています。船遊びに出かけた経緯と鶴のビジョンを見たなど宇宙的な感覚とリラックスした雰囲気が渾然一体となって素敵です。

酒のサカナ(文字通り魚が捕れた!)が手に入り、そこにもってきて出来のいい奥さんが、「あなたが急に酒が要るということもあろうかと思って一斗樽を用意しておきましたよ」と機嫌良く亭主を船遊びに送り出してくれたので、蘇軾は客とまた赤壁に出かけます。一晩ドンチャン騒ぎをして寝込んでいたら、鶴がクァーと鳴いて飛んでいくビジョンを見る。すると夢のなかに道士がでてきて「赤壁之遊樂乎」(赤壁の遊びはたのしかったですか?)と問う。蘇子(蘇軾)が「あなたはいったい誰ですか、もしかしてあの鶴ですか」と尋ねたら道士は笑って去っていった、という結末です。

私にもだれか尋ねてくれないかな? 「上海之遊樂乎」。(上海での遊びは楽しかったですか?と)

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