2019年3月20日水曜日

やなぎみわワークショップ「機械と朗読」に参加して(後編)

高松市美術館で開催されていた「やなぎみわ展 神話機械」に関連したイベント、「機械と朗読」に図らずも参加することになり、来館者も見ているまえで何とか自分のパートを朗読することができました。
最後にまた元の会議室に集まり、やなぎみわ先生から15名の参加者に対しコメントや今後の演劇パフォーマンスの予定などについてお話をおうかがいしました。「男性3人の皆さん、よかったですよ」とのお言葉をいただいたのは素直にうれしいことでした。
70年の人生を振り返ってみて、舞台に立ったことが2回だけあります。幼稚園のとき学芸会で私はピーターラビットの主役を任されました。あまり目立たない子どもだった私は幼なごころにも自分は主役を張れる器でないことは自覚していたのになぜかそうなってしまいました。
そしてふだんけんかに強く偉そうにしていた近所のヨッチンなんか、野菜畑のカブラの役を割り当てられ、カブラの絵を切り抜いた帽子をかぶってじっとしているだけ。私、主役のピーターうさぎは母親の言いつけを破ってマグレガーさんの農場に忍び込んで野菜を食べてマグレガーさんに見つかり、舞台の上を所狭しと逃げ回り大活躍。幼稚園児ながらヨッチンがしょんぼり突っ立っていたことを今でもよく覚えています。
  小学校1年生のときは、今度は浦島太郎に抜擢されました。体格のよかったクラスメートが亀の役になり、その背中に乗って竜宮城へ向かうのです。私は遠慮深い性格だったので亀にまたがっても自分の足で体重を支えていたら、その子が「足を上げて乗っていいよ」と言ってくれたのがうれしかったです。大団円では白くて長い髭を顎に接着剤で貼り付けて舞台の上で孤独をかみしめるシーンを演じましたが、今や私もほんものの翁(おきな)になってしまいました。
今回やなぎみわのワークショップに参加して、人前でパフォーマンスすることの楽しさを多少なりとも感じました。幼年時代のささやかな舞台体験も今の自分をいくらか支えていることだし何か始めたい。今更舞台は無理としてもシナリオや詩の朗読を試みることならできそうです。できればそらんじてみたい。こんなことを思うのも、そろそろ自分自身の玉手箱を開けてみる時期が到来してきているせいかもしれません。

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