2019年10月15日火曜日

千曲川

 今年最強の台風19号が関東甲信越・東北地方を襲いまたも多数の痛ましい犠牲者が出ました。今回の台風による被害は大雨で増水した河川の氾濫によるものが大きかったのが特徴的です。昨年倉敷市真備で起きた悲劇がより規模を拡大して東日本のあちこちに拡散した印象です。
 今回大きな被害を出した千曲川というと、すぐに思い浮かぶのが島崎藤村の「千曲川旅情の歌」です。素敵な長い詩は次のように始まります。

 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ
 緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず
 若草も藉()くによしなし
   (以下略)

まだ20代だったころ、この千曲川を見たくて当時松本に住んでいた幼なじみを誘って上田まで行ったことがあります。季節は秋だったような気がします。川べりにはたくさんのウグイを焼いて食べさせる店が並んでいました。
ウグイはコイ科に属する淡水魚で流線型の美しい姿をしています。友人と一軒の店に入ってさっそく天ぷらと串焼きを注文しました。「美味しい!」となるはずが実際は小骨が多くちょっとがっかり。信州の上田や佐久、小諸あたりは松茸の産地でウグイ料理の口直しに友人とすき焼き屋に入ったものでした。遠い過去のなつかしい思い出。藤村の詩にあこがれてやってきた千曲川流域の自然は限りなく美しく50年経っても色あせることはありません。
ところが生涯最良の友と思っていたその幼なじみと後年、ふとしたつまらないことで、私の方からまったく一方的に連絡を取ることをやめてしまいました。いや、初めから親友なんかなどではなかったのに、子ども時代から大人になるまで他に友達もいなかったからつきあってもらっていただけのような気もします。
友人関係が終わってもう何十年にもなるのに、信州の美しい景色を映像などで見るたびに大切な幼なじみに不義理をしてしまったこと、そんなことがときおり喉に引っかかるウグイの小骨のように思い出され、後悔に苛まれます。
藤村に詩のインスピレーションを与えた千曲川が容赦なく堤防を破って暴れる様子をみながら、我が人生も山あり谷ありで一筋縄では行かなかったことが痛切に感じられます。平和な千曲川をまた見たいものです。



千曲川旅情の歌 島崎藤村(1900年、明治33年4月)


    一
小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子
(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞
(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾
(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香
(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む 
   二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世を靜かに思へ
百年
(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁
(うれひ)を繋(つな)

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