2019年12月4日水曜日

「憮然」の意味

地元紙に五木寛之のエッセイが連載されています。今回の題は「すき焼きに歴史あり」です。文中に「憮然」という言葉がありますが、誤用で有名なやつ。いわく、本来憮然は「がっかりしたさま」をいうのに、今ではもっぱら「不機嫌なさま」と70%の日本人が思っていると。

このエッセイで五木寛之は「がっかり」したのか「不機嫌」になったのか、その答は後ろの父親の部分を読めば、「不機嫌」であることが読み取れます。何事につけ若者ぶっている五木寛之のこと、私の解釈で間違いはないと思います。


そんなことより、今どきの若者って五木寛之のような米寿が近い老人(87)と同じすき焼き鍋なんかに箸突っ込んで「うまかったっす」なんて言うのかなあ? 私も老人の範疇に入りますが、そんな鍋の中で煮えている肉なんかつつきたくありません!「フケツ!」、「キューポラのある街」の中で唐突に叫ぶ幼き日の吉永小百合のカマトトセリフが想起されます。その後、彼女は清純派女優のイメージを払拭すべく、次の句を残したと言われています。

(以下はNinelivesによる破礼句考)*ばれくこう

   松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり

しかしこれは俗説で吉永小百合の真作は次のような句であるらしい。

   松茸を喰らひつしゃぶりまた喰らひ

日本語の名詞には単数複数の概念がなく、例えば芭蕉の「古池や蛙飛び込む池の音」の句では、カエルが1匹飛び込んだのか4、5匹だったのか分からないので英訳するときとまどうといったことをドナルド・キーンがどこかで書いていたように思う。(キーンはカエル1匹と解釈)

The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
( tr. by Donald Keene)

ひるがえって吉永小百合の句の場合、前者から受ける印象では咥えた松茸は1本であり、真作と思われる後者は大小さまざま複数の松茸を喰らったのであろう、まるでインパクトが違う。彼女は自称体育会系、肉食系のエネルギッシュな女性であり、「喰らひつ~また喰らひ」という畳み掛ける表現に真作ならではのリアリティーがよく表れている。

ちなみにこの記事を書くまで、筆者が吉永小百合作と思っていたばれ句は次のようなバージョン。

   松茸は舐めてくわえてまた吸うもよし


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