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2008年9月9日火曜日

クソ教育委員会


 ”クソ教育委員会”とは、橋下大阪府知事が府下市町村教育委員会が学力テストの成績を公開しないのをなじって発した言葉です。

 知事の発言は穏当とは言えませんが、抵抗する教育委員会の姿勢も理解に苦しみます。大阪は全国レベルからみて最底辺にあることは仕方ない、しかし自分の市町村が府内で最低であるようなことだけは絶対ばれてはいけない、と各市町村は考えているのでしょう。

 知事は一筋縄でいかない市町村に対し次は兵糧責めをちらつかせ泥仕合の様相を呈してきました。クソ呼ばわりされる教育委員会にしてみれば、公安委員会などとともに知事部局から独立した組織にズカズカ踏み込んでくる知事に対し強烈な反発があることは当然です。

 ともかく不名誉な事実が白日の下に曝されてしまったからには、知事も教育委員会も学校もなりふりかまわず児童の学力アップに邁進していくことだけは確か。ではどうやって点数を上げるのでしょう。地道にちゃんと教育していくようなやり方では即効性がありません。

 ズバリ、学力テスト当日はできない子に臨時休暇を与える、テスト前日に先生が試験のさわりの部分をそれとなく児童に教える。

 そんな馬鹿な!と思われる人がいるかもしれません。しかし昔はそんな工夫は全国どこでも行われていました。教育県愛媛の事例などつとに有名。

 そもそも文部省が日教組の反対を押し切って学力テストを開始したのは半世紀も前のこと、皮肉屋の父は、「日本は徴兵制度の復活を目論んでいるんじゃないか、そのために全国レベルで児童の学力を把握しておきたいのだろう」などと言っていましたが、父の見通しはみごとに外れました。

 外れてよかったと思います。学力テストの成績を巡って不毛なバトルをやっている平和な日本が好きです。

2008年8月27日水曜日

還暦同窓会(2008年9月8日号)

 自分が生まれ育った岡山市福田学区にある実家で親の介護に明け暮れる日々を送っていることは幸せなことかもしれません。でも生涯ずっとここにいたのかというとそうではなく、小学校3年の3学期が終わった直後、隣の妹尾学区に家中で引っ越ししました。

 引っ越した理由は、どちらも教師だった両親が兄と私を岡大附属中学校(附中)に行かせようと思ったのですが、当時附中の学区は旧市内、妹尾、吉備、中庄、倉敷に限定されていて福田学区にいては受験できなかったのです。

 そんな理由で生まれ在所を捨てた私はいつも地元の友達を裏切ってしまったという引け目があって還暦を過ぎた今でも幼なじみたちに会うのがやや苦痛なのです。

 しかしそんなことを苦にしているのは私のひとり思い、先日河口メロン園の河口君から「こうちゃん、今度還暦同窓会するからこられー」とお誘いがありました。卒業していない学校の同窓会に出かけるのはいくらなんでも厚かましすぎるし、7歳から9歳までのたった3年間机を並べただけの旧友に50年ぶりに会うというのも何やら気恥ずかしいし大変勇気がいること。

 さんざん迷った挙げ句、欠席としたハガキを村の郵便局のポストに投函したところを偶然河口君に見つかってしまいました。「今欠席のハガキを出した」と言ったら、「おえん!ハガキが届いたらこっちで勝手に出席に変えとく」と押し切られました。

 1学年100人前後でしたが40人も出席するとはすばらしい、地元で足を地につけて生きてきたみんなの顔が浮かびます。ただ日航機墜落事件で犠牲になったY君はじめガンや事故でなくなったものも何人かいるようで50年の歳月の長さを感じます。

 河口君によれば「還暦同窓会はまたの名を東山へ行く準備会」というそうです。(注。東山=岡山市の斎場があるところ)