昔は学生と言えば二十歳前後の若者と相場が決まっていました。ところが日本も成熟社会になって生涯学習が定着し今ではどこの大学でも社会人や定年退職組学生が教室の前の席に陣取り年若い先生の講義を本職の学生より熱心に聞いています。
ただ私自身まだ若かったころ、かなりの年配の人たちがなぜまた大学なんかに出かけて勉強するのかピンときませんでした。「人生、他にすることはないのか?」などと冷ややかな目で見ていたものです。
ところが妙なことに自分自身還暦を過ぎて体力的にも頭脳的にも限界を感じ始めたころから、昔勉強し損ねたことをそのままにして死ぬのは心残り、という気がしてきてまだ思考力があるうちに難解な本を読んだり新しい外国語に取り組もうという気になってきました。老いと死が現実のものになってきたからでしょう。
しかし若いころ2回も大学に行った経験を振り返ってみて大学というところは実に効率の悪い教育機関であることが身にしみて分かっています。同じ過ちを3度犯すにはもう年を取り過ぎているので私なりにやり方を考えてみました。一番いいのはかつて齧っても歯が立たなかった本を読み返すこと。例えば、世界的に著名な言語哲学者、井筒俊彦先生の「意識と本質」(岩波文庫、1991)。
この本は単に難解なのではなく華麗に難解であることが最大の魅力で死ぬまで読んでも飽きないでしょう。こうした古典の名著のありがたいことは1冊読むことで同様のレベルの本を100冊読んだのと同じ効果があり大変時間の節約になります。
読書とならんで頭脳活性化に有用なのは超一流の人の話を聞くこと。最近、牛窓の喫茶店(てれやカフェ)で文芸学の権威で国語教育界の重鎮、西郷竹彦先生の石川啄木と宮沢賢治に関する連続講義(全8回)を聴講する機会に恵まれました。
当年91歳の西郷先生は最先端の文芸理論を駆使して、毎回3時間の長丁場を飽きさせることなく、啄木や賢治の作品にまったく新たな光を当てて現代に生き生きと甦らせます。
そこには“生涯学習”などという変に気取った言葉でくくられるようなうそっぽい真面目さなんか入り込む余地はありません。先生は生涯現役の学者にして言葉の魔法使いなんですね。次回は夏目漱石の奥処を見せてくれるとのことです。
2011年4月4日月曜日
中国企業に思う
東日本大震災の影響で3月27日に就航予定だった中国のLCC(格安航空)、春秋航空の高松・上海便の開設がキャンセルになりました。私は就航を見越して予約開始と同時に上海便の切符を購入していたのでとてもがっかりでした。
ところが就航キャンセルを発表した2,3日後「予定通り就航する」というニュースが流れ、さらに今度は「就航は4月に延期」とめまぐるしく方針が変わっていきます。予約したのは4月1日の上海行きの便であと1週間もありません。いったいどうなっているのか春秋航空の茨城支店に電話してみました。
そもそも高松空港発の便を飛ばすのに高松に支店を置いてなく、こちらからコンタクトを取るのがとても困難です。予約済み客に対しメールによる案内もないし、「まったくケシカラン、電話で文句を言ってやろう!」 しかし何度かけても話し中でなかなか埒があかなかった末にやっとつながった茨城支店の中国人スタッフは明るく「ニーハオ!」。早くも戦意喪失です。
1回目にかけたときは、「4月1日は飛ぶからキャンセルしなくていい」でした。しかし空港を管理する高松空港事務所に聞いてもフライトに関して何の情報もないとのことで、私はまた茨城支店に電話しました。
「ニーハオ、あなたの選択肢は二つです。ひとつはキャンセル、もうひとつは旅行日程を日延べすることです。4月1日に飛ぶかどうかは分かりません」。まもなく4月というのに会社の方針が不明なのです。恐るべきいいかげんさ! 一事が万事これでは墜落事故でも起こした日には最低限の補償も最初から望み薄でしょう。
しかしながら私は中国企業のこのいいかげんさ、おおざっぱさ、信用など気にもとめない体質、なによりも実利本位に徹したやり方に感嘆しています。皮肉でもなんでもなくこういう資質(?)こそ日本人にいちばん欠けていると思われるのです。
中国のLCCに対し、全日空もかなり以前から格安便を飛ばすといいながらなかなか実現しません。きっと何から何まできちんと用意万端整え、複雑な政府の許認可を得るために膨大な資料を作成しているのでしょう。これでは春秋航空のように片道3千円からという最高のユーザーサービスは実現不可能です。
ところが就航キャンセルを発表した2,3日後「予定通り就航する」というニュースが流れ、さらに今度は「就航は4月に延期」とめまぐるしく方針が変わっていきます。予約したのは4月1日の上海行きの便であと1週間もありません。いったいどうなっているのか春秋航空の茨城支店に電話してみました。
そもそも高松空港発の便を飛ばすのに高松に支店を置いてなく、こちらからコンタクトを取るのがとても困難です。予約済み客に対しメールによる案内もないし、「まったくケシカラン、電話で文句を言ってやろう!」 しかし何度かけても話し中でなかなか埒があかなかった末にやっとつながった茨城支店の中国人スタッフは明るく「ニーハオ!」。早くも戦意喪失です。
1回目にかけたときは、「4月1日は飛ぶからキャンセルしなくていい」でした。しかし空港を管理する高松空港事務所に聞いてもフライトに関して何の情報もないとのことで、私はまた茨城支店に電話しました。
「ニーハオ、あなたの選択肢は二つです。ひとつはキャンセル、もうひとつは旅行日程を日延べすることです。4月1日に飛ぶかどうかは分かりません」。まもなく4月というのに会社の方針が不明なのです。恐るべきいいかげんさ! 一事が万事これでは墜落事故でも起こした日には最低限の補償も最初から望み薄でしょう。
しかしながら私は中国企業のこのいいかげんさ、おおざっぱさ、信用など気にもとめない体質、なによりも実利本位に徹したやり方に感嘆しています。皮肉でもなんでもなくこういう資質(?)こそ日本人にいちばん欠けていると思われるのです。
中国のLCCに対し、全日空もかなり以前から格安便を飛ばすといいながらなかなか実現しません。きっと何から何まできちんと用意万端整え、複雑な政府の許認可を得るために膨大な資料を作成しているのでしょう。これでは春秋航空のように片道3千円からという最高のユーザーサービスは実現不可能です。
2011年3月15日火曜日
“計画停電”
阪神大震災の記憶もまだ薄れてないのにそれをはるかに上回る東北関東大震災の惨状を見てことばもありません。神戸の場合は地震直後から救援と復興が始まりました。しかし今回の震災では福島県の原発が次々とコントロール不能に陥るという信じがたい事態を引き起こし、政府の対策本部は地震と津波による被災者対策に専念できない状態です。
そこへもってきて東電は電力不足を回避するために“計画停電”なる暴挙にでました。夜になって突然明日から計画停電すると通告された東電サービスエリア内の住民の驚きと混乱はいかばかりかと想像されます。
数時間後には始発電車を走らせるはずの鉄道事業者、器械で生命を維持している患者をかかえている病院はもちろんのこと、すべての人にとって停電の宣告にはお手上げだったに違いありません。
私の母は気管切開をしているので2,3時間ごとに痰を吸引しないと窒息死します。今までは停電と言えば雷が落ちたときほんの2,3分電気が止まるぐらいのものと軽く考えていましたが、これからは本気で非常時の電源確保を考えないといけないと痛感しました。
東電の場合、電力の不足は1千万キロワットで需要の25%に相当するそうです。深刻な事態ではあるけれど、地震や原発事故対策に忙殺される政府・自治体に余計な負担をかけず、また市民生活や企業活動を混乱させないだけの知恵がなぜ東電にないのでしょう。
例えば電気使用量を前月比で25%減らすよう目標を設定し、それをオーバーした利用者にはペナルティとして割増料金(税)を課す、とでもしたら賢く良識ある国民はその人に合ったやり方で節電するはずです。いきなりの停電ではどうしようもありません。
大地震、大津波、原発事故と今回の災害は神戸震災に比べトリプルの規模になりました。そこにもってきて首都機能のマヒです。原発事故と停電に関し枝野官房長官がたびたび記者会見に応じていますがまるで東電のスポークスマンの観があります。
枝野氏が原発問題に対し不眠不休で奮闘していることはよく分かります。しかし目下の官房長官の急務は何万もの行方不明の人の捜索と50万の被災者救援に陣頭指揮を執ることではないでしょうか。
そこへもってきて東電は電力不足を回避するために“計画停電”なる暴挙にでました。夜になって突然明日から計画停電すると通告された東電サービスエリア内の住民の驚きと混乱はいかばかりかと想像されます。
数時間後には始発電車を走らせるはずの鉄道事業者、器械で生命を維持している患者をかかえている病院はもちろんのこと、すべての人にとって停電の宣告にはお手上げだったに違いありません。
私の母は気管切開をしているので2,3時間ごとに痰を吸引しないと窒息死します。今までは停電と言えば雷が落ちたときほんの2,3分電気が止まるぐらいのものと軽く考えていましたが、これからは本気で非常時の電源確保を考えないといけないと痛感しました。
東電の場合、電力の不足は1千万キロワットで需要の25%に相当するそうです。深刻な事態ではあるけれど、地震や原発事故対策に忙殺される政府・自治体に余計な負担をかけず、また市民生活や企業活動を混乱させないだけの知恵がなぜ東電にないのでしょう。
例えば電気使用量を前月比で25%減らすよう目標を設定し、それをオーバーした利用者にはペナルティとして割増料金(税)を課す、とでもしたら賢く良識ある国民はその人に合ったやり方で節電するはずです。いきなりの停電ではどうしようもありません。
大地震、大津波、原発事故と今回の災害は神戸震災に比べトリプルの規模になりました。そこにもってきて首都機能のマヒです。原発事故と停電に関し枝野官房長官がたびたび記者会見に応じていますがまるで東電のスポークスマンの観があります。
枝野氏が原発問題に対し不眠不休で奮闘していることはよく分かります。しかし目下の官房長官の急務は何万もの行方不明の人の捜索と50万の被災者救援に陣頭指揮を執ることではないでしょうか。
2011年3月11日金曜日
あえかな名前
いつのころからか日本の安全神話は崩れ去り、殺人事件がない日がないような状況になりました。今では月並みな殺人事件を報じる新聞記事など目にも留まりません。しかし3月3日、ひな祭りの夜、熊本のスーパーから行方不明になった3歳の女児が翌日遺体で発見されたというニュースには心が痛みました。
私はこうした事件が報じられるといつも最初に被害者の名前に注目します。今度の事件では心(ここ)ちゃんという愛らしい名前の幼女が犠牲になりました。
この子が産まれたとき両親はどこの親もするとおり、かわいらしくユニークでおしゃれな名前を考えたに違いありません。平凡な名前や時代遅れの名前、またタレントの名前を借用したことがすぐわかるようなものは避けようという配慮もあったでしょう。しかしたいていの場合イメージ先行で漢字は半ば当て字です。心愛(ここあ)なども同工異曲。
日本には昔から言葉に宿る霊の存在(言霊)にとりわけ気を使ってきた歴史があります。保元の乱の後、讃岐に流され怨霊となった崇徳天皇は最初からそうなるように運命づけられていたのではないか、「崇徳」の「崇」の字に不吉なにおいがある、ウかんむりの部分を上下ひっくり返すと「祟」になるではないかと作家、井沢元彦は力説しています。
長年子宝に恵まれなかった豊臣秀吉はようやく生まれた長男に「鶴松」というめでたい名前をつけたものの夭折されてしまい、次男の秀頼には「拾丸」という幼名を付けました。
拾い子は育つという俗信を頼りにいったん我が子を捨ててすぐ拾い戻したのです。けれども運命の神はそういう人間の小細工なんぞ難なく見抜きます。立派に成人した秀頼も結局は徳川勢に破れ母淀君と自刀して果てました。
名前が運命を決めるのか、運命は名前と関係なく最初から決まっているのか分かりませんが、犯罪の被害者になった少女たちはどこかはかない名前の子が多いような気がします。
実例を挙げるのは不謹慎かもしれませんが、彩、花、菜、音などの字がついた少女たちが犠牲になるたびに「またか」と思います。単にそういうあえかなイメージの名前がこのごろの子供に多いせいでしょうか? 悪霊に目をつけられないためにはありきたりで平凡な名前が一番です。
2011年3月5日土曜日
関東平野と“魔の山”
2月末、夜行バスで東京に行きました。朝9時に新宿に到着したものの用事がある夕方5時まで時間はたっぷり。その日は月曜日だったので美術館や博物館はどこも休館で行くあてもないまま西武新宿駅から本川越行きの急行電車に乗りました。
埼玉県川越市は小江戸と呼ばれ近年観光名所として脚光を浴びている町です。蔵造りという独特の家並みがよく保存され、東京では見られない江戸の雰囲気を今に伝えています。(観光所要時間は2、3時間程度)
川越に限らず関東平野に散在する小都市へはどこも電車で1、2時間で行けますが沿線のだだっぴろい散文的な風景を見ていると何故か二度と帰ってこられないような遠い場所に出かけている錯覚におちいります。
学生時代、東京には5年間住みましたが岡山育ちの私には広漠として捕らえどころのない関東平野の空気が苦手でまちがっても休日に奥多摩、秩父や北関東の山々を散策しようなどという気にはなれませんでした。
岡山市のように町全体が京山、東山、芥子山、笠井山、金甲山といった低山で囲まれているところでは晴れの日でも雨の日でも東西南北が常にはっきり分かり、決して方向感や距離感を失うことはありません。
このことは単に車を運転していて道を間違えないですむといった実用的な面だけでなくそこに住む人々の精神的支えにもなっているはずです。岡山平野で生まれ成長した人は人生において滅多に道を踏み外すことがないかわり冒険心に欠けているのはおだやかで心優しい風景に包まれて育ったからに違いありません。
さて再び東京周辺の風景に戻りますが、関東平野の行き着く果てには筑波、赤城、妙義、榛名、浅間、秩父などの山がそびえています。いずれも関東を代表する日本の名山です。
しかし、なぜかこうした山の名前はいつも凶悪事件とセットで耳に入ってきます。連合赤軍リンチ殺人事件、あさま山荘事件、連続幼女殺害事件、カルト集団事件などここ40年ほどの間に関東で起きた凶悪事件の犠牲者たちは決まってこれらの山の麓に埋められていました。
先頃、連合赤軍リンチ殺人事件の主役だった永田洋子死刑囚が獄死したとの記事が新聞の片隅に小さく載りました。事件が風化するどころか時間が止まってしまった遺族たちにとって群馬の山々は依然として“魔の山”であるに違いありません。
埼玉県川越市は小江戸と呼ばれ近年観光名所として脚光を浴びている町です。蔵造りという独特の家並みがよく保存され、東京では見られない江戸の雰囲気を今に伝えています。(観光所要時間は2、3時間程度)
川越に限らず関東平野に散在する小都市へはどこも電車で1、2時間で行けますが沿線のだだっぴろい散文的な風景を見ていると何故か二度と帰ってこられないような遠い場所に出かけている錯覚におちいります。
学生時代、東京には5年間住みましたが岡山育ちの私には広漠として捕らえどころのない関東平野の空気が苦手でまちがっても休日に奥多摩、秩父や北関東の山々を散策しようなどという気にはなれませんでした。
岡山市のように町全体が京山、東山、芥子山、笠井山、金甲山といった低山で囲まれているところでは晴れの日でも雨の日でも東西南北が常にはっきり分かり、決して方向感や距離感を失うことはありません。
このことは単に車を運転していて道を間違えないですむといった実用的な面だけでなくそこに住む人々の精神的支えにもなっているはずです。岡山平野で生まれ成長した人は人生において滅多に道を踏み外すことがないかわり冒険心に欠けているのはおだやかで心優しい風景に包まれて育ったからに違いありません。
さて再び東京周辺の風景に戻りますが、関東平野の行き着く果てには筑波、赤城、妙義、榛名、浅間、秩父などの山がそびえています。いずれも関東を代表する日本の名山です。
しかし、なぜかこうした山の名前はいつも凶悪事件とセットで耳に入ってきます。連合赤軍リンチ殺人事件、あさま山荘事件、連続幼女殺害事件、カルト集団事件などここ40年ほどの間に関東で起きた凶悪事件の犠牲者たちは決まってこれらの山の麓に埋められていました。
先頃、連合赤軍リンチ殺人事件の主役だった永田洋子死刑囚が獄死したとの記事が新聞の片隅に小さく載りました。事件が風化するどころか時間が止まってしまった遺族たちにとって群馬の山々は依然として“魔の山”であるに違いありません。
榛名山と榛名湖
2011年2月26日土曜日
ジャスミン革命
チュニジアに端を発した長期独裁政権打倒の動きは瞬く間にエジプト、リビア、イエメンなどに飛び火し、ついには中国の民主化運動にまで火が着きそうな勢いになりました。私が1971年から72年にかけて約半年滞在したアルジェリアでもデモが起きています。
71年当時のアルジェリアはフランスから独立してまだ10年も経ってなく、悲惨な独立戦争を戦い抜いたものの片足を失った人や浮浪児などがたくさんいました。日本人の顔を見たら「1ディナール(70円)頂戴」と声をかけてくる子供達。そんな彼らに私が通訳として働いていた石油精製プラントの日本人エンジニアが説教を垂れました。
「アルジェリアは独立国だろう?独立国の国民は誇りを持たなくちゃ。他人にお金をねだるのは恥ずかしいことなんだよ」と。エンジニアは小さな男の子をやさしく諭していました。
「子供に、独立国の国民は誇りを持て、なんて言ったところでそもそも独立国って何のことかこの子には理解できないだろうな」、私は冷ややかにコトの成り行きを見ていたのですが、はたして少年はキョトンとした顔をして相変わらず「1ディナール頂戴」と手を出していました。
そんな子供たちとは対照的にプラントの発注者である国営炭化水素公社の幹部候補生たちは明治維新の官僚のようにみな若くフランスやイギリスの大学で身につけたエリート風を吹かしていました。人が話しかけてもニコリともしない人種。洋の東西を問わず高級官僚はだれもが同じ無表情の仮面をかぶっています。
2011年春、40年が経ちあの子供たちももう中年のおじさんになっているでしょう。たぶんずっと日の当たらない人生を送りながら。
私が働いていた建設中のプラントはいったん稼働しだしたら建設費は2、3年でペイすると当時教えられました。しかし巨大プラントが生み出す莫大なオイルマネーは底辺のアルジェリア人民を潤してはいません。だからこそ隣国のネット革命に人々が共鳴したのではないかと遙か遠い日本から心配しています。
まもなく地中海沿岸の果てしない大地は赤、白、黄色の花で覆い尽くされます。中東全域のジャスミン革命がハッピーエンドに終わることを祈らずにはおられません。
71年当時のアルジェリアはフランスから独立してまだ10年も経ってなく、悲惨な独立戦争を戦い抜いたものの片足を失った人や浮浪児などがたくさんいました。日本人の顔を見たら「1ディナール(70円)頂戴」と声をかけてくる子供達。そんな彼らに私が通訳として働いていた石油精製プラントの日本人エンジニアが説教を垂れました。
「アルジェリアは独立国だろう?独立国の国民は誇りを持たなくちゃ。他人にお金をねだるのは恥ずかしいことなんだよ」と。エンジニアは小さな男の子をやさしく諭していました。
「子供に、独立国の国民は誇りを持て、なんて言ったところでそもそも独立国って何のことかこの子には理解できないだろうな」、私は冷ややかにコトの成り行きを見ていたのですが、はたして少年はキョトンとした顔をして相変わらず「1ディナール頂戴」と手を出していました。
そんな子供たちとは対照的にプラントの発注者である国営炭化水素公社の幹部候補生たちは明治維新の官僚のようにみな若くフランスやイギリスの大学で身につけたエリート風を吹かしていました。人が話しかけてもニコリともしない人種。洋の東西を問わず高級官僚はだれもが同じ無表情の仮面をかぶっています。
2011年春、40年が経ちあの子供たちももう中年のおじさんになっているでしょう。たぶんずっと日の当たらない人生を送りながら。
私が働いていた建設中のプラントはいったん稼働しだしたら建設費は2、3年でペイすると当時教えられました。しかし巨大プラントが生み出す莫大なオイルマネーは底辺のアルジェリア人民を潤してはいません。だからこそ隣国のネット革命に人々が共鳴したのではないかと遙か遠い日本から心配しています。
まもなく地中海沿岸の果てしない大地は赤、白、黄色の花で覆い尽くされます。中東全域のジャスミン革命がハッピーエンドに終わることを祈らずにはおられません。
2011年2月22日火曜日
爆笑暴力取り調べ
大阪府警の暴言取り調べの録音を聞いていて久しぶりに笑いました。警官の言葉をそのまま、あのアクセントのまま丸暗記したら吉本に入れるような気がします。パチパチパンチの島木ジョージが確か病気療養中なのであのTとかいう警察の男の再就職先は吉本新喜劇に決まりです。
私が特に気にいったセリフは、警官が、怒鳴るのをちょっと一休みして「赤ちゃんのような目をしやがって!こらぁ」と被疑者を愚弄するというか独りごちするところ。
これは府警の取り調べ裏マニュアルにもないT警部補のオリジナルだと思います。非常に胡散臭い被疑者の心理を一言で言い当てています。一見弱々しい被疑者男性の演技をプロの目で読みとっています。被疑者が赤ちゃんのようなイノセントな表情を作りそこに上手に隠したしたたかさとずる賢い計算がちゃんと読まれています。
標準語であれだけの罵詈雑言を浴びせられたら無実でも「はい。私がやりました」と言ってしまいそうですが、コテコテの大阪弁であんなふうにやられると自白の前に吹き出してしまいそうです。
私が特に気にいったセリフは、警官が、怒鳴るのをちょっと一休みして「赤ちゃんのような目をしやがって!こらぁ」と被疑者を愚弄するというか独りごちするところ。
これは府警の取り調べ裏マニュアルにもないT警部補のオリジナルだと思います。非常に胡散臭い被疑者の心理を一言で言い当てています。一見弱々しい被疑者男性の演技をプロの目で読みとっています。被疑者が赤ちゃんのようなイノセントな表情を作りそこに上手に隠したしたたかさとずる賢い計算がちゃんと読まれています。
標準語であれだけの罵詈雑言を浴びせられたら無実でも「はい。私がやりました」と言ってしまいそうですが、コテコテの大阪弁であんなふうにやられると自白の前に吹き出してしまいそうです。
被疑者が”録音しています”と言ったとたん態度を豹変させてなれなれしく「xxちゃん!、録音消してよ」とすり寄ってきたという名場面も見たいものです。(この被疑者、結局職場のパソコン窃盗で逮捕されたそうですが府警の仕返しも何だかみみっちい感じがします)
2011年2月18日金曜日
介護と生きがい
高齢の両親を孤軍奮闘しながら在宅介護をしている私の様子がいかにも不可解なのか、毎週往診していただいているH先生が診察を終えての帰り際、「介護をしていてどんなときに幸福感や満足感がありますか?」と尋ねられました。
意表を突く質問に一瞬とまどいつつも「どんなときというより常時しあわせだと感じています」とお答えしました。「これは野暮なことを聞きました。そうでなくては介護など長続きしないですよね」、先生はあきれたのか感心したのか笑いながら帰っていかれました。
我ながら調子のいいことを言ってしまったと思いましたが、両親はこの世とのつながりが次第に薄れかかってきているうえに慢性病を抱えているとはいえ1日1日を自宅で安穏に過ごしていてくれることが本当にありがたく思われます。
しかし一方では時間に束縛される日々に“自分のことが何もできない”、“ たった1日でいいからのんびりしたい”と焦燥感にかられ、今の生活に限界を感じているのも事実です。
ところが2月中旬、父が体調をくずして入院、続いて母の様子が何かいつもと違うのが気になり病院で検査してもらったら肺炎を起こしていてダブル入院しました。わずかな体調の異変を見逃さず少々強引に病院に連れていったのがさいわいして今では両親とも快方に向かっています。
このたびの両親の入院は私にとって思わぬ休息の日々になりました。今なら2泊3日ぐらいの旅行ならどこにでも行くことができます。夜行バスに乗って東京へ行こうか、暖かい台北に行こうか、それとも鹿児島まであてのないドライブをしてみるのも捨てがたい……
しかし行動より先に日頃の疲れがどっと出てしまいました。何にもする気がおきません。昼過ぎまで寝てコンビニ弁当を食べる日々。
人生って何だろう、人生ってこうもヒマだったのか、これって初老期の“ひきこもり”なのかなあ?定年退職した人がすることもなく家にいたら若者のひきこもりとまったく同じ状態になるのも無理ありません。
こうしてみると両親を毎日24時間、週7日看ていることは思いのほか自分自身にとっても意義があることだと気付きました。少なくも人生ってヒマだなどと考えなくていいだけでもしあわせなことです。
意表を突く質問に一瞬とまどいつつも「どんなときというより常時しあわせだと感じています」とお答えしました。「これは野暮なことを聞きました。そうでなくては介護など長続きしないですよね」、先生はあきれたのか感心したのか笑いながら帰っていかれました。
我ながら調子のいいことを言ってしまったと思いましたが、両親はこの世とのつながりが次第に薄れかかってきているうえに慢性病を抱えているとはいえ1日1日を自宅で安穏に過ごしていてくれることが本当にありがたく思われます。
しかし一方では時間に束縛される日々に“自分のことが何もできない”、“ たった1日でいいからのんびりしたい”と焦燥感にかられ、今の生活に限界を感じているのも事実です。
ところが2月中旬、父が体調をくずして入院、続いて母の様子が何かいつもと違うのが気になり病院で検査してもらったら肺炎を起こしていてダブル入院しました。わずかな体調の異変を見逃さず少々強引に病院に連れていったのがさいわいして今では両親とも快方に向かっています。
このたびの両親の入院は私にとって思わぬ休息の日々になりました。今なら2泊3日ぐらいの旅行ならどこにでも行くことができます。夜行バスに乗って東京へ行こうか、暖かい台北に行こうか、それとも鹿児島まであてのないドライブをしてみるのも捨てがたい……
しかし行動より先に日頃の疲れがどっと出てしまいました。何にもする気がおきません。昼過ぎまで寝てコンビニ弁当を食べる日々。
人生って何だろう、人生ってこうもヒマだったのか、これって初老期の“ひきこもり”なのかなあ?定年退職した人がすることもなく家にいたら若者のひきこもりとまったく同じ状態になるのも無理ありません。
こうしてみると両親を毎日24時間、週7日看ていることは思いのほか自分自身にとっても意義があることだと気付きました。少なくも人生ってヒマだなどと考えなくていいだけでもしあわせなことです。
2011年2月11日金曜日
遅れた公共交通政策
山陽新聞の社会面(2011.2.3)に「路をつなぐ:生活交通白書」という囲み記事が掲載されていました。それによると過疎地だけでなく岡山市や倉敷市でも郊外団地によっては公共の足がなく車を運転できない人にとっては外出もままならない事態になってきているとのことです。
その具体例として早島町の若宮団地が取り上げられていました。平日は町営のコミュニティーバスが1時間に1本あるが土日祝ともなるとそれも運休で高齢者にとって非常に住みにくい町になっているようです。
いったいなぜこうも日本の公共交通政策はお寒いのか、住民が困り果てているというのになぜ行政は見て見ぬふりをするのか理解に苦しみます。とりわけ岡山市ではバスはすべてが民営で、採算が取れない路線は簡単に切り捨てられます。
こうした日本の状況と対照的なのがタイの公共交通システムです。基幹交通システムとしては地下鉄と高架鉄道があります。しかし何と言ってもすごいのは充実したバス路線網で、次から次へとやってくるバスを乗りこなすのは外国人にとってはやっかいですが、便利なバスマップが何種類か売られていてそれを見ればどこでも自由自在に行けます。
また、大通りからはソイと呼ばれる行き止まりの路地が延びていますがソイの奥に行くにはソイの入り口で常時待機しているバイタク(バイクタクシー)を拾います。ヘルメットをかぶり運転手にしっかり抱きついてふり落とされないようご用心!
結局バンコクでせかせか歩いているのは日本人を含め外国人だけで、現地の人は100メートルの距離でも歩こうとしません。まるで歩く習慣がないかのようです。
地方都市では小型トラックを改造したバス、ソンテウが大活躍です。これに乗るコツは黙って乗り込み降りがけに10バーツ(30円)渡すこと。しゃべったら日本人であることが分かり「はい、100バーツ!」。しかし便利な乗り物です。
日本も戦後貧しかったころはバスが縦横に走っていました。妹尾駅から庭瀬を通って高松稲荷まで小さな中鉄バスが走っていたことがなつかしく思い出されます。岡山ではNPOのRACDAが精力的に公共交通問題に取り組んでいますが、市電の路線延長ひとつとっても遅々として進まないのがもどかしい限りです。
2011年2月2日水曜日
人口減少化時代
国会中継を聞いていると日本の将来にとって最大のマイナス要因は急速に進む少子高齢化であるとの認識が与野党問わず共通のものになっているようです。
その論拠は年金にしても介護にしても数年のうちに高齢化する団塊世代に支払うべき年金財政が破綻し、医療・介護は人手不足・財源不足でにっちもさっちもいかなくなる、何よりも国力が低下して日本は沈没するというものです。
これに対し国は少子化対策担当大臣を置き、民主党政権はまがりなりにも子ども手当を実現する一方、菅首相は消費税アップをもくろみ、国民も福祉目的なら消費税アップもやむなしのムードに傾きつつあります。
しかし私にはそもそも少子化は本当に問題なのか、むしろ歴史的には今こそ国民一人一人が尊重され、よりよい生活をするための条件が整ってきているのではないかという気がしてなりません。
江戸時代の人口は約3千万人でしたが、江戸や京都、大阪などの大都市だけでなく地方も藩を中心に空前の繁栄を誇っていました。江戸は世界一の大都会として上水道が整備され、屎尿処理、ゴミ処理は徹底したリサイクルシステムによって環境に負荷をかけることなく近郊農村との共生関係が確立していました。
ところが人口が江戸時代の4倍になった21世紀の現在、かつて藩の中心地だった町、例えば高梁(備中松山藩)でさえすぐ近くまで限界集落が迫っています。これはあきらかに明治以来の大都市中心のいびつな国家経営が失敗に帰し、国土の均衡ある発展が阻害されてきた結果です。
それでは人口の高齢化問題はどうすればいいのか、ひとことで言うとレセフェール(なりゆきまかせ)でかまわないと思います。団塊世代の老後問題に国が金をつぎ込むのはほどほどにすべきであり、また少子化を無用に恐れたり無理矢理「生めよ増やせよ」などと号令をかけるよりも、むしろ人口減少化時代に即した国のあり方を真剣に考えるべきではないでしょうか。
日本はたとえ人口が半減しても最先端テクノロジー、金融資産による収益、観光を三本柱としてより豊かな未来を思い描けるはずです。それには民度の高さを維持しつつ、遅れている教育改革には徹底的にメスを入れなければなりませんが。
その論拠は年金にしても介護にしても数年のうちに高齢化する団塊世代に支払うべき年金財政が破綻し、医療・介護は人手不足・財源不足でにっちもさっちもいかなくなる、何よりも国力が低下して日本は沈没するというものです。
これに対し国は少子化対策担当大臣を置き、民主党政権はまがりなりにも子ども手当を実現する一方、菅首相は消費税アップをもくろみ、国民も福祉目的なら消費税アップもやむなしのムードに傾きつつあります。
しかし私にはそもそも少子化は本当に問題なのか、むしろ歴史的には今こそ国民一人一人が尊重され、よりよい生活をするための条件が整ってきているのではないかという気がしてなりません。
江戸時代の人口は約3千万人でしたが、江戸や京都、大阪などの大都市だけでなく地方も藩を中心に空前の繁栄を誇っていました。江戸は世界一の大都会として上水道が整備され、屎尿処理、ゴミ処理は徹底したリサイクルシステムによって環境に負荷をかけることなく近郊農村との共生関係が確立していました。
ところが人口が江戸時代の4倍になった21世紀の現在、かつて藩の中心地だった町、例えば高梁(備中松山藩)でさえすぐ近くまで限界集落が迫っています。これはあきらかに明治以来の大都市中心のいびつな国家経営が失敗に帰し、国土の均衡ある発展が阻害されてきた結果です。
それでは人口の高齢化問題はどうすればいいのか、ひとことで言うとレセフェール(なりゆきまかせ)でかまわないと思います。団塊世代の老後問題に国が金をつぎ込むのはほどほどにすべきであり、また少子化を無用に恐れたり無理矢理「生めよ増やせよ」などと号令をかけるよりも、むしろ人口減少化時代に即した国のあり方を真剣に考えるべきではないでしょうか。
日本はたとえ人口が半減しても最先端テクノロジー、金融資産による収益、観光を三本柱としてより豊かな未来を思い描けるはずです。それには民度の高さを維持しつつ、遅れている教育改革には徹底的にメスを入れなければなりませんが。
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