2013年3月13日水曜日

ロシア巨大隕石落下


杞憂:“ありもしないことを取り越し苦労する”という意味で古来決まり文句として使われてきました。古代中国の「杞」の国の男が、天が落ちてきたり、大地が崩れたりしないか、と夜も寝られず食事も喉を通らないほど心配していた故事によるものです。(列子)

しかし先日のロシアの隕石落下事件のすさまじい映像を見ているとだれも杞の国の男を笑うことはできません。今回落ちてきたのは直径17メートルもあったにもかかわらず空中で割れたから被害はあの程度でしたが、6500万年前にメキシコのユカタン半島に落ちた小惑星は直径が10―15キロメートルあり、発生した津波は300メートルあったと推測されています。

その破壊エネルギーは広島型原爆の10億倍にも達し、空に舞い上がった粉塵によって大規模な気候変動が生じ、その結果恐竜が滅びたことはほぼ定説になっています。

巨大隕石の落下、あるいは小惑星の衝突はめったにないこととはいえ、いったん落ちたら「種」そのものが滅びてしまうところに本当の怖さがあります。人間は極度に知能を発達させたおかげで、宇宙の始まりから終わりまでイメージとして描くことができるようになりました。しかも単なる空想ではなく素粒子の研究と高性能の望遠鏡による宇宙観測の結果、描いたイメージがどうやら本物であることも証明されています。

しかし長い宇宙の一生のどのあたりで人類は滅亡するのでしょうか。宇宙のスケールで見ると人類が存在した時間なんてほんの一瞬かもしれません。「そのとき」がきたら最後、これまで人類が共有してきたいっさいの記録、記憶、その痕跡も永遠に消滅します。認識の主体が存在しなくなることは認識の対象も存在しないと同じことですから。

突然ロシアの天空を引き裂いて落ちてきた隕石によって、いままで神話として語られ、科学として探求され、しばしばSFとして語られ、果てはパラノイアとして語られてきた宇宙と地球ののっぴきならない関係、人類もやがては地球とともに滅びるであろうことがにわかに現実味をおびてきました。

千年に1度の東北地震が現実に起き30メートルの津波に襲われた日本です、富士山の噴火ももはや杞憂だなどと言っておれません。

殺人暴風雪

 先日の北日本をおそった暴風雪災害では痛ましい犠牲者が9人も報告されています。とりわけ父一人、娘一人の親子が遭難し、父親が自分の命と引き替えに娘の命を守ったというニュースには何とお悔やみを言ったらいいのか想像もできません。

北海道の人々は寒冷地のきびしい気象条件には慣れていると思うのですが、今回のようなひどい暴風雪はかなりの高齢者も経験したことがないひどいものだったようです。

雪に埋もれた車の排気ガスで一酸化炭素中毒になり一家4人がなくなったことも新聞で読んで暗然としました。いったいそういう状況に自分がはまってしまったら助かるだろうか、と自問したのですが、たぶん助からないと思います。あんなにも寒い土地で車のエンジンを切ったらそのまま冷凍人間になってしまいます。

北海道の実状を知らないから気楽に思いつくのですが、一酸化炭素中毒を未然に防ぐために排気管近くの雪を除去することはできなかったのでしょうか。おそらく車のドアを開けることさえできない状態だったのでしょう。まさに一寸先が見えないホワイトアウト。

それにしても自然災害の多い日本でいつ何時襲ってくるやら分からない自然現象の猛威に対抗するにはすでに開発済みの手段を普及させるだけでもかなり違うと思います。携帯電話やスマホに搭載されているGPS機能を積極的に活用して家族の居場所の正確な情報をつかむ訓練など自治体や警察・消防は行っているのでしょうか。

大地震のときなど大規模災害が発生したとき、あわてて帰路につかず、現在安全なその場所に留まることが大きな危険や渋滞による混乱から身を守ることになります。家に帰るべきか今いる場所にとどまるべきか判断は難しいと思うのですが、今回の悲劇を教訓に、より安全重視で判断することが大切だと思います。

日本は狭い国土の隅々まで人が住んでいます。ところが人口減少がはげしくいまや全国いたるところに「限界集落」が存在しています。日本はどんな僻地でも山奥でも人が住もうと思えば住むことを拒まれることはありません。しかし自然災害を含めいざというときに消防も警察も対応できないような場所にこだわって生きていくのは手放しでは喜べないと思いました。

エジプト気球墜落事故


1月にアルジェリアで起きたテロ事件の記憶がまだ生々しいというのにまたも人気観光地ルクソールで4人の日本人が犠牲になりました。こういう事件や事故が報道されると誰しも最初に犠牲者の名前と年齢を確かめるのではないでしょうか。

今回の日本人の犠牲者は60代半ばの2組のご夫婦でした。この年代の人々はほかの世代に比べ一番気力、体力が充実しまた財力もあります。元気なシニア世代は通り一遍のハワイやヨーロッパの大都市では感動も薄い。一生に一度は子供のころ夢見た遠い遠い異国の地に出かけたいのです。エジプトやトルコの古代遺跡、アステカやインカ文明の遺跡、イグアスの滝やパタゴニアの大草原。できればギアナ高地にだって行ってみたい。

ところがこうした世界の秘境で彼らはとんでもない事故に遭遇します。セスナ(小型遊覧飛行機)のエンジンが止まったり、観光バスが対向車線のトラックと正面衝突したり、何故かこういう事故がよくあるのです。

でもさすがに今回のように気球が墜落したというのは聞いたことがありません。テロや交通事故は十分想定できてもまさかの気球炎上と墜落です。

「こんな死に方はいやだな」私がそういうと、いつもよく行く喫茶店のマドモアゼルは「でも、夫婦いっしょだったからよかったじゃない」と女性らしい感想を語っていました。たしかにこれが夫婦でなくていわくあるカップルだったりしたら墜落以上の修羅場が待ちかまえているだろうし、夫婦でもどちらかだけがとっさに飛び降りて助かったとしてもそれはそれで一生恐ろしいトラウマをかかえていかなければなりません。

梯子など高いところから落ちて運良く助かった人がしばしば語ることですが、人は墜落する何秒かの間に生まれたときのことからいままで生きてきた一生のできごとを走馬燈のように思い出すとか。未来が絶たれると脳は逆回転するらしいのです。

こういうときよみがえる記憶はいい思い出ばかりでしょう。幸せだった幼い日々、楽しかった少年少女時代、配偶者に出会った喜び、子供達は大きくなり今や独立し、安心して旅に出た……。(突然現実に戻って)それなのに今こうして墜落している……! 怖すぎます。墜落死だけは絶対避けなければなりません。

2013年2月14日木曜日

2月の歳時記

 実家の花壇は今や手入れをする人とてなく荒れ放題のまま春を迎えようとしています。公園の花壇のように季節ごとにきれいさっぱり新しい花を植え込めばいいのですが、なかなかそうはいきません。

母が植えた水仙、クリスマスローズ、チューリップ、ダッチアイリスなど球根類や宿根草が歳月とともに無造作にはびこっているのをエイヤっと処分するのがなんだか怖いのです。母が生きている限りはこのままにしておくのが無難な気がします。

そんな庭も2月中旬ともなればにわかに春めいてきました。今年も福寿草が8輪ほど花を咲かせています。パラボラアンテナのような花の形状は、寒い季節、太陽の光や熱を花の中央部に集める効果があるそうです。

福寿草は不思議な植物です。2月下旬ごろには花が終わり葉っぱがでてくるのですが、その葉は5月はじめには早くも枯れてしまいます。光合成をして養分を蓄えるにはあまりに短い期間しか葉がないにもかかわらずやがて早春が近づく頃にはまた大きなつぼみを膨らましてきます。

うち捨てられたような庭にも毎日訪問者があります。小鳥たちです。彼らの目当ては段ボール箱に入れたまま庭に置いてある渋柿。冬の霜に当たって渋が抜けて熟柿になっているのですが、鳥たちはなかなか頭がよく、集団でやってきて段ボール箱のふたを開けて中の柔らかくなった柿をついばんでいます。

野生の鳥は警戒心が強く私が玄関のドアを開けるといっせいに飛んで逃げます。ところが先日とても珍妙なことがありました。柿が入った段ボールのふたの上に重石代わりにプラスチック製の植木鉢を置いておいたのです。すると鳥たちはさっそくそんな重石なんかいとも簡単にどけて柿を食べていました。

重石代わりだった植木鉢は箱の上から落ちて地面に伏せたかたちで鎮座していたのですが何か様子が変です。近づいてみると「カサコソ」と音がし、隙間からは何か動くものが見えました。

びっくりしました。ウグイスが1羽プラスチックの植木鉢の中に閉じ込められていたのです。人間や猫には警戒を怠らない野生のウグイスもまさか植木鉢が頭の上に落ちてきて囚われの身になることは想像できなかったようです。鉢から出してやると一目散に山に帰っていきました。

安倍景気

 自民党に政権が戻って以来この3ヶ月間一本調子の円安・株高が続いています。安倍首相は日銀に対し強引にインフレ目標を押しつけ、白川日銀総裁は中央銀行に対する政治介入に抗議する意図を込めてか任期を残したまま安倍さんに辞表をたたきつけました。その結果を受けて今日の株価は一段高になりました。

私はこんなことを書きながら内心はらわたが煮えくり返る思いにとらわれています。自分に対する怒りなのでどうしようもないことですが……。

民主党政権下で塩漬けにしていた持ち株がアベノミクスのかけ声とともに上昇し始め1月末にはついに評価益が出る段階に達しました。人間って弱い存在ですね。大赤字を出しているときはあきらめ半分とはいえ“くそ株”に愛着さえ感じて冷静に保持できていたのに。

ところが何年ぶりかで利益がでる株価水準になったらどこからともなく「当面の利益を確保しておこう」という衝動がわきおこり、いさぎよく全部売却してしまいました。

その後予想どおり少し下げてきたので買い戻しを図ったのですが、1円の差で株価が反転。売った価格より高く買い戻すのも腹がたつし、明日下げたら買おうと思っていても、これが下がらない。仮に下げたら下げたで「今買うのは高値掴みになるのではないか」という恐怖にかられて、パソコン画面の「買」のボタンを押すことができません。つくづくギャンブルの才に欠けています。

でも相場に関しては生涯負け組に甘んじている素人投資家と証券会社のストラテジストやらアナリストなどと称している連中との間にどんな差があるというのでしょう。

ただひとつ違うのは失敗に対し個人は責任を取るけれど年金運用で何兆円もの損をこうむっても役人や投資会社は知らん顔、巨額損失はそのまま国民に転嫁するだけ。今回の株高で年金財団は少しは儲かっているのか年金生活者としては気になるところです。

ともかくバブル崩壊以降の失われた20年がようやく本格回復するきざしを見せてきました。いまの株価は“外人買い”に支えられてのことですが、株価暴騰に踊らされた個人が遅ればせながら買い出動して彼らの餌食にならなければいいが、と心配にもなります。(2013.2.6

2013年1月31日木曜日

暴力コーチングを廃絶しよう

女子柔道15人が暴力で園田監督告発    大阪市立桜宮高校バスケット部主将が顧問の暴行を苦にして自殺した事件に続いて、女子柔道ナショナルチームの監督が選手に対し日常的に暴力行為を働いていたことが明らかになりました。JOCに告発した選手の勇気をたたえたいと思います。

桜宮高校の件では部活のリーダー等生徒自らが記者会見を開くという事態になりました。異様だったのは彼らの主張です。「スポーツ学科の伝統を守り学科を存続させることが死んだ生徒に報いることになる」。一見ごもっとも、しかし残酷かつ倒錯した心理が図らずも露呈していて問題の根の深さを物語っています。

「生徒の気持ち」とか「桜宮を受けようとしている受験生の気持ち」を大切にしろという彼らの主張には自分たちの仲間が苦しんで自殺したことに対する同情、悔しさ、喪失感が感じられず、彼ら自身一生負うべき心の傷などさっさと脇に放り捨てているような印象をもちました。

生徒も保護者も教師も部活の名のもとにマインドコントロールにかかっています。生徒自身が被害者であるにも関わらず、「自殺するような子は弱い子だった」、「きびしい指導についていけない生徒にも問題がある」などといった「受け入れがたい状況に対する過剰適応」がそこにあるのではないかと私は想像しています。この事件に対し行政と教育委員会の垣根を超えて介入した橋下大阪市長の行動は残念ながらまことに適切だったと言わざるをえません。

かつて相撲界では兄弟子による陰惨な暴行死事件がありました。高校や大学の部活では今でも先輩後輩の絶対的な主従関係、パワーハラスメントが公然と行われています。しかしこれは古来無批判に受け入れられてきた日本の伝統ではありません。

江戸時代中期の奇書「葉隠」には今日の教育論、コーチング論に通ずる明快な答が説かれています。すなわち、「子弟の教育に当たって暴力や脅しを使ってはならない。そんなことをすれば子供はびくびくおびえるだけで、いざというときお国のために力を発揮する立派な人材には育たない」と喝破しています。

桜宮高校事件では元プロ野球選手の桑田真澄が日本のスポーツ指導のあり方について繰り返し手厳しい批判をしていました。体罰など“百害あって一利なし”と「葉隠」とまったく同じ主張をしています。

2013年1月18日金曜日

アルジェリア人質事件

  砂漠のど真ん中に作られた天然ガスプラントが武装テロリスト集団に襲撃された今回の事件は事件に巻き込まれた多数の人質にとって最悪の結果になりました。平和な日本でテレビに釘付けになりながらことの進展を注視していた私自身、学生時代に日揮が建設していたアルズー精油所で半年働いた経験があり他人事とは思えませんでした。

私が滞在していた1971年ごろアルジェリアはフランスから独立してまだ10年にもならない時期でしたが治安は今よりはるかによく、現場でも宿舎でもおよそセキュリティに気を使うことはいっさいありませんでした。

アルズー精油所プロジェクトは日揮にとってアルジェリアでの最初の大型受注でした。重工業の伝統がまったくない国にいきなり水島のような巨大プラントを建設していくのですから苦労の連続です。

現地下請け業者が納期を守らないので工事に遅れが出る、すると発注側は工程遅れの違約金を日揮に要求するのですが、納期が遅れることは現地の労働者にとっては雇用が継続されることになるので歓迎すべきこと。何もかもがそんな調子で、ひたすら損をかぶっていたのが日揮で、結局このプロジェクトは会社にとっては大赤字だったようです。しかし日揮は約束を守って誠実にプロジェクトを完遂し、運転要員のトレーニングもきちんと行って引き渡しし、それ以後アルジェリアのプラント受注は日揮の独壇場になり、日揮自身業界最大手に育ちました。

アルジェリアはその後豊富な天然資源を生かして近代的な国に変貌していくのかと思っていたら1990年代になってイスラム原理主義によるテロが頻発するようになりますます荒れ果てた危険な国になってしまいました。それでも多くの日本人がアルジェリアで働いてきたのはアルジェリアの人々のお役に立ちたいという思いが気持ちの底にあったからに他なりません。

本社社員以外にも多くの人がいわばフリーランスの技術者として現場を支えていたのですが、ひとりひとりの方が人間として立派でしたね。他人に頼ることもなく不平不満をいうこともないすばらしい人々がなぜこんな最期を迎えなければならなかったのか、あまりにも不条理でむごい結末です。

(アルジェリアの路傍に咲くアイリス、iris alata)
 

2013年1月17日木曜日

パルスオキシメーター


読者の皆様、家庭用医療器具のひとつにパルスオキシメーターというものがあるのをご存知でしょうか。洗濯ばさみの親玉みたいな形をしていて、指先をはさむとたちどころに血中の飽和酸素濃度(SpO)がパーセントで表示される機械です。値段は2万円から4万円ぐらい。インターネット通販ではいろんな機種が売られています。

寝たきりで気管切開している母を在宅で介護している私にとってこの小さな機械は母の異変をごく初期にキャッチするための最大の武器としてこれまで何度も母の命を救ってくれました。

ふだん97%以上あるSpO値が95%くらいしか上がらなくなると最初の黄色信号です。痰を取っても93%以下に落ちてくるともう完全に赤信号で、肺炎などの呼吸器疾患を起こしていることが疑われます。

正月明け、寝たきりとはいえ病気ひとつしないで自宅で過ごしてきた母のSpOが下がり始め、私はすぐ主治医に連絡しました。医師はしばらく様子をみましょうと電話でアドバイスしてくれたのですが、1日でも様子見で時間を費やすと手遅れになってしまうことをこれまで経験的に知っているので、(主治医の意向を無視し)母をすぐ病院へ自分の車に乗せて連れていきました。検査の結果、インフルエンザに感染していることが判明し即入院のうえ治療を開始しました。

発症直後(48時間以内)に適切な治療を受けた場合、薬の効果も高いそうです。感染症に限らず、高齢者の異変は幼児の場合と同じで時間との勝負であることが多く、体温、脈、呼吸がいつもと違い、しかもSpOが低下していれば、もうあれこれ悩まず、病院へ連れていくべきだと思います。

人間が死ぬ直接の原因は餓死、凍死、窒息といいます。この中でも窒息が一番苦しい死に方ではないでしょうか。肺炎は肺から酸素が十分取り込めなくなる一種の窒息ですが、認知症を起こしている高齢者の場合、高熱がでない場合もあり、肺が十分機能しているかどうかは周囲には分かりづらく、そういう意味でもパルスオキシメーターの威力は大です。

また名前の由来どおりこの機械は脈拍も正確に測定してくれます。やや高い商品ですが、1家に1台欲しいすぐれものです。

電線の地中化

 
 安倍政権になってあらたな経済対策が次々と打ち出され金融市場は歓迎ムードです。それらの政策のなかで7日に発表された緊急経済対策のなかに注目すべき項目がありました。

「電線の地中化」です。今までも都市中心部や観光地を中心に遅々としたペースながら地中化がすすめられてきましたが、国家目標と取り上げられたからには少しはペースが上がるのではないかと期待します。

1970年代の始め、ヨーロッパを2ヶ月かけてゆっくり旅したことがあります。そのときヨーロッパと日本が決定的に違うなと感じたことが3つありました。

ひとつはトイレ。当時は東京区部でも水洗化率が低く、私が下宿していた練馬区や板橋区のアパートは悲惨でした。しかしトイレ事情に関していえばその後ウォシュレットの発明や下水道、合併浄化槽の設置がすすみ、いまや日本は世界一のトイレ先進国になりました。

2番目は窓ガラスの複層化。ドイツ以北は窓ガラスを2重にし家屋を徹底した断熱構造にするのが常識でした。フランスやイタリアなどは日本と同じく薄いガラス1枚で冬をしのいでいたように思いますが、90年代までにフランスなどでも窓ガラスがよくなりました。

我が家でも70年代に家を増築するに当たり何とか窓ガラスを2重化できないかいろいろ建材資料を調べたのですが、岡山では非常にコストがかかるのと業者さんに高機能窓ガラスに対する認識がなかったので話がまとまりませんでした。しかし住宅の省エネ断熱化は国の住宅金融政策によって今では様変わりです。新婚家庭向けのミニ開発されたかわいらしい住宅のサッシでも100パーセント複層ガラスが入っています。

そして残念なのがいまだ日本の美しい景観を決定的に損ねているのが電柱の存在。最近、倉敷の美観地区の電線地中化がほぼ完了したというニュースを見て現地に行ってみました。蜘蛛の巣のように空中でからんでいた電線や電柱が取り払われ、すっきりした町並みに石灯籠風の街灯がとてもよく似合っています。

倉敷の美観地区のような狭いエリアでさえ電柱撤去になぜ長い歳月が必要であったかというと、トイレや窓ガラスと異なり国の明確な政策がなかったからに他なりません。防災の観点からもまさに緊急課題です。

2013年1月1日火曜日

“年の日”考

 明けましておめでとうございます。このブログも7年目に入ります。変わったことがとくにないのに書き続けることはときおりとても困難で無意味に思えることもあるのですが、自分自身の備忘録としてこれからも書いていこうと思います。

 さて“年の日”というタイトルですが、フランス語で正月、あるいは元日、元旦等に相当する言葉は"jour de l'an" といいます。jour 「日」、de は「の」、l'an は「その年」です。だから日本語では「年の日」になります。英語では "New Year's day" と言いますね。「新年の日」という意味でフランス語と同じ発想法です。「の」は連体修飾語である格助詞ですが英語の of、フランス語の de と同じようなもの。わかりにくい説明をしていますが、要するにフランス語では、元日はバレンタインデーとか子供の日と同じような感覚で、「その年のある特定の記念日」なのです。

 これに比べると日本語の正月は文字通り「新年の月」であり時間的な広がりを感じさせます。これに対し、欧米では1日限りの祝日が日本ではだらだらと長い。そもそも公務員だけでなく銀行や企業は年末年始に1週間ぐらい休業します。土日でも祝日でもない平日にもかかわらず公然と仕事をしなくていい日になっています。話がそれますが東京のアメリカ大使館は本国の休日に当たる日、あるいは日本の休日には閉館しますが、12月30日31日、1月2日や3日が土日でなければ開館しています。欧米では年末年始の休みはなく、1月1日が祝日であるだけです。

 子供のころ感じていた日本の正月、独特の気分の2週間は冬休みとともにあったのですが、大人になり、年をとってきたら次第にそうした東アジア的祝祭気分が失われ、今では私の正月はすっかり単なる「年の日」になってしまいました。今年は父が入院したまま年越しをしたので餅も雑煮も省略です。これでいいのだと感じます。それに正月はダイエットの大敵ですから。(未完稿)