2020年9月20日日曜日

生えそろった大根

 


山田ねずみ大根。自家採取した種を蒔いたら順調に発芽しました。4粒づつ蒔いて、そのうち生育のいいものを2本残し、さらに1本にします。収穫は12月から1月ごろ。


2020年9月14日月曜日

70年ぶりのノミ(蚤)被害

 ようやく夜中の寝苦しさが和らいだ9月初めの明け方、足元を何かがチクチク刺している気配がしました。朝起きてから足を見てびっくり仰天。左右のひざ下それぞれ20ヶ所も紅斑ができて猛烈に痒いのです。こういう場合掻いてはだめと分かっていてもがまんできるような痒みではありません。
 蚊とはあきらかに違うし、何だろう?しばらくしてこれはノミに違いないと思い至りました。それにしてもノミにやられるなんて、記憶をたどってみると70年近く前の幼児時代(昭和20年代)にまで遡ります。現在寝室として使っているまさにその部屋で私は生まれ育ちました。
終戦直後の物資のない時代、日本人は最悪の衛生環境の中で暮らしていました。子どもの頭はシラミだらけ、布団に入ればノミが飛びかかってくるというおぞましい時代。そのころ登場したのがアメリカ進駐軍がもたらしたDDTという強力な殺虫剤です。銀座の街頭で進駐軍の兵士が若い女性に頭からDDTの粉剤をふりかけ、彼女たちもきゃっきゃっと喜んでいるニュース映像を映画館で見たような記憶があります。
我が家でも寝る前や朝起きたとき布団の中にいるノミをつぶすのが日課でしたが、ある日父が缶入りのDDTを買ってきて押入の布団にパフパフかけていました。子ども心に「殺虫剤を直接布団にかけるのは怖いな」という気がしましたが、父には逆らえません。有機リン薬品特有の臭が染みついた布団で寝ていたものです。
DDTの威力はたいしたものでしたがその後環境汚染物質として危険が指摘され市場から消えていきました。また生活環境もよくなりノミの被害はまれになりました。しかしながらウイルスや原虫など昆虫や小動物が媒介する伝染病は地球温暖化でますます増えているように思います。
現代では病気の花形(?)はガンや生活習慣病、高齢による病変に関するものばかり。しかし人類の長い歴史を通じて人間を苦しめ死に至らしめた病気の筆頭は感染症でした。マラリアのような古典的なものからエイズや新型コロナなど新顔が加わり、人類が向かいあっていかないといけない病気の主役は依然として感染症です。どんなに文明が進化してもノミひとつ退治できない人類は感染症から永久に逃れることはできないでしょう。


症状から見て、ノミではなくトコジラミ(南京虫)にやられたのかもしれない。夕方遅くまで半ズボン姿で畑の草取りをしたとき、噛まれたのかも。



2020年9月3日木曜日

カナダの従兄「ジム」

大正6年生まれの父は5人兄弟の末っ子でした。そのうち次兄(私の伯父)と姉(伯母)のふたりは戦前のカナダに移民し、それぞれ家庭を持ちました。勤勉な伯父や伯母の家族は当初、温暖な気候のバンクーバー近郊で平和に暮らしていたのですが、太平洋戦争が激化してきたころ敵国人として強制収容所に入れられ大変な苦労をしました。そして冬場マイナス20度になるアルバータ州の僻地に強制移住させられました。伯父や伯母はいわばカナダの暗黒の歴史の生き証人のような存在でした。
父によれば若き日の伯母は琴が上手な聡明な人だったそうです。伯母には「ジム」という一人息子がいて、彼は伯父の子どもたちと仲良くアルバータ州の新天地で育ちました。ジム少年は計算や数学が得意だったそうで、高校を卒業したあと生涯、電設工事の仕事をしていました。
伯母はジムがまだ中学生のころ乳ガンで早世しました。従姉たちによれば、ジムの母親は常日頃息子にお金を大切にすること、無駄をしないことを言い聞かせてきたので、ジムは大変な倹約家に育ち、結婚もせず、株でコンスタントに稼ぎ、伯父の子どもたちと慎ましく、仲良く暮らしてきたそうです。
晩年になると人生を楽しむことにも目覚めたみたいで、昨年の11月には従姉たち夫婦4人とともにダイヤモンドプリンセス号のクルーズで鳥取の境港にやってきました。出迎えに行くと何とジムは白人のガールフレンドを連れてきているではありませんか!やせ形のジムの3倍はありそうなバーバラといい雰囲気です。
私の中古ステーションワゴンに6人を詰め込んで松江城や宍道湖を見てまわったのですが、巨体のバーバラが石段を上がるのにも苦労していたのに比べジムはひょいひょいと登っていました。
 たった半年前はそのように元気だったジムですが、今年になって食が細り肺の機能が低下し、ついに8月下旬、永眠したと従姉が知らせてきました。コロナによる制約もあり家族だけで小さな葬式をするからお前も見てとのこと。何とネットでライブ中継するサービスがあるのです。お悔やみのメッセージも書き込めます。そして従姉が書いたメッセージを読んでジムの名が「ジェームズ・ハジメ・オカ」であることを初めて知りました。88歳でした。



2020年8月26日水曜日

レジ袋有料化に異議あります

 71日から小売り店でのレジ袋の無料配布が禁じられ、まもなく2か月が経とうとしています。レジ袋有料化は世界の趨勢であるし、日本だけがいつまでも環境に悪いとされるレジ袋を配り続けることもできなかったのでしょう。私も6月末によく行くスーパーで売り出されていたマイ買い物かごを買ってみました。
 マイかごの中にスーパー備え付けのかごをセットして商品を入れる、レジでは店員さんがレジを通した商品をマイかごにつめてくれる、そうすれば購入した商品をレジ袋やマイバッグに詰め替えることなく、そのまま車に乗せて帰宅できるので便利、とのことです。ところがせっかくのマイ買い物かごは一度も買い物で活躍することなく、今では脱衣所の洗濯かごに成り果てています。かさばる空のかごをわざわざ車に載せて店まで持参する不便さが耐えられないからです。
 では折り畳めるマイバッグはどうかというと、客や店員が触った商品をマイバッグに入れることに抵抗があるうえ、店にとっても万引きの温床になるマイバッグの普及はセキュリティコストの増加に直結するだけで積極的なメリットはないのが実状ではないでしょうか。
 有料化が始まり、古いレジ袋を持参したり、空き箱をもらってそこに入れたり、裸の商品にシールを貼ってもらってそのまま車に運んだりいろいろやってみましたが、結局今では毎度毎度レジ袋を購入するところに落ち着きました。1枚の値段は高々5円ですが、そのメリット、ありがたさは計りしれません。
 何よりも家庭ゴミの処理に大活躍するので有料でも買う意味は大きいのです。岡山市が指定している黄色の有料ゴミ袋にいきなり生ゴミや個人情報丸見えの封筒類、衛生上気を使わないといけない犬猫の糞や紙おむつなどを入れることはできません。あまりにも生々しいゴミをそのままゴミステーションに出すのは回収業務を担当している業者さんに対してもずいぶん失礼なことだと感じます。

 それに、そもそもレジ袋などのプラスチック類は最新の焼却炉で他の生ゴミなどといっしょに燃やすとダイオキシンを出すこともなく、また燃焼効率アップにもつながるとも聞きます。一見もっともな国のレジ袋有料化政策も市民の安定したライフスタイルを大きく損なっていませんか?

2020年8月21日金曜日

石鎚山登山下見

昨日(木曜日)は西日本最高峰(1982m)の石鎚山登山の下見に出かけました。先日通ったばかりの伊予西条のdeja-vu感濃厚な山道を石鎚山ロープウェイの案内標識を頼りに車を走らせていくと簡単に到着しました。
車は京屋という昭和30年代ぽい旅館に預けました。中国人アルバイトのおじさんに1日預り料の500円を払い、目の前のロープウェイ駅へ。
ところが駅までのわずか30段ほどの坂を登るだけで心臓がバクバクし、失神しそうに。今の運動不足と過体重では山登りは命取りになる予感がします。
ロープウェイは往復2000円。7分くらいで標高差800メートルを一気に登ります。1968年から営業しているそうですが、ロープウェイの施設って50年ももつんですね! それはともかく、上の駅に着いてみると濃い霧がかかり何も見えません!空気が薄い分、本当にしんどい。それでも最近の経験から歩き始めたら何とかなるので、とにかくスキー場のリフト乗り場まで行きました。リフトを使って成就社まで行けばそこが本格的な石鎚山登山の起点だそうです。そうではあるのですが、五里霧中ではリフトに乗っても景色は見えそうもなく、下見はここで終了、下りのロープウェイで降りました。
駐車場に帰ったら中国人おじさんがニコニコと、温泉に入っていったらどうか、タダなので、と声をかけてくれました。せっかくのお言葉ながら、昭和のあまりにも老朽化した建物に恐れをなして辞退したのですが、あとでクチコミをみたらなかなかいいお湯らしいです。
今回は下見の下見で終わりました。でも石鎚山ロープウェイルートの概要が分かったのはよかったです。秋になって空気が澄んできたらまた行ってみたい山でした。


2020年8月19日水曜日

コロナ禍以来の遠出記録

コロナ以来外国に行けなくなり、その反動で国内、しかも西日本の各地によく出かけました。
自分のメモとして時系列で記憶を確かめることにします。7月、8月は一日を置かず出かけているみたいです。

2/17-2/22 ハワイ、カナダの従兄弟たちと合流。まだアメリカではコロナは流行していなかったので滞在中全然問題なし。

4/14-4/16 高知県足摺岬、四万十市、宿毛泊 宿毛では感染者が発生していた。

5/5 日帰り、高梁市成羽 夫婦岩

5/17 松江まで日帰り。足立美術館2年間有効パスポート購入

7/3 日帰り 広島県呉市 潜水艦目撃

7/10 真庭市北房ドライブ

7/11 日帰り 福山

7/12 日帰り 那岐山 山の家

7/18 日帰り 山口県周防大島、ハワイ移民資料館、田布施訪問。伊藤博文生家。

7/23-7/24 松江、島根県立美術館で年間パスポート購入。足立美術館

7/28-7/29 福岡県、大分県ドライブ。中津東横イン泊。

8/4-8/5 高知県宿毛市泊、四万十川源流を訪ねる。

8/9 日帰りで徳島県剣山へ。駐車場が満杯だったので剣山に登るのはあきらめ、かずら橋、雲辺寺へ。

8/10 上斎原、那岐山までドライブ

8/15-8/16 島根県三瓶山登山、出雲大社参拝。松江、東横イン泊、16日 足立美術館、 蒜山高原、上蒜山登山道入り口まで。熊やマムシがいるとのことで登山中止。

8/20  愛媛県石鎚山ロープウェイで往復。成就駅(山頂駅)は霧に包まれ視界不良。リフトのおじさんと少し話して下りロープウェイへ。標高が高いせいか少し歩くだけで胸が苦しくなる。




ブログ再開しました

Googleが提供しているブログのプラットフォームが変更され、私の利用環境との相性が悪く四苦八苦していましたが、元のスタイルに戻すことができましたので、今までのように続けたいと思います。
Googleがいつまで旧システムを維持するかどうかよく分かりませんが、とりあえず復旧です。

四万十川

岡山市に住んでいると中四国のあらゆる観光地まで最低1泊で十分楽しい旅行ができます。私の旅のスタイルは宿泊所以外は何も決めないで出かけるもの。中四国のどこへ行こうと会うべき知人はいないし何かに拘束されるということもありません。しかし何度もこうした小旅行を繰り返していると、このごろ自分なりの好みがはっきりしてきました。
 いろんなところへ出かけているつもりでも結局毎度同じ場所に宿を取っています。四国では高知と愛媛が特にお気に入りで、先日も四万十川を源流まで遡るドライブをしてきました。行きは高知自動車道経由で一気に四国西南端にある宿毛まで行き、定宿にしているビジネスホテル泊、翌日は四万十市河口部から源流への旅を開始しました。
四万十市は旧・中村市で四万十川が土佐湾にそそぐ町ですが、私は今でも中村市の方がピンときます。その上ややこしいことに、四万十“市”近くには四万十“町”という自治体が同じ国道56号線沿いにあり紛らわしいことこのうえありません。四万十川の河口にある町が四万十市、源流に位置するのが四万十町なのでともに清流のイメージの「四万十」を市町名に冠したのでしょう。
私の拙い文章では四万十川の不可思議をうまく説明できないのですが、国道56号線が走る四万十市から川沿いにひたすら上流を目指して車を走らせると、川は内陸の山岳部へと遡って行くと見せかけて、いつのまにかまた56号線沿い、海辺の四万十町に出ます!まるで狐に化かされたような気分になるのがこの川のユニークな流域配置の妙です。
それはともかく、四国はどこをドライブしていて道に迷っても、迷わされても過度な心配は要りません。どっちみち海岸線沿いに四国を一周している国道に出ます。徳島から高松・松山へは国道11号線、松山から海沿いに高知へは56号線、高知から徳島へは55号線がぐるっと取り囲み、さらにそれに対応した高速道路が完成に近づきつつあります。

道路の整備によって国道沿いの風景は四国に限らず全国どこも同じコンビニ、同じチェーン店の繰り返しですが、ガソリン価格だけは違いがありますね。高知ではレギュラーガソリンが145円前後でびっくり。満タンにはできませんでした。岡山まで帰ってほっとしました。(旅行日は8月4日)


2020年8月18日火曜日

三瓶山プチ登山

お盆の終わりの休日、連日の猛暑を避けるために島根県の三瓶山(さんべさん)までドライブしました。現地に行って気付いたのですが、うれしいことにスキーリフトが夏場も運転しているではありませんか!さっそく往復切符を買ってリフトに乗りました。昔スキーによく行っていたころのリフトは順番待ちの長い行列ができていたものですが、今は夏、しかもコロナの夏でお客はわずかです。
リフトの上から振り返ってみると駐車場がみるみる小さくなって、気分は最高です。リフトの終点には登山道の案内板があり、「()三瓶(さんべ)頂上まで20分」という文字が私を誘ってきます。山登りなどもう何十年もしていないので20分といえども足が耐えられるのか不安。でもせっかくここまで来たのだから、ひざが痛くなるまでできるだけがんばってみようという気になりました。
果たして、10メートルほど山道を登っただけで心臓はバクバク、息をするのも苦しく酸欠状態に。でも立ち止まってブナの大木の木肌をなでていたら木の精霊が乗り移ってきたのか、少し元気を回復。こうしてつづら折りの道をたどっていると、ときおり下山者とすれ違います。小学生などはカエルの子のようにぴょんぴょん降りてきます。私も子どものころは体が重力の支配をこんなにも受けているなんて想像もしていませんでした。
そうこうしているうちに標高957メートルの女三瓶山頂上に到着しました。リフトに乗り、残りわずかな距離を歩いただけなのに今の私にとっては大した一歩だとうれしくなりました。女三瓶山頂上からは日本海の海岸と出雲方面が遠望でき、吹き抜けていく風は山岳特有のさわやかな涼風でした。すぐ近くには最高峰の男三瓶山(1126m)の勇姿が見えます。さきほどまでの心臓バクバク、足ガクガクもすっかり忘れ、次回は男三瓶山まで往復するぞ!とすっかり調子づいている私でした。
下りもリフトを利用して駐車場まで戻りました。後で膝にくるのではないかと心配していたのですが、どうやら大丈夫だったようです。世間ではよく、山登りは上りより下りの方が足を痛める、と言われています。しかし私は体重過多と脚力の低下もあって上りはリフトやケーブルカーに助けてもらい、下りを自分の足で歩くのが性に合っています。