2010年12月5日日曜日

本が読めない理由


図書館の新着図書コーナーでみかけた本を4冊借りる。

1.吐き気:ある強烈な感覚の理論と歴史 法政大学出版局。メニングハウス著。医学的な「吐き気」ではなくもっとインターナルな問題として800ページも記述されているのにまず辟易。やはりこういう本は20代のころか30歳ごろでないと読めない。

2.音楽嗜好症 オリヴァー・サックス 早川書房。「レナードの朝」の著書。これも上記同様、音楽と神経の関係についてこれでもかと論を展開。寝たきりの母に母が好きだった宮城道雄の琴のCDを聞かせて見ようとおもう。

3.Pascal Quignard, Boutès, Éditions Galilée, 2008. 90ページに満たないフランス語の本が今や読もうとしても読めない。知らない単語がいっぱい。辞書を引いてもよくわからない。現代のフランスがわからない。パスカル・キニャールは私と同じ年生まれ。ゴンクール賞2002年(Les Ombres errantes(『さまよえる影』)に対して) この本の邦訳はまだないが、高橋啓という人が精力的にキニャールを翻訳している。
http://www.paperblog.fr/1090895/pascal-quignard-boutes/

県立図書館ではどのようにして外国語図書を選定しているのか知らないが、英語、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語図書が少量とはいえ継続的に購入されていることは高く評価したい。本国で文学賞を取ったような定評のある作家の本を購入しているようだ。

4.アラビア語の歴史 水谷周 国書刊行会。これは読める。人間が生み出したもっとも奇怪な言語がアラビア語だと思っていたが、そうでもないかもしれないことがわかった。アラビア語入門のその前に読む本。

2010年12月4日土曜日

ページビュー 1111回

2010年6月以来のページビューがちょうど1111回になりました。
最近右肩上がりでのぞきにきてくれる人が増えたような気がします。

ではどのようにしてビューアーがこのブログにたどり着いたのでしょう。

1.知り合いに「ひまなら見てください」とメールした効果。
2.グーグルやヤフーによる検索でたまたま引っかかった。
  たとえば「鶴亀算」というキーワードでグーグルを検索するとこのブログがかなり上位で出てきます。でも私の記事は算数の問題を解くのにはあまり役にたちません。
3.グーグルの検索システムには本当に驚かされます。新しい記事を投稿したらすぐにキーワード検索に引っかかるようになっています。

コメントを書き込んでくれる人がほとんどいないのが寂しいのですが気楽に書いてもらえればさいわいです。ブログ本文は堅い雑誌に掲載しているので文体も堅くなっているのですが、それはあまり気にされずに。

2010年12月2日木曜日

新語・流行語

 毎年12月になると新語・流行語大賞なるものが発表されます。今年は「ゲゲゲの~」、「ととのいました」、「~なう」などが選ばれました。しかし必ずしも時代の特色を鮮明に捉えているわけでもない言葉はあっというまに忘れ去られます。昨年の新語にどんなものがあったかなど遠い記憶の片隅にさえありません。

 それでも今年の流行語のなかでは若者が携帯メールで使う「~なう」は便利かなと思いました。語源は英語の”now”で「渋谷なう」(今渋谷にいるよ)のように使うとか。

 この「~now」で思い出したのがベトナム戦争を描いたフランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」です。原題は”Apocalypse now”(現代の黙示録)。ベトナム戦争で見られた人間の悪魔性についてこんなにも直観に訴える作品は他になくおぞましさのあまり映画館の巨大なスクリーンを直視できませんでした。

 ウィキリークスによって最近暴かれたアメリカ兵によるイラク住民虐殺シーンの映像を見ると今も米軍前線は「地獄の黙示録」の時代と少しも変わりません。

 今年はこのウィキリークスだけでなく、日本では菅内閣が理由もないのに公開を拒んだ尖閣映像が海上保安庁職員によってユーチューブに投稿され大騒ぎになりました。また尖閣ビデオ以上に深刻な影響があったのが警視庁から流出したといわれる「公安テロ情報」です。

 スパイ、密告とその見返りとしての保護、イスラム系外国人の行動監視などまるで東西冷戦時代の007シリーズさながらの背筋が寒くなるような公安活動が平和ボケの現代日本で大規模に行われていることが白日のもとにさらけ出されました。

 さてインパクトのない今年の新語・流行語に私がぜひ付け加えたいのが中国外交部の報道官が口にした「雰囲気」という言葉です。ハノイでの日中首脳会談を尖閣問題を理由にドタキャンした中国側の言い草は「日本側の行動が中日両国の首脳会談に相応しい雰囲気を壊した。日本側は責任を負うべきだ」でした。(中国国際放送2010年10月29日より)

 使える言葉です。浮気がばれて離婚を迫られ高額な慰謝料を突きつけられてもあわてず騒がず「お前の焼きもちが夫婦間の良好な雰囲気を壊した。慰謝料を払うのはお前の方だ」と堂々と言えばいいのです。

2010年11月25日木曜日

 カラスの「おカツ」


 例年年が明けて県北の里山が雪に覆われるころカラスが県南に移動してきます。ちょうどそのころ渋柿の渋が抜けて甘くなるのをカラスはよく知っています。ところが今年はまだ11月というのにカラスがどこからともなく集まって我が家の近くでもやかましく騒いでいます。村里に出てくるクマ同様山ではエサが不足しているのでしょう。

 いつお迎えがきてもおかしくない高齢の両親の介護をしている私にとって家の周りにヒッチコックの「鳥」のようにカラスが集まっているのを見るのは心穏やかではありません。石を投げるふりをしておどしてもそんなものは最初からバカにして逃げるそぶりもみせません。

 私がまだ小学校に行くかどうかというころ家でカラスを飼っていたことがあります。カラスの子が洗濯竿に止まっていたのを父が餌付けしたのです。父は「おカツ」という名前を付けました。川で釣ってきたフナやハエをおカツにやるとおカツはすぐには全部を食べないで土に穴を掘って上手に隠していました。

 父が逃げないように片足をひもでくくってみたのですがひもを解くなど朝飯前。そこで結び方を変えてくちばしで引っ張ると余計ひもが締まるようにしてもそんな人間の小細工などすぐに見破ってちゃんと解いてしまうのにはすっかり感心しました。

 昼間おカツは近所で遊んでいたようです。ある日同じ村内の人から苦情がきました。「うちには病人がいて病状も思わしくないのに朝っぱらからお宅のカラスがやってきて軒先でカァカァ啼く。まったく縁起でもない」。ほどなくその家から葬式が出たところを見るとカラスにはやはり予知能力があると思います。

 成長して手に負えなくなったのか近所の苦情のせいか父はおカツを自然に返すことにしました。おカツを自転車に乗せて3キロほど離れた林の中で放鳥しやれやれと思って家に帰ったらおカツの方が先に帰っていて家じゅう大笑いになりました。その後おカツが家にずっといた記憶もないので結局は野生に戻っていったのでしょう。

 93歳になった父は今でもおカツのことを思い出しては「カラスはかわいい」と言いつつも「いったん人の臭いが身についたカラスは仲間外れにされる、おカツは無事野生に戻ったかどうか」と心配しています。

2010年11月20日土曜日

天然真昆布


 北海道各地で採れる昆布は産地によって真昆布、羅臼昆布、利尻昆布、日高昆布などと数種類の昆布に分類されます。これらのうち出汁昆布として最高の品質を誇り大阪でもっとも人気があるのが真昆布です。

 なかでも道南の内浦湾(噴火湾)に面した町、川汲(かっくみ)や尾札部(おさつべ)で採れる天然ものは最高品位とされています。川汲には川汲川という短い川がありわずかながらもサケが遡上するそうです。

 さて料理好きの私ですが、どうも出汁がうまく取れないのが長年の悩みでした。スーパーで買ってくる昆布に問題があるのかそれとも出汁の取り方に問題があるのか原因を突き止めるためにまずは最高級の昆布を使用してみなくてはと考えました(こういう発想法がいかにも男子の厨房です)。

 そこで川汲浜の天然真昆布を扱う店をネットで検索したら創業百有余年のなにわの老舗が見つかりました。「こんぶ土居」という店です。びっくりしたのはこの店は私が30年近く大阪で暮らしていたころ日常的に買い物をしていた谷町の空堀商店街にあった店でした。日ごろ塩コンブを買っていた店が大阪一、いや日本一の店だったとは!

 さっそく川汲浜で採れる天然真昆布をそのままの姿で干したものを取り寄せました。羅臼昆布のような分厚く豪快な昆布ではなくいかにも繊細で独特の品と格を感じます。人間に例えるのは変ですが、早稲田の斎藤佑樹投手のような佇まいです。

 「こんぶ土居」のご主人は毎年川汲浜へ通って漁師や現地の高校生などと交流を続け、昆布収穫期の夏には船に乗って昆布漁の手伝いもされているほどの入れ込みよう。

 豊かな森林が川に栄養をもたらしその水が海にそそいで最高の昆布を育てるのでしょう。そして海のミネラルを森に運ぶのが産卵のために遡上して卵を産んだ後死んでいくサケたちです。豊かな自然のサイクルのなかから川汲浜ブランドの昆布が生まれてきます。

 さてさてお味の方はというと、到着した昆布の美しさを今しばらく眺めていたいのでまだ封を切っていません。おせち料理を作るときまで待つことにしました。心配なのはふだん「ダシの素」なども平気で使っている私には本物は頼りない味に感じられるのではないかということです。

2010年11月11日木曜日

JA山手直売所


 山陽道倉敷インターを降りて国道429号線を10分ほど総社方面に走ったところにJA岡山西の山手直売所があります。近くには備中国分寺の五重塔があり四季を問わずしみじみ美しい田園風景がひろがっています。

 私はだいたい週1回ぐらいこの直売所に野菜や果物の買い出しに出かけます。農家の人が毎朝持ち込む野菜は新鮮そのもの、種類も豊富で価格はスーパーの半額以下です。それにスーパーでは扱っていない季節ごとの本物の食材が見つかるのも大きな魅力です。以下私のお気に入りをいくつかご紹介しましょう。

 原木シイタケ。山手直売所ではスーパーではお目にかかれない原木シイタケが手に入ります。シイタケは本来、ナラやクヌギの枯木に着生するキノコで人工栽培といっても原木に種駒(種菌)を打ちこんで手間ヒマかけて栽培されてきました。しかし現在では市中に出回っているシイタケのほとんどは工場で菌床栽培されたもので、シイタケ本来の滋味ゆたかな風味に欠け安くてもちょっと手が出ません。

 美星町産の米。数種類の玄米の中から水と空気がきれいな美星町のコシヒカリをその場で精米してもらいます。平野部でとれる米より昼夜の気温差が大きい山間地の米の方がおいしいような気がします。

 白桃。岡山名産の果物はたくさんありますが、昔から清水白桃とマスカットが双璧をなしてきました。私の母は昔、大勢いる東京の親戚に重病人が出るとお見舞いに桃やマスカットを送っていましたが、口の悪い親戚の伯母さん連中は「岡山から果物が届くといよいよ危ない」などと言いあっていたとか。

 私も母にならって遠方の友人に岡山の桃やブドウを送ることが多いのですが、果物の選定は本当にむずかしく、送ったあとも当たり外れが気になります。桃が好きという大阪の年若い友人にこれまでも何度かいろんな店から桃を送りました。しかし反応は今ひとつ。そこで今年は旬を見計らって山手直売所から“赤秀”印の清水白桃を送ってみました。

 届いたともなんとも言ってこないのでしびれをきらしこちらから電話しました。「今年の桃はどうだった?」 -- 「今までの桃とは全然違う。最高においしかった。これからはいつもこのレベルのものをお願いします」ですと!

2010年11月7日日曜日

晩秋のカマキリ

 2季咲きのジャーマンアイリスが満開になりました。そこにカマキリがやってきてたたずんでいました。もうほとんどのカマキリは卵を残して死んでしまったと思っていたのですが、今年はいつまでも暑かったせいでこのカマキリは冬支度もせず5月の花のジャーマンアイリスに夏を予感しているのかもしれません。

 カマキリは英語でMantis というそうです。語源はギリシャ語で「預言者」。顔が似ているのかな。

The scientific name Mantodea comes from the Greek words μάντις meaning a prophet, and εἶδος for form or shape. The name was coined in 1838 by the German entomologist Hermann Burmeister. The common term mantis is also from the Greek word μάντις for prophet.

From Wikipedia, the free encyclopedia

2010年11月5日金曜日

まもなく300回になります

 このエッセイを書き始めてもう7年になろうとしています。最初は月3回でしたが、今は掲載誌が週刊誌になって月4回、原稿に追われる日々です。
 新しくこのブログを目にしてくれる人のために一番最初の記事を再度掲載しました。一口に7年といっても長い年月ですが、当初夢見た「実り豊かな夕べ」はいまだ訪れてはくれません。

 (写真は若き日の筆者。1979年3月ドイツ旅行中に友人のGerhard Krebs君が撮影してくれもの。今年30年ぶりに交流が復活しました)

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スローライフ=午後4時の窓辺から(2004年1月1日号)

 午後4時。昼と言うには遅すぎるし、夕方というには早すぎる時間。私は中島みゆきの名曲「時代」を初めて聞いたとき、メロディーの美しさに酔うとともに歌詞のマジックに驚かされました。「回る、回るよ、時代は回る」これが私の耳には、「回る、回る、4時台は回る」と聞こえたのです。

 子供のころ両親とも教師で鍵っ子のハシリでした。5時を回らないと帰ってこない母を待って不安な4時台を一人寂しく過ごしていました。中島みゆきはそんな4時台の不安、やるせなさを詩にしたのだと勝手に思っていました。

 しかしながら、この真昼でもないし夕方でもない時間帯は本を読んだり、だれにもじゃまされないで音楽に聞き入ったりすることができる時間でもありました。その後の私の情操や価値観の中枢を形作った大切な時間だったように思えます。

 今私は55歳。年老いた両親の介護のために長年務めた大学を辞めふる里の岡山に帰ってきました。人生の真昼は過ぎてしまったけれど、夕闇が訪れるにはまだ多少時間があります。まさに人生の4時台です。介護にも自分自身の生き方も「肩肘はらず、もっとスローに」をモットーに生きていこうと思います。やがて実り豊かな夕べが訪れることを信じて。

(中島みゆき 時代 YouTubeより)
http://www.youtube.com/watch?v=-KBK8TeT-gI&feature=related

2010年11月2日火曜日

高松から上海へ

 11月1日、香川県が中国の格安航空会社(LCC)「春秋航空」と高松-上海間に定期路線を開設することで合意した、と新聞やテレビが報じていました。羽田空港の国際化のニュース以上に岡山市に住む私にはうれしいニュースでした。

 春秋航空と言えば開港はしたものの閑古鳥が鳴く茨城空港から上海までチャーター便の往復チケットをたったの4千円で売り出して注目をあびている会社ですが来年3月末に開設予定の高松便は日本初の定期便路線になるとか。

 高松便にも4千円の席が登場すれば上海が一気に近づきます。それにしてもJRマリンライナーと空港バスを利用して岡山駅から高松空港まで往復で約4千円ですからいったい空のお値段はどうなっているのだろうと思います。

 LCC(Low Cost Carrier)会社がコストを低く抑えられる理由は、保有機種をひとつに限定して機体整備にかかるコストを徹底的に削減、機内サービスは有料、席と席の間隔を詰めてキャパシティーを極限までアップするなど合理的な理由によるものとされています。さらにLCCは機体がオンボロかというとその逆で、燃費のいい最新鋭のジェット機を使用しているとのことです。

 背が高く横幅も1.5人分ぐらいある私にとって席が狭いのが一番の問題点ですが、ふつうの飛行機のエコノミー席も十分狭くどんぐりのせいくらべに過ぎません。それに正月やお盆の帰省ラッシュのときに東京まで新幹線で3時間以上立ったままがまんを強いられることに慣れている日本人にとっては狭くても座れるだけ天国、上海までの飛行時間も2時間弱で問題ありません。

 この高松便の開設にあたっては浜田香川県知事自ら上海の春秋航空本社を訪れ会長と会談した結果だそうです。香川県のがんばりに比べて岡山県は新規路線誘致にどんな努力をしているのでしょうか。

 1年ほど前に岡山空港の出国ロビーで県の職員がアンケート調査をしていました。開設希望都市名を書く欄に私はバンコクと台北を記入したのですが、ぜひ岡山とこの2都市を直結する路線を実現していただきたいと願っています。かつて広島に乗り入れていたバンコク航空は撤退してしまいましたが、高松-上海便のようにLCCなら十分勝算はあると思います。石井知事の尽力を切に望みます。

2010年10月29日金曜日

汗入(あせり)


 岡山市南区妹尾の県道児島線沿いに汗入という場所があります。私立の進学校、岡山中学・高校があり登下校時には生徒や送り迎えの車でごった返しいつも若やいだ気(き)があふれている地区です。

 ところが50年前私が小学生だったころは本当に寂しい場所でした。生ゴミの集積場があったのですが、当時ゴミは処理されることなくただそこに野積みされているだけで悪臭が漂い、視界が真っ黒になるほど蝿がわいていました。

 ここの蝿は追い払って逃げるような生やさしい代物ではなく、雨の日傘をさしてそこを通ると蝿が何十匹も傘にへばりついて家に着くまで逃げていきません。そのうえ未舗装の県道を走るトラックが砂煙をあげ砂利を跳ね飛ばして通り過ぎていくのが幼い私には大変な恐怖でした。

 この付近、江戸時代には処刑場があったとかで、今でも岡山中学・高校の校門近くを流れる妹尾川にかかる小さな橋の欄干には「地獄橋」というおどろおどろしい名前が刻まれています。罪人が渡るその橋の向こうには地獄が待ち構えていたことは今でも何となく雰囲気で分かります。

 数ある歌舞伎の演目の中でも傑作中の傑作「東海道四谷怪談」をこの夏新橋演舞場まで2回も見に行きました。海老蔵、勘太郎、獅童ら豪華俳優陣によるすばらしい舞台でしたが、クライマックス「砂村隠亡堀の戸板返し」の場を見て妙なデジャビュ(既視感)に捕らわれました。
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 「隠亡堀」などという気色の悪い川で釣りをする伊右衛門(海老蔵)の眼前に戸板にくくり付けられたお岩さん(勘太郎)の遺体が流れ着きます。伊右衛門があわてて戸板をひっくり返したら今度は小平(という男)の死体が!

 この場面は戸板の裏表に張り付けられた男女の遺体の役を同じ役者が一瞬のうちに早変わりで見せる四谷怪談最大の名場面ですが、私には「砂村隠亡堀」が汗入の地獄橋のイメージに重なって震えあがりました。

 最近、その近くにおしゃれなカフェができ、けさ初めて寄ってみました。開店まもないピカピカの店になぜか蝿が一匹。しばらくして私のテーブルに止まりました。追い払おうとしても逃げません。「そうか、お前はここで私を50年も待っていてくれたのか!」となつかしい蝿にあいさつしました。