週末外国人観光客が激減した大阪にきました。ビジネスホテルの眺望のない部屋の窓から激しい雨の音が聞こえてきます。何だかいい感じ!昔見たフランス映画のワンシーンを思い出します。たしかアラン・ドロン主演の「サムライ」。殺し屋稼業の一匹狼のアラン・ドロンがねぐらにしている安アパートに帰ってくる。外は雨、トレンチコートがカッコいいのです。ドアを開けて部屋に入ると飼っているカナリアがかごの中で落ち着かない。とっさに異変を感じピストルを取り出します。別の殺し屋が留守中に忍びこんでアラン・ドロンが帰ってくるのを待っていたのです。間髪入れず侵入者を始末し、殺し屋は追っての刑事たちをパリの複雑な地下鉄網を乗り継いで撒いて、次の殺しのターゲット依頼を受けている女性ピアニストが働くラウンジに近づく、、、ピアノを弾いている女は殺し屋の接近にたじろぐ。実は殺し屋はこの女に好意を寄せていたのだ。殺し屋は100発100中のピストルの狙いを定める。銃声がラウンジに響き渡る・・・
そのアラン・ドロンもいまや82歳のおじいさんになってしまいました。先日BSで特集をやってたのを録画しました。60年代は面白い映画であふれていましたね。
もう一度、プーシキン美術館展、プラド美術館展をつかの間の静けさを取り戻した大阪・神戸で見て帰ります。
2018年9月14日金曜日
早くも関空復活
前回このコラムで「危なっかしい関空」と書きましたが、それから10日間が経過し本日(9月14日)第1ターミナルも部分的ながら搭乗業務を再開しました。空港が発表した国内線、国際線の発着予定を一瞥した印象ではほぼ以前の空港機能を取り戻した感があります。鉄道も当初予定よりかなり早く、今月21日には運転を再開できる見通しです。
この復旧スピードを“早い”と思うか“遅い”と感じるかは、人それぞれでしょう。しかし年に何回かしか関空を使わない私は「えっ?もう元に戻ったの?」という驚きを覚えたのが正直なところです。台風によって一瞬で壊れた空港が瞬く間に復活するのを見ていて、空港の強靱化は必須であるにせよ「どんな災害にも大丈夫な空港を作ろうとする」よりも「壊れても迅速に復旧させるだけの資金繰り、技術、シミュレーション、システム等があればそれでOK」と考える方が無理がなくまた現実的であると感じました。
というのも関空を始め近畿地方に未曾有の災害をもたらした台風21号が北海道に達したその夜、北海道南部で震度7の大地震が起き、全道が停電(いわゆるブラックアウト)するという非常事態に見舞われました。このように日替りでメガ・ディザスターが襲う日本列島にあっては自然災害に力業(ちからわざ)で抗うことにはおのずと限界があります。
そういえば千年の都京都や世界一平和な大都会だった江戸の町は繰り返し大火に遭ってきましたが、その都度より美しく町並みが再建されてきた歴史があります。紙と木で作られた家屋は簡単に燃えてしまうけれど建て替えも早いものです。それに引き替え地中海沿岸地方にあちこち残る古代ローマ時代の都市の廃墟は今も廃墟のまま。家屋、上下水道、大浴場や劇場などすべてが石でできた古代ローマの遺跡を見ると、石造りの建造物は強固な代わりにいったん廃墟になればその場所での再建は不可能であることを現代に伝えています。柳に風の日本とは大違いです。
現代では鉄とガラスとコンクリートでできた建造物が大きく破壊されてもテクノロジーと十分な資金があれば比較的短期間で再建されることは今までも経験済みです。地震や台風の襲来を過度に恐がることもないな、とほぼ復活した関空の映像を見つつ頼もしく思いました。
2018年9月12日水曜日
2018年9月5日水曜日
危なっかしい関空
台風21号が直撃した関西国際空港は開港以来という甚大な被害を受け、3千人もの利用客が空港ロビーで身動き取れなくなりました。翌日になってやっと高速船とバスによる島外への脱出ルートが確保されました。空港ロビーで不安な一夜を過ごした方々には心より同情いたします。停電と空調ストップ、旅程を中断させられたあせりやいらだち、情報不足は大変なストレスをもたらしたと思います。閉所恐怖症の人でなくてもあの状況では頭が変になりそうです。
空港に閉じこめられてしまった3千人もの人々に対してネットでは同情の声はあるものの大半のコメントは「台風による欠航は予想されていたのになぜ空港に行ったのか?」と非難するものでした。今回の件に限らずネット社会は水に落ちた犬を棒でたたく人であふれていますが、だれもまさか空港のロビーで立ち往生する運命が待っていると分かって行動したわけではありません。
あの日(9月4日)空港は閉鎖されていなかったし、コンビニなど空港内の店舗、ホテル等は通常営業していました。国内線各社は早朝から欠航を決めていましたが国際線の運行状況はネットでも分かりづらいものです。とりわけ外国の航空会社に関しては電話で問い合わせようにもそもそも電話窓口が不明瞭、あっても日本語対応していなかったり、オペレーターも非常事態の際の運行状況なんて正確には把握していません。そんな場合は空港のカウンターまで行ってそこで案内を聞くなり、代替サービスの手配をお願いするのが一番確実です。「とりあえず空港まで行ってみる」は基本的には正しい行動だと思います。
しかしながら、この法則は陸上にあるふつうの空港について言えることであって、関空やセントレアのような海上空港については話は別です。人工島は台風の直撃を受けたり巨大地震や津波に襲われればたちまち逃げ場のない地獄と化すことは旅行者も常に意識しておくべきでしょう。
ちなみに同じ近畿圏にある神戸空港は今回の台風による建物や滑走路に対する被害もなく、台風が通過した4日の夜にはもう航空機の離発着を再開していました。関空は国内線専用の神戸空港に比べはるかに重要な空港であり、テロだけでなく自然災害にも抵抗力のある強い空港に早急に改良すべきと感じた次第です。
2018年8月31日金曜日
水害被災地、スマホデータ量無制限
携帯電話通信費を抑えるために契約データ量をま2ギガにしています。家ではwi-hi 接続にし動画を見たいだけ見ていますが、時々wi-hi をオフにしたままYouTubeたど見ていてあっという間に契約ギガ数を使いきり、翌月1日まで超スローな送受信にされてしまうのが常です。追加ギガなど絶対購入しません。
ところが8月も10日ほど残した時点で契約ギガ数を突破しているのに、動画がいままでと同じように見られるので、不審に思い、ドコモに電話してみました。オペレーターいわく、岡山県は被災地指定地域なので8月いっぱい通信速度をしていません!だと。こういう有用な情報はもっと早く気づくべきでした。せっかくの無料ギガが使えるのが月末のたった1日だけなのが悔しい。
政府は携帯電話事業でぼろもうけしている業界に4割の値下げが可能と政治圧力をかけていますが、ドコモに限らず公共料金が家計を日常的に圧迫するパターンが確立しています。ゆゆしいことです。
ところが8月も10日ほど残した時点で契約ギガ数を突破しているのに、動画がいままでと同じように見られるので、不審に思い、ドコモに電話してみました。オペレーターいわく、岡山県は被災地指定地域なので8月いっぱい通信速度をしていません!だと。こういう有用な情報はもっと早く気づくべきでした。せっかくの無料ギガが使えるのが月末のたった1日だけなのが悔しい。
政府は携帯電話事業でぼろもうけしている業界に4割の値下げが可能と政治圧力をかけていますが、ドコモに限らず公共料金が家計を日常的に圧迫するパターンが確立しています。ゆゆしいことです。
2018年8月29日水曜日
高濃度フッ素入りハミガキ
昨年カナダとイタリアに旅行した際に現地で入手したチューブ入りのハミガキを記念に自宅まで持ち帰りました。ごくありふれた普通サイズのハミガキで、日本で使っているものと特に変わるところはありません。
使い残しのハミガキなんか空港のセキュリティ・チェックでトラブルのもとになるだけなので現地においてきてもよかったのですが、貧乏性の私はまだ使えるものをポイと捨てることなどできません。イタリアにいっしょに行った友人などは旅のガイドブックや洗濯物なども帰国前に「はい、ご用済み」とばかり無慈悲に捨てます。バチ当たりです。
さてカナダから持ち帰ったハミガキは滞在中泊めてもらった従姉妹が私のために用意してくれていたものでP&Gの「クレスト」。またイタリアで調達したものはホテル近くのスーパーで買った「コールゲート」ブランドの商品でした。
最近になって、ともに愛用しているこれら外国製のハミガキにある共通点があることに気づきました。それはフッ素の含有量が日本の通常のハミガキより多いということです。日本では従来1000ppm未満のものしか認可されていませんでしたが、2017年3月から1500ppmまでのものが市販されるようになりました。スーパーやドラッグストアでよく見かけるのは1450ppmの商品で、“薬用”とか“高濃度”と表示してあり、6歳未満の子どもには使用させないこと、という注意書きもあり従来品との違いを強調しています。
ところがカナダから持ち帰った「クレスト」に表示されたフッ素濃度0.243%をppmに換算すると2430ppmになり相当高濃度です。6歳以下の子どもが使用する際は豆粒ほどの量に限ると警告していますが禁止はしていません。イタリアから持ち帰ったものは1450ppmで、この濃度は日本の新基準と共通しています。
また、スウェーデンでは驚いたことに5000ppmの市販品まであるそうで、欧米諸国は高濃度のフッ素を恐れることなく虫歯予防に積極的に取り入れてきたことがうかがえます。フッ素添加の効果なのか、欧米人は甘いものをよく食べている割には虫歯の人が少ない気がします。私の子ども時代にこうしたハミガキがあったら、この年になって後から後からインプラント手術を受ける金銭的、肉体的恐怖もなかったろうに、と残念至極です。
2018年8月24日金曜日
庭にマムシ出現
秋口にはマムシが子どもを産む時期なので動くものには何にでも噛みつくので特別用心せよ、と父がよく話してくれました。
今日の午後、屋根の上で干していた桑の葉が風で飛んで庭に散乱し、回収していたときのことです。側溝に土が溜まりいつも湿っているので草が生い茂り、蛙もそこで大繁殖しています。その草の上にも桑の葉が何枚か落ちていたので拾おうとしてびっくりドンキー! なんと中ぐらいのサイズのマムシがいるではありませんか。背中の銭型模様と三角形の頭がマムシの証拠。それにふつうのヘビは人を見ると逃げますがマムシは逃げません。しかし草が繁っているので見失いました。動物の殺生がきらいな私は放置すべきか駆除するか迷いました。こんな自転車置き場の横にマムシがいるとなると夜自転車で帰って来て踏みつけがぶりとやられたらもうお仕舞いです。119番できれば助かるかも知れませんが後遺症が残るでしょう。
とにかく目の前の事態に決着を着けなければなりません。そこで水道のホースから水を勢いよく出してマムシを隣家に放逐しようとしたら大胆不敵にも溝から出てきてコンクリートの上でとぐろを巻いてこちらを睨んでいます。ホースの水圧でマムシを溝に追い込み、一旦その場を離れて金属製の三角ホーを片手に溝の草を剥ぎ取っていたらくだんのマムシがまた出てきました。生け捕りにして山奥に捨てられればいいのですが、コンクリートの擁壁に押し付けたもののなすすべもありません。
夏目漱石の夢十夜に出てきそうな緊迫の膠着状態がしばらく続いたのですが、右腕にひときわ力を込めてコンクリート壁にグリグリ押し付けました。私はまだ動いているマムシを三角ホーの先に引っ掛け、20メートルほど離れた草むらに投げ込みました。あとは自然にお任せです。しばらくは棒キレを見てもビクッとすることでしょう。
今日の午後、屋根の上で干していた桑の葉が風で飛んで庭に散乱し、回収していたときのことです。側溝に土が溜まりいつも湿っているので草が生い茂り、蛙もそこで大繁殖しています。その草の上にも桑の葉が何枚か落ちていたので拾おうとしてびっくりドンキー! なんと中ぐらいのサイズのマムシがいるではありませんか。背中の銭型模様と三角形の頭がマムシの証拠。それにふつうのヘビは人を見ると逃げますがマムシは逃げません。しかし草が繁っているので見失いました。動物の殺生がきらいな私は放置すべきか駆除するか迷いました。こんな自転車置き場の横にマムシがいるとなると夜自転車で帰って来て踏みつけがぶりとやられたらもうお仕舞いです。119番できれば助かるかも知れませんが後遺症が残るでしょう。
とにかく目の前の事態に決着を着けなければなりません。そこで水道のホースから水を勢いよく出してマムシを隣家に放逐しようとしたら大胆不敵にも溝から出てきてコンクリートの上でとぐろを巻いてこちらを睨んでいます。ホースの水圧でマムシを溝に追い込み、一旦その場を離れて金属製の三角ホーを片手に溝の草を剥ぎ取っていたらくだんのマムシがまた出てきました。生け捕りにして山奥に捨てられればいいのですが、コンクリートの擁壁に押し付けたもののなすすべもありません。
夏目漱石の夢十夜に出てきそうな緊迫の膠着状態がしばらく続いたのですが、右腕にひときわ力を込めてコンクリート壁にグリグリ押し付けました。私はまだ動いているマムシを三角ホーの先に引っ掛け、20メートルほど離れた草むらに投げ込みました。あとは自然にお任せです。しばらくは棒キレを見てもビクッとすることでしょう。
桑の葉でお茶を作る
桑の葉には血糖値を下げる効果がある物質が含まれているそうで桑の葉茶が通販でよく売られています。昨日、台風が来る前に庭の桑の木の剪定をし大量の葉っぱの始末に困り思いついたのが桑の葉茶の製造でした。
お茶の場合もそうですが、生の葉をそのまま乾燥させるのではなく、新鮮な葉っぱをただちに蒸気で蒸す工程が大切とのことです。酸化酵素を不活性化させるのが目的とか。蒸し器を台所の天袋から探し出すのもめんどうだったので、レジ袋に桑の葉をぎっしり詰めて電子レンジで1分ほど加熱しました。そしてそれをお日様に当てて干すのですが、昨日は干している途中で雨模様になったのでいったん取り込み冷凍にし、本日再度台風一過の晴天を利用して屋根の上で乾燥させているところです。
きのうは生乾きの桑の葉の一部をドライヤーで乾かし、次いでフライパンで空煎りしてみました。さっそくお茶にして飲んでみたらすっきり、さわやか味の桑の葉茶になっていました。嗅覚障害が治ってなく、香りはよく分からないのですが、これで血糖値が下がり、中性脂肪も下がるのなら安いものです。
子どものころお隣のおばあさんが初夏のころ山に行って「ニンドウ」を竹かごいっぱ採取して帰っていました。ニンドウとはスイカズラのことで漢方でも生薬として使うそうです。おばあさんはそれを一気に蒸してそのあと天日で乾燥させ年中お茶として飲んでいました。おいしいお茶だったので私も長年作ってみたかったのですが、「蒸す」という工程を忘れていてうまくいきませんでした。ニンドウはジャスミンそっくりの花がさく蔓草です。「蒸して干す」これさえ覚えておけばおよそどんな植物でもお茶になりますね。
2018年8月23日木曜日
2018年8月22日水曜日
人生で出会った人々①ウド・ベンシュ(ドイツ人の友人)
満70歳になったのを契機にこれまでの長い人生で出会った印象深い人々のことを記憶に留めておきたいと思い、ここに随時掲載させていただきたいと思います。もとより無名の一介の退職老人が自分の「交友録」など書いたところで「なにそれ?」と失笑を買うだけのことにしかならないのはよく承知しています。それでも有名人、普通の人々を問わず、私なりの印象深い出会いがあったことも確かなのでプライバシーには配慮しつつなるべく具体的なエピソードを語りたいと思います。
さて第1回目は旧友ウド・ベンシュ君。ドイツ人(1952-)。1972年、まだ二十歳の若者だったドイツ人青年ウド君たち3人と最初に出会ったのはフランス・アルプス、モンブランの中腹にあるエギュ・ド・ミディという展望台でのことでした。私は東京の大学5年生、休学してアルジェリアに半年滞在したあとの3ヶ月の長い夏休み。ユーレイルパスを使って西ヨーロッパの各地を旅していた途中でのことです。
「写真を撮ってくれる?どこから来たの、西ドイツ、日本人?そうだよ……」。エギュ・ド・ミディ峰は欧州最高峰(4810m)のモンブランの中腹にあるとはいえ富士山山頂と標高がほぼ同じでそこまでロープウェイで一気に登れます。足腰の悪い老人でもアルプスの山々を見下ろす絶景のポイントで最高級の料理とワイン、コーヒーが楽しめるところが日本の山岳観光地との決定的な違いです。
ウド君たちは高校を出て地元市役所に就職したばかり。当時のドイツでは日常シーンで英語ができる人は少なくその後のドイツ旅行では苦労したものですが、ウド君たちは聞き取りやすい英語をしゃべってくれました。日独の若者4人がまるで10年来の親友のように楽しそうに歓談していたら、そこにスウェーデン人のおばあさんが加わってきました。
するとウド君は「先の大戦ではドイツが貴国にとんでもないご迷惑をかけ……」と謝罪を始めたのにはびっくり仰天。おばあさんは「何言ってんのよ、あなたまだ生まれてなかったでしょ?」と笑ってたしなめました。ドイツでは中学校あたりでそういう歴史教育をしていたのかもしれません。ともかく、それがウド君との生涯にわたる長いつきあいの始まりでした。
私は中学生のころドイツ文学に熱中し小説や詩を片っ端から読みました。ゲーテの「ファウスト」は中学生にはなかなか歯が立たない作品でしたが、トーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」、ヘルマン・ヘッセの「郷愁=ペーター・カーメンチント」などはちょうど思春期から大人になろうとする時期の若者の心の躍動、挫折をもどかしいくらいロマンチックに描いていました。その魅力は20世紀前半のドイツ文学特有のもののように思われます。
中学生の私は主人公になったつもりで湖のほとりにある寄宿学校や友人との出会いを夢想したものですが、ウド君たちに出会ったとき、まさに小説を通じて育んできたことが目の前に実現した思いがしました。「ぜひドイツの我が家に寄ってほしい」という言葉に勇気づけられて、2週間後にはドルトムント近くのイザローンという町の駅頭に降り立ちました。駅まで迎えにきてくれていたウドに再会し、家に連れていってもらい、両親に紹介されました。
お母さんが作る家庭料理は「ドイツは料理がまずい」という定説を覆すもので、すっかり私はこの家の息子になってしまった気分でした。それ以来、ヨーロッパに行くときは必ずイザローンに寄りました。ある夏はいっしょにインスブルックの登山学校主催のハードな山岳トレッキングに参加したこともあります。
そのうち私も仕事が忙しくなったのとウドも結婚して娘3人のパパになり、お互い日々の生活に追われ次第に音信も途絶えてしまいました。しかし今から10数年前に思い切って電話したのをきっかけにまたメールでの交遊が復活しました。
ウドは仕事のストレスで市役所を早期に退職したこと、娘はそれぞれ立派に育ったこと、ダイアナ妃似だった奥さんも欧米人にありがちな堂々たる体躯になったとはいえ、控えめな眼差しは昔のままだということが分かりました。私をいつも暖かくもてなしてくれたご両親は認知症を患い、一人息子のウドの苦悩は私の苦悩と共通するものでした。
先日、私は近況を伝えるとともに近々機会があればドイツを再訪したいとメールしたのですが、まだ返信がありません。心配なのでこの秋にでも安いチケットを探して、我が青春のドイツの町を再訪したいと思います。
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