2019年7月24日水曜日

メロン配達という"しごと"

幼なじみで高級メロンを栽培していたK君が急逝してはや3年近い月日が流れた。厳冬の中で、また高温多湿を極める真夏のハウスで年中休むひまなく働き続けてとうとうメロンに命を捧げてしまうことになるとは。もうメロン園は閉じるしかないだろうと誰もが思っていたが、喪があけたら、70に近い奥さんが夏場だけメロン栽培を再開したのにはびっくり。

小学校教師の娘さんは週末などは手伝っているが、奥さんは毎日早朝から夜中までメロンの栽培と出荷準備でへとへとの毎日。デパートに納品に行く人が見当たらないので、私に助けを求めてきた。53歳で退職した私はそれ以降お金をもらって働いたことがなく、メロンの配達は新鮮な体験になりそうで興味本位に引き受けた。

K夫人とは配達に関してとくに契約めいたものを取り決めた訳でなく、言わば「子どものお使い」という位置づけが近い。デパートから8個とか20個、納品せよとの指令がメロン園にあると、K夫人から私に電話で依頼があり、私はメロンをデパートまで運び伝票に受け取りのサインをもらって帰る。在庫を持ちたくないデパートは注文が細かくたった5個の納品オーダーがあることも。往復と搬入作業に要する時間は2時間。

お使いの駄賃は“ガソリン代”として1000円+ミネラルウォーター1本あり。3回に1回ぐらいは高級メロンをもらって帰る。メロン配達をバイトと考えたら、全然ペイしない。交通事故に遭遇しても労災保険はない。だからこれはバイトではない……、にしても、困ったときの人助けというにはほぼ週2回の配達は業務っぽい。業務なら最低賃金プラス自車持ち込み、保険なしなので、1回5000円が相場か? しかしデパートでの小売り価格と納品伝票の価格差に唖然とする私には、そんなことを汗だくで働いている奥さんに言えない。

そもそも1000円であれ5000円であれその差に大きな意味はない。もう若くはないK夫人にしてもそんな大変な労働をしてまでメロン園を維持する経済的理由は乏しいと思う。亡くなった亭主のメロンに対する思い、長い年月を夫婦でメロン栽培に心血をそそいだ思い出を風化させたくないという思いでメロン作りを続けているように見受けられる。

さて、1000円のお駄賃でメロン配達をしている自分自身の行為について、別の解釈の可能性を考えてみる。もしメロンの運搬と週一の雑誌原稿書きがなかったら、そうでなくても自堕落な毎日がますますひどくなって引きこもりまっしぐらになること間違いない。配達はエッセイのネタになるし、デパートのバックヤードも見ることができた。何の取り柄もない、存在理由もない老人が1日を健康に過ごせることを金銭に換算すると1万円の収益に相当する。反対に病院や施設で寝たきりで過ごすと1日当たり3-5万円くらいの損失になる(個人負担、自治体、国負担を合わせて)。こう考えると、社会参加を通じて頭と身体能力の老化防止に役立っているメロン配達は実は金銭的にも十分ペイしている。

私のような都合のいい人間はなかなかいないだろう、と自分でも思う。もしK夫人がメロン配達のバイトを探すとしたら、だいたい週2で不定期に来てくれ、車の運転ができ、単純とはいえデパート納品の仕組みと手順を瞬時に理解し、ドタキャンなどしない人材を見つけることができるだろうか?デパートのバックヤードには高級食材がかなり無防備な状態で積まれているので、バイトテロをしでかすような人間は絶対使えない。

ここで大学時代、心理学の授業で習ったある実験の話を紹介したい。

実験。
被験者の学生を2つのグループに分ける。グループAの学生にはわずかな報酬で単純作業をさせる。グループBにも同じ単純作業をさせるが高い報酬を支払う。
1時間後「仕事は面白かったか?」それぞれのグループの被験者に尋ねる。

「面白かった、意義があったと感じた」と答えたのはどちらのグループでしょう? Aのわずかな報酬しかもらえなかったグループです。そのココロは、ちゃんと報酬をもらった人たちは作業がつまらないものだったことが客観的に判断できたのに対し、詰まらない作業を報酬なしでやらされた人は、その事実を受け入れられず、「自分たちがやった作業は意義があるものだった」と考えないことにはやってられないという心理が働くとのこと。50年前の心理学の教室でこの話を聞いたとき一番記憶に残ったのは、上記のような結果もさることながら、いずれの被験者に対しても実験を企画した側から報酬は支払われなかったというオチ。ちょっとひどくない?

結論。
メロン配達は、金銭的にはほとんど無意味、むしろ交通事故など大きなリスクを背負っているが、人助けがもたらすある種の喜び、必要とされる存在であることを実感するための行為に他ならない。心理学の実験のとおりということになる。

PS. 案の定本日上記で危惧した事態が発生した。配達の帰り、たまに寄る喫茶店の駐車場でバックで駐車しようとしたとき、もう少しバック!とアクセルを踏んだらコツンという音がした。車を降りてみるとバンパーが喫茶店のコンクリートモルタルの壁に接触して傷がついてしまった。いくら古い車でも大切に乗っている車に傷がつくのは悲しい。メロン配達とはほとんど因果関係のない話ながら、いろんな要素が複雑に組み合わさって運命に導かれてしまう。Mais, ca doit etre tres subjectif!(それは大変主観的な考え方に違いないが)

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