2018年3月4日日曜日

嗅覚障害

最近食べ物がちっともおいしく感じられなくなり味覚障害かなあと思っていたのですが、真相は嗅覚障害であることが分かりました。においが感じられないことになぜすぐ気付かなかったのか我ながら鈍感な人間だと落ち込みます。コーヒー、焼き肉、庭のスイセンやジンチョウゲまでもが何のにおいも発していないことに気づかなかったなんて!さっそく近所の耳鼻科に行きました。
診療所ではアリナミンテストなるものを受けました。びっくりです。嗅覚のテストなのでバラの甘い匂いとか靴下の強烈な悪臭でもかがされるのかと思っていたら「これから腕に薬を注射しますがニンニクのにおいがしたらすぐ言ってください」と看護師さんから言われました。
“腕に注射されたにおい成分を鼻で感じる?”訳が分かりません。訳が分からないまま看護師さんはあやしげな注射を腕にブスリ。そのまま10分ぐらい待たされるのかと思ったら大違いで、血流に乗ったにおい成分はわずか数秒で嗅覚神経に到達するそうです。しかししばらく待っていても私には顕著なニンニク臭が感じられません。すると看護師さんが「ニンニクのにおいしませんか?」と誘導尋問。そういわれてみると何となくニンニクくさいような気がして「においます」と答えました。すぐさま看護師が「臭いが消えたら言ってください」と続けます。
私はニンニク臭が継続しているともいないともはっきりしないまま、看護師さんの期待を裏切るのも悪いので「消えました」と答えました。このように簡単に他人に迎合してしまう性格では、事件の容疑者にでもされたら老獪な刑事の誘導尋問に何が何やら分からないまま「やったかもしれない」と自白してしまうこと必定です。

ともかく、私の嗅覚はかなり悪くなっているようでステロイド剤や点鼻薬などを薬局で受け取って家に帰りました。ネットで調べたら治らなくてあきらめた人、治った人などいろんな体験談がありました。私の場合、急激に悪くなったのは今年になってからですが、以前から兄や知り合いの人がたまに我が家にくると「この家くさい、たまらん、リセッシュ買ってこい」などと言っていたのを「ネコのにおいぐらいで何を大げさに騒いで……」と気にせずいたのは、私の鼻が半ば壊れていたせいかもしれません。

2018年2月28日水曜日

迷宮・新宿駅

12日で東京に行きました。2月大歌舞伎の千秋楽を見るのが目当てでした。高麗屋三代同時襲名披露では松本金太郎改め市川染五郎の初々しい口上には親でもないのにとても誇らしい気分に。将来の看板役者の門出に立ち会え大満足でした。ところが翌日帰岡しようとして……
学生時代の4年半を東京で過ごしたので、とりわけ新宿駅界隈は学生時代に培った土地勘が働くと思ってきたのに、今回はあの迷宮新宿駅で立ち往生してしまいました。東京での用事もすべて終わり、さあ岡山へ帰ろう、と紀伊国屋本店を出ながら迷いました。羽田からシニア料金でJALANAで帰るか、割高だけれど無難な新幹線にするか悩み、とりあえずは羽田空港までバスで移動しようと思いました。
ところが新宿駅東口から西口に行くことができません。JRや小田急、京王線の入り口はあるけれど東西連絡通路は発見できませんでした。そこで西口の空港バス乗り場でなく、南口甲州街道を越えたところにある総合バスターミナル、バスタに向かいました。ところが地上4階にあるバス発着場にすんなりいけません。たったふたつしかない遅いエレベータでともかくターミナルにたどりつき乗るべきバスを探しました。空港バスなんてしょっちゅう出ていて乗ってから運賃を払えばいいと思ったのですが、これが大違い。窓口に並んで切符を買うか自販機で買うめんどくささ。自販機を操作したら空席が3便後(約1時間)までSold out
「やってられない! やはり新幹線にしよう」。バスタからJR新宿駅へまた遅いエレベータでいらいら移動。JRの券売機で岡山まで自由席切符を買いました。最終の岡山行きに乗ればいいのでとりあえず新幹線の時刻表をもらっておこうと思い、JRの窓口係員にお願いしました。
-新幹線時刻表をください-
-どの新幹線ですか?-
-東海道・山陽です-
-ここはJR東日本の駅です。東海道・山陽新幹線の時刻表はありません。東京駅で言ってください-

発狂しそうでした。券売機ではちゃんと東海道新幹線の切符が買えたじゃないか(怒)。迷路でしかない歪んだ立体空間の駅、なわばり意識丸出しのJR各社。奇怪で不便きわまりない巨大駅。新幹線が東京駅を離れた瞬間深い安堵感を覚えました。

博多観光と世界遺産宗像大社参拝

 50歳以上の人ならだれでも使えるJR西日本の割引切符「おとなび」を利用して博多まで、12日の旅をしてきました。今までも太宰府天満宮には何度か出かけたことがありますが博多滞在は初めてで九州随一の大都会は魅力十分でした。
週末だったせいもあるのですが博多の夜は大変遅くまでにぎわってますね。それに外国人の多いこと! さすがは日本で大陸に一番近い大都市だけのことはあります。いたるところ英語、中国語、ハングルによる観光案内表示板をみかけました。
宿泊したホテルのすぐ近くには空海(弘法大師)が唐での留学から帰ってきて最初に建立したという真言宗の東長寺や博多祇園山笠で有名な櫛田神社がありました。境内には霊泉鶴の井戸というのがありそこの水を飲むと長生きできるそうです。
ところが井戸のそばに説明文があり、保健当局の水質検査を受けていないので飲めませんとありました。千年以上昔から何ともなかったものが現代の水質基準にあわないからといって飲用禁止とは、神様の泉を冒涜してやいませんか? 柄杓がないので手ですくって飲んでみました。かなり塩辛い味でしたが、おそらく豊富なミネラルが長寿に関与していたのではないでしょうか。
夜、博多座で歌舞伎を鑑賞し、翌日は昨年世界遺産に登録された「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を訪ねてみました。国宝に指定されている8万点もの出土品や文化財のうち第一級の文物は宗像大社本殿横にある神宝館に収蔵展示されていてここは絶対外せません。ボランティアスタッフによるていねいなガイドがあります。スタッフのみなさんは高齢男性が多く皆さん古代史に精通されているようすでした。そういえば神宝館のお客はほとんどが男性でなるほど「古代史ロマンは男のロマン」を実感しました。

ふつう古代の日本といってもピンとこないのですが、この神宝館ではヤマト政権や鉄器時代の夜明け、日本の夜明けがリアルに感じられました。そのあとフェリーに乗って大島に渡り「沖津宮遙拝所社殿」などをレンタサイクル(電動アシスト付き)を借りて見て回りました。視界のいいときははるか遠くの水平線上に「神宿る島」沖ノ島が浮かんで見えるとのことでしたが、この日は薄曇りで何も見えませんでした。

仮想通貨と“億り人”

“億り人(おくりびと)”~何とも不気味な言葉が流行るものです。ビットコインに代表される仮想通貨やFX(外国為替証拠金取引)の激しい値動きに便乗して短期間に1億円ものお金を手にした人々のことをこう呼ぶそうです。この言葉の語源は2008年に封切られた日本映画「おくりびと」から採られていることは想像に難くありません。一言でいうと本木雅弘(もっくん)演じる若者があることをきっかけに納棺師になるお話です。そこでは死が真っ正面から取り上げられています。
そうしたいわば不吉な言葉を投機でにわか成金になった自分自身に対し嬉々として冠するのが私には不気味。果たしてビットコインはあっという間に暴落し、ネット上では自身の破産、破綻の程度がいかに大きいかを自慢げに書き込みする記事や動画であふれかえっています。
一朝にして天文学的な額の追証に追いかけられる“億り人”たち。彼らの年齢は見たところ20代~40代の若者です。そして破綻しかけている取引所の社長もこれまた幼さがまだ残っている20代の青年です。
もとより仮想通貨の複雑な仕組みなど理解できず、なぜ価値が発生し価格が上下するのか、そのメカニズムが全然分からない私のような時代遅れの人間にとっては、数百億円が一瞬にして溶けてしまったらしい今回のコインチェック事件について語る資格はありません。
しかし似たような話はこれまでも繰り返しどこかで聞いたことがあるような気がします。三島由紀夫の小説「青の時代」(1950)は実際にあった事件を題材にした小説。戦後の混乱期に秀才青年が高金利の闇金融会社を作りやがて破滅する話です。
「ライブドア事件」も同じ系列の事件でしょう。その後国政に打って出ようとした主役のホリエモンの行動のいっさいが私には今も謎ですが、いずれの事件も優秀な若者が決定的な役割を演じています。

本来若者には既存の価値観に縛られず高く自由に飛翔しようとするほとんど本能的な性行があると言っていいでしょう。失敗するかもしれないからといって青春の野心や野望を実現しようとする若者の行動を非難することは誰にもできません。しかしひとつだけ覚えておいてほしい、“億り人”が次の日にはあっけなく“送られ人”になってしまうことを。

岡山にアルザスパンの店がオープン

 最近、岡山市門田屋敷にエックさんというフランス人が故郷のアルザス地方のパンを製造販売する店をオープンさせた、という新聞記事を読みました。岡山ではライ麦粉を使った本格的な堅いパンがなかなか手に入らないので、岡山駅からはちょっと距離があるのですがチンチン電車に乗って出かけてみました。
 門田屋敷の交差点角にあるツタのからまる小さなビルの1階にその店「ベック・アルザスパン」はありました。ほんとうに小さな店で先客がひとりでもいると後からきた人は店の外で待つしかありません。
 ドアを開けて「ボンジュール、ムッシュー!」と声をかけたらエックさんは顔に粉をつけたまま笑顔で応対してくれました。野生の酵母菌を培養した発酵種を使ったパンはもちもちした食感と酸味が特徴とか。カンパーニュ、ライ麦パン、バゲットなどいろいろ買ってみました。小麦粉はフランスから輸入したものを使用しているそうです。
 次のお客さんが来るまでのあいだちょっと四方山話をしました。フランス人はとっつきにくい人が割合多く「木で鼻をくくる」とはこのこと、と思わせる人によく出会いますが、エックさんはほんとうに人なつこい人でいろいろご自身のことも語ってきかせてくれました。
 来日して以来、関西を中心にあちこちの店で働いた経験もあるそうですが岡山が気に入ってここに店を開いたとのことです。私のこともいろいろ聞いてくれました。大阪で働いていたが親の介護のために岡山に帰ってきたこと、卒業した中学校が門田にあってこの辺りにくるのは久しぶりだけれど懐かしいなど、たわいもない話をしているうちに次のお客さんがきて店を後にしました。
 エックさんのパンは食べ応えがありました。バゲットは昔アルジェリアに滞在していたころ食べていたような素朴な味のパンでした。スーパーの大手メーカーのフランスパンは不味すぎ、デパートのフランスパンは美味しすぎます。それに対しエックさんのバゲットはドイツとフランスの間にあって苦難の歴史を繰り返したアルザスのつらい歴史を少し感じさせる滋味あふれるものでした。

 忘れかけの私のフランス語では聞き取れなかったこともありましたが、またひとり、ふる里岡山でいい出会いがあったとうれしくなりました。

2018年2月7日水曜日

京鹿子娘五人道成寺(映画)

 先日、何年かぶりにイオンモール倉敷に出かけ、MOVIX倉敷で松竹製作配給のシネマ歌舞伎を見てきました。歌舞伎の舞台をそのまま映画に収録したものです。大歌舞伎をライブで日常的に見ることができるのは東京、名古屋、京都、大阪、博多などの大都市に限られ、また観劇料も高いので、シネマ歌舞伎のように地方にいながら映画並のリーゾナブルな料金で歌舞伎に接することができるのはとてもありがたい企画です。
 今回見たのは女形舞踊「京鹿子娘五人道成寺」と「二人椀久」の2本立て。娘道成寺では板東玉三郎、中村勘九郎、七之助ほか合わせて5人の女形による白拍子花子が艶やかに舞いを披露。花子はたちまち蛇に姿を変えて道成寺の鐘に巻き付いて実らぬ恋の恨みを晴らすスペクタクルです。お姫様の衣装から蛇の抜け殻をイメージする衣装に早変わりするところが最大の見所です。
花子は実は安珍清姫の話に登場する清姫の亡霊です。清姫は自分にちっともなびかないイケメン修行僧の安珍を追いつめ、安珍は道成寺の鐘の中に隠れるのですが、恋ゆえにとぎすまされた嗅覚をもっている清姫は安珍の隠れ場所をたやすく嗅ぎ付け、大蛇に変身し鐘もろとも安珍を締め殺します。
伝統的な解釈ではこの話は清姫の安珍に対する悲恋・悲劇でしょうが、今風に言うと、これはまぎれもないストーカー事件だと思います。「ストーカー」という概念を表す用語がなかったつい20年ほど前までは清姫のような過度に一途な女性から詰め寄られて苦しく怖い思いをしたり、中には押し切られてしまった男性は世に多かったことでしょう。
五人道成寺の白拍子花子(清姫の亡霊)はストーカーの本質をよく表しています。相手が拒否しているのに一方的に迫る、それでも相手から無視されると恋の感情は怒りと憎しみに変わり、ついには蛇のイメージさながらのモンスター的感情に支配されます。安珍清姫の話は恋慕の感情はときにはコントロール不可能な狂気に変わりうることを昔の人もよく分かっていたのだと作品を見ながら思いました。

「二人椀久」は玉三郎、勘九郎による幻想的、情感豊かな作品でした。勘九郎は年とともにますます魅力を増し華がある役者。静かに踊る姿はもうたまりません。(上映終了)

これはお得!JR西日本「おとなび」切符

50歳以上の皆様、JR西日本の「おとなび」という旅クラブをご存じでしょうか? クラブとは名ばかりで会費等は不用、簡単な登録をしさえすればJR西日本の新幹線や在来線特急料金が「のぞみ」で3割引き、「こだま」は何と6割引になるという、JRにしては珍しく太っ腹な割引サービスを提供しています。
例えば岡山から新大阪までの普通指定席の片道料金(運賃込み)は通常6,030円ですが、「おとなび」で予約すると「のぞみ」では、4,210円、「こだま」では2,320円です(執筆時)。「のぞみ」より30分乗車時間が長いだけに過ぎない「こだま」の割引額は驚異的で、これは在来線の運賃(乗車券)3,020円よりさらに700円安い設定ということになります。
しかしながら昔のことを振り返ってみると東海道新幹線が開業して以来かなり長い間、東京と新大阪の間は、速達タイプの「ひかり」と各駅停車の「こだま」で料金に差が設けてありました。それがいつのまにか、確か「のぞみ」ができたころか、「ひかり」と「こだま」が同一料金になってしまいました。
その結果「こだま」は遅い、高いという理由であえて乗る人はほぼいなくなり、さらに「のぞみ」の運行の邪魔になることもあり、運行頻度は今や1時間に1本というさびしさです。本来時間がかかる「こだま」の特急料金は大幅に引き下げるべきだと思いますが、在来線特急料金との兼ね合いもあってか簡単にいかないのかもしれません。そんなところに「おとなび」のような年齢限定ではありますが、大幅割引サービスが生まれる余地があるのでしょう。
「空気を運ぶよりはまし」という発想法は必ずしも鉄道事業にはなじまないのかもしれませんが、「おとなび」で実現できたような思い切ったサービスをもっと大胆に全国の新幹線に拡大することはできないのかなと思います。

いままで「おとなび」切符で旅行したのは岡山・新大阪と大阪・金沢だけですが、2月中旬には岡山・博多を往復する予定です。山陽新幹線(JR西日本)の終点が博多なので「おとなび」も博多が最西端の駅になります。ちょうど梅の開花シーズンですが太宰府天満宮にこの時期に行くのは初めてで楽しみです。それに博多のモツ鍋と辛子明太子も。

2018年1月19日金曜日

文化鍋で炊いたごはん


今はかなり収束したようですが、中国人による爆買いの目玉商品は何と言っても電気炊飯器が一番人気でした。どの人もどの人も両手に大きな炊飯器を抱えて機内に持ち込むので中国行きの飛行機に乗るのは憂鬱でした。日本製の炊飯器で米を炊けば日本の旅館や料亭で食べるようなおいしいご飯が中国に帰っても毎日食べられると思ってのことでしょう。中国では期待どおりのおいしいご飯が炊けているのでしょうか?
我が家でも長年使ってきたIH炊飯器の内釜のテフロンがすっかりはげ落ちてご飯粒がお釜にくっつくようになり、またどうもそのIH炊飯器で炊いたご飯があまりおいしくないので、思い切って高額な電気炊飯器に買い換えました。毎日のようにテレビコマーシャルをやっている大手のフラッグシップモデルです!
ところが多彩なメニューや機能をどう組み合わせてみても、また魚沼産のコシヒカリを炊いても全然おいしくないのです。炊くときに圧力がかかるので却ってご飯粒に腰がないというかベチャつくというか。メーカーは本当においしいご飯が炊けるかどうか確認しているのだろうか?と疑いたくなるような出来映え。
もうこうなったらご飯は昔のように鍋で炊くしかない。そこで厚手のアルミ製炊飯鍋を購入しました。小さく見えても8合炊きです。取扱説明書には「おいしいごはんの炊き方」の手順が簡単に記されていました。今も昔も飯炊きは「はじめチョロチョロ、中パッパ、ブツブツいうころ火を引いて、赤子泣くとも蓋とるな」の教えどおりですね。
ただ、言葉では簡単でも実際に炊いてみるといくつかコツがあります。飯炊きに強火が必要なのはほんの2、3分で、ほとんどは弱から中弱ぐらいの火加減を保つこと。沸騰したあとも強火のままではすぐ水がなくなり焦げてしまいます。私も何度か試行錯誤を重ねた結果、やっと旅館の朝ご飯のようなおいしいご飯にありつくことがかないました。

年末に漬け込んだタクアンがはやくも食べ頃を迎えました。毎年今の時期に仕込む手作り味噌で味噌汁を作り、甘い香りの炊き立てご飯にアジの干物、それに海苔、納豆、卵があればこれぞ日本の朝食の完成です。また不幸にも大地震でも来れば自慢の鍋を持参して炊き出しボランティアをお引き受けするつもりです。

2018年1月10日水曜日

平成30年

 また新しい年の始まりです。今年は平成30年、夏に誕生日がくれば私はちょうど満70歳になります。自分の年齢と平成の年号がこのようにシンクロしていたとは今までまったく気がつきませんでした。
 平成という年代を私の人生に当てはめてみると41歳から71歳に相当することになります。このように人生のいちばん充実した時期を過ごしてきた歳月が平成時代だったのに、意識としては自分は昭和の人間以外の何者でもないな、と感じます。
このように思ってしまう理由は、ものごころがついて以来学校に通い就職もして自分なりの人格がひととり整った時期が昭和だったことによるのでしょう。大正6年生まれの父は大正時代を過ごしたのはわずか10年足らずで、その後昭和時代を63年、そして平成時代も25年も生きたのにもかかわらず、本人は「大正デモクラシー時代の知識人」という自覚を終生持ち続けました。まさに「三つ子の魂百まで」の格言どおりです。
年明け早々、地元出身で日本の野球界に大きな功績を残した星野仙一さんがガンでなくなったことは国内外に大きな衝撃を与えました。生涯大活躍をした星野さんですが、やはりイメージとしては「昭和の男」そのものではないでしょうか。
こうしたことをあれこれとりとめなく考えていると、人生の節目となる幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期のどの年代も大切であるし意義深いものですが、決定的に重要なことは、人は幼年期と少年期をいかに豊かですぐれた環境のもとで過ごすかということだと思います。
貧困の連鎖がもたらす不幸ほど大きな不幸、不平等はありません。豊かな家に生まれついたかどうかでその後の人生が決まってしまうような社会を今のまま放置することはすべての人にとって大きな損失です。

そこで声を大にして言います。国は老齢者対策はほどほどにして、子どもが少なくとも15,6歳になるまでは家庭環境の優劣の影響を受けることなく、その後の人生の根幹をなす教育を受けられるよう全力でサポートする体制を整えるべきであると。平成30年は、今までの口先だけの少子化対策を根本的に改める最初の年にしてもらいたいものです。我々シニアは自分自身で老いの始末をつける覚悟はあります。どうぞ子どものためにお金を使ってください。

2018年1月2日火曜日

Happy new year!

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

岡山市南区妹尾にある御前神社(おんさきじんじゃ)の絵馬です。ここのおみくじは、かつては、57の韻を踏んだ格調たかいもので、心が折れそうになったときは、おみくじを引いて慰められ、励まされ、希望を与えられ、また諦めることの大切さも教えられたものです。
ところが3年ほど前からスタイルが変わり、口語調の平凡なものになってしまいました。

大きな絵馬は神職さんが毎年手書きされていてユーモラスな絵に心がなごみます。

すべての人にとって本年が健康で実り豊かな1年になるよう祈念しています。