2020年5月13日水曜日

無意識のうちに逆走!

 高速道路を逆走して大事故を起こす高齢ドライバーの存在は一種の社会問題と化しています。対向車と正面衝突して双方の車に死者がでることも珍しくありません。
 高速道路を逆走してしまう主因はサービスエリアやパーキングエリアで休憩した後、出口ではなくもと来た方向へ走ってしまうことにあるようです。「そんなバカな!あり得ない」とニュースを見ながら高齢ドライバーにあきれてしまう私ですが、そのありえないことを先日自分でやってしまいました。幸い高速道路でなかったこと、信号付近のできごとであり、双方向ともすべての車が停止中だったことにまず感謝です。
 家のすぐ近くという訳ではないのですが一応生活圏にあるコンビニにでかけたときのことです。信号機のある交差点の角地にある大きなコンビニです。駐車場の一方は細い田舎道に面し、もう一方は片側2車線で中央分離帯をはさんで反対車線が2車線ある立派な道路に面しています。
 昼間たまに立ち寄るときは全然問題ないのに、先日夕方暗くなってそのコンビニに行った帰り、4車線道路を何故か上下2車線と勘違いし、右折して「左車線」に入りました。正面の信号は赤で停止。すると交差点の真向かいの車がライトを激しくハイビームとロービームを繰り返してきます。「えっ?私がハイビーム?」と頭をひねっていたら、助手席の同乗者が「逆走してる!」と絶叫。ようやく私も異常事態に気づいて信号が青に変わる寸前に交差点のど真ん中を横切って本来の走行車線に進むことができました。いやはや、自分の車の真っ正面にヘッドライトをつけた車があること自体おかしいのに、対向車から激しくパッシングされるまで気づかないなんて!
まったく無意識のうちにこんなとんでもないないことをしでかしてしまい、同乗者も対向車の方もさぞ肝を冷やされたことと申し訳なく思うとともに、「このようにして逆走が起きるのか」と怖くなりました。後日問題のコンビニの駐車場を見に行きました。とくに看板のようなものはなく、できれば「←お帰りは左折のみ」とでも案内標識があったらと思いました。昼間なら絶対(たぶん?)間違わないのに夜間の運転はこんなところにも落とし穴があったのか、と逆走は他人ごとではないことが身にしみて分かりました。

2020年4月24日金曜日

学生時代に戻って

親を送り、後はお迎えがくるのをゆっくり待っていればいいけっこうな年齢になりました。おまけに世界はいま病理的にも精神的にもすっかりコロナにやられて自粛ムードです。
少し前までは、引きこもりの人々に対して、がんばって社会の中へ出ていくようあの手この手で家族も行政もやっきになっていたのに、今は「ステイ・ホーム」の大合唱。この状況は引きこもりの人だけでなく、用済み、することなし年代の我々にも案外居心地がいいものです。
こういうときこそ家にこもり、人生でし忘れたことを確認するいいチャンスとばかり、学生時代にNHKラジオ2放送でお世話になった「フランス語入門」講座のテキストを読み返すことにしました。「入門」とはいえ昔の語学講座は非常にレベルが高く、はっきり言って初学生が簡単についていけるようなものではありませんでした。だからこそ放送が終わっても、いつか読み返そうと思い、テキストは捨てることなくその後の50年以上の長きに渡って私の引っ越しに同行させ、1冊も失うことなく今も書棚に並んでいます。
さいわい今回は孤独な学生時代と違って私の目論見に賛同してくれる人がいました。中学校時代のクラスメートで大学卒業後フランスに渡り舞踏家として名をなしたKさんです。30年ぶりに帰国し今でも第一線の舞踏家として活躍する一方、カルチャー講座でフランス語を教え、非常に忙しい日々を送っている人ですが、今の自粛ムードの中ですっかり活躍の場を奪われけっこう退屈している様子なのです。そこでいっしょにフランス文学論を読んでみよう、と声をかけたら即OKになりました。
1回目として1969年ごろ放送されたフランス語入門応用編に掲載されたフローベールの「感情教育」に関するテキストをコーヒーカップ片手に1時間ほどで読みました。
20歳のころ、同じ東京の空の下で学生生活を送っていたのにまったく出会うこともなく、社会に出てからは、私は大阪、Kさんはパリで現役時代を過ごしたことになります。それがいまや年を取り、コロナのおかげでまるで中学校時代に戻ったようにフランス文学を語っているのですから、人生もなかなか捨てたものではないな、と密かに思います。

2020年4月15日水曜日

最近気になる言葉

(たてつけ) 
前代未聞の感染症の拡大で国と都道府県の間に溝ができ、両者の間でいろいろ議論が戦わされています。そうした折りによく聞く言葉に「たてつけ」というのがあり、耳障りな言葉だなあ、と思うのは私だけでしょうか。「立て付け」あるいは「建て付け」とはもともと大工さんが使う言葉で、たとえば鴨居なんかがゆがんでいると障子やふすまはガタピシ、スムーズに開け閉めできません。こんなときに「建て付けが悪い」というのではなかったかと思います。
 ところが最近、大臣や知事の皆様が好んで「たてつけ」という言い回しを使っています。「法律のたてつけがそうなっているので……」というのが典型的な用例。一見分かりやすい言葉でありながら、実は有無を言わさず「そういうご要望には応えられません」と国民、都道府県民を言いくるめているような気がします。
そこには裏で政治家を操る官僚たちの巧妙な言い訳、責任逃れの悪知恵が隠されていると言ったら言い過ぎでしょうか。たてつけの悪い法律はいくらカンナで削ったり他の木切れをはさみこんでもいまくいきません。きちんとした法律や条例の改正で国民、県民の切実な要望に添ったものに作り変えてほしいものです。
(オーバーシュート)
 「オーバーシュート」という言葉はだれが使い始めたのかよく知りませんが、たぶん感染症の専門家たちでしょう。原義は「度を越す、行き過ぎる」という意味でしかなく、英語圏では感染症の爆発的な拡大の意味では通じないそうです。どうやら日本の感染症の専門家たちがあえてインパクトのある和製英語を仕立てたというのが実状らしい。「鬼面人を驚かす」、つまり、見せかけの威勢を示して人を驚かすつもりでしょうが、そんな言葉に(おど)される日本人はいないでしょう。

 ほかにも今回の事態で登場した言葉に「クラスター」があります。私はすぐに「クラスター爆弾」のことを思い浮かべました。一つの爆弾のなかにいくつもの小さな爆弾がブドウの実が房をなすように仕組まれたとりわけ非人道的な兵器です。確かに感染の拡大の様子はクラスター爆弾を投下したイメージにぴったり。「クラスター」という言葉に関しては異議を唱えません。(私の主張もかなりいいかげんですね)

2020年4月8日水曜日

日本の至宝ビジネスホテルを世界に

 新型コロナウイルス感染症の拡大にともない東京など大都市では病床がほぼ満杯です。そのため東京都はついに軽症者を病院から民間のホテルに移し始めました。そこで出番になったのが商用客、観光客とも激減のビジネスホテルです。
 ホスピタル(病院)からホテルへと言うと何だか語呂合わせのように聞こえますが、この二つの言葉の語源は同一で、元々はラテン語のhospitale、客をもてなす場所、から来ていると学生時代に教わりました。旅人あるいは病んだ人々を暖かくお迎えするという意味で病院とホテルはそんなに違いはないでしょう。
 余談はさておき、20代のころからヨーロッパを中心に一人旅を度々繰り返してきました。しかしいつも不便、不経済この上ないと不満に感じてきたのが外国のツインベッド主体のホテルです。シングルルームなんてほとんど存在しません。たとえシングルで予約を取っていてもいざ部屋に入ってみるとツインベッドがデンと構えています。
 そんな外国のホテル事情に比較してしみじみいいなあと思うのが我が日本のビジネスホテル。今回東京で新型コロナウイルス患者を受け入れることになった東横INNチェーンは、私も常日頃お世話になっていて、本当によくできているなと滞在するたびに感嘆します。
 一人旅の私には機能的で清潔な部屋、寝心地のいいベッドがあれば十分。ただ全国どこで泊まっても部屋の作りやインテリアまでもが同一で、例えば、今日は博多、明日は熊本、そして大分と移動しても、翌朝目が覚めたとき一瞬「ここはどこ?」と滞在場所の見当識がすぐにはよみがえってこないのが難点です……。
 それにしても、こんな便利で快適なシングル主体のホテルがなぜ外国では皆無なのでしょうか?そのことは日本発のパック旅行にも大きく影響しています。例の「お一人様参加追加料金」です。我ら「お一人様」にはとんでもなく高い追加料金上乗せがあるので、せっかくの格安パック旅行が遠く手の届かないものになってしまいます。
 ラグジュアリー感には欠けるものの日本が発明したビジネスホテルこそ世界に誇りうる至宝のインフラ。現在東横INNは韓国等にもチェーン展開していますが、業界にはパリやニューヨーク等欧米の主要都市にぜひ1000室規模のシングル主体のホテルを作ってもらいたいものです。

2020年4月2日木曜日

作られる医療崩壊

 桜が咲く頃には気温・湿度とも上昇するので新型コロナウイルスも自然に収まるのではないか、との当初の見込みと期待はみごとに裏切られました。まさに爆発寸前、医療崩壊寸前です。最近、岡山市内で長年診療所をやっている友人から悲痛な声が同窓会のメーリングリストに寄せられました。
(1)医師がPCR検査が必要と判断しても行政当局(保健所)から拒否される。(2)患者が重症化して入院するころにはすでにウイルスをあちこちまき散らしている。潜在的な感染者は陽性判定された人数の10倍、100倍は存在しているはず。そして友人の医師は、(3)「検査対象を決めるのは、行政ではなく、現場の患者を診ている臨床医がするべきこと。検査を増やして、無症状、軽症は在宅か施設で管理、病院は治療が必要な患者に空けることは岡山でもすぐできることだ、と主張しています。
 この切実な叫びは友人に限らず現場の医者ならだれでも痛切に感じていることでしょう。ところが指定感染症に関する法令に従えば新型コロナウイルスに感染していることが判明したら直ちに入院させ最低でも12日余り病院で管理、間隔を空けた2度の検査で陰性になるまで退院させることができないとなっています。事実、今この感染症でベッドをふさいでいる患者は軽症の人が大半のはずです。病院が単なる隔離施設になってしまっているのです。
 別の言い方をすれば、検査をすれば陽性者が出て病院がパンクするのでPCR検査は極力しない、例え現場の医師が必要と判断した場合でも、というのが医療先進国日本のお寒い現状。この本末転倒した仕組みこそ医療崩壊の原因だと思いますが、大阪府の吉村知事は重症度に応じた治療・隔離施設の分割を早くから提唱してきました。しかし吉村知事の提案も感染症に関する国の法令のしばりで簡単にはいかないのでしょう。

 カナダの従姉たちからカナダの現状を伝えるメールが毎週のようにきます。地方都市までロックダウン状態で食料品の買い出しも制限があるようです。それでも彼女たちのメールにはカナダ政府や地方行政に対する信頼感があふれています。行政の早い決断、思い切った措置、援助、等々に対して「信頼できる」と賞賛しています。このような政府を作っているカナダ国民は本当に立派です。

2020年3月28日土曜日

コロナウイルス依然衰えず

コロナウイルスの感染拡大は岡山のような田舎にも及びつつあります。今のところ2人陽性、ひとりはスペイン帰り、もうひとりはフィリピン帰り。
喫茶店に客が戻ってきて、警戒感はずいぶん低下しています。マスク着用カップルが一組いますが、ほぼノーマスク。マスク売ってないし、まあいいかという雰囲気です。

2020年3月25日水曜日

あっぱれ外国人熟年カップル

お彼岸過ぎ、散歩がてら吉備津彦神社に出かけてみました。閑散とした境内に参拝客はほとんどおらず、桜の花もまだなので神社全体が静寂につつまれていました。そろそろ帰ろうと思って参道を振り返ったら石段をゆっくり登ってくる初老の白人カップルがいました。欧米でコロナウイルスが猖獗(しょうけつ)を極めているというのに今どき外国からの観光客とは?と思い声をかけてみました。
「私はスペイン人、彼はイタリアのミラノ出身。ずっといっしょに旅しているの!」
今、世界中で一番やばい国からやってきた旅行者ではありませんか!興味津々、休憩所の椅子に腰掛けてゆっくり話を聞いてみると彼らはおよそ日本人には想像もつかない永遠の旅人たちでした。2人は夫婦かパートナーでしょう。
今から17年前に、男性は50歳でそれまで自営でやっていた不動産ビジネスを売り払い自宅も処分、金利の高いオーストラリアドルで預金しその利息で悠々自適、女性は動物病院のスタッフだった。2人はメキシコに渡りキャンピングカーを購入して、この17年間ヨーロッパ、オーストラリア、南北アメリカ、アジアを隈無く旅しているといいます。
日本には何度も来ているらしく、今回は3月初旬にメキシコから来日したのでまだ検疫上の問題もなくすんなり入国できたそうです。日本では、キャンピングカーはレンタカーを借り全国を旅しているとのことでした。日本の文化にも詳しく私が「お寺と神社の区別がつきますか?」と聞いたら「寺院は仏教、神社は神道の神様……」とちゃんと知っていました。私は冗談交じりのウンチクを傾けました。「もっと簡単に識別する方法があります。金閣寺など拝観料を取るのがお寺、いつでも無料で参拝できるのが神社です」。

17年もいっしょにキャンピングカーで旅していて飽きることはないのですか」と尋ねてみました。「彼は私にとって最高のパートナー」、「彼女といっしょにいれば退屈なんかしないよ」と言って、私の目の前でチュッと熱くキスしてみせました。故郷のイタリアやスペインにいる親戚縁者のことを心配しつつも、人生を謳歌している南欧カップル。コロナで足止めを食らおうが豪ドルが安くなろうが彼らはそんなことは気にとめていないようです。

2020年3月23日月曜日

新型コロナ、ついに岡山でも!

昨日(3.22)、岡山市北区在住の60代女性が陽性判定を受けました。市長の会見で明らかにされたのは、スペイン旅行から帰って症状が出たとのことです。感染経路が分かっているので安心しました。

2020年3月13日金曜日

終息しないウィルス禍に思う

 1月中旬ごろ中国・武漢市の海鮮市場から発生したと言われる新型ウィルス感染症が瞬く間にアジア、中東、欧米を中心に世界規模の大惨事になるとは夢にも思いませんでした。この前代未聞の災厄に前兆がなかったかといえば実はあったのです。
 毎年正月にお参りする吉備津彦神社の拝殿脇に「令和2年八方塞がり表」という立看があり、昭和23年生まれの私も当たり年だと知りました。いかに善男善女といえども10歳、19歳、28歳……とおよそ10年に1度は八方塞がりの年に当たるのです。もちろん神様もそこは商売、「八方除け」のお守りを買ったり祈祷をしてもらうなど災厄から逃れる道はちゃんと用意されています。
 お守りは千円、祈祷は確か5千円からだったと記憶していますが、安価なお守りで済ましたのが大間違いだったとすぐに思い知りました。今まさに八方塞がり! 武漢発新型コロナウィルスの悪意に満ちた感染パワーは「八方塞がり」当たり年の男女を恐怖のどん底に突き落とすだけでは満足せず、全年齢、全民族、全世界の人々に感染症の危険と社会経済的損害を与えています。
 313日現在、ほぼ全都道府県に新型コロナウィルス感染症が広がっているなか、岡山県ではPCR検査で陽性になったケースの報告はありません。一瞬「遂に岡山でも」と思った倉敷在住の方が高知県で陽性確認された例は岡山県ではなく高知県の統計にカウントされ、また倉敷の関係先でクラスターが発生することもありませんでした。
 こうしてみると確かに今回の事態は「八方塞がり」そのものであるにせよ、県内では感染がほぼ抑えられているのは冷静な県民と当局の努力のたまものでもあるし、神様も応援してくれている証拠だと思います。
長期間船内に旅客とクルーを閉じこめたダイヤモンド・プリンセス号のときは欧米から対応のまずさをボロクソに言われ、またPCR検査実施のハードルの高さが多くの感染症の専門家から批判されましたが、結果的には、今のところ医療崩壊を起こさず重篤な患者がきちんとした治療を受けられる環境が維持されているのはさすが日本です。
命さえあればスポーツイベントや学校行事の取りやめなど後々「そんなこともあったね」と、笑って話せる日が来るに違いありません。

2020年3月4日水曜日

50年ぶりの自動車教習所

70歳を過ぎて初めての免許証更新をこの夏に控え、高齢者講習を受けてきました。私が受けたのは2時間コースのもので講師の先生から30分ほどの講義を聴き、そのあと視力検査と自動車学校内のコースを実際に運転するという内容でした。講習に参加した人はもれなく修了証書がもらえるそうで、どんなに運転が下手でも落とされる心配はないということでした。
それなら国はなぜこのような講習を義務づけているのか、若者人口の減少に苦しむ自動車学校の救済策のために存在理由が希薄な講習を導入したのだろうか、などと勘ぐりつつも50年ぶりに教習所の門をたたきました。今回の受講生はわずか8人でした。白髪のおじいちゃん7人と紅一点のオールドマダムが仲良く小さな机に腰掛けて、指導員の流ちょうな説明に耳を傾けます。
我々を担当した指導員も警察OBとおぼしき年輩の方でしたが一回りは若そうでした。毎日同じ講義をされているのか、ポイントを押さえた説得力のある話しっぷりは芸の域に達していました。それにしても今も昔も自動車学校の指導員や運転免許センターの講師の皆さんは、例外なく独特の人生に対する確固たる自信のようなものが表情や口の端々に表れているものですね。
「私はこれまで間違いのない、人に恥じることのない正しい人生を歩んできました。これからもずっとそのように生きていきます」と顔に書いています。太宰治の代表作「人間失格」の第一の手記冒頭で「恥の多い生涯を送ってきました」というあまりにも有名な告白をした青年とは真逆の、正しい道をまっすぐに歩いてきた方々に違いありません。
2人ペアーで運転の順番待ちをするあいだ同年輩の見知らぬ方と少しばかり話をしました。「免許証を取ったころは坂道発進に苦労しましたなあ、また自動二輪のときはメグロでした」。いやはや同時代を生きてきた受講生の皆さんは他人ながら自分の分身とさほど違いません。最初無駄と思われた高齢者講習も何だか同窓会のようで楽しい半日でした。
今、自動車学校にはコロナウィルス休校で突然時間ができた若者が押し掛けているとか。S字クランクで立ち往生している若い生徒さんを横目で見ながら、ちょっぴり我が青春時代を懐かしく思い出しました。