肉圭(ニッケイ)とはシナモンのこと。「発見」というと自分で見つけたような口振りですが、木に名札があり、岡山の里山にヤブニッケイの天然木があることに驚きました。
常緑樹で葉っぱに独特の芳香があります。
瀬戸大橋を渡るときいつも讃岐平野にぽこっと富士山のような格好をした山が目に入ります。以前から一度登ってみたいと思っていたのですが本日遂に登りました。422メートルあり、駐車場からいきなり登り始められるので効率のいい山歩きができました。下りは反対側に降りたので車を停めたところまで30分ほど歩き、早春の讃岐路を楽しめました。
補給は水500ミリリットルのみ。食べ物はなし、うどんもパス、岡山に直帰です。というのも財布を家に忘れてきたので!車の中に150円あったので130円のミネラルウォーターを買いました。2021.2.18
毎日、岡山南部の低山を歩き回っていますが、今日は1年ぶりに大阪に来て街歩きをしています。昨日は中津の東横インに泊まり、朝10時にチェックアウト、開店直後の阪急百貨店の地下食品売り場へ直行!国産紅鮭の甘塩切り身、生のタラ、40センチぐらいの生のニシンなど、昔から阪急の鮮魚商は目利きですね。でも生ものを買うと歩けないので後でまた。
それから堂島方面へ。中之島の国際美術館隣に大阪市が建設中の中之島美術館は今年中に完工するようです。黒い箱のような外観です。岡山県立美術館において開催中の同展覧会は3月14日までです。岡山にゆかりのある雪舟と玉堂の作品がこれほどまとまって一度に見られる機会はもうないかもしれません。というのも近い将来、美術館の展示スタイルが伝統的なものから様変わりするかもしれないからです。
これからの拠点美術館の機能は作品の文献学的な考察に留まらず、科学的鑑定、保護と修復、永久保存のためのセンターとしての役割がますます大きくなる一方、展示については従来のオリジナル作品をそのまま陳列する方法から、高精細画像、立体画像として作品をデジタルデータ化し、ネット回線を通じて提供するスタイルに遷移するでしょう。いつでもどこでも、感染症の流行など気にすることなく、世界中の文化遺産を自宅や学校において見ることができるようになるのは時間の問題だと思います。
そういう意味では今回のような大きな展覧会は、我々現代人にとって、数百年前に描かれた国宝級の書画を直に、しかも圧巻のスケールで見られるほとんど最後の幸運な機会と言っても過言ではないと思います。
さて今回の「雪舟と玉堂」展の中でも圧巻は国宝の雪舟「四季山水図巻」です。いわゆる「山水長巻」、全長16メートルの大作です。2006年の晩秋、私は雪舟没後500年を記念した大きな展覧会を見るため、山口県立美術館まで出かけ、初めて山水長巻の実物を見て大変感動したことを今でもよく覚えています。
雪舟の絵にはストーリー性があります。従者を伴った旅人はひたすら幽すいな山の奥深くへ踏み入っていくのですが、意外にもやがてひろびろとした湖が広がる明るい場所に出ます。湖に浮かぶ数隻の船には人々の日常生活も見えます。甲板には巨大な洗濯物が干してあったり、観葉植物の大きな鉢まで見えます。
このあたり、私は雪舟に対し無限の親しみを感じます。中世から近世へと時代が移っていることを雪舟は同時代のほかの誰よりも明瞭に意識していたのでしょう。登場人物は小さな筆で輪郭が描かれているだけなのに、人物一人ひとりの個性が伝わってきます。全人類が残した文化遺産のなかで「山水長巻」はダ・ヴィンチの「モナリザ」に勝るとも劣らない、まさに絵画芸術の頂点に立つ作品と言っていいかと思います。
2月5日(金)
50年前の体型を目指して毎日歩います。今日は実家から曳舟橋、御南大橋、今村宮を通って大元駅まで歩いてみました。その後はバスに乗り、岡山駅へ。高島屋の地下食品売り場で魚の干物やチーズなど見て回ったのですが、衝動買いしないで帰ることに。
山陽本線の電車に乗り、庭瀬駅下車、徒歩で妹尾崎にあるマドモアゼルの喫茶店に寄って休憩、そして最後の1.5キロメートルを歩いて帰宅しました。28000歩くらい。私自身も映画ほどドラマチックではなかったにせよ、我が「スタンド・バイ・ミー」というべき幼い日の思い出があります。たしか私が小学校4年生、兄が6年生のときのことです。土曜日の放課後、兄が「これから金甲山に行ってみよう」と言いだし、兄の友達二人も誘って4人で自転車で出かけました。児島湾の向こうにそびえるあの金甲山です。
今となっては本当に金甲山までたどり着くことができたのか記憶があいまいですが、出かけたのは事実です。当時はまだ児島湾締切堤防が開通しておらず、灘崎、八浜の方を大回りして行くには遠すぎて、あのときどこをさ迷ったのかはっきりしません。当時の干拓地は背丈より高いアシが繁茂し、人家など皆無でした。おそらく金甲山のふもとにたどり着くまでもなく、夕闇が迫ってきて怖くなり、みんなそろって自宅をめざして引き返したと思います。
すっかり日が暮れてやっと我が家にたどり着いたとき、近所の人まで集まって大変な騒ぎになっていました。何しろ小学生4人が行方不明になったのですから。とりわけ父は半狂乱状態で取り乱し、我々の教科書や文具を窓の外へ残らず放り棄てていました。お隣のおじいさんが父をなだめすかしてくれたのを覚えています。「子どもがみんな無事帰ってきたんじゃからもうええがな」と。
兄と私はその夜、早めに寝かされました。すると父がやってきて寝ている兄のほっぺたをはり倒しているのです。「次はこっちの番だ」と薄目を開けて様子をみていたら、父は兄を殴りつけて気が済んだのか寝室から出ていきました。そのときほど「次男でよかった!長男は大変だな」と思ったことはありません。
それから60数年、美しい金甲山の姿は昔と変わりません。しかし家から金甲山まで、車で締切堤防を通って出かけても遠いです。父とはその時のことについてついに話題にすることなく終わりました。遠い昔の惨憺たる冒険旅行でした。
今日は今にも雨が降りそうななか雨傘を片手にウォーキング。出発点は吉備津彦神社、黒住教本部の食堂できつねうどん、車道を通って下山、駐車場まで約2キロメートル、ウォーキング。トータル歩行数は18000歩。連日2万歩近く歩いているのに体重が落ちないのはなぜ?
写真は吉備津彦命の陵墓、茶臼山古墳。