2008年12月13日土曜日

隠居生活元年


 53歳のとき大学図書館を辞め両親の介護を始めてはや8年の歳月が流れました。この間元の同僚や中学校のクラスメートたちがそれぞれの職場で責任ある仕事に没頭しているのを横目で見ながら何とはなしに居心地の悪さを感じていました。
 ところが昨年夏、還暦の誕生日を迎えて気分が変わりました。同年齢の知人や友人が次々と退職し始めたからです。彼らに対して「自分は引退生活においては8年も彼らの先輩だ!」という妙な自負があります。言わば「自分はレースから早々とリタイアしてしまったと思っていたけれど実は先頭を走っていた」という感じかもしれません。
 また雀の涙ほどの額とはいえ共済年金の支給も始りました。働いてもいないのに2ヶ月に1度これから先、死ぬまでお金を振り込んでくれるなんてこれほど結構な精神安定剤は他にありません。
 物心両面、今まさに質素ながら落ち着いた本物の隠居生活が始まったという気分です。「今や何でもできる!」。とはいえ、「日暮れて道遠し」というようなことだけは避けたいと思います。
 たとえば「今からアラビア語を勉強してみよう」などというのは無謀なことです。二十代のころから何度かアラビア語に挑戦したもののその都度挫折したものが今更ものになるはずがありません。
 それよりも外国語で言えば学生時代、かなり熱心に勉強した英語、フランス語、イタリア語に限定して好きな映画のDVDを見ながらお気に入りのセリフを原語で丸暗記したりするほうがよほど実り豊かなものになると思います。
 旅。いままで恐ろしげなイメージゆえに行ったことがない青森の恐山がしばらく前から私を呼んでいます。
 暗く不思議な蠱惑で現世とあの世を結ぶ最果ての地の恐山を訪ね、そこから来し方を見直すことは隠居生活元年にふさわしい旅であるような気がします。

2008年12月3日水曜日

ご長寿の孫自慢


 いきつけの喫茶店で何となく顔見知りになった人が晩秋のある日伯父夫婦を伴って店にきました。老夫婦2人だけの暮らしは味気ないだろうと、よくできた甥っ子が気分転換に郊外までドライブに誘ったようです。
 今年85歳というそのお爺さんはまさに矍鑠(かくしゃく)という言葉がぴったりのダンディーで頭はしっかり、会話のポイントを外しません。そのうち孫自慢が始まりました。

 「孫娘は声楽の勉強のためにイタリアに留学してましてなあ・・・」
 「それはすごいですね」と私。
 「いやあ大したこたあない。芸大出たゆうても・・・」と謙遜しつつもお爺さんは問わず語りに、芸大というのは東京芸大のことだと付け加えるのを忘れませんでした。
 私が「声楽家が売れっ子歌手としてデビューするには運も大きいですよね。その点“千の風になって”の秋川雅史なんかいい歌に出会えて・・・」と言いかけたら、すかさず「ありゃあ、なにぃ東京芸大じゃないよ」と却下されました。
 私もめげずにしつこく、「デビューのチャンスはいつやってくるか分からないから、田舎の公民館の催し物でも結婚式の余興でも“お座敷”がかかる限り断ったりしたらだめですよ」と申し上げました。
 東京芸大出のソプラノを芸者呼ばわりしたのがお気に召さなかったのか一瞬気まずい沈黙が。すると甥っ子が、「伯父たちはこの前、県北のK町公民館まで孫の帰国リサイタルを聞きに岡山からわざわざ夫婦そろって行ってやったんですよ」と余計なフォローをしました。
 孫がちゃんと田舎の“お座敷”もこなしているのをお爺さんはよく知っていた故の沈黙でした。
 私の父もそうですが、85になっても90の坂を越えても決して“枯れない”こと、これこそが長生きの秘訣です。

2008年11月27日木曜日

心の傷


 霞ヶ関の高級官僚やOB達を震え上がらせた元厚生省次官殺害事件は意外な展開を見せています。

 容疑者が語る犯行の動機は、当初想像された政治テロとか暗黒社会とのつながりというようなものではなく、「34年前保健所に殺された犬の敵討ち」というにわかには信じがたいものでした。

 そこで「保健所に殺された」と男が言っている出来事の経緯をあらためて整理してみました。

 容疑者が12歳の少年時代、家にやってきた迷い犬を大切に飼っていた。ところがこの犬が知らない人に激しく吠えるのに手を焼いた父親は少年が学校に行っている留守を狙って保健所に連れていってしまった。

 学校から帰って異変に気付いた少年は保健所に犬を取り返しに行き、職員から「犬は元気、明日返してあげる」という説明を聞いて安堵し喜んで帰宅。翌日保健所に行ったらすでに処分されていたと知り、大変なショックを受けた。

 ほんとうにひどい話です。父親の行為も保健所の対応も。 “34年も前の出来事をいまだに引きずっているのはおかしい”とテレビコメンテーター達は口をそろえて疑問を投げかけています。しかしすべての人間が心に受けた傷を歳月とともに忘れ、癒されていくかというとそんなことはなく、感受性が強い子供は時としてそういうトラウマを生涯養い育てていく場合があります。

 漠然と「心に受けた傷」などと書きましたが、極度のストレスは文字通り大脳に障害を残すことがあり、今度のケースはそういう側面からの審理も必要ではないかという気がします。

 とはいえ、不運にもこのような男を隣人に持ってしまったら...逃げ出すのが一番。

2008年11月15日土曜日

国会答弁珍国語


 三転四転する2兆円ばらまき案の陰で、麻生首相の漢字の読み間違いが新聞をにぎわしています。「頻繁」かつ「未曾有」の首相の失態。麻生さんはこれらを“はんざつ”、“みぞうゆう”と読んだり、「踏襲」を“ふしゅう”と読む。
 “ふしゅう”と聞くとほぼ100%の人は「腐臭」という字を思い浮かべるでしょう。首相が好きな漫画本ではこういう漢字にはちゃんとふりがなが振ってあるはずですが・・・ 麻生さんに限らず身近にも傑作読みをする人々がいます。ある人が“ほっさく、ほっさく”と繰り返すので一体何のことかと思ったら「掘削」でした。「掘る」のホとサクを勝手に湯桶読みしているところは麻生さんの“ふしゅう”といい勝負です。
 小学校6年のとき、漢字の読み方テストがありました。隣の席の子が「断る」という字に“なぐる”とかなを振っているのを横目で見たときは思わず笑ってしまったものです。 確かに「殴る」によく似ているし、人の頼みをうかつに断ると殴られることも。そういえば“若い”という字は“苦しい”字に似ているといった歌詞の流行歌もありました(悲しみは駆け足でやってくる)。
 私はこういう読み間違いや連想はむしろ漢字のもつイメージ喚起力のすごさであって、教養うんぬんの問題にしてしまうのはつまらないなと思います。
 とはいえ、国会答弁などでよく耳にする“ちょくさい(直截)”は正しく“ちょくせつ”と読んで欲しいし、舛添厚労大臣がよく使う「喫緊の課題」の“きっきん”などという目くらまし語は何とかならぬかという気がします。
 閑話休題。読み間違いを指摘された麻生総理、「あ、そう?」と気にもとめてないところがいかにも良家のぼっちゃんらしく憎めません。
 

2008年11月13日木曜日

牛窓・てれやカフェ 


2年ほど前、牛窓にあった創作陶器とコーヒーの店「青空」がオーナーの故郷、岩手県一関に引っ越してしまい牛窓が寂しくなったと思っていたら、そのあとに「てれやカフェ」という喫茶店が今年の春オープンしました。
 岡山市西部の私の家から牛窓まで車で小一時間かかるのにもかかわらず暇を見つけては「てれやカフェ」に出かけています。その訳はそこのケーキがびっくりするぐらいおいしいからです。
 ケーキを作っているのはマスターの奥さんのテレサさん。アメリカ生まれで本業は藍染め作家。洋梨のタルト、クランベリースコーン、キャラメルロールケーキ・・・と季節の移ろいにあわせて彼女が焼き上げるケーキはひとくちにおいしいというのではなく、味が深いのです。滋味というか、しみじみ心の隙間を埋めてくれる暖かさがあります。
 子供時代から今まで、いろんなケーキを食べてきて、それはそれでおいしいと思っていましたが、テレサさんのケーキを食べてみて、ショックでした。このナチュラルで奥深い味はいったいどこからくるのだろう?という疑問がわいてきます。おそらく幼少のころからバターや砂糖、卵、それにハーブやスパイスの扱いに慣れ親しんだ家庭環境の中で自然に舌が覚えた味なのでしょう。
 “奥深い味”などと言ってもそれを説明するのはとても難しいのでぜひ店で実物を味わっていただきたいと思います。最新作は“デプレッション・チョコケーキ”。大恐慌のときバターや卵が高騰したときにそういう素材を使わないで作られたレシピを再現したそうです。
 今また、日本も不景気で気分は限りなくデプレッション(鬱状態)。そういうときこそ「大恐慌ケーキ」を食べて元気を出さなくちゃ。
 いろいろな文化的催しを定期的に開いたり、しゃれた創作雑貨を販売しているのは「青空」時代と変わりありません。 

2008年11月10日月曜日

蛤女房2008


 きょうの親父の昼飯は何にしようかと考えた結果、サンマの塩焼きとアサリの味噌汁にすることにしました。大根おろし用の大根、ユズやネギは畑から取ってくればいいので安上がり。

 つまらなそうな顔をして昼飯を食べる親父。「食欲がなくなったらお仕舞いよ!」などとイヤミをいいつつ半分以上残した昼飯をかたづけ始めました。そしてキッチンカウンターに放置したままになっていたアサリが入っていたプラスチック製のパックを捨てようとしたとき、きょうの不幸が始まりました。

 何とアサリが1個、パックの隅っこに残っていたのです。アサリも20個ぐらいの集団だと食品としてナベに放り込むことができるのに、1個だけ残っているのを見たらとたんに絶滅危惧種の生物、いや別に絶滅しかかっている様子はないけど、とにかく生き物という存在感が大きい。いったんは電子レンジに入れたもののスイッチが押せません。かくて、このアサリは瀬戸内海に返すことにしました。

 夜9時に兄が母の介護の交代に来たので、それからアサリを1つ助手席に載せて海を目指して出発。車のヒーターを入れるのもためらわれ、寒さをがまんしながら児島経由で王子が岳の下の海岸を目指しました。夜中の道路は不気味です。行けども行けども「児島方面」という標識が逃げていき永久にたどり着けないのではという感じさえしました。

 でも国道430号線に入り、海を近くに感じ始めたらまもなく国民宿舎「王子が岳」前の駐車スペースに到着しました。国道を横切り波打ち際まで暗闇の階段を降りてしばしxx(体が冷えたのです)。目が闇に慣れてきたら階段の端と砂浜の間が岩場になっていることが分かりました。波がその辺りまできているので気をつけないといけないなと思いつつ砂の上に立ったら想定外のことが、、、、何と砂がズズッと沈んでいくではありませんか。あわてて岩に乗ろうとしたら足が岩の上でぬるっと滑り90キロの巨体はスローモーションで波打ち際に転倒。左足の膝小僧を思い切り岩にたたきつけ激痛が走ると同時にジーンズ越しに海水が浸水してきて意識が薄れていきました。

 ふと気がつくと、趣味のいいスカンジナビア製のモダーン・ファーニチャーが置いてある高級ホテルのような部屋に。ううーん!? 竜宮城は確か中国風のインテリアだから違うような気がする。21世紀の竜宮城はやはりスウェーデン製の家具なのか、などとバカなことを考えているうちに、お決まりの美女・・・ではなく、顔はいまいち、しかしスタイル抜群の大女房が。
「私はあなたに助けていただいた蛤です」
「それは何かの間違いでしょう。私が海に返したのはアサリでした」
「それはこうなのです。アサリは私の仮の仮の姿、本当は蛤でした」
「えっ?蛤女房の蛤さんですか?」
「まあ、そんなところです」
「???あなたはいったいあなたなのですか?それとも蛤女房?ではなくアサリ嬢?」

などと、コンニャク問答をしているうちに波がザア、ザア寄せては引いていく音が大きくなって夜の海辺にぶっ倒れている自分に気がついたのです。

 立ち上がれなかったら携帯で110番しよう、と思ったのですが携帯は車の中に置いてきたらしくポケットにはありませんでした。正解でした。携帯が海水に浸からずに済んだし、もしパトカーを呼んだら、「こんな夜中に渋川の海に何の用があったのか?」と尋問されることは確実。「スーパーで買ったアサリを海に返しにきました」などと言おうものなら、外科病院ではなく精神病院へ連行されていたでしょう。

 両手の指も岩で激しく擦って強い痛みがあったものの出血はしてなさそう、どこかに行ったサンダルの片割れを探しだして、浜辺から上がり砂を払い落として駐車場へ。帰りは30号線を通って帰宅しました。とんだナイトメア・イブニングでした。(一部フィクションあり)

2008年11月6日木曜日

姉弟愛


 10月末、フジ子・ヘミングのピアノコンサートを聞きに東京まで行ってきました。

 フジ子・ヘミングは父方がロシア・スウェーデン、母方が日本人というインターナショナルなバックグラウンドをもった生まれであり、あの北欧的な憂いを秘めつつも力強いピアノのタッチはそういうところから来ているのかもしれません。

 1曲弾き終えるごとに客席から拍手と歓声がわき起こります。ところがその中にひときわ大きな胴間声で“ブラボー”と叫ぶ“変な外人”風のおっさんがいて何となくコンサート会場に不協和音が広がりました。

 このおっさん、アンコール曲のラ・カンパネラ(リスト)が始まると今度は三脚に据えたカメラで写真まで取り始める始末。プロダクション関係者とも思えません。 演奏会が終わったあと会場の係員に“変な外人”のことを尋ねたら、何とフジ子さんの実弟で、「私たちも困っています」とのことでした。

 岡山に帰ってからフジ子さんのプロフィールを調べたところ、弟というのは俳優の大月ウルフであることが分かりました。「必殺仕掛人」、「大鉄人」など数多くの映画やテレビで“変な外人”や神父役で活躍した人のようです。

 そうだったのか!と思いました。フジ子さんは弟がコンサート会場に来るのを嫌がるどころか、多少のやんちゃは大目にみるよう主催者に因果を含めているのではないか、などと想像されました。

 フジ子・ウルフ姉弟は戦時下の日本で子供時代から大人になるまでずっとひどい差別やイジメにあってきたのでしょう。そんな中で姉弟がかばいあいながら生きてきた歴史があったと思います。

 美空ひばりが世間が何と言おうといつも弟に花を持たせていたことが思い起こされました。偉大なピアニスト、フジ子・ヘミングの人間としての魅力が一段と輝いてみえた夜でした。

2008年10月29日水曜日

鶴亀算


 小学校高学年のころ不可解かつ奇怪な算術に苦しめられたものです。鶴亀算、水道算、旅人算、並木算のたぐい。教科書には載っていなかったものの、難関中学校受験問題集にはそんな奇怪算数があふれかえっていました。

 鶴亀算と格闘する私に教員だった両親は、「そんなものは中学校に入って方程式を学べば簡単に解けるので覚える必要はない」と常識的な線でなぐさめてくれましたが、本当は親も鶴亀算など理解していなかっただけのような気がします。

 鶴亀算に代表される算数文章題が小学生にとって必要かどうか現在でも教育関係者の間でホットな論争が繰り広げられています。

 文章題は難関中学入試で生徒の選別にとって必要であるとか、方程式に入る前に論理的思考を養うのに効果があるとかないとか。不毛な論争です。

 さて、鶴亀算や方程式などにとらわれることなく、もっと楽で最短な答えの求め方(私流)というと次のようになります。
 
例題。鶴亀あわせて20羽(匹)、足の数は52本の場合。

 鶴を基準に考えます。鶴の数は1羽から19羽の中に正解があるのでまず半分の10羽で計算。この場合足が60本になるので、正解の鶴は11羽と20羽の間にあるはず、そこでまた真ん中の15羽で計算(50本)。つまり2分法で正解を求めるというわけです。
 例題の場合、たった2回の計算ですでに足の合計が50本になったので正解は鶴をもう1羽減らした14羽になります。

 では鶴亀の合計が500羽(匹)ぐらいだったら大変かというと、大丈夫、鶴亀算はなぜか鶴亀合計で20羽(匹)以上という例は見たことがありません。それと鶴あるいは亀がゼロということがないのがいかにも”算数”です。

2008年10月16日木曜日

歯科自由診療


 何ヶ月も前から左上の小臼歯付近の口蓋からときどき膿が でるようになりました。いつまでも放置していては歯だけでなく 全身の健康にまで影響がありそうで、痛みが強くなった日、 意を決して近所の歯科医院を訪ねました。

 ところがこの歯医者さん、今年の春、元の医院のすぐ近くに ひどくバブリーな自由診療の分院を開設、大先生はそこで ご自身が理想とする診療に専念されることになったのです。

 私は従来通り保険診療もある本院の方へ出かけたので すが、「これは理事長に診てもらった方がいい」ということで 半ば自動的にお高い方に振られてしまいました。

 高級ホテル並のインテリア、超大型テレビの前には ブルガリのソファが鎮座し、さらにピアノやバーカウンタに ワイングラスまで備えられています。ときおりハイソな 上得意様を招待して「弦楽四重奏の夕べ」でも催している ようすがうかがえます。

 「ここは自分の身の丈にあってない、要するに治療以前に 居心地が悪い」という気がしたもののさりとて逃げ出す勇気も ありませんでした。診察の結果は、最悪の場合、抜歯して インプラントになるかもしれないとのことでした。

 でもどっちみちインプラントは保険がきかないし、他の 歯医者さんを探すのもめんどうなので先生におまかせ することにし、次回の予約票をもらって帰りました。 そこにはこのように書かれていました。

 「上質な治療を選ばれたあなたはとてもすばらしいと思います」

 先生も言うよねえ! (続く)

***

 歯科自由診療(下)

 自由診療の歯科に予約を入れたもののずいぶん迷いました。 株は史上空前の暴落をしているしこの先どんな経済事情が 待っているか不安です。それにそもそも保険による治療が そんなに劣悪とも思えません。

 ちょうど同じころ父が入れ歯をなくしたと言いだし、父を近所の 別の歯科医院に連れていきました。待合室の雰囲気もいいし 物静かで誠実そうな先生の人柄には好感がもて、私もここで 診てもらおうと心に決めて家に帰りました。

 ところが人のうわさは怖いもので、その歯医者に治療して もらった人が「あそこはお薦めできません」というのです。 理由を聞いたら歯髄が生きているかどうかを調べるのに いきなり歯に電気を通され、衝撃がズッキーンと脳天を襲ったとか。

 実は私も昔大阪でこれをやられたことがあります。車のキーが 静電気でパチッと鳴っても心臓が止まりかけるぐらい極度の 電気恐怖症の私にはそんな歯医者は論外です。

 結局、予約どおり自由診療の先生のところに行きました。 とびきり容姿端麗なアシスタントのお嬢さんが滅菌スリッパを 履かせてくれるのも今日は嫌じゃないな!

 撮影と同時に診察室のテレビモニターに拡大表示される X線写真や歯根部まではっきり映し出されたモニター映像を 見ながらの治療はこれまでの“何をされているのか分から ない恐怖”とは無縁でずいぶんリラックスして治療を受ける ことができました。

 結局、問題の小臼歯は抜歯を免れ治療費も案外リーゾナブルな ものでした。いったん“上質な治療”の快楽に染まったらたたきに 靴やサンダルが所狭しと脱ぎ捨てられている診療所にはもう戻 れません。

2008年10月8日水曜日

同僚の忠告


 2001年3月両親の介護のため定年まで7年を残して早期退職しました。退職することが決まったとき同僚の女性が私に声をかけてくれました。彼女は5人姉妹の長女で苦労して育ったらしく人生を見つめる目はきびしい人でした。


 「あなたに二つアドバイスします。兄弟と仲良くすること、いずれ必ずお兄さんの助けが必要なときがくるので、取り返しのつかないような喧嘩をしないように。もう一つは退職金で株など買わないこと」 そうはいっても親元近くに住んでいる兄夫婦が親のめんどうを見る気がないので私が退職せざるとえなかったのだし仲良くなんてできるはずがありません。株はといえば、信用取引だけは手を出さなかったものの散々な有様です。


 7年後の今、あらためて同僚女性の言葉をかみしめています。いったい人間というものは何故他人や先輩の忠告を聞けないものなんでしょうか。親の意見にも本能的に反撥するようにできているような気がします。


 しかし人生ってこんなものではないでしょうか。親のいうことを素直にハイハイと言って聞くような子は大した大人にならないというのが定説であり、第一自分の人生は自分の好き勝手に生きていきたいものです。


 同僚女性の貴重なアドバイスを二つとも無視した結果は、恥ずかしくてとても彼女に報告できるようなものではありません。「だから言ったじゃないの」という声が聞こえてきそうです。


 しかしながら孤軍奮闘していた介護も兄が学校を定年退職した後、手伝うようになり徹夜で母親のおしめを換えたり、親父に朝飯を食べさせたりしています。案外やるものだと少々見直しました。なんとかなるものです。ただ兄弟仲が悪いことは以前と同じですが。