2018年10月29日月曜日

10月30日から11月3日までバンコクに行きます

いつもよくいっしょに旅をする、昔の職場の後輩君と久しぶりにバンコクに行きます。たぶん3年ぶりぐらいのバンコク。関空発のLCC、スクート航空直行便。バンコクの空港は昔のドンムアン空港です。1972年(と思う)ヨーロッパからの帰りエアーフランスの南回り便でバンコクに立ち寄ったことがあります。そのときはバンコクについてまったく情報がなく、空港近くのホテルに1泊しただけでした。そんな小さな名もないホテルでもチェックインと同時に宿のオヤジがアルバム持参で部屋までご注文伺いに来たのにはびっくりでした。
バンコクの中心部にある王宮や暁の寺、パッポンの歓楽街などの存在を知っていたら少なくとも1週間は滞在していたと思いますが残念。
今回は航空運賃とホテル4泊込みで3万5千円ぐらい。安過ぎます。

広島・宮島1泊旅行(下)

10月中旬に広島まで1泊旅行した話の続きです。翌朝は秋晴れの気持ちいい日でした。広島と言えば「安芸の宮島」は外せません。とりわけ世界遺産に登録されたあとの宮島が今どうなっているのか見てみたい気がし、ホテル前の電停から広電の宮島口行きの電車に乗りました。
2両編成の路面電車は今どき珍しい車掌が乗務しており乗客の乗り降りの案内、切符やカードの販売からチャージまであれこれ手助けしていました。運転士は安全運転に気持ちを集中できるし、車掌の存在理由は絶大です。沿線には女子校もあり車内の治安にとっても広電は最高にスタイリッシュで贅沢なサービスを提供していると言えます。
宮島は京都や奈良と同様、修学旅行の生徒と外国人観光客がとくに目立ちました。ちょうど干潮で海の中に屹立する大鳥居を間近に見ることができました。厳島神社と言えば平清盛が作ったものとばかり思っていたのですが、ちょっと調べてみると実は推古天皇元年(593)に地方豪族の佐伯氏が創建したものだとか。その時代からずっと存在し続け、今や世界中から観光客を集めているのですから本当にすごいものです。
水族館に続く道の途中に落ち着いた喫茶店があり立ち寄ってみました。店内では白人の若いカップルが静かにコーヒーを飲んでいます。ほかにお客はいません。こんなときどこから来たのか聞かないではいられないのが私の性分。「えっ」という顔をしながらも「スイスのジュネーブからです」と答えてくれました。
私は待ってましたとばかり、質問を英語からフランス語に切り替え、いろいろ聞いてみました。日本にはもう5回来ている、日本は何を食べてもおいしい、滞在期間は2週間、自転車で旅行していて、今治から尾道までしまなみ海道を4日間かけて渡ってきた、電動アシストではなくふつうの自転車。きょうはこれから弥山に登るところだ…。近年こうしたdeepな旅人が増えてますね。
彼らが登山に出発するのを「マムシに気を付けて」などと見送ったあと、私は広島市内まで、今度はスピードの速いJRの電車で戻り、ひろしま美術館で開催中のブリヂストン美術館展(1216日まで無休)を堪能しました。短い滞在時間でしたがいろんな出会いと新発見があった楽しい広島、宮島旅行でした。


2018年10月24日水曜日

広島・宮島1泊旅行(上)

1019日金曜日、広島東洋カープがマツダクライマックス・セリーグ・ファイナルステージでジャイアンツに5-1で勝利したその日、私は広島にいました。YouTube系英会話のセミナーに参加するために岡山から広島まで高速バスで出かけたのです。
バスが福山を過ぎ、私は美しい備後の山並みの風景を楽しんでいたのですが、至るところに小規模な山崩れの痕跡があり7月豪雨がいかにひどかったかを物語っていました。バスが広島市街地の中心にあるバスターミナルに到着し、そこから歩いて数分のセミナー会場に行こうとしたとき、私は街の巨大さにのみ込まれ、方向感覚を失い途方にくれました。
岡山に住んでいながら広島に出かける機会はほとんどなく、岡山市程度の街だと高をくくっていたのが間違いでした。広島は単なる地方政令都市ではなく福岡のイメージに近い大都会でした。しかし昭和40年代に一度訪れた広島は確かに岡山と同じぐらいの規模の街だったはずで、違いはその後の30年間にできたものと思われます。広島が高速道路や新交通システム、アストラムラインを整備させ、郊外の住宅地と都心を直結する公共交通機関を発展させたのに対し、岡山県と岡山市はこの30年間いったい何をしたのでしょう?朝晩いつも渋滞する道路、貧弱な公共交通機関しかないないからマイカーに頼らざるを得なく、それがまた大渋滞に拍車をかける悪循環です。
さて私が出席した英会話セミナーというのは、「HAPA英会話」という動画をYouTubeで配信している、日米ハーフでバイリンガルのジュン先生が、毎年日本各地を巡回しながら行っているセミナーです。YouTube上には星の数ほど英会話サイトがありますが、私にはこのサイトが一番役に立っています。
広島会場での受講者は約30人でした。場所柄、マツダ関係のサラリーマンや米軍岩国基地で働いている若者もいて、皆さん必要に迫られて勉強している人が多く、私を含めよくしゃべる人が多かったです。おそらく私が最年長でしたが、久しぶりに若い人に混じって勉強する楽しさを味わいました。
夕方6時半から始まったセミナーが終わったのは夜8時半ごろで、会場の外へ出ると街はカープ勝利に沸く市民でお祭り状態。広島の夜は熱気に包まれていました。(続く)

(白シャツのイケメンがジュン先生)


2018年10月17日水曜日

総社、井原、福山を鉄道で周遊

7月豪雨による小田川決壊からちょうど100日目に当たる10月7日()、井原鉄道に乗って山陽路をたどってみました。これまでも矢掛や井原には車で出かけたことは何度もありますが、井原鉄道に乗ったのは初めてでした。3か月前の真備町の大洪水の際、町並みも田んぼもすっかり水没しているなか、井原鉄道のコンクリート製の高架橋だけがまるで希望の架け橋のように果てしのない水面に浮かんでいました。
そんな井原鉄道ですが、端から端まで一度は乗ってみたいと前から考えていたことがやっと実現したわけです。JR庭瀬駅から伯備線に乗り清音で井原鉄道に乗り換えました。1両だけの気動車が高梁川を渡りきるとすぐにテレビ報道で繰り返し目にした倉敷市真備地区に入ります。
車窓から見る風景は一見のどかな住宅街でしたが、よく見るとどの家も窓ガラスがなくがらんとしています。田んぼに目をやるとずっしり稲穂が垂れているはずの水田には雑草が茂るのみです。いかに耐え難い過酷なことがおきたことか。多くの住人が命を落とし、家を失い、地域で築いてきた生活を失い、思い出さえ失ってしまったことを映画のセットのような廃墟が物語っています。
気動車が西へ向かって進んでいきやや高台になっている地区に達するともはや洪水の影響はなく黄金に輝く水田が広がっていました。わずかな土地の高低差が運命を分けてしまうこともまた過酷な現実です。
途中、井原市の「子守唄の里高屋駅」で下車し、駅前にある華鴒大塚美術館に寄りました。日本画の金島桂華の作品を中心に珠玉のような名品を集めた美術館です。日曜日だというのに訪れる人もまばらで、ゆっくり日本画の静かな世界を堪能できました。ちなみに高屋は“ねんねこしゃっしゃりませ 寝た子のかわいさ”で有名な「中国地方の子守唄」発祥の地だそうです。
再び井原線の車中に戻り、神辺でJR福塩線に乗り換え、福山駅のレストランで牡蠣フライをあてにビールを1杯飲んで、快速サンライナーに乗って倉敷、庭瀬と帰ってきました。
平凡な日常生活、日曜日のちょっとしたプチ旅行、大きな不幸がないという幸せ……、若いころ軽蔑していたこうしたことがいかに得難い幸せであったことか、身に沁みて感じられた秋の1日でした。

( 真備地区)

(はなとりおおつか美術館庭園)

2018年10月7日日曜日

追悼・鬼才木彫家が残したもの・小林陽介遺作展

日曜日朝のNHK教育でやっている日曜美術館。各地で開催中の特別展の紹介は美術に触れるいいきっかけになります。こういう番組を続けられるのはNHKならではです(いつも文句を言ってますが)。

牛窓にある瀬戸内市立美術館で9月1日から10月21日まで、木彫家・小林陽介の遺作展が開かれているのを番組終わりの紹介コーナー、アートシーンで知り、さっそく出かけました。車がないので電車とバスを乗り継いでいかざるをえない牛窓ですが、庭瀬駅から乗り換えなしで邑久駅まで約30分、バスに乗り換え25分ほどで牛窓に着きます。

実は小林陽介という彫刻家がいたことなどまったく知りませんでした。しかも昨年(2017)夭折。瀬戸内美術館は早くから小林陽介を積極的に紹介してきた希有な美術館です。会場に入ったら岸本員臣館長がちょうど解説を始めたところでした。私はもともと彫刻は絵画ほど好きではないのですが、そうした先入観は今日で捨てました。びっくり仰天です。実物の彫刻に刻まれたノミ跡に作家の息づかいを感じます。

私は館長先生をつかまえていろいろお伺いしたのですが予備知識ゼロの私に丁寧に応対してくださいました。作品のほとんどが個人蔵で前回、瀬戸内美術館で展覧会をしたときに出品した作品が今はだれが所有しているのかまったく分からないケースもあるそうです。ふつうの人がふつうに買っていったものが、持ち主の死に際して死蔵されたか粗大ゴミ扱いで捨てられたのかもしれません。

私は小林の作品が世界的な評価を受けるようになるのにそれほど長い年月はかからないだろうと確信しました。

会期は今月21日まで。もういちど見に行きます!



2018年10月2日火曜日

オプジーボのCMに狂奔するNHK

今年も日本人がノーベル医学生理学賞を受賞したといううれしいニュースが届きました。がん治療薬「オプジーボ」の開発につながった京都大学の本庶佑先生の研究が評価されたということです。
ニュース第1報を伝えるテレビ各局のキャスターは皆さん北朝鮮のあのニュースおばさんばりのもったいぶったような、誇らしげな顔つきです。本庶先生の功績がいかにがん患者にとって光明になっているかについて記者会見での発言やインタビューを通して詳しく報じていました。日本の教育・研究水準が、将来はともかく、今日まで一流レベルを保ってきたことがだれにもよく分かる受賞で喜ばしいことです。
ただ一連の報道を見て気になることがいくつかありました。まず第1には受信料で運営されているはずのNHKなのに、小野薬品が開発・販売している医薬品「オプジーボ」について商品名を連呼しつつ、販売価格の変遷についてまで紹介していたことです。コマーシャルはおろかメーカー名が特定できるような映像は昔は皆無だったNHKがいつのまにコマーシャルを解禁したのでしょう?
早々「NHKふれあいセンター」に電話して尋ねてみました。回答は「すばらしいニュースだったので詳しくお伝えした」などという訳の分からない返事。同じNHKの「きょうの健康」など患者が具体的に医薬品名を切実に知りたいなと思う番組では薬品名(商品名)を言わず一般名や化学名でしか伝えていないことと大きく矛盾します。とにかく昨夜のNHKニュースはまるで小野薬品のコマーシャル特番かと疑うほど異様なものでした。
次に気になったのは、受賞の第1報が届いた京都大学の先生の研究室の光景です。先生は「若い人々といっしょに研究できて幸せ」というようなお話をされていましたが、問題はその「若い人々」のお顔。大半の男女研究員・学生院生は外国からの留学生のように見受けられました。日本の若者にとって魅力がない大学院をこのまま放置していては、やがてはノーベル賞も日本を素通りするようになるでしょう。
ちなみに、最新の世界大学ランキングによると日本はトップの東大ですら世界86カ国、1250校中で42位、京大は65位。トップテンは米英が独占しています。1校でいいから日本もそこに食い込んでほしいものです。

2018年9月22日土曜日

雨がよく降ります

週末外国人観光客が激減した大阪にきました。ビジネスホテルの眺望のない部屋の窓から激しい雨の音が聞こえてきます。何だかいい感じ!昔見たフランス映画のワンシーンを思い出します。たしかアラン・ドロン主演の「サムライ」。殺し屋稼業の一匹狼のアラン・ドロンがねぐらにしている安アパートに帰ってくる。外は雨、トレンチコートがカッコいいのです。ドアを開けて部屋に入ると飼っているカナリアがかごの中で落ち着かない。とっさに異変を感じピストルを取り出します。別の殺し屋が留守中に忍びこんでアラン・ドロンが帰ってくるのを待っていたのです。間髪入れず侵入者を始末し、殺し屋は追っての刑事たちをパリの複雑な地下鉄網を乗り継いで撒いて、次の殺しのターゲット依頼を受けている女性ピアニストが働くラウンジに近づく、、、ピアノを弾いている女は殺し屋の接近にたじろぐ。実は殺し屋はこの女に好意を寄せていたのだ。殺し屋は100発100中のピストルの狙いを定める。銃声がラウンジに響き渡る・・・

そのアラン・ドロンもいまや82歳のおじいさんになってしまいました。先日BSで特集をやってたのを録画しました。60年代は面白い映画であふれていましたね。

もう一度、プーシキン美術館展、プラド美術館展をつかの間の静けさを取り戻した大阪・神戸で見て帰ります。

2018年9月14日金曜日

早くも関空復活

前回このコラムで「危なっかしい関空」と書きましたが、それから10日間が経過し本日(914)1ターミナルも部分的ながら搭乗業務を再開しました。空港が発表した国内線、国際線の発着予定を一瞥した印象ではほぼ以前の空港機能を取り戻した感があります。鉄道も当初予定よりかなり早く、今月21日には運転を再開できる見通しです。
この復旧スピードを“早い”と思うか“遅い”と感じるかは、人それぞれでしょう。しかし年に何回かしか関空を使わない私は「えっ?もう元に戻ったの?」という驚きを覚えたのが正直なところです。台風によって一瞬で壊れた空港が瞬く間に復活するのを見ていて、空港の強靱化は必須であるにせよ「どんな災害にも大丈夫な空港を作ろうとする」よりも「壊れても迅速に復旧させるだけの資金繰り、技術、シミュレーション、システム等があればそれでOK」と考える方が無理がなくまた現実的であると感じました。
というのも関空を始め近畿地方に未曾有の災害をもたらした台風21号が北海道に達したその夜、北海道南部で震度7の大地震が起き、全道が停電(いわゆるブラックアウト)するという非常事態に見舞われました。このように日替りでメガ・ディザスターが襲う日本列島にあっては自然災害に力業(ちからわざ)で抗うことにはおのずと限界があります。
そういえば千年の都京都や世界一平和な大都会だった江戸の町は繰り返し大火に遭ってきましたが、その都度より美しく町並みが再建されてきた歴史があります。紙と木で作られた家屋は簡単に燃えてしまうけれど建て替えも早いものです。それに引き替え地中海沿岸地方にあちこち残る古代ローマ時代の都市の廃墟は今も廃墟のまま。家屋、上下水道、大浴場や劇場などすべてが石でできた古代ローマの遺跡を見ると、石造りの建造物は強固な代わりにいったん廃墟になればその場所での再建は不可能であることを現代に伝えています。柳に風の日本とは大違いです。
現代では鉄とガラスとコンクリートでできた建造物が大きく破壊されてもテクノロジーと十分な資金があれば比較的短期間で再建されることは今までも経験済みです。地震や台風の襲来を過度に恐がることもないな、とほぼ復活した関空の映像を見つつ頼もしく思いました。

2018年9月12日水曜日

タクアン大根

双葉が出そろいました。畑が狭いので他の種類の大根は作れません。漬物用といっても大根には変わりないので間引きながら食べる予定です。タクアン用に収穫する目標は30本くらいです。

2018年9月5日水曜日

危なっかしい関空

台風21号が直撃した関西国際空港は開港以来という甚大な被害を受け、3千人もの利用客が空港ロビーで身動き取れなくなりました。翌日になってやっと高速船とバスによる島外への脱出ルートが確保されました。空港ロビーで不安な一夜を過ごした方々には心より同情いたします。停電と空調ストップ、旅程を中断させられたあせりやいらだち、情報不足は大変なストレスをもたらしたと思います。閉所恐怖症の人でなくてもあの状況では頭が変になりそうです。
空港に閉じこめられてしまった3千人もの人々に対してネットでは同情の声はあるものの大半のコメントは「台風による欠航は予想されていたのになぜ空港に行ったのか?」と非難するものでした。今回の件に限らずネット社会は水に落ちた犬を棒でたたく人であふれていますが、だれもまさか空港のロビーで立ち往生する運命が待っていると分かって行動したわけではありません。
あの日(94日)空港は閉鎖されていなかったし、コンビニなど空港内の店舗、ホテル等は通常営業していました。国内線各社は早朝から欠航を決めていましたが国際線の運行状況はネットでも分かりづらいものです。とりわけ外国の航空会社に関しては電話で問い合わせようにもそもそも電話窓口が不明瞭、あっても日本語対応していなかったり、オペレーターも非常事態の際の運行状況なんて正確には把握していません。そんな場合は空港のカウンターまで行ってそこで案内を聞くなり、代替サービスの手配をお願いするのが一番確実です。「とりあえず空港まで行ってみる」は基本的には正しい行動だと思います。
しかしながら、この法則は陸上にあるふつうの空港について言えることであって、関空やセントレアのような海上空港については話は別です。人工島は台風の直撃を受けたり巨大地震や津波に襲われればたちまち逃げ場のない地獄と化すことは旅行者も常に意識しておくべきでしょう。

ちなみに同じ近畿圏にある神戸空港は今回の台風による建物や滑走路に対する被害もなく、台風が通過した4日の夜にはもう航空機の離発着を再開していました。関空は国内線専用の神戸空港に比べはるかに重要な空港であり、テロだけでなく自然災害にも抵抗力のある強い空港に早急に改良すべきと感じた次第です。