2019年8月28日水曜日

スマホ異変、修理とその結果

1ヶ月ほど前、本コラムで3年余り愛用してきたスマホが壊れた話をご紹介しました。ショップでは、修理は高額になるという理由で買い換えを勧められたのですが、私なりの考えもあって、たとえ新品を買うより高くついても私の手と脳になじんだスマホは修理して使おうと決め、東京のサービスセンターに発注しました。ずいぶん長い時間待たされましたが無事修理が完了し使い慣れたスマホがある生活に戻りました。
 いろいろな意味で自分の選択はなかなかよかったのではないかと満足しています。まず修理代金ですが脅かされた額の半額でした。キャリアのポリシーはバッテリー交換のみでも“防水性能劣化など修理箇所が見つかればそれも有償で修理する。見積もり時点での最終修理金額に納得がいかない場合は電池交換も修理もしないで返却する”とのこと。修理代金は数万円になることがある、とのキャリアの予防線には気の弱い消費者ならずともひるみます。
 修理済みの商品に添付された修理明細書には次のようなことが記されていました。「電池交換、裏蓋交換、防水性能劣化のため液晶画面側のケースを交換、USB端子交換、これらの修理交換作業の都合で基盤も交換しました」と書いてあったのには思わず笑ってしまいました。要するに外側のケース、液晶だけでなく心臓部も総替えしたという説明です。
 いや、私の推測ですが、総替えではなく、同じ機種の新品を送り返してきただけ、というのが実状であろうと思います。大量生産による低コストで効率的に製造された精密機械を個別に人手と時間をかけて修理するなんて無理。その証拠に修理箇所の見積もりをするのにまる10日かかったのに、修理にゴーサインを出したら、2日後にはもう“修理済み”となって返ってきました。
 アンドロイドOSのバージョンは当然のことながら最新のものが組み込まれていて、最初は使い勝手の違いに少しとまどいもあったのですが、細かい不具合が大幅に修正されていて、使用中にフリーズすることもなくなり、“修理”に出したことに大満足です。前回本欄に記事を書いたときには、ユーザーが自分で電池交換できないことを嘆いたのですが、結局、キャリアの修理方針はそう悪いものではない、一定の合理性がある、と感じた次第です。 

2019年8月22日木曜日

三宅定子さんの死を悼む

 中学校時代の同期生、三宅定子さんが急逝したという第一報に接し、本当に驚き、言葉がありませんでした。玉野市在住の三宅さんは、地域社会への貢献だけでなく、奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体であるゾンタの幹部として、昨年は横浜で国際ゾンタ世界大会を成功裡に収め、その功績をたたえ、美智子皇后陛下(当時)から皇居に招かれ、お茶をふるまわれたとお聞きしました。
 公私とも実にエネルギッシュに活躍していた“さーちゃん”に異変が起きたのは6月ごろのことで、7月下旬に大手術を受け、当初は順調に回復していたが、急変しそのまま帰らぬ人となった、とご遺族様からおうかがいしました。4月には中学校の恩師を囲んでいっしょに花見の宴会をにぎやかに楽しんだばかりなのにあまりに急な話です。
 術後、病床からクラスメートにあてたメールによると、さーちゃんは学生時代からこれまでも3回生死をさまよう大病をしたことがあり、いつも故両親が枕元にやってきて「定子、貴女はもうこれ以上無理をして頑張らなくていいのよ。一緒に早く帰りましょう!」と言うのを毎回振り切ってきたのになぜかこの度は来てくれなかった、とのことでした。
 さーちゃんのこの最後のメッセージは一見よく聞く臨死体験の「お迎え」現象のようでもあるけれど、この言葉には彼女の病状と術後経過に関する真相が隠されている……、私にはそんな気がします。「今回は両親が迎えに来なかった」。つまり天国のご両親から見てもこの度の手術でまさか最愛の娘が死ぬなどとは思ってもなかった。事実手術そのものは成功した、まだお迎えが来る時期ではなかった。それなのに術後にいったい何があってこうなってしまったのか、幼なじみの私には疑問と悔しさが残ります。
 第一報を聞いてすぐに駆けつけた幼なじみによると、とても苦痛に満ち疲れ切った表情をしていたそうです。本当に悲しい。2日ほどおいて通夜が始まる前に私はひとりさーちゃんと最後のお別れをしました。偉大な女性の偉大な生涯の最期にふさわしい威厳のある平和な寝顔でした。
今ごろさーちゃんはまた別の世界で大活躍しているに違いない、そのように信じて私はあなたを送ります。

2019年8月16日金曜日

絶倫衆院議員

週刊文春8月15-22日夏の特大号の巻頭グラビアに当選11回ながら大臣就任を拒否しているので有名なxx1区選出衆議院議員○○先生の猿顔丸出しの写真が!御年65歳。

詳しくは同誌を見ていただきたいが、週3回デリヘル三昧。しかも4時間コースにエンチョーを重ねて、夜7-8時スタートで朝方7時になることもあるらしい。あきれるよりも裏山しいことこのうえありません。

もちろん同氏のよからぬ行状は地元では知らない人はいない公然の秘密、それでも1区で11期連続当選させるxx県人は情けない。




2019年8月8日木曜日

スマイル・シンデレラ

  ゴルフの全英女子オープンで岡山っ子の渋野日向子選手が優勝したニュースには日本中が大フィーバーです。ゴルフに縁のない私もインタビュー映像に見入ってしまいました。
 現地での優勝記者会見で、どんなお菓子が好きなのか尋ねられたとき、「なんじゃろ?」と岡山弁を連発したのには思わず吹いてしまいました。何と素直でかわいい子!いっぺんに大ファンになりました。ただ彼女につけられたニックネームが“スマイル・シンデレラ”というのはちょっと違う気がしました。
渋野さん自身、「トロフィーは王子様ではない」と言っていましたが、勇者をシンデレラに例えるのはセンスがよろしくない。単なるラッキーガールという軽い意味でシンデレラと呼ばれたのかもしれませんが、渋野さんは王子様に見初められたのではなく、むしろ彼女自身がいきなり、王子の座(というか女王の座)を獲得したというべきでしょう。
岡山県からはこれまでも、陸上の人見絹枝をはじめ、マラソンの有森裕子、フィギュアスケートの高橋大輔などオリンピックメダリストを輩出してきましたが、彼らにはアマチュアスポーツをまったく異次元の高みに引っ張り上げたという画期的な功績があります。渋野さんもそうしたスーパーアスリート列伝に連なる人だという気がします。
渋野さんの底抜けに明るくスマイルに満ちた会見からは、これまでの日本人スポーツ選手が試合中や勝利の会見でよく見せてきた情緒的な気負いや弱さがみじんもなく、日本にもようやく汗と涙、スポ根、シゴキ等と無縁の、本来そうであるべき健康なアスリートの時代が到来したことが感じられました。
ちなみにアムステルダムオリンピック(1928)で日本人女性初のメダリストになった人見絹枝の銅像が岡山県立岡山操山高校にあるというのを最近テレビドラマで知りびっくりしました。私も高校時代の3年間をそこで過ごしたのですが、そのような像があったのかどうかすらまったく記憶にありません。

高校卒業以来半世紀を超える歳月が流れてしまいました。セキュリティにうるさい今のご時世では外部の人がふらっと校内に入れるのかどうか分かりませんが、遅ればせながら一度は人見絹枝先輩の勇姿を拝みたいものです。



2019年8月1日木曜日

スマホ異変

6月末、岡山空港の出発ロビーで東京行き搭乗便の出発を待ちながらスマホを操作していたときのことです。スマホが何かおかしい。保護ケースがいびつな形をしていて変だなと思ってよくよく見るとスマホ本体の裏蓋が膨れてはがれていました。そう言えば本体も異常に熱く、飛行機の中で爆発でもしようものなら旅行どころではありません。一躍「時の人」になってしまいます。
そんな大事にならなくても、今ここでスマホが壊れたら23日の東京滞在はご破算です。とりわけ困るのが会う約束をしている人といっさい連絡が取れなくなること。「連絡が取れないということを相手に連絡する手段がない」、参った。ホテルにチェックインし、さっそく携帯会社のインフォメーション・センターに電話しました。そして驚くべきことを告げられました。
要するに内蔵電池が劣化して膨張した可能性が高い、電池交換を含む修理費用は、お客様は補償サービスに加入していないので実費で5-6万円が見込まれる、代替品の貸し出し、その他詳しいことはホテル近くのショップで承る、とのことでした。
そもそも電池という2年ほどで寿命が尽きるものを内蔵しているくせに電池交換ができないとは! キャリアの言い分は、電池は“交換”ではなくその他不具合な箇所もあわせて点検する“修理”であり、その費用は新品を買う方が安いぐらいになる場合がある、ということらしい。
キャリアの担当者は補償サービスに加入されていれば……と言うが、私は「スマホは命の次ぐらい大切なので、絶対紛失したり水に浸けたりしない覚悟で使う、従って補償サービスは不要」と考えて契約しませんでした。が、内蔵電池のことは想定外でした。ショップは契約時に「2年過ぎには電池交換を含む高額な点検修理が必須であること、したがって補償サービス加入も必須であること」をユーザーに十分説明し納得させるべきです。
何もかも腹立たしいけれど、こうなっては新品より高くついても修理してとことん使ってやろう、そうでないと収まりがつかない、そんな気持ちです。1990年代の携帯黎明期からずっと使ってきた大手キャリアにも愛想が尽きましたが、いまさら格安会社に乗り換えるのもそれはそれでまためんどうなことです。

2019年7月29日月曜日

メロン配達という"しごと"その後

いつものマドモアゼルの喫茶店に行ったらマドモアゼルが、(メロン園の)「Kさんからお中元としてコーヒーチケット5千円分預かってます」とのこと。気を使ってもらい恐縮です。

この喫茶店ではコーヒーチケットなどないけれど、私のために手書きのチケットを作ったそう。1回分おまけがついているらしくホットでもアイスでも11杯飲めるらしい。今年のメロンの出荷はお盆には終了するので私もほっとしている。

2019年7月24日水曜日

メロン配達という"しごと"

幼なじみで高級メロンを栽培していたK君が急逝してはや3年近い月日が流れた。厳冬の中で、また高温多湿を極める真夏のハウスで年中休むひまなく働き続けてとうとうメロンに命を捧げてしまうことになるとは。もうメロン園は閉じるしかないだろうと誰もが思っていたが、喪があけたら、70に近い奥さんが夏場だけメロン栽培を再開したのにはびっくり。

小学校教師の娘さんは週末などは手伝っているが、奥さんは毎日早朝から夜中までメロンの栽培と出荷準備でへとへとの毎日。デパートに納品に行く人が見当たらないので、私に助けを求めてきた。53歳で退職した私はそれ以降お金をもらって働いたことがなく、メロンの配達は新鮮な体験になりそうで興味本位に引き受けた。

K夫人とは配達に関してとくに契約めいたものを取り決めた訳でなく、言わば「子どものお使い」という位置づけが近い。デパートから8個とか20個、納品せよとの指令がメロン園にあると、K夫人から私に電話で依頼があり、私はメロンをデパートまで運び伝票に受け取りのサインをもらって帰る。在庫を持ちたくないデパートは注文が細かくたった5個の納品オーダーがあることも。往復と搬入作業に要する時間は2時間。

お使いの駄賃は“ガソリン代”として1000円+ミネラルウォーター1本あり。3回に1回ぐらいは高級メロンをもらって帰る。メロン配達をバイトと考えたら、全然ペイしない。交通事故に遭遇しても労災保険はない。だからこれはバイトではない……、にしても、困ったときの人助けというにはほぼ週2回の配達は業務っぽい。業務なら最低賃金プラス自車持ち込み、保険なしなので、1回5000円が相場か? しかしデパートでの小売り価格と納品伝票の価格差に唖然とする私には、そんなことを汗だくで働いている奥さんに言えない。

そもそも1000円であれ5000円であれその差に大きな意味はない。もう若くはないK夫人にしてもそんな大変な労働をしてまでメロン園を維持する経済的理由は乏しいと思う。亡くなった亭主のメロンに対する思い、長い年月を夫婦でメロン栽培に心血をそそいだ思い出を風化させたくないという思いでメロン作りを続けているように見受けられる。

さて、1000円のお駄賃でメロン配達をしている自分自身の行為について、別の解釈の可能性を考えてみる。もしメロンの運搬と週一の雑誌原稿書きがなかったら、そうでなくても自堕落な毎日がますますひどくなって引きこもりまっしぐらになること間違いない。配達はエッセイのネタになるし、デパートのバックヤードも見ることができた。何の取り柄もない、存在理由もない老人が1日を健康に過ごせることを金銭に換算すると1万円の収益に相当する。反対に病院や施設で寝たきりで過ごすと1日当たり3-5万円くらいの損失になる(個人負担、自治体、国負担を合わせて)。こう考えると、社会参加を通じて頭と身体能力の老化防止に役立っているメロン配達は実は金銭的にも十分ペイしている。

私のような都合のいい人間はなかなかいないだろう、と自分でも思う。もしK夫人がメロン配達のバイトを探すとしたら、だいたい週2で不定期に来てくれ、車の運転ができ、単純とはいえデパート納品の仕組みと手順を瞬時に理解し、ドタキャンなどしない人材を見つけることができるだろうか?デパートのバックヤードには高級食材がかなり無防備な状態で積まれているので、バイトテロをしでかすような人間は絶対使えない。

ここで大学時代、心理学の授業で習ったある実験の話を紹介したい。

実験。
被験者の学生を2つのグループに分ける。グループAの学生にはわずかな報酬で単純作業をさせる。グループBにも同じ単純作業をさせるが高い報酬を支払う。
1時間後「仕事は面白かったか?」それぞれのグループの被験者に尋ねる。

「面白かった、意義があったと感じた」と答えたのはどちらのグループでしょう? Aのわずかな報酬しかもらえなかったグループです。そのココロは、ちゃんと報酬をもらった人たちは作業がつまらないものだったことが客観的に判断できたのに対し、詰まらない作業を報酬なしでやらされた人は、その事実を受け入れられず、「自分たちがやった作業は意義があるものだった」と考えないことにはやってられないという心理が働くとのこと。50年前の心理学の教室でこの話を聞いたとき一番記憶に残ったのは、上記のような結果もさることながら、いずれの被験者に対しても実験を企画した側から報酬は支払われなかったというオチ。ちょっとひどくない?

結論。
メロン配達は、金銭的にはほとんど無意味、むしろ交通事故など大きなリスクを背負っているが、人助けがもたらすある種の喜び、必要とされる存在であることを実感するための行為に他ならない。心理学の実験のとおりということになる。

PS. 案の定本日上記で危惧した事態が発生した。配達の帰り、たまに寄る喫茶店の駐車場でバックで駐車しようとしたとき、もう少しバック!とアクセルを踏んだらコツンという音がした。車を降りてみるとバンパーが喫茶店のコンクリートモルタルの壁に接触して傷がついてしまった。いくら古い車でも大切に乗っている車に傷がつくのは悲しい。メロン配達とはほとんど因果関係のない話ながら、いろんな要素が複雑に組み合わさって運命に導かれてしまう。Mais, ca doit etre tres subjectif!(それは大変主観的な考え方に違いないが)

2019年7月23日火曜日

三つ子の魂百まで

 東京上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展会場に展示されている松方幸次郎の経歴をあらためて読んでみました。昔の実業家、大富豪はスケールも違うし、やることも大胆でしかも巨万の富をちゃんと後世に残す算段をして世を去っていることに大変感銘を受けました。
 説明は日本語のほか英語でもなされ、何気なく英文のパネルを読んでいたら、「第一次世界大戦」、「第二次世界大戦」の部分が”the First World War””the Second World War”と綴られていることに気づきました。これらは固有名詞なのでふつうは”World War I”, ”World War II”と称する、というのが私の頭の中にあり、ちょっと違和感がありました。
 岡山に帰ってきて、よせばいいのに、そのことについて美術館宛にメールを出してみました。あの名だたる国立美術館の学芸員様あてに!もちろん控えめな言葉使いに努め、また西洋美術館自身のホームページ上でも松方幸次郎を紹介する記事においては、”World War II”式の表現を使っていることを引用しつつ、とにかくクレーマー扱いされないよう心がけました。
数日後、返信のメールがきました。文面は私が指摘した点にはとくに触れることなく、「このたびは貴重なご意見をいただき、重ねてお礼申し上げます。今後の運営などの参考とさせて頂きます」という実に素っ気ないものでした。たぶん役所的にはこういう文面こそ100点満点の回答なのだと思います。つまり何か答えているようでもあり、同時にお前の意見など何一つ取り合っていないということを最小限の言葉でクレーマーに悟らせるテクニックを駆使した模範回答。
 思えば私は小学生のころから71歳の現在までずっとこんなどうでもいいことを指摘するのが好きな人間でした。お節介、出しゃばり、自己顕示欲のかたまり……。今でもよく覚えていて思い返すたびに赤面するのは、小学生のとき、月の自転を巡って担任の先生を説教したことです。
 「月は自転しません」と先生がおっしゃるので、「公転と自転周期が一致しているだけで自転しています。もし自転しないのなら月の裏側が見えるはずです」と私。先生は首をひねっておられました。どうも納得がいかないようすです。「先生、家に帰って一晩よく考えてみて下さい!」本当にいやな子どもでした。

2019年7月22日月曜日

コンニャクの実


コンニャクの実が熟してきました。一粒の大きさは大豆くらいです。パパイヤ風のきれいな色の実です。アマガエルの子どもがとまっていました。
梅雨時の庭はまるでジャングルです。

2019年7月16日火曜日

山田ねずみ大根


滋賀県特産の山田ねずみ大根の種を購入しました。昔一度栽培したことがあります。根の長さが25センチメートルの短い大根ですが、肉質の柔らかさは大根中随一とか。

もう一方の白首宮重丸尻大根はタクアン漬けにするつもりで購入。細長い大根でないと干しても乾かないのです。昨年は「干し理想」にしましたが生育が遅く、今年は宮重に。
昔、タクアン用大根で地上部がとても激しく曲がる品種を育てたことがあります。直角に曲がり、畑がとても乱雑に見えました。あれは何という品種だったかなあ?と思っていたのですが、この白首宮重丸尻大根のパッケージの説明に「根は地上に伸び上がり曲がります」とあるのでこれだったのかも知れません。記憶では「とてもよく曲がります」だったのであるいはさらに別の品種かも知れません。
宮重は固定種で「肉質極上の煮食用」とのことですが、やはり曲がるという特性は栽培家にとってやっかいです。まっすぐ抜けず折れるのです。タクアン用には阿波系統の大根も有名です。