2021年8月27日金曜日

収まる気配のないコロナ感染症

いまや日本で流行している新型コロナの9割以上がインドで猛威を振るったデルタ株で占められているそうです。その特徴は従来型に比べ重症化しやすく、入院リスクは2.1倍、ICUが必要になるリスクが3.3倍、死亡するリスクが2.3倍(カナダのトロント大学での調査)とNHKのホームページで紹介されています。

首都圏での医療逼迫の悲惨な現場レポートを見るにつけデルタ株の恐ろしさが実感されます。さらに年代別の感染を見ると、初期のアルファ株は高齢世代を中心に罹患していたのが、最近では10代から60代までまんべんなく広がっています。とりわけ新学期が始まり学校でまん延した場合の深刻度は従来の比ではありません。場合によっては一家全員感染ということもありえます。

そして本当に恐ろしいのは医療逼迫が極限に達し、東京や神奈川では救急車を呼んでも病院に搬送してもらえない事例が珍しくもなくなってきていること。さいわい岡山県は人口の割に大きな病院が多いので首都圏のような医療壊滅は起きていないし、この先も決して起きないことを祈りたいのですが、新たな変異株次第で状況は厳しくなることも想定しておかなければなりません。

後手後手とはいえ、国や都道府県、医療機関がコロナ対策に必死で取り組んでいることには敬意を表したいと思います。行政や医療現場の対応に不満をぶつけても、現状の能力を超える要求はできません。となるとひとりひとりの国民、県民が自分なりの創意と工夫で自分や家族を守ることに取り組むしかないでしょう。

感染の機会をなるべく減らすこと、近くで咳をしている人がいたらすっと遠ざかる、アルコール消毒スプレーを持ち歩くこと、マスクは少し高めのもの、不織布でできているものを選択。こうしたベーシックな対策の他、私は多くの専門家が効果を認めているイベルメクチンを個人輸入してお守りにしています。

イベルメクチンは国内でも治験が進んでいますが、いままでの医療の常識では「未承認の薬を海外手配して飲むなどもってのほか」。しかしことコロナに関してはPCR検査で陽性と分かっても自宅でなすすべもなく恐怖におののいて過ごすしかないのです。自分の命は自分で守るしかありません。それで死んだらそこまでの運命だと諦めます。


2021年8月18日水曜日

入浴施設のロッカーキー

最近リニューアルオープンした新見千屋温泉「いぶきの里」に行ってみました。ロケーションは鳥取県との県境手前、国道180号線沿いで分かりやすく、県北に出かけた際などには気軽に立ち寄ることができます。泉質は単純アルカリ性とのことで確かにお湯に浸かるとたちまち体中がつるつるスベスベに。

私が出かけたのはお盆休み明けの平日の午後だったので、男湯のお客は年輩の人が2、3人入っているだけでした。変化に富んだいろんな浴槽、野天風呂、サウナもほぼ独占状態でとてものんびりできました。

ただひとつ画竜点睛を欠くというか、気になったことがありました。それは更衣室のロッカーキーがフロントで係員から下駄箱の鍵と交換に手渡される仕組みになっていることです。「えっ、いったいそれのどこが不都合なの?」と思われる方も多いでしょう。それは混雑しているわけでもないのに、このような鍵管理システムを採用している施設においては、往々にしてフロントの係員はパラパラ来る客に対しても、同一ブロックのしかもかなり近接したロッカーを割り当てる傾向があります。

今回の「いぶきの里」でもそうでした。500番代まであるだだっ広いロッカールームの奥の奥にやっと自分の番号を見つけました。すると私のすぐ後に入館したお客がいたのですが、その方のロッカーは50センチほど左に隣接し、扉の開け閉めもお互いに気を使います。他はがら空きなのに、よりによってなぜ? 狭苦しいし、何となくバツも悪い……。

そしてこういう悲劇(?)は繰り返されます。だいたい入浴というのは思い思いに時間を過ごす割には風呂から上がる時間がまたバッティングするものです。いろんなお湯を堪能してさっぱりした気分で脱衣所に引き上げたらやはりおじさんも風呂から出てきて近接のロッカーに。私は裸のまま自分のロッカーの中身を全部取り出し、離れた場所にあったベンチに移動して服を着ました。

フロントにキーを返したとき、係員に「もっと間隔を取ってキーを配布してもらいたい」旨、リクエストしました。フロントの方が利用者の便宜のために、なるべく浴室に近いロッカーキーをくれたことは状況から十分拝察されましたが、コロナ禍の3密を避ける意味でも閑散時は思いっきりバラして欲しいものです。


2021年8月6日金曜日

オリンピック雑感

 


2020東京オリンピックは連日熱戦が繰り広げられ、ふだんあまりスポーツ中継を見ない私もすっかりテレビ漬けになっています。一日のどの時間帯にテレビを付けてもワクワクするようなライブ映像や録画が見られるのはさすがオリンピックならではです。そのオリンピックも札幌でのマラソン等を残すのみとなりました。最終的に日本のメダル数はいったいいくつになるのでしょう。

柔道、体操、水泳、サッカー、野球、レスリング、陸上、卓球、バドミントンのようなメジャーな種目だけでなくアーチェリー、フェンシング、サーフィン、スケートボード、競歩などでもメダルがとれるなんて、日本のスポーツレベルの高さをあらためて世界に見せつけた結果になりました。

空手の「形」という競技は今までもあったのでしょうが、今回オリンピックで初めてその勇ましくも気合いの入った試合を見ることができ、感動しました。金メダルを取ったスペイン代表のサンドラ・サンチェスと銀メダルの清水希容の鬼気迫る演武!スポーツの競技種目はいろいろあるけれど、実在の相手のいない競技の存在にはびっくり。まさに一人相撲ならぬ一人演武にしてあの度迫力!美しいです。私も子どものころこういう武道に出会っていれば、もしかしてのめり込めたのではないかと悔やまれます。

今回のオリンピックは無観客だっただけに、どの種目においてもテレビを通じて選手の覚悟、息遣いが直に観客に伝わってきた気がします。どのようにモチベーションを維持し、この大会にすべてをかけてきたか、それはコロナなどで機会を奪われてはならない命懸けのものであり、メダリストたちが異口同音に大会が開催されたことへの感謝の気持ちを表明したことに如術に現れています。

実際、オリンピックの期間中、無観客にもかかわらず新規感染者が急増し、医療崩壊寸前の状況になりました。だからといってオリンピックが開催されたことを非難する世論はほんの少数で、ほぼ100パーセントの国民はアスリートたちに惜しみない賛辞をおくっています。

各国から参加した選手や役員たちはせっかくの来日の機会を競技以外で楽しむことができず、ホスト国国民としても残念なのですが、コロナ禍が収まったらぜひとも日本を楽しみにきていただきたいものです。


2021年7月27日火曜日

荒戸山、恋ヶ窪湿原

 岡山県にも200万年前に噴火したトロイデ火山があるというので出かけてみました。新見市の西部、広島県東城に近いところにありました。


荒戸神社の境内に車を停め、標高761mの荒戸山(阿哲富士)に登り始めたのですが、登山道の整備が悪く途中で道を見失い引き返しました。津和野の近くにも標高907メートルの美しいトロイデ火山(青野山)があり、いつか登ってみたいものです。

その後、車で10ほどドライブしたところに西の尾瀬ヶ原と言われる恋ヶ窪湿原があり、入山料200円也を払って2.4キロメートルの遊歩道を一周しました。学生時代は東京で過ごしたのに、本物の尾瀬には一度も行ったことがないのが残念です。今は暇は腐るほどあっても尾瀬は岡山からはあまりに遠く、しかもとても行きにくい場所にあります。恋ヶ窪湿原で我慢したいところですが、尾瀬に比べるとあまりにショボい規模ですね。

帰路は東城から国道182号線を経由し、R2に入り福山、笠岡と走ってきました。暑い1日でドライブしていて猛烈な眠気に誘われます。笠岡にもある星乃珈琲で眠気覚ましのアイスコーヒーを飲んでから家に帰りました。(2021/7/25、日曜日)





TOKYO 2020始まりました

ついに開催にこぎつけた2020東京オリンピック大会ですが、いざ本番の競技が始まったら連日日本チームの大活躍で、「やはり無理してでもオリンピックが開催されて本当によかった」と思います。振り返ってみると、TOKYO 2020が決まって以来、国立競技場の設計案変更、ロゴマークの剽窃騒動、森会長の女性蔑視発言による退任、コロナ禍による1年延期、さらには土壇場になって開会式の演出や音楽担当者による過去の不適切発言の発覚など、何から何までまるで悪霊にでも祟られているのではないかと思わせるぐらいネガティブな出来事が続きました。

それは壮大なページェントのプロローグ当日のセレモニー場面にまで及びました。夜8時という遅い時間に始まった開会式の様子はテレビ中継されていましたが、ちらっと見るだけで、見ているこちらが恥ずかしくなるような陳腐なものでした。歌舞伎や舞踏のつまみ食い的アレンジ、過去の映像の大写しにノスタルジーに浸るなど、私には5分と続けて見ることができない代物でした。

それでも天皇陛下の開会宣言だけは見てみようと、もう日付が変わるころ、チャンネルを中継場面に合わせたら、ちょうど橋本聖子組織委員会会長の挨拶が始まったところでした。「だれもあんたの話なんか興味ないよ」と思いつつもがまん、しかしバッハ会長の度を超したダラダラスピーチにはもはや最後までつきあい切れずテレビを消して寝ました。

そして、バッハ会長のスピーチの直後にいわゆる「天皇不敬事件」は起きたようです。翌朝その様子をYouTubeの映像で見てびっくり。天皇陛下が開会宣言を読み始めたのに、菅首相も小池都知事も座ったまま。途中で小池都知事がそれに気づいて立ち上がり、菅首相もよろよろ立ち上がりました。この前代未聞の珍事が起きた理由は何も「不敬」などという物騒なものではなく、エンドレスに続くバッハ会長のスピーチに菅さんたちも頭がもうろうとしていたからでしょう。

ともかくこうして始まったTOKYO 2020ですが、いざふたを開けてみたら意外や意外、大変な盛り上がりです。歳を取っていろんな出来事にあまり感動しなくなった私ですが、コロナで鬱々としていた気分が吹っ飛びました。スポーツには人々の心を結びつける魔力があるものですね。




2021年7月20日火曜日

ヨーロッパ絵画400年の旅展

 先日、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展を見にいきました。日本の美術館ではなかなか見る機会のない16世紀の絵画から20世紀絵画まで、まるでヨーロッパの美術館の中を歩いているような錯覚を覚え、興奮しました。

もはや一つ一つの作品に付された画家の名前や解説を読むのに時間を費やすことなく、ただ全体的な雰囲気を楽しむことに集中しました。

西洋絵画は、余白と簡素な線で構成された東洋絵画と異なり、すごくsensualというかvoluptuous、つまり肉感的だなと感じました。美術館を出たら「今日は血のしたたるステーキをたべよう!」という気分になりました。

モネの「睡蓮」もありました。睡蓮と言えば大原美術館の「睡蓮」が有名ですが、正月に大原美術館を訪れたとき英語タイトルがWaterliliesと一つの単語になってるのはおかしい、再考を、と美術館に意見を述べました。そのことをこのブログに書いたような記憶がありますが、大原美術館の学芸員は私の意見に丁寧な返事をくれたものの、なかなかしぶとい。最近のテレビニュースに写った映像からも、分かち書きする気はないようです。

ちなみに富士美術館の「睡蓮」は世界中のほとんどの美術館で表記されているとおり、Water lilies となっていました。また東京富士美術館の創設者は池田大作氏、美術館は八王子の創価大学と隣接しています。

英語の分かち書きは本当に難しいと思います。カナダの従姉にメールを書いていていつも、everyday なのかevery
dayなのか、こんがらがります。これはアメリカ人もよく間違えるそうです。
調べてみるとeverydayは「日常の」という形容詞、every day 「毎日」は副詞(句)で意味も用法も微妙に違うのですが、しばらくするとまたどっちだったかなあとあやふやになります。

余談が長くなりましたが、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展は8月29日まで。シニア料金1100円。

(山陽新聞7月20日より)


2021年7月14日水曜日

大阪・奈良1泊2日旅

 まもなく東京でオリンピックが始まろうというのに、コロナ禍は一向に収まる気配がなく、祝祭感、ワクワク感がほとんど感じられないのは寂しいものです。家でボサッとしていても何も始まらないので、気分転換のために日曜と月曜の1泊2日で大阪・奈良まで出かけてみました。

 行政の意のままには動かない大阪人も長引くパンデミックにエネルギーを吸い取られてしまったのか、あるいは日曜のせいか人出は少なく、8時にはいっせいに店が閉まり、キタやミナミの繁華街が寂しく感じられました。すでに未来に向かって明るくにぎやかに歩み始めた欧米の街角の様子をテレビで見るにつけ、感染者数、死者数とも欧米に比べれば桁違いに少ない日本で、担当大臣自らフリップまで用意して酒販業者に直接、間接に圧力をかけ、更なる自粛を迫っていることは異様です。

 翌月曜日は大阪・日本橋の喫茶店「丸福」で大阪在住の友人K君と落ち合い、「暇だし、奈良へ行ってみよう」という話になりました。K君は現役時代の職場の後輩で歴史や時事問題に詳しく、私がどんなことを質問しても間髪入れず「それはこんな歴史背景があるから」と明快。歩く辞書です。おまけに安倍元首相と同じ難病を患い、仕事も40歳過ぎには辞めてしまい、いつも暇で、私の突然の呼び出しにも気軽につきあってくれる貴重な存在です。

 奈良までは近鉄でわずか30分。いつも観光客でごった返す奈良も観光客がこうも少ないとまるで初めて訪れた街のような錯覚にとらわれます。いつもなら群をなす鹿が煎餅をくれと通行人に近づいてくるのに、観光客が払底して鹿も煎餅をねだることを忘れてしまったようです。その代わり広大な芝生の上で無数の子鹿たちが草を食んでいました。不思議なことに屈強な牡鹿の姿がありません。こんなところにもコロナの影響が及んでいるのかもしれません。

 お昼ご飯を食べようと老舗料亭の「菊水楼」に立ち寄ったのですが、メインのレストランは平日は休業中でがっかり。明治24年創業の由緒あるこの料亭も、今回のコロナ・パンデミックにはお手上げの様子でした。感染症の恐怖に加えて飲食業に不当に圧力をかける政策と相まって、全国の多くの店が廃業に追い込まれています。政府には圧力ではなく積極的な支援が求められます。






2021年7月7日水曜日

伊豆箱根の美術館群と自然災害

 昭和30年代、中学生になったばかりのころだったか、夏休みに親戚を頼って上京したことがあります。新幹線など影も形もなかった時代、あこがれの寝台特急列車「あさかぜ」に乗車することは夢見がちな少年にとって、まるで夢の中の出来事だったような気さえします。

夜岡山駅を出発した「あさかぜ」は外が白むころ早くも静岡県東部に到達しました。そして丹那トンネルを出るとすぐ熱海です。食堂車で朝食をとりました。トーストに添えられたバターがビー玉のように丸められているのを生まれて初めて見ました。シルバーのナイフ、フォークが白いテーブルクロスにセットされ、窓の外には朝の相模湾がまぶしく光り、旅に出た喜びにあふれました。

それ以来60数年の間、何百回となく新幹線で熱海を通過したのですが、電光掲示板が「ただいま熱海駅を通過しています」と親切に案内してくれても「そろそろ東京が近いな」くらいしか心が動きません。東京で過ごした数年の学生生活のあいだでもすでに熱海は時代遅れの観光地というイメージしかなく、途中下車してまで観光したことはありません。

ところが近年、熱海や箱根には魅力的な美術館が3館もあるというのに一度も出かけたことがないことが人生での見残し事のような気がしてなりません。コロナ禍が収まったら一番に出かけてみたい場所がこの熱海と箱根です。日本絵画、中国・朝鮮絵画のコレクションにおいて日本を代表する美術館のひとつであるMOA美術館、箱根の小涌谷にある岡田美術館も伊藤若冲など日本画の宝庫。箱根には西洋絵画1万点を所蔵するポーラ美術館があります。

今回の熱海の土石流の第一報が流れたとき多くの人々がMOA美術館に避難していると報じられていました。この美術館を創設したのは世界救世教の開祖、岡田茂吉氏であり美術館が被災者に救援の手を差し延べるのはごく自然なことだと思います。

ただ私には火山噴火や崖崩れ、山崩れ、地震などありとあらゆる自然災害が定期的に襲ってくるこの伊豆箱根の土地になぜ重要な美術品満載の美術館が存在するのか不思議な気がしてなりません。風光明媚な土地柄が魅力なのでしょうか。自然災害は人々の暮らしや生命だけでなく、2度と復元できない人類の至宝も無惨に奪っていきます。


2021年6月30日水曜日

魑魅魍魎

 今年も迷惑害虫の季節到来です。草深い我が家では日替わりメニューで出没する彼らとの闘いが続いています。

先ずは定番の藪蚊。昔は蚊と言えばアカイエカが主流でしたが最近ではヤブ蚊の天下になってしまいました。彼らは獰猛なうえなかなか頭がよくて、私が車を出そうとドアを開けると必ず2,3匹が私より先に車に乗り込みます。そしてハンドルを握っていてはどうにも応戦できない私の手や足から思う存分血を吸って、私が車を降りるためにドアを開けるとさっさと彼ら(いや彼女たち)は車を離れ、産卵場所へ直行です。

 次はゴキブリ。イギリス・カナダ合作映画「裸のランチ」(クローネンバーグ監督、1991)にはタイプライターサイズの巨大ゴキブリが登場し、主人公である作家ウイリアム・リーと実存的に対峙します。何度みても飽きることのない魅力的な映画ですが、我が家の台所で夜な夜な活躍するゴキブリたちもなかなかの存在感があります。

以前は彼らを退治するのにママレモンの原液をかけて窒息死させていたのですが、後始末が大変。ところがコロナの流行のおかげでアルコール消毒スプレーが簡単に手に入るようになったので、今はこれが主力兵器です。私の存在に気づいてキッチンの片隅で“頭隠して尻隠さず”状態になっているゴキにアルコールをシュッと一吹きすると酔っぱらうのか動きが緩慢になります。そこを捕獲して窓の外へ放逐します。

次の大物は「裸のランチ」にも登場する巨大なムカデ。ムカデはゴキブリなどを補食するらしいので益虫とも言えるのですが、ヤツの強烈な顎で噛まれ毒液を注入されたときはたまりません。なぜ神様はこんな不気味なものを創造したのでしょう?

そして真打ちは猛毒のマムシ。マムシを見ない年はないくらい我が家ではお馴染みの最凶キャラです。先日も雨上がりの夕方、もうかなり薄暗くなって帰宅し、門扉を開けようとしたら何か異変を感じました。門扉の下に大きなマムシがとぐろを巻いてじっとしていたのです。踏みつけでもしたら一発でアウト、救急車のお世話になってしまいます。

マムシにかまれた人の入院体験記など読むと毒の強さは生やさしいものではありません。こんな危険なものが我が家に棲んでいるなんて!


2021年6月23日水曜日

予期せぬ出来事

   先日、遅めの昼食をとろうと近所のこじゃれた和食の店に行きました。ランチタイムだけ営業しているその店は、聞くところによると店のオーナー(ママさん)は適応障害がある息子さんの社会リハビリのために作ったそうです。採算よりも息子が活躍できる空間を確保するために開いた店だけあって、インテリアにも料理にもやさしい気遣いが随所に感じられます。とりわけ定食についてくる山菜御飯が絶品でいつもお代わりをお願いしています。

さて、時計は1時を回っていたのでお客はカウンター席にOLが2人いるだけ。私はソーシャル・ディスタンスを取って奥の4人掛けテーブル席に座りました。離れて座っていても静かな店内に食事を終えた彼女たちのテンポのいい、楽しそうなおしゃべりが響き渡ります。仕事のこと、子育てのこと、おしゃれのこと。でも今はコロナ禍のご時世、他のお客(私)もいることだしもう少し声を低くしてもらえたらなあ……。

そんなことを思いながらも私の山菜御飯の茶碗はすぐに空っぽになりました。「お代わりお願いしまーす」、私は茶碗をテーブルの通路側に置きました。ちょうどそのときOLさん達がカウンター席から立ち上がり、会計のために私のテーブル席の横を通りました。びっくりしました。何と一人のOLさんが私の空になった茶碗を取ってカウンター奥にいたママさんに手渡したのです。予期せぬ一瞬の出来事でした。

たぶん彼女はとても心根の優しい素敵な女性なのです。茶碗を無造作に持ったりしないで、両手の指をピンと外側にそらせ、親指と小指の下の膨らみ(指球)4点だけで茶碗を支える、とても器用な持ち方ではありました。

でもそのとき私は思いました。「いや、いや、いや、たとえコロナ禍のご時世でなくても、知らない人が勝手に見ず知らずの人の茶碗に触る?」。ママさんが持ってきてくれたお代わりは新しい茶碗だったのか元の茶碗によそおわれていたのか、私も気が動転していて確かめもしませんでしたが、もはやお代わりの山菜御飯は絶品ではありませんでした。

子どものころ、夕飯のときうっかり間違えて父の茶碗でご飯を食べてしまったときのあの吐き気を催す感覚、あれに近いものがあったと言ったら言い過ぎですが……。