2008年2月20日水曜日

メイプルソープ写真集事件

1999年、東京のある出版社社長がアメリカの著名な写真家、故ロバート・メイプルソープの写真集を輸入しようとして税関にストップをかけられました。容疑は関税定率法違反。

 おもしろいのはこの写真集は社長が'94年に東京で出版したものをアメリカに持ち出し帰国の際、再び輸入しようとして没収されたもの。つまり国内で何の問題もなく売られていた写真集が通関できない(!?)というのです。

 理不尽な税関の処分に対しこの男性は最高裁まで戦い抜いて、ついにこの19日「わいせつには当たらない」という判決を勝ち取りました。最高裁は以前、同じ写真を「わいせつ」と認定したけれど時代の変化に追随したかに見えます。

 しかし判決を読むと問題の写真集がメイプルソープというアメリカを代表する写真家の芸術作品であったから輸入を認めたというあいまいな判断をしたに過ぎず、この問題の核心部分である、「わいせつが何故いけない?」という問いに答えていません。

 さらに刑法が禁じていない個人のわいせつ図画の所有を場違いな関税定率法で取り締まるのは検閲を禁じた憲法に違反するのではないかという一番の問題点にも触れずじまい。社長の勝訴は50年遅れの一歩前進という感じです。

 問題のメイプルソープの写真は男性の裸体が写っているに過ぎないもので、”わいせつ度”でいうならちまたのレンタルビデオや週刊誌のグラビアと比べるのもばかばかしい。とうてい「いたずらに性欲を刺激する」などというレベルのものではありません。

 千年前に「源氏物語」というきわめて官能的かつ芸術性の高い文学を生み出した日本でありながら、現代の日本で実に低次元の取り締まりが行われています。サミット加盟国でここまで文化度が低い国はほかにありません。

2008年2月12日火曜日

当たって当惑・バリ旅行

 留守中に宅急便が来たらしく不在通知が置いてありました。某携帯電話会社からの配達物でした。

 携帯電話会社からいったい何が届いたのか、気になったのでわざわざ宅配便の営業所まで取りに出かけてびっくり、「バリ島5日間の旅」が当たったというお知らせでした。

 くじ運の悪い私なのに「こいつぁ春から縁起がいい」とばかりにツァー参加条件を見てまたまたびっくり、何ともふざけた内容でした。

 1.出発地は成田国際空港、成田までの交通費は自己負担、岡山からだと往復4万円近い出費です。2.燃料サーチャージ、空港使用料などが2万8千円。3.無料招待は応募した人本人のみ、同伴は何人でもOKだけれど参加費が1人10万円。4.権利を第三者に譲ることは不可。さらに追い打ちをかけるように、出発日はサラリーマンが一番休みを取りにくい連休明けの5月。

 バリなどせいぜい5万円も出せば関空からいくらでも行けます。50人の当選者のうちいったい何人が実際に参加するか興味津々ですが、それよりもなによりもバリのような名だたる観光地のデラックスホテルでひとりで3泊も過ごせとはいったいどういう発想法なのでしょう?イカガワシイ!

 懸賞に応募したことさえ忘れていた当選劇。「どうせ当たらないのなら一番豪華な景品を狙おう」と想ったことだけがおぼろげながら思い出されました。

 こんなことなら野菜の皮むき器かハム・ソーセージ詰め合わせセットにでも○を付けておくべきでした。

2008年2月5日火曜日

毒餃子事件

 今回の農薬混入餃子事件では今のところ死亡例が報告されていないのはほんとうに運がよかったとしか言いようがありません。

 連日の報道をみていて気になることがありました。繰り返される食の安全をおびやかす事件に対し、テレビ局が買い物客にインタビューすると決まって、「私たち消費者は何を信じていいのか分かりません」というお決まりのコメントが返ってきます。

 でもこれって変。「何を信じるか?」と問われれば「自分を信じる」しかないでしょう。自分の鑑識眼、経験、味覚、嗅覚、臭覚、値段とのバランスなどを総動員して。

 口に入れたとたん異臭や変な味がしたら即座に吐くこと。これは意識しなくても体がかってにやってくれます。胃の中に入っても胃が「これはダメ」と思えばちゃんともどしてくれます。逆にいえば胃が受け付けてくれたものは少々賞味期限が過ぎていようが多少品質に問題があろうが大丈夫。

 それなのに今回の毒餃子事件で被害者は2通りに別れました。「変な味がしたのでもどした人」と「変な味がしたけれど食べてしまった人」に。食べてしまった人はおそらく「これは生協で買ったから」とか「JTが輸入した食材だから安心」と思ったのでしょう。恐ろしいことです。

 この点、中国の庶民は日本人よりはるかに敏感に食の安全に対して自衛策をとっています。場末のこきたない食堂の店先でおばちゃんがせっせと餃子を作っている。でもよく見ると野菜を徹底的に洗っています。日本人の目から見ると野菜を洗剤で洗うことの方が怖いのですが・・・ 

おいしいウーロン茶も一煎目は惜しげもなく捨てます。何故と聞くと「だって茶葉についたほこりやゴミ、農薬はまず熱湯で洗い流さないといけないでしょう」。  

2008年1月25日金曜日

松下・水道哲学の終焉

 1932年5月、松下電器創業者である松下幸之助氏は後に”水道哲学”と呼ばれる理念を従業員に説きました。

 いわく、「道行く人がよその家の水道の水を飲んでもとがめられることはない、あまりに安いからである。産業人の使命も優秀な製品を水道水のごとく安価に提供し楽土を建設すること」。

 それから80年近く経過し今や最先端のテクノロジーを凝縮した薄型テレビ、携帯電話、デジカメなど性能のことを考えたら本当に割安な価格で消費者に届くようになりました。

 たしかに、国民が優秀な商品を”水道をひねる”ように買えることはけっこうなことですが、松下電器はじめ日本を代表する産業はほんとうに利潤をあげているのかどうか。世の中には高いもの好きな人がいっぱいいることも経営の視野に入れて”最高の商品を最高の値段で売る”ことも考えないといけないと思います。

 例えば、アラブの富裕層向けに売る薄型テレビが家電量販店の目玉商品と同じ価格でいいはずがありません。アラブ向けには同じテレビでも画面以外の部分にはプラチナを使い、漆や金箔で華麗な装飾を施し、リモコンは金張りにし、ところどころダイヤモンドを散りばめた、100インチで2千万円ぐらいの限定商品を売り出せば即完売することまちがいありません。

  いったんそうしたプレミア商品が世に出ればロシアや中国のニューリッチも黙っていないでしょう。

 松下電器が今年10月社名を”パナソニック”に変更し、来年には”ナショナル”ブランドも捨てることにしたのはようやく水道哲学の呪縛から自らを開放する決断をしたものと理解し、儲かる企業に変貌することを期待しています。

2008年1月15日火曜日

ご長寿ギャグ

 2001年4月に始まった両親の介護は依然として続いています。最初のころ飲み会の席で、友人の医師に「ひとりで介護に専念するつもり」と話したら、「私の経験ではみんな張り切って介護を始めるけれどだいたい半年で音を上げる」と言われたものです。

 それから7年。友人の予測の十倍の歳月が過ぎていつの間にかエンドレスの様相を呈してきました。ただこの生活がいやかといえばそうでもありません。その秘訣は「介護の合間に休息」がふつうであるのに対し、私は「休憩の合間に介護」をしているからだと思っています。

 それでも、もともと相性の悪い父とは何もかもが煮詰まって90歳対60歳の心理戦はエスカレートする一方です。

 日曜日の夕方、夕飯の支度がいつもより遅くなってしまいました。父が「今日はもう夕飯はいただきましたかな?」とボケ老人を演じて私の怠慢を婉曲に非難。「いやまだ。今日はちょっと胃がムカムカして動けん。胃ガンかも知れん」と父を脅かしてみました。介護人と息子を同時に失う危険性を喚起し、少しは息子に同情せえ、というのが私のメッセージ。

 すると父は、背を前に曲げてみせ「こうか?」と言うのです。「ハァ?それどういう意味?」と聞いたら「背中がいがんどる」。オジン・ギャグは可笑しくも腹が立つ!しかも私が子供のころから猫背ぎみでコンプレックスに感じているところを突いてくるなんて・・・

 お涙頂戴などまっぴら、あくまで自己中で90年を生きてきた父の芸風にはまたしても完敗でした。

2008年1月8日火曜日

おねしょ布団

 幼児のころの記憶はどこまで遡れるのか、三島由紀夫は「仮面の告白」のなかで、自分が生まれた日の光景を鮮明に覚えていると少年時代にまわりの大人に主張して失笑を買ったエピソードを紹介しています。

 それは「産湯に写る電球の光」という怪しくも耽美的なシーンで、長じて華麗な文章を紡ぎ続けて突然この世を去った文豪の最初の記憶にふさわしい心象であったと思います。

 作家のような鮮明な記憶はないものの、私にはおねしょをしたあとの何ともいえない情けない感覚が幼児期最初のころの記憶として思い返されます。

 トイレに行きたくなる、暗くて寒く恐いトイレにやっとたどりつき気持ちよく放出し始めたとたん「何か変、しまった、これはいつも見るおねしょの夢だ!」と夢の中で気づいてももう手遅れ。

 母は真夜中でも慌てず騒がず濡れた敷き布団の上にタオルを敷いてくれて、朝がくると布団を干してくれました。真綿布団は洗うことができないのでいくら干しても汚れが取れるわけではないのに、1日太陽に当たった布団は気持ちよく、それがまたその夜の快眠と快おねしょを誘発したものでした。

 それから半世紀が過ぎ、今また同じ六畳間で親子の1日が過ぎていきます。ときどき子猫が入ってきては母のベッドに登ってうっとりした顔をしているときが最悪。びっくりするぐらいのおしっこの水たまりができています。

 でも今は重い真綿布団に代わって軽い羽布団の時代、洗濯機で丸洗いし乾燥はコインランドリーの大型乾燥機にかければばっちりです。慌てず騒がず、母と12匹の猫のお世話をする幸福な日々が続いています。

2007年12月25日火曜日

惻隠の情

 昔の職場の後輩K君を誘って年末に上海に行ってきました。空前の好景気に活気づく上海はクリスマス商戦で大にぎわい。夕方の混雑した地下鉄は老若男女みんなケータイに夢中で、その喧(かまびす)しいこと中国パワー炸裂です。

 そんな車内で気になる声が聞こえてきました。「ママパパマパマー、ママパパマパマー」と私の耳には聞こえたのですが、意味不明の言葉を繰り返しながら、少女が乗客ひとりひとりに声をかけ小銭を求めて巡回してきます。見ると頭髪の半分がなく両手の指にも重度の障害があり、しかもその手を差し出してきます。

 乗客の反応はというと完全無視。リアリストである中国人の国民性なのか、それともこういう物乞いにはもう慣れっこになっているのか、ともかく彼女がこの車両に入ってきてからの収穫はゼロでした。

 彼女が接近するにつれ私はどぎまぎしたのですが、同行の若者はさっとポケットから10元札を取り出して渡しました。10元といえば1日食いつなげる額です。ところが少女はお礼の言葉ひとつ言わずまた「ママパパ、、、」とつぶやきながら去っていきました。

 あとでK君に「君は小金をケチケチ貯めて今や大富豪なのは知っているけれどなかなかいいところあるじゃない」と言っておちょくってやったら、「いや、彼女はプロですよ。5メートル後ろから母親がちゃんと娘がいくら稼いだかチェックしていたのに気づきませんでした?」と情況を説明してくれました。

 一見哀れな親子にも計算づくのプロ根性があることを見抜いていながら、それでも心を動かしちゃんと10元渡してやるなんて! ”惻隠の情”が日本人から失われてしまったとお嘆きの藤原正彦先生(国家の品格)に教えてあげたい気分でした

2007年12月16日日曜日

還暦

 年が改まり平成の世もはや20年。私にとっては還暦の年でもあります。いつまでも若いと自分に言い聞かせてみても、20世紀前半生まれの人間はもう十分骨董品です。

 ふと気がつくと、どんな会合に出てもそこにいる人々の中で自分は高齢者グループに分類されてしまいます。かろうじてまだ若い部類に入れてもらえそうなのはお年寄りに人気がある岡山市立せのお病院の待合い室にいるときぐらい。

 そんな還暦の自分に何ができるのか、何をしたいのか、何をすれば満足感が得られるのか、考えてみれば人助けとか世のためなどと殊勝なことはできそうにもありません。

 では快楽追求は?そう!、これこそ体力に限界があると言いつつもまだまだそこそこできそうな気がします。何といっても人は楽しみなくして生きることはできず、生きていくエネルギーの100パーセントは快楽追求がもたらすものです。90歳を過ぎ腰痛で椅子から立つのもやっとの父でも私がこっそり2階の軒先に吊している干し柿を取るためなら杖の助けも借りずにトントンと階段を登れます。

 息子の私も食欲が老いの坂の希望の灯になってくれることを信じています。中華料理の奥深い世界などほとんど知らないし、フレンチでもしみじみ美味な料理には今まで数えるくらいしか出会ったことがありません。還暦をもって美食元年にしようと思います。

 そしていつの日か訪れる最期の日の楽しみは、昨秋来杳として行方が分からない愛猫ムサシに再会すること。あの世で最初に迎えにきてくれるのはいっしょに暮らしたペットだといいますから。
    

2007年12月5日水曜日

このまま潰れるなJR(未定稿)

 「金刀比羅宮書院の美」という展覧会が開かれています。応挙・若冲の絵を間近に見るチャンスとばかり、詳しい情報を確かめもせず本日、出かけました。

http://www.konpira.or.jp/museum/main/index.html
 残念なことに、今は前期展示が終わり、後期は下旬から。それは自分のミスなので仕方ないのですが、行き帰りともJRを利用してとんだ料金トラブルが発生しました。

 妹尾からJr琴平まで1140円。

 琴平到着後に前期の展示が2日までだったことを知りがっかり。とりあえずうどんを食べたものの、高松へでも行ってみようと思い、自動券売機に1万円札を入れ「高松」というボタンを押したら「高松」と印刷された切符と特急券、お釣りが出てきました。

 「あれっ、何か変」高松までは次に来る各駅停車の方が早いし、特急に乗るつもりもなかったのに、、、と改めてその自動券売機を見たら、特急切符専用の券売機だったのです。そこで窓口のお姉さんに普通で行くので特急券を返します、と言ったら特急券分の510円を全額返金してくれました。

 そして駅の売店で文庫本を見ていたら渡辺淳一の「幻覚」(中公文庫)がおもしろそうだったので購入。高松行き鈍行で読み始めたらおもしろくてもう高松へ行くのは中止し、坂出で岡山行きマリンライナーに乗り換えて帰宅することにしました。そして妹尾駅に着いたところで不条理なやりとりがおきました。

 琴平ー高松は830円だったので、精算額は1140-830=310 円と思っていたのにJR西日本の駅員のお嬢さんは、行き先変更料金として950円いただきます、というのでびっくり。彼女の説明では琴平-高松の切符のうち有効だったのは琴平-多度津までであとはあなたが前途を放棄。多度津-妹尾間の950円を払えということでした。そこで行きと帰りとまったく同じ距離しか乗っていないし途中下車してないのにそれはおかしいと抗議。(細かい話ですが、坂出経由は多度津直行と同額とみなすというルールあり)

 すると、お嬢さんは「ではこの琴平-高松の切符はいったん払い戻して改めて琴平-妹尾間の切符を買ったということにする。払い戻し手数料315円とあわせ625円いただきます。という。そこで、しつこく、琴平駅で特急券を払い戻したときは手数料なんか取らなかった、おかしい、と食い下がり。

 すると、お嬢さんの言葉がふるっていました。「それはJR四国が勝手にしたことで西日本はルール通り払っていただきます!」私がますます全然納得できません(怒)というと、上司と相談したのかどうか知りませんが、今度出てきたときはあっさり、「差額の310円いただくことで納得でしょうか?」となりました。

 「はい、はい十分納得ですよ」と駅を後にしました。話がこうもややこしくなった原因は特急券専用券売機で買った切符の券面に金額ではなく、行き先の「高松」が明記してあったことのようです。だから行き先変更、払い戻し、、、と彼女が主張したのです。

 もうひとつ彼女が言っていたのは100km以上の切符は行き先変更できるけれど、100km未満の距離の切符は払い戻しでなく前途放棄しかない、、、

不条理です。でもきょうは粘り勝ちでよかったです。

(私の願い)郵政は国営に戻し、JRは体裁だけの株式会社から本当の民間企業になってもらいたいと思います。このまま潰れるなJR!

干し柿づくり

 実家の門先に大きな渋柿の木があり毎年たくさんの実をつけます。今年も晩秋の晴天に渋柿を干しました。

 でも今時干し柿を喜んで食べる人もなく、2階の空き部屋には去年の干し柿がミイラとなってぶらさがっています。

 腎臓が悪い父にはカリウムが多い柿は毒ですし、種が多い我が家の干し柿は正月前スーパーに出回るような立派なものでもありません。つくるだけ手間・・・

 ある年、通りすがりの老夫婦が「渋柿を取らないのならもらってもいいですか?」と声をかけてきました。老夫婦は木を丸裸にして立ち去り翌年もまた実をとりにきました。

 このあたりが自分でもかなりせこいなと思うところですが、我が家では不要なものとはいえ、あれだけ大量の渋柿をタダでもっていって菓子折のひとつも持ってこないとは、という気持ちになり、よし、来年は意地悪して断ってやろう!と待ちかまえていました。

 するとこういう気持ちは伝わるのか老夫婦は2度と来ませんでした。ひょっとして、あの夫婦は神様が人の気持ちを確かめるために老人に化身して現れていたのではないか?などとしばらくは柿が実るたびに思い起こされたものです。

 以来、樹上の渋柿は1月ごろ霜に当たって熟したところを野鳥の大群が襲って食べ尽くすにまかせてきました。柿の木の下にとめてある父の車の屋根には大量の糞と食べ散らかした柿の残骸がこびりついて塗装が痛み車の掃除も大変です。

 結局は食べるあてもない干し柿づくりを再開しました。気がかりな老夫婦のことに心を痛めつつ、また鳥たちにも申し訳ないので「木守り」の実をたくさん残して。