2021年7月27日火曜日

TOKYO 2020始まりました

ついに開催にこぎつけた2020東京オリンピック大会ですが、いざ本番の競技が始まったら連日日本チームの大活躍で、「やはり無理してでもオリンピックが開催されて本当によかった」と思います。振り返ってみると、TOKYO 2020が決まって以来、国立競技場の設計案変更、ロゴマークの剽窃騒動、森会長の女性蔑視発言による退任、コロナ禍による1年延期、さらには土壇場になって開会式の演出や音楽担当者による過去の不適切発言の発覚など、何から何までまるで悪霊にでも祟られているのではないかと思わせるぐらいネガティブな出来事が続きました。

それは壮大なページェントのプロローグ当日のセレモニー場面にまで及びました。夜8時という遅い時間に始まった開会式の様子はテレビ中継されていましたが、ちらっと見るだけで、見ているこちらが恥ずかしくなるような陳腐なものでした。歌舞伎や舞踏のつまみ食い的アレンジ、過去の映像の大写しにノスタルジーに浸るなど、私には5分と続けて見ることができない代物でした。

それでも天皇陛下の開会宣言だけは見てみようと、もう日付が変わるころ、チャンネルを中継場面に合わせたら、ちょうど橋本聖子組織委員会会長の挨拶が始まったところでした。「だれもあんたの話なんか興味ないよ」と思いつつもがまん、しかしバッハ会長の度を超したダラダラスピーチにはもはや最後までつきあい切れずテレビを消して寝ました。

そして、バッハ会長のスピーチの直後にいわゆる「天皇不敬事件」は起きたようです。翌朝その様子をYouTubeの映像で見てびっくり。天皇陛下が開会宣言を読み始めたのに、菅首相も小池都知事も座ったまま。途中で小池都知事がそれに気づいて立ち上がり、菅首相もよろよろ立ち上がりました。この前代未聞の珍事が起きた理由は何も「不敬」などという物騒なものではなく、エンドレスに続くバッハ会長のスピーチに菅さんたちも頭がもうろうとしていたからでしょう。

ともかくこうして始まったTOKYO 2020ですが、いざふたを開けてみたら意外や意外、大変な盛り上がりです。歳を取っていろんな出来事にあまり感動しなくなった私ですが、コロナで鬱々としていた気分が吹っ飛びました。スポーツには人々の心を結びつける魔力があるものですね。




2021年7月20日火曜日

ヨーロッパ絵画400年の旅展

 先日、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展を見にいきました。日本の美術館ではなかなか見る機会のない16世紀の絵画から20世紀絵画まで、まるでヨーロッパの美術館の中を歩いているような錯覚を覚え、興奮しました。

もはや一つ一つの作品に付された画家の名前や解説を読むのに時間を費やすことなく、ただ全体的な雰囲気を楽しむことに集中しました。

西洋絵画は、余白と簡素な線で構成された東洋絵画と異なり、すごくsensualというかvoluptuous、つまり肉感的だなと感じました。美術館を出たら「今日は血のしたたるステーキをたべよう!」という気分になりました。

モネの「睡蓮」もありました。睡蓮と言えば大原美術館の「睡蓮」が有名ですが、正月に大原美術館を訪れたとき英語タイトルがWaterliliesと一つの単語になってるのはおかしい、再考を、と美術館に意見を述べました。そのことをこのブログに書いたような記憶がありますが、大原美術館の学芸員は私の意見に丁寧な返事をくれたものの、なかなかしぶとい。最近のテレビニュースに写った映像からも、分かち書きする気はないようです。

ちなみに富士美術館の「睡蓮」は世界中のほとんどの美術館で表記されているとおり、Water lilies となっていました。また東京富士美術館の創設者は池田大作氏、美術館は八王子の創価大学と隣接しています。

英語の分かち書きは本当に難しいと思います。カナダの従姉にメールを書いていていつも、everyday なのかevery
dayなのか、こんがらがります。これはアメリカ人もよく間違えるそうです。
調べてみるとeverydayは「日常の」という形容詞、every day 「毎日」は副詞(句)で意味も用法も微妙に違うのですが、しばらくするとまたどっちだったかなあとあやふやになります。

余談が長くなりましたが、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展は8月29日まで。シニア料金1100円。

(山陽新聞7月20日より)


2021年7月14日水曜日

大阪・奈良1泊2日旅

 まもなく東京でオリンピックが始まろうというのに、コロナ禍は一向に収まる気配がなく、祝祭感、ワクワク感がほとんど感じられないのは寂しいものです。家でボサッとしていても何も始まらないので、気分転換のために日曜と月曜の1泊2日で大阪・奈良まで出かけてみました。

 行政の意のままには動かない大阪人も長引くパンデミックにエネルギーを吸い取られてしまったのか、あるいは日曜のせいか人出は少なく、8時にはいっせいに店が閉まり、キタやミナミの繁華街が寂しく感じられました。すでに未来に向かって明るくにぎやかに歩み始めた欧米の街角の様子をテレビで見るにつけ、感染者数、死者数とも欧米に比べれば桁違いに少ない日本で、担当大臣自らフリップまで用意して酒販業者に直接、間接に圧力をかけ、更なる自粛を迫っていることは異様です。

 翌月曜日は大阪・日本橋の喫茶店「丸福」で大阪在住の友人K君と落ち合い、「暇だし、奈良へ行ってみよう」という話になりました。K君は現役時代の職場の後輩で歴史や時事問題に詳しく、私がどんなことを質問しても間髪入れず「それはこんな歴史背景があるから」と明快。歩く辞書です。おまけに安倍元首相と同じ難病を患い、仕事も40歳過ぎには辞めてしまい、いつも暇で、私の突然の呼び出しにも気軽につきあってくれる貴重な存在です。

 奈良までは近鉄でわずか30分。いつも観光客でごった返す奈良も観光客がこうも少ないとまるで初めて訪れた街のような錯覚にとらわれます。いつもなら群をなす鹿が煎餅をくれと通行人に近づいてくるのに、観光客が払底して鹿も煎餅をねだることを忘れてしまったようです。その代わり広大な芝生の上で無数の子鹿たちが草を食んでいました。不思議なことに屈強な牡鹿の姿がありません。こんなところにもコロナの影響が及んでいるのかもしれません。

 お昼ご飯を食べようと老舗料亭の「菊水楼」に立ち寄ったのですが、メインのレストランは平日は休業中でがっかり。明治24年創業の由緒あるこの料亭も、今回のコロナ・パンデミックにはお手上げの様子でした。感染症の恐怖に加えて飲食業に不当に圧力をかける政策と相まって、全国の多くの店が廃業に追い込まれています。政府には圧力ではなく積極的な支援が求められます。






2021年7月7日水曜日

伊豆箱根の美術館群と自然災害

 昭和30年代、中学生になったばかりのころだったか、夏休みに親戚を頼って上京したことがあります。新幹線など影も形もなかった時代、あこがれの寝台特急列車「あさかぜ」に乗車することは夢見がちな少年にとって、まるで夢の中の出来事だったような気さえします。

夜岡山駅を出発した「あさかぜ」は外が白むころ早くも静岡県東部に到達しました。そして丹那トンネルを出るとすぐ熱海です。食堂車で朝食をとりました。トーストに添えられたバターがビー玉のように丸められているのを生まれて初めて見ました。シルバーのナイフ、フォークが白いテーブルクロスにセットされ、窓の外には朝の相模湾がまぶしく光り、旅に出た喜びにあふれました。

それ以来60数年の間、何百回となく新幹線で熱海を通過したのですが、電光掲示板が「ただいま熱海駅を通過しています」と親切に案内してくれても「そろそろ東京が近いな」くらいしか心が動きません。東京で過ごした数年の学生生活のあいだでもすでに熱海は時代遅れの観光地というイメージしかなく、途中下車してまで観光したことはありません。

ところが近年、熱海や箱根には魅力的な美術館が3館もあるというのに一度も出かけたことがないことが人生での見残し事のような気がしてなりません。コロナ禍が収まったら一番に出かけてみたい場所がこの熱海と箱根です。日本絵画、中国・朝鮮絵画のコレクションにおいて日本を代表する美術館のひとつであるMOA美術館、箱根の小涌谷にある岡田美術館も伊藤若冲など日本画の宝庫。箱根には西洋絵画1万点を所蔵するポーラ美術館があります。

今回の熱海の土石流の第一報が流れたとき多くの人々がMOA美術館に避難していると報じられていました。この美術館を創設したのは世界救世教の開祖、岡田茂吉氏であり美術館が被災者に救援の手を差し延べるのはごく自然なことだと思います。

ただ私には火山噴火や崖崩れ、山崩れ、地震などありとあらゆる自然災害が定期的に襲ってくるこの伊豆箱根の土地になぜ重要な美術品満載の美術館が存在するのか不思議な気がしてなりません。風光明媚な土地柄が魅力なのでしょうか。自然災害は人々の暮らしや生命だけでなく、2度と復元できない人類の至宝も無惨に奪っていきます。


2021年6月30日水曜日

魑魅魍魎

 今年も迷惑害虫の季節到来です。草深い我が家では日替わりメニューで出没する彼らとの闘いが続いています。

先ずは定番の藪蚊。昔は蚊と言えばアカイエカが主流でしたが最近ではヤブ蚊の天下になってしまいました。彼らは獰猛なうえなかなか頭がよくて、私が車を出そうとドアを開けると必ず2,3匹が私より先に車に乗り込みます。そしてハンドルを握っていてはどうにも応戦できない私の手や足から思う存分血を吸って、私が車を降りるためにドアを開けるとさっさと彼ら(いや彼女たち)は車を離れ、産卵場所へ直行です。

 次はゴキブリ。イギリス・カナダ合作映画「裸のランチ」(クローネンバーグ監督、1991)にはタイプライターサイズの巨大ゴキブリが登場し、主人公である作家ウイリアム・リーと実存的に対峙します。何度みても飽きることのない魅力的な映画ですが、我が家の台所で夜な夜な活躍するゴキブリたちもなかなかの存在感があります。

以前は彼らを退治するのにママレモンの原液をかけて窒息死させていたのですが、後始末が大変。ところがコロナの流行のおかげでアルコール消毒スプレーが簡単に手に入るようになったので、今はこれが主力兵器です。私の存在に気づいてキッチンの片隅で“頭隠して尻隠さず”状態になっているゴキにアルコールをシュッと一吹きすると酔っぱらうのか動きが緩慢になります。そこを捕獲して窓の外へ放逐します。

次の大物は「裸のランチ」にも登場する巨大なムカデ。ムカデはゴキブリなどを補食するらしいので益虫とも言えるのですが、ヤツの強烈な顎で噛まれ毒液を注入されたときはたまりません。なぜ神様はこんな不気味なものを創造したのでしょう?

そして真打ちは猛毒のマムシ。マムシを見ない年はないくらい我が家ではお馴染みの最凶キャラです。先日も雨上がりの夕方、もうかなり薄暗くなって帰宅し、門扉を開けようとしたら何か異変を感じました。門扉の下に大きなマムシがとぐろを巻いてじっとしていたのです。踏みつけでもしたら一発でアウト、救急車のお世話になってしまいます。

マムシにかまれた人の入院体験記など読むと毒の強さは生やさしいものではありません。こんな危険なものが我が家に棲んでいるなんて!


2021年6月23日水曜日

予期せぬ出来事

   先日、遅めの昼食をとろうと近所のこじゃれた和食の店に行きました。ランチタイムだけ営業しているその店は、聞くところによると店のオーナー(ママさん)は適応障害がある息子さんの社会リハビリのために作ったそうです。採算よりも息子が活躍できる空間を確保するために開いた店だけあって、インテリアにも料理にもやさしい気遣いが随所に感じられます。とりわけ定食についてくる山菜御飯が絶品でいつもお代わりをお願いしています。

さて、時計は1時を回っていたのでお客はカウンター席にOLが2人いるだけ。私はソーシャル・ディスタンスを取って奥の4人掛けテーブル席に座りました。離れて座っていても静かな店内に食事を終えた彼女たちのテンポのいい、楽しそうなおしゃべりが響き渡ります。仕事のこと、子育てのこと、おしゃれのこと。でも今はコロナ禍のご時世、他のお客(私)もいることだしもう少し声を低くしてもらえたらなあ……。

そんなことを思いながらも私の山菜御飯の茶碗はすぐに空っぽになりました。「お代わりお願いしまーす」、私は茶碗をテーブルの通路側に置きました。ちょうどそのときOLさん達がカウンター席から立ち上がり、会計のために私のテーブル席の横を通りました。びっくりしました。何と一人のOLさんが私の空になった茶碗を取ってカウンター奥にいたママさんに手渡したのです。予期せぬ一瞬の出来事でした。

たぶん彼女はとても心根の優しい素敵な女性なのです。茶碗を無造作に持ったりしないで、両手の指をピンと外側にそらせ、親指と小指の下の膨らみ(指球)4点だけで茶碗を支える、とても器用な持ち方ではありました。

でもそのとき私は思いました。「いや、いや、いや、たとえコロナ禍のご時世でなくても、知らない人が勝手に見ず知らずの人の茶碗に触る?」。ママさんが持ってきてくれたお代わりは新しい茶碗だったのか元の茶碗によそおわれていたのか、私も気が動転していて確かめもしませんでしたが、もはやお代わりの山菜御飯は絶品ではありませんでした。

子どものころ、夕飯のときうっかり間違えて父の茶碗でご飯を食べてしまったときのあの吐き気を催す感覚、あれに近いものがあったと言ったら言い過ぎですが……。


2021年6月17日木曜日

入院に対するカナダとの温度差

 還暦を過ぎたころから定期的に大腸の検査を受けています。検査時にポリープが発見され、その場で内視鏡で切除した場合、経過観察のために1泊の入院を求められるのが標準的なやり方のようです。万一の出血などを想定してのことだと思いますが、欧米では病院で出産しても問題がなければそのまま帰宅させるのに比べ、日本は軽微な手術に対しても過度に慎重だという気がします。

 今年の5月、カナダ在住の従姉妹キャスリーンから思いがけない話を聞きました。実は2月ごろ右の乳房にしこりがあるのに気付き、検査を受けたらDCIS(非浸潤性乳管がん)だと判明した、ステージ的には極早期ではあるけれど、憂いを残す部分切除や術後の放射線、化学療法は望まないので、右の乳房を全切除することにした、との重い内容でした。

 手術予定日の6月1日が過ぎ、もちろんキャスリーン本人は術後の回復のため病院で過ごしているはずで連絡はありません。1週間してもほかの従姉妹たちからも連絡がないのでひょっとして経過が悪いのかも知れないと思い、キャスリーンの姉のヨリコに国際電話をかけてみました。

ヨリコによれば手術は無事終わり家で過ごしているというので、いったい何日間入院していたのか尋ねたら、「日帰りよ!」とのことでした。右の乳房全切除というのは私の大腸にできた7ミリのポリープを取るのと訳が違うはず。ヨリコのしゃべる英語を私が聞き違えたのではないかと思っていたら、追ってキャスリーンからメールが届き、やはり日帰り手術でノープロブレムだったと書いてありました。

 一方、私も前回の大腸検査から数年が経過し、来年の2月に検査/手術の予定を組んでいます。前回とは病院を変えているのですが、1泊入院するのは同じで、まだ8ヶ月も先の話なのに先日、別の用件で病院を訪れたとき入退院の説明がありました。差額ベッドの話や身元引受人の指名など詳細な入院の手順を拝聴しているうちに、自分は末期がんにでもおかされた重病人なのか、と絶望的な気分になってきました。

 何事にも慎重に、万一の事態に備えて入院のうえ経過観察していただけるのはとても贅沢なことですが、望めば自己責任で帰宅させてもらいたいものです。カナダの従姉妹の場合との違いはあまりに大きいです。


高知城(6/13)

深夜寝ていたら右上腕に痛みが。ムカデにやられたらしい。そのまま起きて朝4時までの高速代割引を利用して高知までドライブ。お城の駐車場に車を停め日曜市を見て回り喫茶店に。モーニングを注文したらコーヒー、トーストの他にも何故か味噌汁、コーヒーゼリー、オレンジなどが付いて豪華。最後にお茶が出てきた。

スマートな天守閣が屹立している姿は壮観。

お城の回りには名門高校が立ち並び、朝練の野球部の生徒が学校周囲の歩道の掃き掃除をしていた。旅のおっちゃんにも明るく挨拶してくれた。民度高い!

高知は四国のなかで独特の雰囲気があり、また近々行ってみたいと思う。




2021年6月10日木曜日

美味な台湾産パイナップル

   今年の3月ごろ、台湾と中国の関係が政治的にぎくしゃくするなか、中国の税関当局が突然台湾産パイナップルの輸入を禁止しました。台湾産パイナップルから害虫が発見されたというのがその理由です。台湾の年間パイナップル生産量42万トンのうち約1割が輸出に回され、そのほとんどが中国向けでした。

 春から初夏にかけてパイナップルの収穫時期直前に突然輸入禁止措置を取った中国税関の行為は政治的嫌がらせのひとつでしょう。2010年、尖閣諸島国有化問題に伴う日中対立が激化したとき、中国が日本向けに輸出してきたレアアースを禁輸したのと同じにおいがします。

 レアアース事件が日本に打撃を与えたかというと、日本は戦略物資を一国に頼る危険性に気づき、輸入先をオーストラリアやモンゴルなどに分散させるとともに、レアメタルを多く必要としない機器の開発にも取り組み、結局中国の制裁を無力化できました。

 今回のパイナップル事件も同じような経過をたどりました。台湾のパイナップル農家の窮状を聞いて大きく動いたのが日本の消費者です。ネットには「台湾産パイナップルを買いたいのだけれどどこに売っているの?」という質問があふれ、どこそこのスーパーで見かけたとか、大手スーパーが4月から大量に売り出し予定、などとにぎやかでした。

 台湾産パイナップルは甘く美味なうえ、堅い中心の軸まで食べられるというのが一番の魅力らしく、5月ごろになってようやく地元のスーパーでもお目にかかるようになりました。食べ慣れたフィリピン産のものと一線を画す甘さに感動!パイナップル表面のでこぼこの度合いも少なく、確かに芯まで独特の歯ごたえがあって美味です。

 パイナップルってこんなにおいしい果物だったのか、と改めて感動しましたが、むしろなぜ今まで安価ながら少々酸っぱいフィリピン産のものしか売ってこなかったのか、日本の果物流通業界の怠慢も感じました。中台パイナップル戦争のおかげで、図らずもおいしい果物に巡り会え、台湾農家も日本の消費者も喜んでいる現状を中国の政策当局はどう思っているのでしょうか。台湾の独立、帰属のような高度に政治的なイシューに対し子どもじみた嫌がらせを仕掛けた中国の負けはあきらかです。


2021年6月2日水曜日

コロナワクチンについて

高齢者を優先して始まったコロナワクチンの接種は、大小様々なトラブルはあるものの、岡山県でも順調に進んでいます。医療関係者への接種はほぼ終わったようで、副反応は特になかった、腕がだるく微熱が出た、という話はよく聞きます。

コロナ対策に関して、すべてが後手後手に回った政府もオリンピックの開催日が迫るなか、地方自治体に対しワクチン接種のスピードアップをするよう、かなり強引に働きかけています。マスコミも連日ワクチンを打ち終えた老人にマイクを突きつけて、「スムーズにいってホッとしました。これでひと安心です」というお決まりの感想をしゃべらせて接種フィーバーをあおっています。

ところがネット社会ではコロナワクチンに対して懐疑的な人々の意見が積極派の意見をはるかに上回っています。「バイオハザード」さながら、悪の中枢企業アンブレラ社の表の顔は製薬会社、ところが裏では密かに生物兵器を開発している、というストーリーにCovid-19を重ねて陰謀論に真実味を与えています。短期間の治験しか行っていない新しいタイプのワクチンに対する不安は否定できません。また、免疫学的、統計学的な不備を指摘する真摯な議論も数多く見受けられます。

私も一応7月に予約を入れたものの、厚労省がまとめた5月21日までの接種後死亡例85名の詳細データを見たら急に怖じ気づいてきました。ほとんどの死因は一見ワクチン接種と関係なさそうなコメントが付されていますが、接種後まもなく、それも多くの場合1週間以内に亡くなっている事実には遺族の方々もさぞ腑に落ちないことでしょう。

私のもうひとつの懸念というか疑問はワクチンの摂取量です。体格の大きいアメリカ人を対象に開発されたワクチンが人種、男女別、子ども、若者、高齢者の違い等をいっさい無視して0.3mLと決められていることの是非。シロウトの常識で考えても体重の軽い子どもや女性に対しては匙加減というものがあってもよさそうに思います。

こうした疑念を接種担当の医師に直接投げかけてみたいのですが、止めておこうと思います。医師はきっとこう言うでしょう。「分かりました。見たところあなたの体重は100kgはありそうなので、ワクチンは倍量で打っておきますね」と。