2021年10月24日日曜日

東京1泊旅行2021/10/22-23

 東京のコロナが激減しました。でもタヌキ婆さんが25日にはあらゆる規制を解除すると記者会見で述べているのをニュースで見て、来週からまた感染が増大するに違いないと思い、上京するのはこの週末以外ないと判断、実行しました。

念願のリニューアルオープンした後のアーティゾン美術館を訪れました。以前のブリヂストン美術館時代に比べ展示面積が増え、天井が高くなり、また最新の美術館運営テクノロジーが駆使されていることなど、数年がかりで建て替えただけのことはあるなと思いました。ただ照明が均一で平板なものになっていてもっと部屋を暗くし、作品にスポットをあてて欲しかったという気がしました。

夜は新宿で学生時代以来50年ぶりにジンライムを飲みながら楽しい時間を過ごしました。心が若返りました。やはり東京は特別な街。お店の皆様ありがとう。

23日は日本橋の高島屋と丸善に寄りクリスマスカードなど物色。でも買うと荷物になるので岡山の丸善で買うことにして東京駅へ。熱海のMOA美術館を初めて訪問。琳派展開催中。エスカレーターを何回も乗り継いだ先に展示室があり、山の地形を生かした美術館の構造にびっくり。

さて、帰りは羽田に引き返すか新幹線でそのまま帰るか迷ったけれど、新幹線にしてしまい後悔。こだまは遅すぎ!しかも岡山に着いたとき岡山空港に置いてきた車を取りに行くための最終バスに乗り遅れ、本日改めて車を回収。教訓。飛行機で出かけたら飛行機で帰ること!

次また上京の機会があったらせめて2泊しよう。

写真(上) アーティゾン美術館

写真(中) MOA美術館、尾形光琳「虎図」




MOA美術館から房総半島、伊豆半島、伊豆大島が遠望できました。


2021年10月20日水曜日

衆議院選挙2021雑感

 東京オリンピック・パラリンピックが終わるや否や政局が大きく動き、10月下旬、わずか10日余りの衆院選が始まりました。すでに期日前投票が開始されているというのにまだ手元に投票所入場券が届いていないという前代未聞のあわただしい選挙です。31日の投開票というのは想定よりさらに1週間前倒しの選挙であり、事務を担当する市役所職員はてんてこ舞いだと思います。

しかし市役所職員の皆様よりさらに忙しい思いをしているのは他ならぬ立候補した先生方でしょう。なかでも県内選挙区割りの面積が異様に広い3区や5区を10日ちょっとで回り切ることは素人目にもほとんど不可能に思えます。

とりわけ瀬戸内海に浮かぶ島から鳥取県との県境に面する山間地まで包含する3区の中心的都市と言えば津山市ということになるのでしょうが、この広大な地域が地政学的にひとまとまりである要素はまったく見あたりません。候補者はいたずらに連日何百キロもの田舎道を走行してひたすら「お願いします」と連呼するだけで、地域の問題や国政に関する問題を有権者と意見交換することなど到底無理だと思います。

これは何も本県だけの問題ではなく衆議院選挙そのものがかかえている問題です。かつての広すぎる選挙区問題を解決するために導入した小選挙区制ですが、地方の選挙区は全然コンパクトになっていないうえ、都会の住民の選挙権の軽さに対する不満も増大する一方です。

それに加えてさらに複雑な仕組みの比例代表制が問題をややこしくしていて、結果的には見たことも聞いたこともない候補者が次々と当選していきます。1994年に改正された公職選挙法ですが、もうそろそろ足で歩く選挙区割り制度からデジタル時代にふさわしい、地域の人口に比例した議員が誕生する選挙システムを作っていくことを検討すべき時期にきているのではないでしょうか。

国内外の情勢が風雲急を告げるなか、コロナ、風水害、地震、火山噴火等々災害が連発する日本、そんな日本で政治に意欲を燃やす候補者の皆様には心から敬意を表したいと思います。有権者としては最低限投票という行動で候補者の意欲に応えるのが礼儀であり務めだと思います。

2021年10月15日金曜日

平等院鳳凰堂


東福寺庭園。 完全な幾何学模様ではなく、右方向に石の配置が減っているところに、庭園を設計した人の遊び心を感じます。

 相変わらず汗ばむ気候ですが、コロナが落ち着いているので久しぶりに大阪京都まで1泊の旅にでました。

創業当時からよくいく心斎橋のフレンチ、ビストロダンジュは広い店内にわずか二組でした。道頓堀の人出も少なく、この夏の感染爆発の恐怖は尾をひいているように感じました。

本日は淀屋橋から京阪に乗って京都の宇治へ。大阪で長く暮らしたのに平等院鳳凰堂には行ったことがなく、初めて訪れました。両サイドのウイングには昇るための階段がないことに気付きました。国宝の展示館に鳳凰の実物が展示されていました。案外小さなものでした。

その後、東福寺に移動。50年ぶりの参拝で、建物の大きさにはびっくりでした。記憶に残っていた市松模様の庭園は逆に「えっ!こんなに狭かったのか」と意外な感じがしました。

最後は八坂神社、円山公園を散歩。足はガクガク、額から汗がポタポタ。四条河原町の喫茶店フランソワでコーヒーを飲んで今回のプチ旅行を終えました。京都も大阪同様閑散としていてちょっと不気味でした。



2021年10月6日水曜日

愛は私たちより強く

 https://youtu.be/M9qPulvWkA4

大学生になってフランス語を勉強し始めたころ、シャンソンの虜になりました。それから50年、フランス語はほとんど忘れてしまったけれど、今でも歌詞を丸暗記している名曲がいくつかあります。

クロード・ルルーシュ監督の「男と女」のサウンドトラックにあるピエール・バルーの「愛は私たちよりも強く」もそのうちのひとつです。

どろ沼の世間の中で自由に生きるか、籠の中で幸せに生きるか、それは愛が決めること...

主演のジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エメの名演技は忘れられません。

眞子さんの結婚がいよいよ近づいてきて、ふとこのシャンソンを思い出しました。1966年制作の「男と女」で歌っていたピエール・バルーは精悍な若者でした。それが何と50年後、日本のしかも岡山のライブ会場「Mo:gla」で歌うというので聞きに行ったことがあります。すっかりおじいちゃんになっていました。2016年12月、パリで没。

ともかく、
ニューヨークは泥沼ではないし、ただ有名人なだけに鳥籠みたいな幽閉感はつきものでしょうが、眞子さんにはしあわせな人生を送ってほしいものです。

人権もプライバシーもない生活を30年も送ってきたのだから一時金は受け取るべきだと思います。

ハレカハーフを利用しよう

岡山市長選で3選を決めた大森市長のテレビ会見を聞いていて初めて“ハレカハーフ”という岡山市内の高齢者や身体障害者を対象とした路線バス・路面電車の半額割引制度の存在を知りました。

割引専用ICカード、ハレカハーフには2種類あって、ひとつは65歳以上の岡山市民を対象としたもの、もうひとつは身体障害者手帳等を持っている市民を対象としたものがあります。対象路線は岡山市内を発着する民間バスの全路線および備北バスの地頭線(天満屋ー地頭)、中鉄北部バスの勝山線(天満屋ー勝山)であるとパンフに記されています。

これまで東京や大阪、京都など大都市ではシニア向けに無料または大幅割引パスを配布しているのを見聞きして、シニア世代になった私はずいぶんうらやましく思っていたものです。でも岡山市には市営バスがなく民営各社が競合するなかでそういうサービスは永久に実現できないものと諦めていたので大森さんの発言はビッグサプライズでした。

新サービスはすでに開始されていて、市役所で配布しているハレカハーフ交付申込書に名前や住所等を記入して申し込めば2週間程度で割引専用ICカードが送られてくるということです。またすべての手続きはWEBでできます。ハレカハーフカードには写真が表示されるのでそのための写真をスマホで撮って添付するのが少々めんどうでしたが、この種の電子申請制度のなかでは比較的簡単にできたという印象です。

ただいまハレカカードの到着を楽しみに待っているところです。半額というのはかなりのインパクトがあります。我が家は駅から遠く、これまで車で出かけることができる郊外型の飲食店しか利用してこなかったのですが、バスが身近になれば市内中心部のレストランでアルコール付きの食事もできるなと思います。

ハレカハーフにはうれしい3つの特典もあります。チャージ金額の8%がプレミアとして加算、前月の利用総額に応じて最大10%のプレミア加算、さらに誕生日から3日間は通常運賃から50円を引いた運賃の半額で乗れるとのことです。赤字路線の廃止傾向が止まらない民営バス業界ですが、シニア世代の皆様、ご自身の健康のため、また公共交通機関維持のため、おおいにこの制度を利用しようではありませんか。


山中鹿之助のお墓

 田んぼのあぜ道や河原が真紅の彼岸花で覆われるこの季節、松江まで1泊2日のドライブをしてきました。山陰を代表する美術館といえば安来市にある足立美術館ですが、そこから車で数分のところに月山富田城(がっさんとだじょう)という戦国時代の城跡があり、標高190メートルの月山頂上まで汗だくになりながら登ってみました。天空の城のひとつとして歴史ファンの人々に大変人気がある場所だそうです。

頂上の本丸跡からは城下の広瀬の町並みから米子市街地まで、中海、弓ヶ浜そして日本海までがパノラミックに広がり、心臓破りの急な坂を登った甲斐がありました。私は子どものころから日本史が苦手で戦国武将のエピソードなどほとんど知識がないのですが、にわか勉強したところによると、まさにこの富田城こそ戦国時代に山陰・山陽八ヶ国の守護大名だった尼子氏の本拠地だったということです。

群雄割拠の戦国時代のこと、中国地方の広大な土地を支配した尼子氏もやがて安芸の国、毛利氏との対立が深まり、1566年に滅亡、そして残されたのが「山陰の麒麟児」の異名を取った山中幸盛鹿之介(鹿介とも)ら尼子十勇士の存在です。

鹿之介については尼子氏再興のため「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名、その3度にわたる毛利氏との戦いもついに力尽きて1578年、備中松山城に近い高梁川の河原で謀殺されたとのことです。鹿之介が生まれた富田城を訪れたのをいい機会に、高梁川と成羽川が合流する場所にある鹿之介のお墓も見物してきました。わずか33年という短い生涯にあって休む間もなく大活躍した鹿之介の墓所はコンビニ、ローソンのすぐ隣にありました。だれがお参りしたのか菊の花が手向けられていました。

2021年9月末、鹿之介の時代から450年の歳月が流れ、立憲君主制の民主主義の平和な世の中です。しかし、テレビが中継する自民党総裁戦の結末は最後の最後まで「専門家」の予想をことごとく裏切るドラマチックなものでした。選挙期間中、麻生副総理が「これは権力闘争だ」といみじくも言っていたように、議員票は明日のおこぼれを狙ってあちこち大移動しました。鹿之介のように傾きかけた主君にいつまでも忠義を尽くしていては生き残れないのが世の常なのでしょう。


菅さんの功績


昨年秋に突然退任した安倍首相に代わり菅さんが総理大臣になったもののわずか1年で降板となりました。菅さんの業績に対する評価は人それぞれ。小泉環境大臣は「こんなに仕事をした政権が正当な評価を受けていない」と涙目になりながら会見で述べていました。「小泉さんもなかなかの役者やのう」とどっちらけでしたが、実際菅さんの施政下で日経平均はバブル崩壊以来の高値を達成し、無謀とも思えたオリンピック、パラリンピックも成功裏に終えることができました。

 しかしながらこの1年、相次ぐ地方選挙で与党系候補が連敗し、菅さんでは間近にせまった総選挙が戦えないとのことで、無念の降板となりました。政界の権力闘争とはなかなか非情なもののようです。

そんな菅政権の1年でしたが、国民すべてに大きな恩恵をもたらしたのは携帯料金の大幅値下げです。昨年秋の政権発足後まもなく携帯大手各社は相次いで2千円台の新プランを発表し、今年3月には実際に新しいサービスが始まりました。多くの若者はすぐさま新プランに変更したようですが、私には契約変更の手続きがやや複雑そうに思え、半年ほど様子見したあげくやっとこの9月にデータ量20ギガバイト、電話かけ放題のオプション付きプランに切り替えることができました。

キャリアメールのアドレスが消滅すること、市中のショップで気軽に相談できないことなど懸念はあったのですが、いざ携帯会社の手順にしたがってやってみたらあっけないほど簡単でした。いままでたった2ギガの容量でちょっと油断したら月初めにもう規定データ量がなくなるという悲劇から解放され、しかも料金は半額以下!どこにいても自由に情報にアクセスできる喜びを遅ればせながら味わっています。

いっぽう、旧来の契約のままの利用者、多くは「情弱」と言われる中高年の利用者からは貧弱なサービスはそのままで高額な利用料を取り続けています。菅さんの力をもってしても大手携帯各社の料金体系を抜本的に見直しさせるところまでは及ばなかったのでしょう。

現在、次期総理大臣になるはずの自民党総裁戦のまっただ中です。候補者の皆さん、大きなビジョンも大切ですが、菅さんのように身近な課題、切実な問題のこともよろしく。


2021年9月19日日曜日

岡山大学イベルメクチン治験

 9月始めごろ岡大病院がコロナ治療薬としてのイベルメクチンの治験を北里大学に協力するかたちで開始したと発表していましたが、今ごろになって山陽新聞が記事にしていました。

イベルメクチンは北里大学の大村智先生が象皮病やかいせんの特効薬として川奈のゴルフ場の土壌から分離し、アフリカ大陸の寄生虫に苦しむ人々を救った功績で製薬メーカーのメルクとともに2015年にノーベル賞を受賞した薬です。アフリカ大陸でコロナ患者が爆発的に増えないことから、アフリカでよくつかわれているイベルメクチンに予防効果と治療薬としての薬効があるのではと言われています。

現在コロナ治療薬として日本でも臨床使用が認可されていて実際、兵庫県のある診療所の医師はイベルメクチンを積極投与してかなりの成果をあげているようです。ただアメリカのFDAなどは否定的であり、日本の感染症学会も慎重です。
(アメリカでは牛馬用のイベルメクチンを人間が大量に服用して健康被害続出)

岡大治験の記事では、PCR検査で陽性になった人を入院させ2つのグループに分け、イベルメクチン投与とプラセボ投与で効果を評価するといいます。治験の宿命ですが、プラセボで症状が悪化した人はアンラッキーですね。

藁にもすがる思いのイベルメクチンですが、ここにきて抗体カクテル療法が在宅でも受けられるようになったようで、この夏首都圏で起きたような医療崩壊による自宅放置死は、岡山では現実味がないように思えます。しかし兵庫県の医師が言うように、39度の熱が出たときすぐイベルメクチンを飲めばかなりのケースで軽快するのなら、コロナ感染に対する恐怖はかなり減るのではないかと思います。北里大学での治験の結果が待たれます。イベルメクチンは大野先生が特許ロイヤリティの一部を放棄していて、薬価が安く製薬メーカーにとって開発メリットは少ないそうです。

写真は個人輸入して手元においてあるイベルメクチン。1錠12mg。

(本文は単なる私個人の意見です。正確性も正当性も保証できないのでよろしく)



2021年9月10日金曜日

お湯のない生活

今年の2月、極寒の日々を過ごしていたとき突然、実家の電気温水器が壊れ、2日ほど水が流れっぱなしになりました。「お湯が出ないとはおかしいな」と思いつつもすぐに温水器の点検をしなかった代償はいつもの数倍の水道料金になって返ってきました。水道代のこともさることながら、21世紀の日本でお湯が出ない生活というのは困りものです。

思い返せば、この温水器は40年も前から働き続けてきた年代物で、長年何のトラブルもなくいつも豊富なお湯をお風呂や台所に届けてくれました。足腰が弱って自分で入浴できなくなった母を湯船にそっと入れてあげると母はうれしそうに「いいあんばい」と喜んでくれました。

一方100歳近くになった父を風呂に入れるのは至難の業でした。もともと風呂嫌いの父でしたが、昔飼っていた犬さながら全身を使って抵抗するのには私もついに根負けして、最晩年にはベッドに横たわる父の体をお湯で拭いてあげるだけになりました。そんな思い出深い風呂ですが、秋風が吹き渡る今現在に至っても相変わらずお湯が出ません。台所での洗い物も大変です。

いまさら最新鋭のヒートポンプ電気温水器を設置しても一人暮らしではコスパが悪いので、長年の電化住宅契約をやめて、ガス給湯器にしようかなあ。ともかく工事の人に来てもらうためには壊れた温水器周辺に積み上げられた粗大ゴミの撤去から始めなければ……、それはそれでなかなか大変、よだちます(岡山弁)。

給湯器ひとつ取り替えが進まない老人になってしまった今、子どものころの日々がとても幸せだったと懐かしくなります。薪で沸かすお風呂に浸かっていると母が頃合いを見計らって追い炊きをしてくれます。近所の身よりのないおばあさんが遠慮がちに我が家のお風呂に入りにきました。そしてみんなみんなこの世を去っていきました。

幾年ふるさと 来てみれば

咲く花 鳴く鳥 そよぐ風

門辺の小川の ささやきも

なれにし昔に 変わらねど

あれたる我家に

住む人絶えてなく

(故郷の廃家、ヘイス作曲、犬童球渓作詞)

さて感傷的になるのはもうやめてガス屋さんに電話するとします。


2021年9月1日水曜日

9月になって続く大きなニュース

暑い夏がようやく終わり暦の上では秋になりました。9月という月は関東大震災(1923)、ミュンヘンオリンピック事件(1972)、アメリカ同時多発テロ事件(2001)などとても大きな災害や事件が過去に発生した特異な月であるように思われます。日本では9月には台風が頻繁に上陸するのでいっそう災害が多い月だという気がするのかもしれません。

関東大震災が発生したとき母は4歳だったのに終生「私はその日のことをよく覚えている」と語っていました。家族と離ればなれになったけれど奇跡的に再会できたというのですから、4歳児でも街全体が炎上し人々が逃げまどう東京の様子は鮮烈な印象として残ったのでしょう。

1972年9月に発生したミュンヘンオリンピック事件はイスラエルのアスリート11名が人質となり殺害された事件で、ちょうどその時3ヶ月のヨーロッパ旅行を楽しんでいた最中の出来事でした。たまたま日本人テロリストの名前の一部が私の姓と重なり、国境のパスポートチェック時によく追加質問をされました。「OKAとかOKAMOTOという名前は日本人の姓にはよくある平凡な名前なので……」と説明したらそれ以上疑われることはありませんでした。

2001年の9.11同時多発テロには本当に震撼しました。その前年ぐらいでしたか、職場の後輩君を誘ってニューヨーク観光に出かけ、当時世界一と言われたワールドトレードセンタービルの最上階にある展望台に登ったことがあります。この展望台がよほど気にいったのか後輩君は翌日も行ってみようというのでまた出かけ、エレベータに乗り込みました。

2日連続で観光に来る日本人の存在が目立ったのか、黒人のエレベータおじさん(オペレータ)が我々を見て「今日も来たのかい?」と話しかけてきました。おそらくあの黒人おじさんは崩壊したビルと運命をともにしたのではないかと思われます。

同時多発テロをきっかけに始まったアメリカのアフガニスタン侵攻でしたが、この8月末にアメリカの敗走というまさかの結末を迎えました。日本大使館職員はいち早くカブールから脱出し、現地職員や日本と関係が深い数百人のアフガン人が取り残されたという報道には暗澹たる思いがします。こういう大事件に比べると某党の総裁選などコップの中の嵐でしょう。皇族の慶事もまた。