2008年9月25日木曜日

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)


 カレンダーに“一粒万倍日”と書かれた日が毎月あります。この日に種をまくと1粒の種が1万倍になるといわれています。実証精神の旺盛な私のこと、実際に植物の生育を見守って結果をカウントしてみました。

 対象はゴマ。ゴマは成長すると1メートルぐらいの高さになり、根本から先端に向かって順番に花が咲きます。白くて筒状のかわいい花です。花が咲いたあと、莢(さや)ができ、1つの莢は4つの部屋に分かれていて各々の部屋には20粒のゴマがぎっしり。つまり1つの花からゴマが80粒前後収穫できる勘定になります。花の総数は120ぐらいですから120×80=9600。みごと理論上は万倍になりました。

 さて、畑で刈り取ったゴマは根本近くの莢はすでに完熟していてはじけています。貴重なゴマをなるべく落とさないように気をつけながら庭に広げたシートに並べ天日に干し、毎日1回たたいてゴマを莢から出します。それを集めてゴミを風で飛ばし異物を取り除き、水に漬けて中身が空のゴマを浮かせて除去。そしてまた乾燥・・・と際限のない作業を繰り返してできた完成品が“洗いゴマ”です。

 こうしてできた自家製無農薬ゴマはたったの500グラム。播いた種は5グラムだったので、あれっ?計算が違う!万倍ではなく、百倍にしかなりませんでした。

 一方、500グラムのゴマを収穫するのにかけた労力は少なく見積もっても20時間は費やしたはず、時給千円として2万円。どうやらコストだけはまちがいなく輸入品の万倍かかりました。

 なお、一粒万倍日は種まきや新規開店には吉ですが、借金をすると万倍になるので凶だそうです。

事故米


 もう20年前ぐらいになりますが、霊幻道士という香港製の娯楽映画が大ヒットし、日本でも子供がキョンシーの真似をして、両手を前に突き出しピョンピョン飛び跳ねていたものです。

 シリーズの何作目かの作品に、キョンシーを撃退するにはもち米が卓効を示すという話がありました。主人公の男は米屋からもち米を買って待機、まもなくやってきたキョンシーに米を投げつけたところ、キョンシーは一瞬ひるむだけであまり効き目がありません。

 男が不思議に思って米を調べたら、何ともち米にうるち米が混ざっていたのです。米屋の仕業でした。値段の安い普通米をブレンドして客をだましていたのです。

 主人公がキョンシーの再来に備えてインチキ米をざるに広げて一粒づつもち米を選び出しているシーンはおかしくも泣けるものでした。

 今でもこのシーンをよく覚えているのは、何と言ってもそこに香港流のユーモアとペーソスが絶妙な味をもって表現されていたからですが、香港や中国ではわずかな利益のためにまさかそんなせこいことをするのだろうか?、うそだろう!という強烈な驚きがあったからです。 しかし、今回の事故米騒動をみていたら農林水産省や食糧取り扱い業者がやっていることは香港の米屋よりよほど悪質かつ大規模であることに愕然。

 事故米の多くがもち米だったということは正月にスーパーで山積みされる餅は大丈夫なのか、きわめて怪しいです。 事故米が使用された焼酎や和菓子は全商品を回収して消却するしかないと思いますが、懲りない食品業界のこと、今度は回収された食品が家畜の飼料に化ける心配があります。それほど食の安全に対する信用は地に墜ちています。

 福田首相は最後の仕事として即刻太田農水大臣の首を切るべきですが死に体内閣にもうそんな力は残ってないでしょうね。

2008年9月9日火曜日

クソ教育委員会


 ”クソ教育委員会”とは、橋下大阪府知事が府下市町村教育委員会が学力テストの成績を公開しないのをなじって発した言葉です。

 知事の発言は穏当とは言えませんが、抵抗する教育委員会の姿勢も理解に苦しみます。大阪は全国レベルからみて最底辺にあることは仕方ない、しかし自分の市町村が府内で最低であるようなことだけは絶対ばれてはいけない、と各市町村は考えているのでしょう。

 知事は一筋縄でいかない市町村に対し次は兵糧責めをちらつかせ泥仕合の様相を呈してきました。クソ呼ばわりされる教育委員会にしてみれば、公安委員会などとともに知事部局から独立した組織にズカズカ踏み込んでくる知事に対し強烈な反発があることは当然です。

 ともかく不名誉な事実が白日の下に曝されてしまったからには、知事も教育委員会も学校もなりふりかまわず児童の学力アップに邁進していくことだけは確か。ではどうやって点数を上げるのでしょう。地道にちゃんと教育していくようなやり方では即効性がありません。

 ズバリ、学力テスト当日はできない子に臨時休暇を与える、テスト前日に先生が試験のさわりの部分をそれとなく児童に教える。

 そんな馬鹿な!と思われる人がいるかもしれません。しかし昔はそんな工夫は全国どこでも行われていました。教育県愛媛の事例などつとに有名。

 そもそも文部省が日教組の反対を押し切って学力テストを開始したのは半世紀も前のこと、皮肉屋の父は、「日本は徴兵制度の復活を目論んでいるんじゃないか、そのために全国レベルで児童の学力を把握しておきたいのだろう」などと言っていましたが、父の見通しはみごとに外れました。

 外れてよかったと思います。学力テストの成績を巡って不毛なバトルをやっている平和な日本が好きです。

2008年9月4日木曜日

祭りのあと 


北京オリンピックでは期待のマラソンや野球がみじめな結果に終わったものの日本人には無理と思われていたトラック競技でメダルを取ったり、だれも注目していなかったフェンシングで銀メダルを取る若者が出現したりでテレビ中継を見るのが楽しい2週間でした。

 祭りも終わり、異常なまでの猛暑もあっけなくどこかへ行ってしまい、今年は安倍政権が崩壊した昨年とは違い静かな秋が来るはずでした。

 ところが台風でもないのに各地で大雨が降り、人も家も流され、多くの犠牲者が出ました。そんな天変地異の中、人間の世の中も狂い始めました。

 またまたお騒がせ、ぶって姫の茶番劇。しかしこれこそその後の不幸な政治的空白劇の前座だったとは夢にも思いませんでした。

 9月1日、防災服に身を固め朝から忙しく大阪まで往復してのパフォーマンスを見せていた福田首相がゴールデンタイムに合わせたかのように辞任の記者会見を開いていました。

 国家の最高責任者として危機管理能力が一番問われる日に辞任表明するセンスはいかがなものでしょうか。

 しかし、福田さんのおかげで姫井氏のどたばた劇や太田農水大臣の事務所費問題などふっとんでしまい、代わりにまたもその存在がクローズアップされてきたのが、マダム回転寿司こと小池百合子氏。

 強運も手伝っているのでしょうが、いつも自分を絶妙の政治的ポジションに置いています。昨年安倍政権が崩壊したときはいち早く泥船から逃げていました。

 権力志向がだれよりも強く嗅覚のするどさは天下一。政治、経済、年金、福祉・・・何もかも八方ふさがりの今の日本に風穴を開けることができるのは小池氏をおいて他にいない気もします。

 まもなく稲刈りの季節ですが、日本のライスは鉄の女と言われたサッチャーになれるのでしょうか。

2008年8月27日水曜日

カイコ(2008年9月1日)


 夏休み、NHKの”ラジオ子供電話相談室”によせられる子供達の質問を聞いていると子供にとって依然として世界は驚異に満ちあふれた場所であることが再認識されます。

 「カイコは人間が何千年もかかって育ててきた家畜で飼育箱から絶対逃げていかないんだよ・・・」などという先生の説明を聞きながら私も子供時代カイコを飼ったことを思い出しました。

 卵からかえったばかりのカイコは真っ黒で大きさは2ミリほど。そのころ家には桑の木がなくて近所から葉っぱをもらってきてはカイコに与えたものです。

 手のひらに載せたカイコはおとなしく、柔らかいくせに弾力がありしかもひんやりとした感触が伝わってきて気持ちいい。そしていつのまにか大きな芋虫に成長します。

 やがてカイコの体に異変が起き皮膚が半透明になってくるともう桑を食べるのもやめてしまい、糸を口から吐き出しながら繭をつくり始めます。やがて繭からはもとのカイコとは似ても似つかない蛾が出てくることの驚きと神秘。そして蛾がまた卵を産んで元のサイクルに戻る不思議。カイコは子供が夢中になるカブトムシなんかよりはるかに教育的示唆に富んだ生物です。

 人間も今70歳以上の戦争体験者は、人生の節目節目でカイコのように鮮やかにきっぱりと過去のイメージを捨て去りながら世の中の動きに適応して生きてきたんだ、ということが一回り上の世代の人の文学作品やエッセイを通してよく分かります。人間としてちゃんと成熟しています。

 それに引き替え戦後世代の私はカマキリやバッタのように幼生のころの姿そのままに図体だけがいたずらに大きくなってむやみに斧を振り回してはバタバタしているだけ、そんな気がします。

還暦同窓会(2008年9月8日号)

 自分が生まれ育った岡山市福田学区にある実家で親の介護に明け暮れる日々を送っていることは幸せなことかもしれません。でも生涯ずっとここにいたのかというとそうではなく、小学校3年の3学期が終わった直後、隣の妹尾学区に家中で引っ越ししました。

 引っ越した理由は、どちらも教師だった両親が兄と私を岡大附属中学校(附中)に行かせようと思ったのですが、当時附中の学区は旧市内、妹尾、吉備、中庄、倉敷に限定されていて福田学区にいては受験できなかったのです。

 そんな理由で生まれ在所を捨てた私はいつも地元の友達を裏切ってしまったという引け目があって還暦を過ぎた今でも幼なじみたちに会うのがやや苦痛なのです。

 しかしそんなことを苦にしているのは私のひとり思い、先日河口メロン園の河口君から「こうちゃん、今度還暦同窓会するからこられー」とお誘いがありました。卒業していない学校の同窓会に出かけるのはいくらなんでも厚かましすぎるし、7歳から9歳までのたった3年間机を並べただけの旧友に50年ぶりに会うというのも何やら気恥ずかしいし大変勇気がいること。

 さんざん迷った挙げ句、欠席としたハガキを村の郵便局のポストに投函したところを偶然河口君に見つかってしまいました。「今欠席のハガキを出した」と言ったら、「おえん!ハガキが届いたらこっちで勝手に出席に変えとく」と押し切られました。

 1学年100人前後でしたが40人も出席するとはすばらしい、地元で足を地につけて生きてきたみんなの顔が浮かびます。ただ日航機墜落事件で犠牲になったY君はじめガンや事故でなくなったものも何人かいるようで50年の歳月の長さを感じます。

 河口君によれば「還暦同窓会はまたの名を東山へ行く準備会」というそうです。(注。東山=岡山市の斎場があるところ)

2008年8月11日月曜日

北京五輪開会式

 北京オリンピックの前評判はあまりパッとしないものでした。チベットや新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧、四川大地震、深刻な大気汚染、セキュリティチェックの異常なまでの厳しさなどどれひとつとっても中国史上最大のイベント開催に水を差すものばかり。

 思うように準備が進んでいないと思われていた中国当局のなりふりかまわないやり方に対し、マスコミは一貫して批判と揶揄嘲笑をもって接してきました。

 ところが2008年8月8日午後8時、開会式が始まるや否や、批判的な論調は一瞬にして絶賛の嵐に。私も感動しました。

 圧倒的なスケールと芸術性の高さ。同じ人海戦術でも北朝鮮のアリラン祭のマスゲームのような不気味さはなく、”鳥の巣”の1万4千人のパフォーマー一人ひとりに個性が感じられました。そこには中国がちゃんとした方向に向かって発展している気配がありました。

 中国もなかなかやるではないか!というよりもこんな度はずれたスケールのイベントは中国といえどももう二度とできないんじゃないかと思います。

 民主化が進むとともに国家権力が弱まり、住民の権利意識が向上し、熱病がさめたら、不要な人間を何百万人も北京から強制退去させたり、古き良き伝統的な町並みの胡同(フートン)をいとも簡単に取り壊すことなんてできませんから。

 それにしても私がこの壮大なスペクタクルを見たのはワンセグ携帯の豆粒のような画面を通してでした。どうせ大したことはなかろうとタカをくくって買い物に出かけていたのが悔やまれます。

 家電業界の宣伝を素直に信じてこの際、大型画面の地デジテレビを買っておくべきでした。 

2008年7月29日火曜日

”誰でもよかった”

 秋葉原の通り魔事件以来、類似事件があちこちで頻発しています。こうした事件の凶悪さ、結果の悲惨さに比べると、犯行動機がきわだって幼稚なのに驚かされます。

 一連の事件はおおざっぱにいって2つのタイプがあるように思えます。ひとつは事件を起こすことで自分の存在を周りの人にアピールするタイプ。 

「親がかまってくれなかった」、「世間に無視された」、「ネットに犯行予告を書いたのに誰も本気にしてくれなかった」など幼児が親の気を引こうとしてすねたりふてたりするのとそっくり。

 もうひとつは、厭世的になり自殺しようとしてもひとりではいやなので、見ず知らずの他人を道連れにしようというタイプ。

 JR平塚駅で女がナイフで通行人の男性7人をつぎつぎと刺した事件の動機は、「父親を殺したいと思ったが、それもできず、人を道連れにして死のうと思った」とのことです。

 死にたいのならひとりで青木ヶ原の樹海に行け、とでもいいたくなるような支離滅裂な供述です。

 しかし彼女の言葉には、家族間の葛藤が家庭内で解決できないとき、その暗い情熱が外に向かって流れ出し、見ず知らずの人を道連れに破滅に向かう”未熟成人”による犯罪の特徴がよく表れています。

 家庭が家族ひとりひとりを育ててゆくホームとして機能していないばかりか今や最大のストレスの温床であり、ときには家が戦場にさえなっている現代社会、この構造が変化しない限り”誰でもよかった”殺人事件が終息に向かうことはありえないと思います。

2008年7月16日水曜日

返品ポリシー 

 本格的なリセッションに突入し、日経平均は業種を問わずコンスタントに右肩下がりを続けています。

 そんな中、若者向け衣料品の開発・販売を手がけているファーストリテイリングの株価はここ2ヶ月間一貫して上昇。その秘密を探るべく倉敷のイオンモールにあるユニクロに行ってみました。

 メタボな中年おじさんとしてはいかにも店に入りにくい、でもショーウインドウに展示してあるハーフパンツが1990円ときては買わないわけにはいかない、と勇気を出して売場に突入。

 広い店内を一巡して、デパートやスーパーにはない独特のユニクロ商法の一端が見えました。

 商品の種類はきわめて限定的なのに対し、サイズやカラーバリーションが豊富であること。単品で1990円の商品が2つでは2990円と抱き合わせ効果が絶大であること、下着などは近所のスーパーよりも安いなどなど。

 ハーフパンツや襟付きのシャツなど数点購入したのですが、合計で1万円でおつりがきました。感激!

 しかしもっと感激することがありました。独特の交換、返品ポリシーです。

 「値札を取ってしまったらだめですよね」と私が言いかけると、「大丈夫です。着用して洗濯したものでも、ユニクロの商品であることを示す縫い込みタグさえ確認できれば交換、返品できます」とのことでした。

 レシートがなくても、いったん着たものでも返却してかまわないという発想をユニクロだけのものにしておくのはもったいない。

 私が返品したいもの。マニフェストを反古にする政党、スキャンダルしか聞こえてこない国会議員、買えば下がり、売れば上がる株。
     

2008年7月12日土曜日

「ぶって姫」騒動(2007年9.24号)



 岡山市西部の我が町は今「ぶって姫」こと姫井ゆみ子参議院議員のスキャンダルでにぎわっています。というのも彼女と「愛欲の6年」(それにしても下品な表現!)を過ごした元教師が勤めていた中高一貫校があるからです。

 色白で顔面蒼白、しかも分厚い眼鏡をかけ高校生にしてすでにメタボ症候群を発症しているような体型の生徒たち。地元の中学生がたくましく日焼けしているのと対照的に、力無く自転車をこぐスタイルを見ただけでここの生徒だと分かります。

 そんな勉強一筋、受験のことしか頭にないような学校の生徒にとって、硬派で剣道7段の先生がいきなりテレビであることないこと議員との写真を数百枚を提示しつつ赤裸々に語ったのだから、生徒や保護者、学校当局の驚きと狼狽はいかばかりだったか想像にかたくありません。

 でもこういう教師って卒業して何年も何十年も経つと一番記憶に残っているんですよね。人間とは理性ではなくもっとどろどろしたもので生きていることを身をもって示してくれた先生として。

 何だか岩井志麻子の小説に出てくる男女の愛憎破局物語みたいな今回の騒動。当の「ぶって姫」はスキャンダルをものともせず、「姫は姫でもやんちゃ姫にございます」などと芸者スタイルで即興劇にまで登場していますが、いったい頭の中はどうなっているのか、今はやりの「脳内メーカー」で見てみました。

 脳みその8割は「H」、残り2割は「欲」と「金」で埋め尽くされていました。