2020年6月24日水曜日

現代の鎖国

日本史で習った江戸時代の鎖国っていったいどんな感じだったのでしょうか。鎖国していても現実には外国からいろいろな道具や嗜好品などが長崎を経由して日本に持ち込まれていたと思いますが、やはり庶民にとって外国とは日常生活に縁のない遠い存在であったに違いありません。
一方、当時の日本人は外国で起きるさまざまな戦争、動乱、革命、疫病の流行、宗教の対立等の混乱など知る由も、それらに悩まされることもなく、日本独自の文化を育み、人々は仕事と趣味を調和させ、貧しくとも平和な生活を築いていたものです。そして1867年、大政奉還があり、鎖国は解け明治という疾風怒濤の時代に突入しました。
日本は急速に近代化し、敗戦、高度経済成長等いろいろあり、2020年の現在、世界はすっかりグローバル化しました。がここにきてまさかのコロナ鎖国の復活です。もちろん動けないのは人間だけで、物流、情報、通信は従前通り機能しています。
4月初め、カナダの従姉に「大葉」の種を航空便で送ってあげました。「大葉が好きなのだけれど、種が手に入らない」と言っていた彼女の希望をかなえることなど簡単なことです。スーパーで種を買って封筒に入れて郵便局で投函するだけ。
ところが1週間過ぎても1か月過ぎても「届いた」とのメールが来ません。そして我が家の庭でうっとうしいぐらい大葉が茂りだした6月半ばになってやっと届きました。考えてみると郵便局は引き受けてくれたけれどカナダ行きの直行便がない現状では、大葉の種が入った封書はいったいどんな旅をしたのでしょう。横浜からバンクーバー行きの貨物船に乗せられたのかもしれません。
このように物流は確保されているといっても、本来1週間で届くものが2か月を要する例もあります。同じく情報はテレビやネットでちゃんと伝えられているはずですが、現地に出かけて自分で見聞きしたものとは迫力も生々しさも違います。大葉の写真からあのさわやかなにおいが伝わってこないのと同じです。

外国旅行がいまだ解禁にならない現代の鎖国状況のなかで、今一番の望みは国際線の飛行機の席に座ること。安全な行き先が少ないのがやっかいですが、ニュージーランドあたりなら問題ないのではないかと“開国”の日が待ち遠しいこのごろです。

2020年6月17日水曜日

マロン、肛門嚢胞炎

2週間前の金曜日、マロンの様子がおかしいので調べたらお尻が赤黒く腫れていて、すぐにせのお動物病院に。
そろそろ完治してもいいころなのに、かさぶたができているのでカラーを外せないし、食事の補助が大変。一度、食事時にカラーを外してやったら、治りかけていた傷口を舐めて出血し、元のもくあみに。それ以来エサを食べ終わるまでずっと監視し、食べ終えるとすぐ捕まえてカラー装着。今ではどこにもぶつからず器用に家の中を歩き回っています。

2020年6月16日火曜日

芭蕉


昭和23年ごろ、家の新築と同時に父がどこからかもらってきて植えた芭蕉が72年後の今も絶えることなく東の庭に育っています。ある程度大きくなったら花が咲いて小さなバナナが現れ、バナナは大きくなることなく、木そのものも枯れていきます。
長年身近にある芭蕉って分類学的にはどこに位置付けられるのか、ふと知りたくなってWikipediaを見たら、何と生姜の近縁種でした。そういえば、地下茎で繁殖し、花の構造も茗荷に似ています。
道路にはみ出すように大きな花を咲かせるので、小学生なんかが、「わっ! バナナがなってる」と見上げて通りすぎます。
近年、岡山で耐寒性のあるバナナが栽培されマスコミがよく取り上げています。冬の冷え込みが昔ほど厳しくないので、もしかしたら耐寒バナナを栽培するのも夢ではないかもしれません。

2020年6月15日月曜日

梅雨入り

今年の梅雨はいきなり大雨で始まりました。例年なら梅雨の末期によくある集中豪雨に似た激しい降り方に真備の悲劇が思い起こされます。
日曜日、今にも落ちて来そうな暗い空の下、総社から矢掛にかけてドライブしてみました。小田川流域の水没した町並みは今では傷跡が目立たないまでに立派に復興していました。被災された住民の大変な努力のたまものと頭が下がります。
道路沿いの農家の庭先には、ナス、トマト、キュウリ、トウモロコシがはやくも実を付け収穫の時期を待っています。連休前、野菜の苗が植えられ、種が蒔かれたころは新型コロナの真っ最中で、世の中から人も車も消えてしまったような状態でした。
私も野菜畑を少々持っていますが、コロナ隆盛期のころは野菜の植え付けに関して何もする気になれず畑は荒れるにまかせていました。感覚的には何だか、自分の内部にある季節を感じるセンサーが麻痺してしまったような今年の春でした。
ところがやはり農家の人には季節の移ろいを何よりも大切にする習慣がほとんど本能のように備わっていて、ちゃんと適期に野菜の苗を植え、田んぼでは籾を蒔き、例年通りのペースで田植えが終わっています。
梅雨に入って、私も遅ればせながらホームセンターに出かけキュウリやゴーヤの苗を買ってきました。インゲンやササゲはこれから種蒔きしても十分間にあうので植えてみようと思います。
思えば、コロナさえなければ今ごろはオリンピックの開幕を前に日本中が大フィーバーを起こしている最中だったでしょう。まったく戦争に匹敵する犠牲者を出し、未曾有の経済的、文化的、心理的損失をもたらした新型コロナウイルスの世界的な流行は当初の甘い見通しをはるかにくつがえすものでした。東京都知事でさえ(だからこそ)3月末ごろまでオリンピックは開くと公言していました。ほんとうに世の中一寸先は闇とはよく言ったものです。
一方、農家の庭先に植えられた野菜が季節どおりに実り、例年どおりツバメが農家の納屋の天井に巣を作って子育てしているところを見ると、自然の営みほど安心確実なことはありません。慈雨が田んぼの稲をはぐくみ幾多の水辺の植物や動物を養う6月の田園。ただ集中豪雨だけはご遠慮いただきたいものです。

2020年5月27日水曜日

クワの実が熟れる季節

5月末から6月初めにかけての梅雨前、晴天に恵まれた日が続きます。家庭菜園ではタマネギやニンニクの収穫適期になり、また連休中に植えたナス、キュウリ、トマトがぐんぐん大きくなる季節です。今年は3年ほど前に庭に植えたクワの木に実がたわわになり始め、手を紫に染めながら一つずつ収穫しています。ジャムにするとこれが絶品なのです。
そういえば、童謡の「赤とんぼ」にクワの実が登場しますね。
「赤とんぼ」
夕焼、小焼の、あかとんぼ
負はれて見たのは、いつの日か。
山の畑の、桑の実を、
小籠に、つんだは、まぼろしか。
十五で、姐やは、嫁にゆき、
お里の、たよりも、たえはてた。
夕やけ、小やけの、赤とんぼ。
とまっているよ、竿の先。
(三木露風作詞、大正10年、歌詞の表記にはゆれがある)
「赤とんぼ」という題名から私は長い間、季節は秋と思いこんでいたのですが、よく考えるとクワの実が熟すのはちょうど今ごろなので「あれっ?何か変」と思いました。でも歌詞の流れを追っていくと一つの年の初夏とか秋の出来事を描いたのではなく1番から4番まで歌詞をたどっていくと、そこには十数年ぐらいの歳月が流れていることがはっきりしてきました。
まだ歩くことができない幼児のころ、姐やに負われて夕焼けを見たのが1番、少年になって山の畑にクワの実を取りに行ったのが2番、そして3番は子守り奉公をしていた姐やが15歳で嫁に行ってしまった、そして4番では何とも甘酸っぱく少しさびしい記憶の流れを大人になった現在懐かしく思い出している。
三木露風のような詩人でなくてもどんな子どもも桑の実には何か郷愁を感じるのではないでしょうか。それが今や我が家の庭に何本も育ち、しかも品種改良のせいもありひとつひとつの実が大きいのです。

ざる一杯実を採ってきて軸などは取り除き、ざっと水洗いした桑1キログラムに対し砂糖400グラム、ペクチン、レモン汁を加え煮ていきます。煮詰めていけばジャムになりますが、私はまだ流動性が十分残っている状態で火を止めます。ミルクやヨーグルトとの相性が抜群。びっくりするぐらいおいしい桑の実プレザーブの完成です。


2020年5月20日水曜日

緊急事態宣言解除になって

新型コロナ感染症の流行にはずいぶんハラハラさせられましたが、5月も半ばを過ぎた昨今、状況は目に見えて沈静化してきました。そして北海道および首都圏4都県以外の府県では緊急事態宣言が解除となり、デパートや飲食店も再開され街に活気が戻り始めました。
ところが自治体の長やマスコミの論調を聞くと何やら人出が戻ってきたことを素直に歓迎していないような口ぶりなのが気になります。国が宣言を解除したのは、今までステイホームで経済活動、人と人との交流など国民生活が死んだようになっていた状態から目を醒まし日常を取り戻すためだったはずなのに、です。
そう言えば「3密」という東京都知事が流行らせた言葉の定義も最初は、密閉、密集、密接の3つが重なることは避けなさいということだったはずなのに、いつのまにかこれら3つのいずれか一つでもあればダメと拡大解釈されてきました。
そして岡山県知事の「岡山県に来たことを後悔させてやる」発言です。これは岡山県に限らず全国あちこちで他府県ナンバーの車が攻撃されるという常軌を逸した行為にまでエスカレートしました。ひどい例では駐車した車に傷が付けられるとか他府県ナンバーの車を写真に撮ってネットにさらすなどということも行われたようです。
そもそも政府が緊急事態宣言を発した理由は感染爆発により医療崩壊が起こることを避けるという明確な目的があってのことでした。つまり、新型コロナウイルスには今のところ有効なワクチンも特効薬もないが、病院で対処できる範囲にダラダラ流行を下げることで、遠くない将来コロナと人間が共存できるところまでもっていきたいので、国民の協力をお願いしたいという趣旨でした。
ところが真面目かつ集団同調的な国民性もあって過剰な自粛や他府県民攻撃、陽性者・医療従事者いじめなどが起きたものと思います。統計学的に見てひとまず流行は終わったと見なしていいにも関わらず、マスコミは早くも「第2波、第3波を警戒せよ」と危機感をあおってきます。

コロナとは「適当に」つきあっていかないとそれこそコロナの思うつぼ。新しい患者がぽつぽつ出ても騒ぎ立てない、第2波が来たらそのときまた対策を取るというスタンスで十分ではないかと思います。

2020年5月13日水曜日

無意識のうちに逆走!

 高速道路を逆走して大事故を起こす高齢ドライバーの存在は一種の社会問題と化しています。対向車と正面衝突して双方の車に死者がでることも珍しくありません。
 高速道路を逆走してしまう主因はサービスエリアやパーキングエリアで休憩した後、出口ではなくもと来た方向へ走ってしまうことにあるようです。「そんなバカな!あり得ない」とニュースを見ながら高齢ドライバーにあきれてしまう私ですが、そのありえないことを先日自分でやってしまいました。幸い高速道路でなかったこと、信号付近のできごとであり、双方向ともすべての車が停止中だったことにまず感謝です。
 家のすぐ近くという訳ではないのですが一応生活圏にあるコンビニにでかけたときのことです。信号機のある交差点の角地にある大きなコンビニです。駐車場の一方は細い田舎道に面し、もう一方は片側2車線で中央分離帯をはさんで反対車線が2車線ある立派な道路に面しています。
 昼間たまに立ち寄るときは全然問題ないのに、先日夕方暗くなってそのコンビニに行った帰り、4車線道路を何故か上下2車線と勘違いし、右折して「左車線」に入りました。正面の信号は赤で停止。すると交差点の真向かいの車がライトを激しくハイビームとロービームを繰り返してきます。「えっ?私がハイビーム?」と頭をひねっていたら、助手席の同乗者が「逆走してる!」と絶叫。ようやく私も異常事態に気づいて信号が青に変わる寸前に交差点のど真ん中を横切って本来の走行車線に進むことができました。いやはや、自分の車の真っ正面にヘッドライトをつけた車があること自体おかしいのに、対向車から激しくパッシングされるまで気づかないなんて!
まったく無意識のうちにこんなとんでもないないことをしでかしてしまい、同乗者も対向車の方もさぞ肝を冷やされたことと申し訳なく思うとともに、「このようにして逆走が起きるのか」と怖くなりました。後日問題のコンビニの駐車場を見に行きました。とくに看板のようなものはなく、できれば「←お帰りは左折のみ」とでも案内標識があったらと思いました。昼間なら絶対(たぶん?)間違わないのに夜間の運転はこんなところにも落とし穴があったのか、と逆走は他人ごとではないことが身にしみて分かりました。

2020年4月24日金曜日

学生時代に戻って

親を送り、後はお迎えがくるのをゆっくり待っていればいいけっこうな年齢になりました。おまけに世界はいま病理的にも精神的にもすっかりコロナにやられて自粛ムードです。
少し前までは、引きこもりの人々に対して、がんばって社会の中へ出ていくようあの手この手で家族も行政もやっきになっていたのに、今は「ステイ・ホーム」の大合唱。この状況は引きこもりの人だけでなく、用済み、することなし年代の我々にも案外居心地がいいものです。
こういうときこそ家にこもり、人生でし忘れたことを確認するいいチャンスとばかり、学生時代にNHKラジオ2放送でお世話になった「フランス語入門」講座のテキストを読み返すことにしました。「入門」とはいえ昔の語学講座は非常にレベルが高く、はっきり言って初学生が簡単についていけるようなものではありませんでした。だからこそ放送が終わっても、いつか読み返そうと思い、テキストは捨てることなくその後の50年以上の長きに渡って私の引っ越しに同行させ、1冊も失うことなく今も書棚に並んでいます。
さいわい今回は孤独な学生時代と違って私の目論見に賛同してくれる人がいました。中学校時代のクラスメートで大学卒業後フランスに渡り舞踏家として名をなしたKさんです。30年ぶりに帰国し今でも第一線の舞踏家として活躍する一方、カルチャー講座でフランス語を教え、非常に忙しい日々を送っている人ですが、今の自粛ムードの中ですっかり活躍の場を奪われけっこう退屈している様子なのです。そこでいっしょにフランス文学論を読んでみよう、と声をかけたら即OKになりました。
1回目として1969年ごろ放送されたフランス語入門応用編に掲載されたフローベールの「感情教育」に関するテキストをコーヒーカップ片手に1時間ほどで読みました。
20歳のころ、同じ東京の空の下で学生生活を送っていたのにまったく出会うこともなく、社会に出てからは、私は大阪、Kさんはパリで現役時代を過ごしたことになります。それがいまや年を取り、コロナのおかげでまるで中学校時代に戻ったようにフランス文学を語っているのですから、人生もなかなか捨てたものではないな、と密かに思います。

2020年4月15日水曜日

最近気になる言葉

(たてつけ) 
前代未聞の感染症の拡大で国と都道府県の間に溝ができ、両者の間でいろいろ議論が戦わされています。そうした折りによく聞く言葉に「たてつけ」というのがあり、耳障りな言葉だなあ、と思うのは私だけでしょうか。「立て付け」あるいは「建て付け」とはもともと大工さんが使う言葉で、たとえば鴨居なんかがゆがんでいると障子やふすまはガタピシ、スムーズに開け閉めできません。こんなときに「建て付けが悪い」というのではなかったかと思います。
 ところが最近、大臣や知事の皆様が好んで「たてつけ」という言い回しを使っています。「法律のたてつけがそうなっているので……」というのが典型的な用例。一見分かりやすい言葉でありながら、実は有無を言わさず「そういうご要望には応えられません」と国民、都道府県民を言いくるめているような気がします。
そこには裏で政治家を操る官僚たちの巧妙な言い訳、責任逃れの悪知恵が隠されていると言ったら言い過ぎでしょうか。たてつけの悪い法律はいくらカンナで削ったり他の木切れをはさみこんでもいまくいきません。きちんとした法律や条例の改正で国民、県民の切実な要望に添ったものに作り変えてほしいものです。
(オーバーシュート)
 「オーバーシュート」という言葉はだれが使い始めたのかよく知りませんが、たぶん感染症の専門家たちでしょう。原義は「度を越す、行き過ぎる」という意味でしかなく、英語圏では感染症の爆発的な拡大の意味では通じないそうです。どうやら日本の感染症の専門家たちがあえてインパクトのある和製英語を仕立てたというのが実状らしい。「鬼面人を驚かす」、つまり、見せかけの威勢を示して人を驚かすつもりでしょうが、そんな言葉に(おど)される日本人はいないでしょう。

 ほかにも今回の事態で登場した言葉に「クラスター」があります。私はすぐに「クラスター爆弾」のことを思い浮かべました。一つの爆弾のなかにいくつもの小さな爆弾がブドウの実が房をなすように仕組まれたとりわけ非人道的な兵器です。確かに感染の拡大の様子はクラスター爆弾を投下したイメージにぴったり。「クラスター」という言葉に関しては異議を唱えません。(私の主張もかなりいいかげんですね)

2020年4月8日水曜日

日本の至宝ビジネスホテルを世界に

 新型コロナウイルス感染症の拡大にともない東京など大都市では病床がほぼ満杯です。そのため東京都はついに軽症者を病院から民間のホテルに移し始めました。そこで出番になったのが商用客、観光客とも激減のビジネスホテルです。
 ホスピタル(病院)からホテルへと言うと何だか語呂合わせのように聞こえますが、この二つの言葉の語源は同一で、元々はラテン語のhospitale、客をもてなす場所、から来ていると学生時代に教わりました。旅人あるいは病んだ人々を暖かくお迎えするという意味で病院とホテルはそんなに違いはないでしょう。
 余談はさておき、20代のころからヨーロッパを中心に一人旅を度々繰り返してきました。しかしいつも不便、不経済この上ないと不満に感じてきたのが外国のツインベッド主体のホテルです。シングルルームなんてほとんど存在しません。たとえシングルで予約を取っていてもいざ部屋に入ってみるとツインベッドがデンと構えています。
 そんな外国のホテル事情に比較してしみじみいいなあと思うのが我が日本のビジネスホテル。今回東京で新型コロナウイルス患者を受け入れることになった東横INNチェーンは、私も常日頃お世話になっていて、本当によくできているなと滞在するたびに感嘆します。
 一人旅の私には機能的で清潔な部屋、寝心地のいいベッドがあれば十分。ただ全国どこで泊まっても部屋の作りやインテリアまでもが同一で、例えば、今日は博多、明日は熊本、そして大分と移動しても、翌朝目が覚めたとき一瞬「ここはどこ?」と滞在場所の見当識がすぐにはよみがえってこないのが難点です……。
 それにしても、こんな便利で快適なシングル主体のホテルがなぜ外国では皆無なのでしょうか?そのことは日本発のパック旅行にも大きく影響しています。例の「お一人様参加追加料金」です。我ら「お一人様」にはとんでもなく高い追加料金上乗せがあるので、せっかくの格安パック旅行が遠く手の届かないものになってしまいます。
 ラグジュアリー感には欠けるものの日本が発明したビジネスホテルこそ世界に誇りうる至宝のインフラ。現在東横INNは韓国等にもチェーン展開していますが、業界にはパリやニューヨーク等欧米の主要都市にぜひ1000室規模のシングル主体のホテルを作ってもらいたいものです。