2022年8月24日水曜日

同期の桜

 両親とも小学校の教師をしていたため、家にはオルガンがあり、父は器用にもよく軍歌を演奏していました。父の十八番の「同期の桜」が始まると母は血相を変えてオルガンが置いてある2階に駆け上って「お父さん、軍歌なんか弾くのやめて下さい、隣近所に恥ずかしいじゃないの!」と制止していました。

しかしながら純粋に音楽として捉えると軍歌はリズム感といい心に響く歌詞といい名曲の要素が詰まっています。子ども心に「同期の桜」の歌詞中の“同じコクタイの庭に咲く”の部分、意味は不明でもなぜか素敵!などと思っていました。しかし耳で覚えて歌っているととんでもない誤変換が頭の中で起きるものです。私は大人になるまで“同じ国体の庭に咲く”だと信じていたのです。

中学生の時、社会の時間に初めて国体という言葉の意味について先生から説明を受けました。「国民体育大会の国体とはちゃうで!」と。国体のはっきりした定義についてはよく知りませんが、(日本の清々しい)国柄とでもいうのでしょうか。「同期の桜」のコクタイはきっと“命を捧げるのにふさわしい国柄、我がニッポン、俺達仲間はその美しい国に咲いていさぎよく散る桜なのだ”という意味だろうと。

ところが西條八十作詞の歌詞を見てみると“同じ国体”ではなく“同じ航空隊”(3、4番)となっているではありませんか。なるほど同じ兵学校の特攻隊の若者が今まさに桜が花開こうしているとき出撃していった話なんだとジーンと来ました。

とはいえ、楽曲とのマッチングから言えば“コクタイ”こそ4拍でよく合っています。“コウクウタイ”では字余りになり、何となく聞いていると頭の中では勝手に航空隊が国体になってしまいます。そんなこんなですが、私は“国体”と思って歌うことの勘違いにはかえって意味の深みを感じさせる音の響きがあるような気がしてきらいではありません。

「同期の桜」を久しぶりにオルガンで弾いてみようと2階の部屋に上がってみました。でもダメでした。昔は私の勉強部屋でしたが今では猫部屋になっています。オルガンのペダルは6匹の猫達にとって恰好の爪研ぎ板になっていました。ペダルの奥には何やらコロコロ乾燥したウンチまで!猫はすべてを破壊する動物です。思い出の品々も容赦なく。


甥っ子夫婦からのお返し

昨年の夏に続いて今年も東京に住んでいる甥っ子夫婦に岡山特産のブドウをお中元として送ってやりました。ニューピオーネとシャインマスカットがそれぞれ2房合計4房、お金の話を言っては身も蓋もありませんが、送料込みで1万円近くかかりました。甥たちは二人とも国家公務員でいわゆるDINKs(Double Income No Kids)、嫁さんの両親の家の近くにアパートを借りて住んでいます。叔父の私が甥に贈り物をするときいつも多めに送るのは、義両親にもお裾分けしたら甥っ子も少しは点数稼ぎができるのではないかという甥思いの下心があるからです。

届いたのと同時に甥からは「食べ始めると止まらない」、嫁さんは「いつもありがとうございます」とのメッセージが届きました。それからしばらくしたころ、甥から「羊羹を5個送った」と知らせてきました。「去年はお礼の言葉だけだったのにずいぶん進歩したものだ、ついにお返しできるようになったか!」と羊羹の到着が待たれました。

「え!、何これ?マジっすか?」宅急便のお姉さんから渡された小包は中に修理済みのスマホでも入っているのかと思えるぐらい小さなものでした。「5個」とは文字通り5個の一口サイズの水羊羹が小さな箱に。もしもぶっとい羊羹が「5本」も届いたらどうしようと心配していたのがバカみたい。しかも念入りなことに小さな箱には2人の連名で「お中元」ののしが貼られていました(粗品だろうが、こういう場合)。

私はいやらしくもその羊羹の老舗メーカーのホームページをチェック。税込みで1404円!いやはや甥っ子の両親も嫁さんの親もいったいどういう教育をしてきたのだろう、と小姑根性丸出しで行きつけの喫茶店のマドモワゼルに愚痴ってしまいました。

終活というか私の老後、死んだときの後始末は、たった一人の叔父である私を結婚式にも招待しなかったこの甥に頼むしかないので、昨年それとなく始めたお中元、お歳暮作戦はかくて惨めな結果に終わってしまいました。ミニ羊羹5個お返しするのももったいないと思わせる私の存在の軽さ、立場がよく分かりました。

もともとありもしない肉親への幻想を捨てること、預貯金等も自分で使えるうちに使ってしまわないといけないことだけは確かなようです。


2022年7月12日火曜日

安倍元首相暗殺事件に思う

6月中旬に奈良を訪れ、その際に近鉄西ノ京駅のプラットホームで元総理大臣Hさんが護衛もなく電車を待っているのを至近距離から目撃した話をこのコラムでご紹介しました。日本は何て安全な国だろうというコメントとともに。Hさんとはもちろん細川護煕元首相のことです。

それからひと月もしないうちに同じく近鉄大和西大寺駅駅頭の広場で参院選の応援演説をしていた安倍元首相が手製の銃で暗殺されるという前代未聞の惨劇事件の報道に日本だけでなく世界中の人々が接することになりました。その日、私はラジオでNHKニュースを聞いていたのですが、何が起きたのか要領を得ない報道に、どうか一命だけは取り留めてほしいと願ったものです。しかしまことに残念な結果に終わりました。

今回の事件で多くの識者から指摘されていることは要人警護の拙さ、異常事態発生時の対応の悪さです。たしかに演説をする元首相の背後すれすれのところを車や自転車がすいすい通っているという何とも異様な光景が繰り返し放映されていて、素人目にもあの警護のやり方はないだろうという気がしました。

対照的に同じ元総理大臣だった細川さんがリュックサックを背負って一人で近鉄電車に乗っていたのはあらためてあれは何だったのか考えてみました。要人警護の決まりとして首相経験者には終生SPが一人付くらしいです。ところが現在、村山富市さんと細川護煕さんのお二方は「煩わしい」との理由で警護を断っているそうです。

細川さんご自身、新宿のホテルで銃撃された経験がおありだそうですが、政界を引退した後は陶芸や絵画に才能を発揮し、今回のようなきな臭い事件のターゲットになる心配はあまりないのでしょう。村山さんが率いていた社民党はもはや風前の灯火状態で村山さん自身98歳という超高齢者となった現在、お二人とも政治的には「終わった人」故に勝ち得た平穏な生活だと思います。

それに反してモリカケ、桜の決着もなかばうやむやなまま、しかもひょっとすると3度目の復活だってありえた実力者の安倍さんの場合、身辺警護は最高のレベルで対処することが求められていたはずです。警戒を緩めてもかまわないのは村山さん、細川さんレベルになってからでも遅くなかった、と残念でなりません。


2022年7月7日木曜日

生食すると危険なサヤインゲン

家庭菜園向きの野菜としてサヤインゲンは育てるメリット上々です。というのもスーパーで売っているサヤインゲンは値段が高く、量も少ないうえに鮮度もすぐに落ちます。インゲンこそ晩春から晩夏までいつでも種蒔きができるのでぜひ家庭菜園に取り入れたい野菜のひとつです。

種類は大きく分けてつるあり種とつるなし種があります。つるあり種の方が長期間次々と収穫できるのでベターなのですが、つるを誘導する支柱を設置するのがめんどう。これに対しつるなし種は低い位置で生育が止まるのでプランター栽培にも好都合です。

今年は久しぶりにつるなしの種を買って菜園で育てたところ大豊作でした。定番の食べ方はサヤインゲンのゴマ和えや肉料理の付け合わせなどでしょうか。ところでサヤインゲンによく似た豆にササゲがあります。とくにタイ料理で有名なソムタムに入れる長さ40センチぐらいあるササゲは三尺ササゲとも呼ばれ、タイでは生のまま食べます。

「未熟なササゲは生で食べられる!」いいことを知ったと思いました。サヤインゲンもソムタム風に生で食べられるのでは? 危ないところでした。サヤインゲンはササゲと異なり有毒成分であるレクチンが多量に含まれているのでサヤインゲンでもインゲン豆でも生食/不十分な加熱は厳禁とのことです。

ちょっと調べてみたら、インゲンほどではないにしても多くの植物にレクチンは広範に含まれ、その数、数千種類!グルテンもそのうちの一つとかで、生の食材に無頓着であってはいけないと思いました。動物と異なり植物は外敵の攻撃に対し、動いて逃げることができないので、簡単に食べられないようにさまざまな有毒成分で武装しているそうです。

一方、人間の知恵も大したものです。大半の有毒成分は煮たり焼いたりの加熱で活性を失うことを経験から学んできました。またアクを取ることによってワラビやコンニャクなどもおいしく食べています。

戦後の食卓に登場したサラダは、健康的なイメージと裏腹に、植物が持つさまざまな毒性分を無防備に摂取することに他なりません。戦後アトピーやアレルギーが爆発的に増えたのはそのせいでは? 昔の人が安易に生ものを食べなかったのにもそれなりの理由がありそうです。


岡山県立美術館にて

 先日の日曜日、久しぶりに県立美術館に行きました。この日が最終日だった高木聖鶴展目当てのお客でにぎわっていましたが、私が見たかったのは地下画廊で開催中の「撮影された岡山の人と風景--県内作家の近作とともに」展の方でこちらはひっそり、閑散。しかしヨーロッパの人の目に映った2001年の岡山や写真集「bridge」などローカルかつユニークなおもしろい作品が多数展示されていて、こういう企画展こそ都道府県立美術館でなければ実現できないいい展覧会だと思いました。

そのうち杉浦慶陀さんという写真家の作品は「暗く沈みこんだ森」がほの暗く写し取られた作品群で「神様の殺し方」という連番タイトルが付けられ、魂を抜かれた自然を人間の暴力性の中で捉え、見る人に深い考察をうながす力作だと感じました。ところが、展示場のパネル(説明版)の文面を読んでいて「?」と感じた箇所がありました。

--杉浦によれば「管理され、虚勢されたはずの緑の中に潜むものは—-

文脈から言って「虚勢」ではなく「去勢」であることはあきらか。山の木材は資源として利用され、山地は産業振興のため開発され、森は違法に伐採される。「自然としての山と人間は結びついていないのではないかという意識がある」、つまりは一見豊かに見える森の緑も原初の森ではなく「去勢された」森だというのが杉浦のメッセージだと思います。

一番大切なキータームである「去勢」という単語が誤変換されているのは一美術ファンとして見逃せない! 出しゃばりの私は担当の学芸員を呼び出してもらいその旨意見を述べました。学芸員氏は面倒くさそうな顔をして私の説明を聞いていましたが、「作家から受け取った文章をそのまま使ってキャプションを作ったから……」と訳の分からないことをつぶやきながらそそくさと事務室の方へ消えていきました。

 美術館は接客業ではないのかもしれないが、私のような紳士的にクレームを付ける年寄りをもっと大切にしてほしい、いや構ってほしい! 老人は知識はあるのにそれを披露する場所がない、あんたら現役世代は分刻みの忙しさかも知らんが、こちとら時間はたっぷりあって閑を持て余してんだよ! それなのに名前も携帯番号も聞かれることなく放置されてしまう。私も迷惑千万な年寄りになりました。


2022年7月4日月曜日

危うくマムシにやられるところだった

家の西側壁面が野ブドウの蔓に覆われるようになり、3日の日曜日に草刈りと野ブドウを除去。抜いた草やブドウの蔓を素手でかかえてははプラかごに入れていく。最後の山を抱えようとしたときそこに潜んでいた巨大なマムシが飛び出し側溝に逃走。奇跡的に噛まれなかった。すぐに三角ホーを持ってきてマムシを押さえつけたものの殺すのに忍びず、隣のくそ婆の方に追いたてる。 今まで家の周りや畑、田んぼでマムシに遭遇したり退治したことがトータルで10回はあるがこんなにも危機一髪の状況だったのは初めて。もしやられていたらと思うとぞっとする。

2022年6月18日土曜日

大阪・奈良2泊旅

 数年ぶりに奈良の率川神社の百合祭、三枝祭を見ようと6月15日から17日まで大阪奈良旅行に出かけました。15日は東横イン梅田東泊。梅田といっても南森町にあり天神橋商店街が近くあらゆる飲食店がそろって楽しい街。

16日。神田君を呼び出し心斎橋のビストロ・ダ・アンジュでランチ。赤ワインがおいしい。フレンチで満腹せず、丸福珈琲店でサンドイッチ追加。近鉄で奈良へ。東横イン奈良泊。近畿の高校生陸上大会が開催中でどこのビジネスホテルでも高校生がいっぱい。大阪で買った鯛焼き2つとコンビニ弁当をホテルで食って就寝。寝るまで内館牧子の「もう一度生まれたら」を読む。テレビドラマは原作を大きく膨らませているのが判明。内館センセイ、意外と面白い。

17日。率川神社での三枝祭はコロナのため招待客以外は境内に入れない。あきらめて、というか見ても見なくてもいいので近鉄奈良駅前に戻りバスで唐招提寺へ。

昔1度来たことあり。蓮が開花。続いて薬師寺まで歩いて移動。薬師寺は参拝せず近鉄西ノ京駅へ。ほとんど人のいない京都行きホーム目力がある姿勢のいいおじいさんが薬師寺の坊さんたちと談笑。マスクは着けていてもどこかで見たことのある顔。えっ? かつての総理大臣、細川護煕さん? お付きの人も警備もなくリュックサックを背負って電車の到着を待っている。私はまもなく到着した京都行き急行に乗車、元首相は後続の特急に乗るのだろう、ホームの待合室に入っていくのが急行電車の窓越しに見える。私は大和西大寺で大阪・難波行きに乗り換え。まもなく細川さんを乗せた京都行き特急が入線。ホーム側窓側の席に細川さんが一人座っているのが見える。京都駅で新幹線に乗り換え東京に帰られるのだろう。ネットで調べたら細川さんは絵も描くそうで薬師寺のために大作を残しているらしい。

大阪・千日前到着。またも神田君と丸福珈琲店へ。ハヤシライスセット。歩いて空堀商店街に行き土居昆布店で昆布や佃煮購入。神田君と別れて谷六から地下鉄、新大阪から新幹線ひかりで帰岡。おとなびの指定席は夜9時過ぎのこだまだったが、5時過ぎのひかり自由席に乗る。岡山駅まで無事到着。駅構内の吾妻寿司で「柊」1800円。マンションの猫のお世話。実家着。庭の植物は無事。





2022年6月15日水曜日

泉州水なす

大阪で暮らした約30年のあいだに出会った食材で一番感動したのが「泉州水なす」です。Wikipediaによれば「なにわ伝統野菜第一号」の称号を授与されているとか。関西空港行き電車が岸和田、貝塚、泉佐野あたりを通るとき、車窓から水ナス栽培農家のビニールハウスがよく見えます。水ナスはその名のとおり栽培には土壌中にたっぷり水が含まれていることが必須で、本場の水ナス畑は畝と畝の間の通路が常時水浸しになっています。

2001年に親の介護のために岡山に帰ってきたのですが、意外にもここ岡山でも駅前のデパートの野菜売場で「泉州水なす」をよく見かけます。これを買い求め、家で糠漬けにして食べると絶品! そこで今年は水ナスそのものを家で育ててみることにしました。

4月、たまたま訪れた美星町の「星の郷青空市」の園芸ショップで水ナスの苗を発見し3本購入しました。茎や葉には水ナスの絹肌の実にそぐわないするどいトゲがあり、このトゲこそ本場泉州の水ナスの特徴かと思います。晴天続きの5月中毎日水やりを続けた甲斐があってか、6月になって待望の水ナス第1号が収穫できました。さっそく糠漬けです。例年春と秋の気候のいい時期に糠床を生糠から作るのですが、今年はてっとり早くスーパーで完成品の糠床を購入し、そこに山椒の実や昆布、唐辛子、酒粕、清酒、生糠などをアレンジしました。そしてキュウリやキャベツ、ふつうのナスを何度か漬け、たちまち熟成糠床が完成しました。

収穫直後のツヤツヤ新鮮な水ナスを熟成糠床に漬け込むこと一昼夜、たちまち何ともいえないさっぱりした食感最高の糠漬けができました。アクが少なく生でも食べられる水ナスは浅漬けが一番。鰹節をかけ、しょうゆをちょっと垂らして、炊き立てのご飯に乗せて食べるとほかにおかずは要りません。みずみずしい初夏の食卓です。

梅雨入りして水分をたっぷり含んだ畑ではキュウリ、ナス、インゲン、ズッキーニ、ミニトマトが収穫期を迎えました。美星町特産のかぐわしいベーコンをちょっと炒め、そこに畑でとれたジャガイモ、タマネギ、ズッキーニやインゲンなどを加えて作ったミネストローネもこの季節ならではのフレッシュな一品です。


2022年6月9日木曜日

無言館展

ただいま牛窓にある瀬戸内市立美術館において、“無言館展 戦没画学生 魂のメッセージ”という絵画展が開催中です。第二次世界大戦戦時下、美術学校を卒業した画学生たちが学生時代や戦地で描いた絵画を収集、補修、保存、展示するため、平成9年、長野県上田市に「無言館」という名の美術館がオープンしたとのこと。今回その中から選りすぐりの作品が牛窓にやってきてここ岡山においても静かな感動の輪を広げています。

いただいたパンフレットには「将来への希望に満ちたはずの若者たち。絵筆を銃に変えざるを得なかった画学生」とのキャプションが掲げられています。この若者たちの年齢はちょうど私の両親と同じ大正6年前後の生まれで、大正デモクラシーの中で自由で豊かな教育を受けた世代です。召集された画学生たちは当時の多くの若者同様、北支やフィリピンなど南洋に送られ2度と故郷を見ることなく散っていきました。

展覧会の会場ではいろんな世代の人が熱心に絵に見入っていましたが、とりわけシニア世代の観客にとって戦没画学生は自分の伯父さん、兄弟のように感じられたのでしょう、感極まって目元をぬぐう人も見受けられました。

長野県上田市郊外にあるという「無言館」には現館主の窪島誠一郎氏が遺族の元を尋ね歩き、現在130名、約600点の作品が所蔵され今も収集は続いているそうです。牛窓の会場には絵画作品だけでなく画学生が戦地から故郷の両親に当てた遺書や手紙類も展示されています。国や時代の違いをこえて戦争で一番の犠牲になるのは若者や子どもたちであることは現在も続いているウクライナ戦争をみればよく分かります。

展示された絵画のテーマとして戦争そのものが描かれているわけではなく、むしろ大正生まれの世代のほとばしるような芸術に対する才能と感性の高さを見せつけます。彼らが戦禍に散ることがなかったら戦後の芸術界は様変わりだったのではないかと思いました。

「無言館」館長の窪島さんによる講演会は5月に実施されましたが、満席だったとのことで、美術館によれば再度講演会を行うかもしれないとのことでした。詳しくはホームページに掲載されるようです。(牛窓にて開催中、7月10日まで)


2022年4月15日金曜日

4月中旬の野菜畑

 暑い日のあとに雨模様で寒い日があります。

(上) ジャガイモ。合計で80株ほどあります。

(下) 桑の新芽。花芽が見えます。