2019年1月23日水曜日

タウン情報誌「オセラ」

いつもよく行く喫茶店に置いてある岡山のタウン情報誌「オセラ」。隔月刊のこの雑誌をパラパラめくるといつも何かしら新発見があります。つまり少しひまを持て余し気味な主婦、富裕層、シニア、ゴルフユーザー、観光、旅行者である読者をその気にさせる記事が満載なのです。
2003年の1月に創刊されたオセラのバックナンバーをざっとながめてみると、創刊号の特集は「岡山の秘湯めぐり」のほか連載記事として青山融氏による「岡山弁JARO?」が開始されています。第2号は「岡山の春」2大特集として桜と鰆にスポットを当てています。第3号は「笠岡諸島の休日」と続きテーマの陳腐さ、古さはどこにも感じられません。
一方最新号(20191-2月号)といえば「癒しのおこもり宿」として瀬戸内、山陰、兵庫、四国エリアにまで取材が及んでいます。そしてこの間十数年の間に繰り返し、パンや蕎麦特集が登場します。こうしてみるとグルメと旅ははやりすたりのない永遠のトピックであり、タウン情報誌のコンセプトとしてこの二つから大きく逸脱しない限り読者から見放されるということはない、と言えるのかもしれません。ふるさとの魅力をいろいろ切り口を変えながら繰り返し紹介してくれるオセラのような雑誌の存在はありがたいものです。
最新号のグルメ情報として「オステリアezaki」というイタリアンの古民家レストランが紹介されていました。総社の備中国分寺近くに昨年夏オープンしたばかりのお店だそうです。オセラの記事を参考にしてさっそく訪ねてみました。サービス担当でオーナーと思われる老紳士からいろんなお話をおうかがいすることができ楽しいランチの時間を過ごさせていただきました。
オーナーの方はサラリーマンを定年退職したあと、ふるさとの総社で崩れかかった古民家を見つけてリニューアルしレストランとしてオープンさせたとのことでした。ナポリの郷土料理をベースにしたというイタリア人シェフの料理はさすがひと味違うものがありました。

岡山に住んでいても通りがかりや口コミだけではなかなか今回のオステリアezakiのような素敵な店を見つけることはできません。オセラの同じ号で紹介されていた山陰や四国の「癒しのおこもり宿」も今すぐ訪ねてみたくなりました。


2019年1月17日木曜日

宇和島から松山へ

愛媛県は伝統的に教育、文化に力を注いできた県です。文部省の全国学力テストが実施される日は出来の悪い児童や生徒を登校させないで平均点をかさ上げするなどということもやってたくらい。


そんな愛媛県には大変立派な博物館や美術館があり、今回初めて宇和島(西予市)にある歴史文化博物館に寄ってみました。1994年開館なのでいかにもバブル時代の贅沢かつ意欲的なデザインの建物でした。

松山市の中心にある県立美術館は何度も訪れたことがある素敵な美術館です。ちょうど英国、グラスゴーの海運王バレル・コレクション展をやっていました。印象派の名品が70点ほど。ほとんどの作品が日本初公開でした。グラスゴーの美術館が大規模修理中でその間、日本に貸し出しているとのことでした。福岡、愛媛、静岡、東京、広島と巡回中です。東京ではBUNKAMURA。
また、県立美術館では修復が終ったばかりの弘法大師空海の肖像画も展示されていました。松山市の太山寺所蔵。

東京や大阪と違って地方都市の美術館は本当に閑散としています。まして平日では。カフェの大きな窓からは天空にそびえる松山城が絵になります。外国人親子が窓辺にいたので、写真の構図に入ってもらいました。今日が誕生日だというイギリス人は不動産業の自営と言っていました。今年5月に4歳になる息子は愛嬌があって、私にいろいろしゃべりまくり面白かったです。私がWhere do you live?と尋ねたら「黄色いおうち! 新しいおうちだよ」などと答えていました。子どもにとってはどこの町に住んでるかどうかは無関心で、どんな家に住んでいるのかが彼にとってのwhere なのだなと思いました。イギリスは不動産バブルで儲かってるみたいです。

斎灘(いつきなだ)沿いの国道を夕日を見ながら今治、しまなみ海道、尾道経由で岡山に無事帰りました。
愛媛県立美術館前から仰ぎ見る松山城

2019年1月15日火曜日

宿毛から宇和島へ

(訂正)
宿毛から足摺岬まで往復すると120キロの道程があり断念。そのまま宇和島、松山、しまなみ海道、尾道ルートをたどって岡山に帰りました。

高知県宿毛市1泊で宇和島、松山を巡るドライブに出ました。以前乗っていた老朽パルサーはトンネルの中でいつエンジンが止まってもおかしくないポンコツで長距離ドライブは恐怖を伴いましたが、今度のシエンタ7人乗りは22万キロ走った老嬢ながら安心して走れます。

高知道の山中は霧がかかり横山大観の朦朧体の絵画そのものでした。

蘇軾の「湖上に飲す初め晴れ後雨」の漢詩がふと思い出されました。
杭州の南にある西湖あたりの風景を歌った詩だったと思います。

ここ高知県は1月とはいえ山々の木の梢に春の気があふれ、晴れても降っても美しい早春の四国路を楽しんでいます。

2019年1月12日土曜日

加古川までドライブ

昨日、加古川在住の友人を訪ねました。龍野西あるいは姫路西で山陽道から降りるべきを通りすぎて、姫路東で播但道へ流入しようと思い失敗。帰りは加古川バイパス、姫路バイパス、太子バイパス、2号線、岡山バイパス経由で帰りました。往復230キロ。
昔は毎週末大阪から岡山まで往復運転して何ともなかったのに今では隣の県ぐらいまでがちょうどいいドライブ距離です。備前市あたりは今でも魔物がドライバーの命を狙っています。三石峠を越えて岡山に入ると岡山まで帰ってきたと気が弛むのか必ず強烈な睡魔に襲われます。30代のころ年末に雪がちらつくなかバイクで備前の坂道を走っていて道路端に停まっていたトラックに激突。肋骨4本折ったことを思い出しました。
昨日はコンビニ駐車場で30分ほど仮眠させてもらい無事実家に帰れました。

学長からコメントありました

Oさん
 律儀なO大生の嬉しいお話しをありがとうございます。人生100年時代です。
MH  

2019年1月10日木曜日

古いつきあい、新しい出会い

一人暮らしのわびしい年末年始の孤独をうち破るように年明け早々、和食の店で中学時代の幼なじみ、すまちゃんと会食しました。すまちゃんは長年フランスで舞踏家として名声をほしいままにしてきた芸術家ですが、近年はふる里岡山に本拠地を移して活躍しています。今日は小難しい芸術論なんか忘れて、地酒と岡山の新鮮な魚料理を堪能しました。
中学校を卒業した後は別々の高校、大学に行き、再び交流が始まったのはすでに50歳を過ぎてからのことでした。2001年の3月、パリですまちゃんの舞踏公演がありそれを見にフランスまで出かけたのが再会のきっかけでした。そこからカウントしてもすでに20年近い歳月が流れました。
70歳になった私の生活実感は「老後」そのものです。「老いた後」とは死を待つ日々に他なりません。ところがすまちゃんは女性であるせいか、芸術家として常に創作活動をしているせいか「人生、もうひと花、ふた花咲かせなくちゃ」と元気がいい。酒も料理もどんどんすすみます。
実はこの日、私は会食の約束時間より少し早く店に着いてしまい、時間調整のために隣りの焼鳥屋に入り、食前酒のつもりでグラスワインを引っかけていました。カウンター席の隣にはビールのジョッキを重ねている若者がいて、ふとしたことから話が弾みました。聞くと大学生だそう。
たまたまその学生さんが通っている大学の学長がすまちゃんや私と同じ中学校の同期だったので、私はそんな話もついしゃべってしまいました。そうこうしているうちにすまちゃんから店に着いたという電話があり、若者との楽しい会話を切り上げレジに向かいました。正月気分もあり学生さんの飲み代もいっしょに払って焼鳥屋をあとにしました。
家に帰ってパソコンを開いたら学生さんから丁寧なお礼のメールがきていました。名前が書いてあったので興味本位で学生さんのツィッターも覗いてみました。そこには私にくれたメールの口調と異なり仲間内あてにこんなことが書かれていました。
「今日、焼鳥屋でビールを飲んでいたら学長の同窓生というおじいさんが全奢りしてくれた。あざっす!」私の中ではすまちゃんも学長先生もみんな昭和時代の中学生のままなのに、正真正銘の若者から見ると単なるじいさん、ばあさんなのです。悲しいことですが仕方ありません。

2019年1月8日火曜日

少しがっかり、新しい出会い

 年末クリスマス前にカナダから遠縁になる女子大生がボーイフレンドを連れて来日しました。「岡山に寄りたい」というメールを受け取ったのは来日の10日ほど前のことで、用件もただ「行きたい。会うことができますか」だけの内容で自己紹介的な記述がありません。とりあえずカナダの従姉キャスリーンに電話して「どんな子?」と尋ねてみたら反応がパッとしません。「あの子は自分のおじいさんの葬式にも来なかったような子、人のいいお前が便利に利用されるのが心配」とのこと。
 でも実際にやってきた彼らと岡山や倉敷の名所や先祖の墓所などを見て回ったことは私にとってもいい気分転換になり、あわただしくも楽しいひとときでした。12日の滞在時間はあっというまに過ぎて岡山駅まで見送ってお別れしました。「カナダに来たときはぜひ我が家に寄ってください」とちゃんと社交辞令まで言える子たちでした。
 キャスリーンには電話で「いい子たちだったよ」と報告。キャスリーンは「私こそ偏見で見ていたのが恥ずかしい」などと言っていましたが、彼女の観察眼が鈍っていたわけではないことがまもなく判明しました。
 「これから広島に向かい、その後は金沢、野沢温泉で日本の正月を体験し14日に帰国する」と楽しそうに言っていたのに、その後いっさいメールがありません。岡山で案内した前川國男設計の県庁舎や吉備津神社、丹下健三設計の旧倉敷市庁舎など彼らが大学院で専攻している建築学的に重要な建造物の来歴などを英文でまとめてすぐ送ってやったりしたのですがなしのつぶて。
 でも、彼らのこうした振る舞いは私の甥や姪でも似たりよったりで、いまどきの若者には昔風のマナーはぴんとこないのでしょう。ときたま後楽園や倉敷でにわか観光ボランティアをして知り合いになる欧米観光客からもサンキューメールなど届いた試しがありません。むべなるかな。
感謝されるためにボランティアしているのではなく、特に私の場合はでしゃばりの範疇です。それよりもやはり知らない異国の人、世代の違う人々に出会う意味は大きいしまた楽しいことです。「利用される」という意味では私もカナダ人カップルをしっかり利用させていただきました。ネイティブとの濃い時間の共有は英会話の練習にもってこいです。 

2018年12月28日金曜日

2018師走

2018年もあっという間に終わりに近づきました。年末になって7人乗りステーションワゴンが手に入りまた。昔のようにどこにでもふらりと旅にでかけることができます。行き尽くし感がありますが松江や松山、足摺岬方面へまた行ってみようと思います。

2018年12月11日火曜日

平成時代最後のお正月

平成30(2018)は今まで自然災害が少なかった岡山県民にとって忘れがたい1年になりました。倉敷市真備地区で発生した未曾有の洪水では多くの人命が失われ、家は2階の天井まで水に浸かり軒並み廃屋と化しました。多くの方が住み慣れた我が家で新年を迎えることがかなわなかったことに深く同情いたします。
 年が明けて本年5月、いよいよ平成時代が終わり新天皇の時代です。そのせいか最近皇室を取り巻く、あることないこと下世話な話が週刊誌やネットでおもしろおかしく報道されていますが、いかがなものかと思います。皇室といえども国民同様の人格権があるはずです。
昨今の秋篠宮家に対するバッシングはいささか度を越していると感じます。宮家の長女の結婚問題について当事者でもない人々があれこれ言う問題でしょうか。新たに即位される天皇皇后についても国民が小姑のような意地悪い見方をすることだけは慎まなければと思います。慣れないお立場ではだれしも最初から万事完璧になどできるはずがありません。
譲位される天皇皇后両陛下が在位中、すべての国民のために祈り、ひとりひとりの悲しみに寄り添われてこられたことに対し、日本国民のひとりとして私は大変ありがたく思います。全国の戦没者遺族、災害で苦しむ人々を訪ね、励まし続けられたことは平成という時代を共にした人々の記憶に永久に残るでしょう。
私事になりますが、このコラムを書き始めたころ私はまだ50代半ばでした。それ以来、長い年月を両親の介護をしながら時々上海やバンコクに出かけては急速に発展するアジアの風にふれてきました。それ以前の20代、30代のころは意識は常にヨーロッパに向き、40代のころはアメリカの文化に深く傾倒していました。そして今70代になって人生も残り少なくなってきたことが実感されるこのごろやはり日本のことが一番おもしろく感じられるようになりました。

最近古代史の研究がすすみ、古事記、日本書紀以前にも存在していたらしい歴史のことや中国から漢字が伝わる以前の日本に存在していたという文字などが公然と議論されるようになりました。古代史が全面的に書き換えられる日が来るかもしれません。とりあえず今年は母の故郷、新潟県各地にある縄文時代の遺跡めぐりなどしてみようと思います。

2018年12月1日土曜日

岡山市、洋食やまと

日本伝統工芸展が明日で終わりなので、自転車で出かけました。今年は人形とキモノが多く、漆芸が少し貧弱な気がしました。
10数年前、母がまだかろうじて外出できていたころ、伝統工芸展を見に来たことがあります。もうほとんどしゃべることも感情を表現することもなくなっていた母ですが、童女の人形をみて微笑んで「かわいい!」と声を発したのは驚きでした。車イスを借りてまで連れてきた甲斐があったと思いました。

今年は私が知ってる範囲でも、M君やT君のお母さんが大往生をとげられました。ご冥福をお祈りします。

美術館の帰り、岡山では人気店の洋食屋、やまとに行きカウンターでグラスビールとトンカツをいただきました。目の前でご亭主が焼き飯を焼いたりトンカツを揚げていて、喉まで声がでそうになるのをがまんするのに苦労しました。

「しんちゃん、あんた顔は老牡ライオンみたいになったけど声は優しいなあ!」と。

操山高校同期なのですが、同じクラスになったことはなく、その後同窓会などで顔を会わすこともなかったので、大和君にしてみれば「孤独な年寄りがボッチ飯食いに来たなあ」とでも思ったかもしれません。頼り気ない息子さんも今ではいつでも代替わりできるまでに成長しました。

声を掛けたかったけど、いったんそうしたことをしたら、いままでのようにフラりと店に寄りにくくなるのでやめました。

トンカツ、焼き飯、ラーメン、ハヤシライスとレパートリーが広く値段も安いし、味はフツーに美味しいです。